第13話 キレイな顔と、汚い心。
〜Xー4年:双郷平和
ある日、父である明星航一が「ご馳走」と称してナメクジを皿に載せた。
生きているソレはあまりに気持ち悪く、まさかそんなものを口に入れるなんて考えられなかった。
母さんは夫がいながらも男の家に出歩いている。中学生になった異父兄の和雄は彼女の家に入り浸って何日も帰ってこない。
断ることができなくて、俺はナメクジを口にしていた。
それから、自分の中で何かが変わった。
俺自身、何故なのかわからない。
外から家に入り込んだ虫を、今まではなるべく逃がそうとしていたのに平気で殺すようになった。それが、何だか楽しく思えた。
生きているナメクジは苦手だが、死んでしまえばソレすら可愛く見えた。
車に轢かれた猫の死体が、あまりにも愛おしくなって家に持ち帰って一緒に寝た。
死体が見つからないからと、今度は自分で猫を殺すようになっていた。
良くないことだと、わかっていた。
やめないといけないと、わかっていた。
でも、周りは誰も俺の仕業だと思わない。みんな、明星航一という身近なやばい奴のせいにした。
誰も、俺なんか見てはいなかった。
見ているのは、俺が殺す動物たちだけだ。そのつぶらな瞳に最低最悪な俺を映して死んでいく、可哀想な動物たちだけ。
親も、兄弟も、友だちも、先生も。
誰も、俺なんか見ていない。
「へーちゃんは凄いね!」
それなのに、今日もそうやってキラキラした目でキレイに繕った俺を見る。
やめてくれ。
もう、やめてくれ。
俺は、優のキラキラしたその目が嫌いだった。
俺を正義のヒーローか何かと勘違いしてるその目が嫌いだった。
何でもかんでも「へーちゃん凄いね」と称賛し、俺を凄い人間でいさせようとする。
違うのに。
彼もまた、俺のことなんか見ていなかった。
「君が明星平和くんだね?」
すっかり辺りが真っ暗になった時間帯。母さんに頼まれた物を買いにコンビニに向かう途中で、スーツを着た男の人が話しかけてきた。
その顔には見覚えがある。話したことはなかったが、学芸会とか、運動会とか、先日の卒業式でも見た男の人だった。
「そうですけど……優志くんのお父さんですか?」
俺が首を傾げると、男は笑いもせずに頷いた。髪を七三に分けていて、とても真面目そうな男だった。
「帆上警察署の相沼だ。君に聞きたいことがあるんだ。少し時間をくれないかな」
「はあ」
近くに停めてあった黒い車に促されて、後部座席に乗り込んだ。赤の他人ではあるが、優のお父さんだとわかっているので抵抗はしなかった。
俺の隣に、相沼が座る。息子の優とは違い、ガタイがいい。
「君のお兄さんが交番に助けを求めに来たね」
「はい」
「何か言われた?」
「えっと、児童相談所の人が来て、兄は家に帰って来ないって聞きました」
それはつい昨日の昼間の話だった。こっちは友だちと遊ぶ約束をしていたのに、ちょうど家を出る前に児童相談所の人が来て長話をされた。兄の和雄は昨日家を出ていく前に母さんと喧嘩をしていた。そこで母さんが包丁を取り出したから走って逃げたのだ。それで交番まで逃げて、今までの家での不満をぶちまけたようだ。それを聞いた児童相談所の人が、俺にも虐待があったのではないかと疑っていた訳だ。
「児童相談所の人に話ましたけど、別に何もないですよ」
「本当に?」
「こーいうのって警察に話す必要あるんですか?」
苛立ってしまったが、優の父なのだからと落ち着いて話そうと何とか静かな声で聞く。相沼は優とは全く違い、とても自信に溢れた目で俺を見ている。この遺伝子が少しでも優にいけばよかったのにと思わずにはいられない。
「なら、私が聞きたいことを単刀直入に聞こうか」
「僕、買い物行くんで手短にお願いします」
「君、明星航一を殺したよね?」
背筋が凍った。まさかそこで、継父の名前が出るなんて思いもしなかった俺は、不意をつかれて硬直していた。相沼は俺の反応を見て不気味に笑う。
「君のお兄さんが証言してくれたよ。君が走行車に向かって継父を押し出したってね。殺意を持ってやったんだろう?」
「……」
「車にドライブレコーダーついてなくてよかったね。しかも、運転手が飲酒していて、君は本当に運がよかった」
相沼は何が楽しいのか怪しい笑みを絶やさない。俺はそんな相沼に気味の悪さを感じ、目を離した。
「だからなんですか? 捕まえるならどうぞご自由に」
俺は、特に逃げようとも思わなかった。彼の言っていることは事実だ。
明星という継父が、嫌いだった。彼は情緒不安定で、いつも酒と暴力に溺れていた。そして、金を貸してもらうという理由で、自分の旧友……糠部壮介に俺を売った。何で俺は男なのに男の人にそういう扱いをされるのか。理解できたわけではなかったが、とりあえずその行為が恥ずかしいことなのだとわかっていた。
誰にも言えなかった。糠部には玩具のように使われ、明星本人には殴り殺されのるではないかと怯える毎日に嫌気がさした。
だから、殺した。
暴走した車が来たから、車道に押し出してやった。酔っぱらってた継父は簡単に足元を狂わせて車道に出て、車に轢かれた。
身体を地面に叩きつけられて、継父は頭から何かを飛ばした。明らかに即死したとわかるのに、指がピクピクと動いている様は何だか愛らしさすら感じた。
……轢死した父親を見て、俺は射精していた。
驚くくらいの快感に、目眩がした。一緒にいた兄もさぞ同じ気分だろうと顔を見れば、彼は恐怖に顔を強張らせていた。その顔があまりにも酷い顔で、不思議だった。
相沼は、窓も開けずにタバコを吸い始める。煙が立ち込め、逃げ場がなく噎せる。俺が睨むと「こっち見たな」とまた笑った。
「私は、君を捕まえにきた訳じゃないよ。ある意味助けに来たと言ってもいい」
「警察なら捕まえるのが仕事では?」
「市民を助けるのが仕事だよ」
ニコニコと笑う男を見ると、何故か腹が立ってきた。どこまでも人を見下しているようなその表情が癪に障る。
「……助けるのが仕事だっていうなら、まず自分の息子を助けたらどうですか。貴方に話してないかもしれませんが、優志くん相当いじめられてますよ。上履きとかボロボロにされてるの知らないんですか? もっと、見てあげてください」
「優志は大丈夫だ。だって、いじめの大将は君なんだろ?」
「は?」
変な言いがかりをされて、俺は思わず眉間にシワを寄せた。特別仲良くしているとか思ったことはないが、他の奴と同じように友だちだと思っていた。少なくても、いじめているつもりはない。何より、優は俺の前では屈託なく笑っている。嫌われているとも思えなかった。
「優が言ってたんか?」
あまりに酷い物言いだったので、敬語も使わずに尋ねる。相沼は俺の態度が変わっても気に留める様子はない。
「いや? でも、他の親御さんから君の話はよく聞いている。君は喧嘩ばかりしているってね」
「優とはしてねぇよ」
喧嘩は確かにしているが、優と喧嘩などしたことはなかった。喧嘩するほど張り合いはないし、たまに腹が立って怒るとすぐ泣いてしまうので喧嘩にまで発展しない。優が弱いことを知っているから手を上げたことなんてない。
「君のお父さんもお母さんもロクな人間じゃない。君が殺した継父は頭のイカれた人間だったし、母親だって女を捨てられない人間だ。君がこんなに間違いだらけの道を行っているのに、誰も修正してくれない」
「勝手に他人の人生を間違いにするな!」
腹が立って思わず手が出そうになるが、声を上げるのに留める。
確かに親のことはあまり良く思ってはいない。それでも、彼らは俺の親だった。それを、何も知らない人間に悪く言われたら面白くない。車道に押し出したくせにそんなことを感じるのは、なんで何だろうか。
「君はどうするんだい? 継父を事故死に見せかけて殺害した。学校ではいじめなんて最低なことをしている。君はこれからどうやって生きるんだい?」
「だから、いじめなんてしてねぇんだって!!」
「嘘を吐くな!!」
左頬に衝撃が走る。
相沼に殴られたのだと気付いたときには、頬の痛みがジンジンと広がってきた。
「お前が優志をいじめたんだろ」
「違う」
「認めろ!」
もう一発、男の拳が同じところを殴った。そこは明星を殺した当日、明星に殴られて腫れていた場所だった。相沼は、的確にそこを殴っているのだ。
明星の拳よりも何倍も痛い相沼の拳に、俺は情けなく泣いていた。強い奴は泣かないんだと、あれだけ自分に言い聞かせていたのに、自分よりも強い奴を目の当たりにした途端、恐怖が脳を支配している。
相沼は俺の胸ぐらを掴んで、何度も殴ってきた。血の味が口に広がる。顔を殴られないように手でガードしても、手が叩き弾かれ、ジンジン痛む。
「やってない……俺は、優に何もしてない。優をいじめてるのは、正義って奴と……」
それでも、認めるわけにはいかなかった。事実を伝えなければいけなかった。
そうしないと、優が困る。俺がいじめを認めたって、本当にいじめてる奴がいる限り終わらないのだから。
「……お前の父親、人殺しだよな」
「え……?」
「明星航一は6歳のときに自分の姉を殺害した犯罪者だ」
それは、知っている。
明星という父さんは、異常者というレッテルを貼られた男だ。殺したあとに彼が精神科で書かされていた日記を読んだが、彼は生きていることを嘆きながら殺した人間に「死んでよかったね」なんて書いていた。
「古積海斗は小児愛を拗らせていたらしいな。お前も、ヤッてたんだろう?」
「それは……」
古積というお父さんは、優しい父だった。変な遊びばかり誘ってきて……痛くて嫌だと泣いたらいなくなってしまった。優しいって信じてるけど……お父さんが俺をどう愛していたのかは、もうわかってる。
「母親の和葉さんも男連れ歩いて……。路上でキスしてるのも見たぞ? とんだ母親だな。お前、アレにも相手させられてるだろ」
「なん……」
母さんは、女を捨てられない。夫がいても浮気性で知らない男を連れてきたし、男が捕まらなければ俺を使う。
何で、知ってるの?
誰にも、言ったことはない。
「そしてお前は、小学生のくせにそれで興奮してる汚いガキだ」
殴られるよりも、ずっとずっと胸が痛かった。息ができなくなりそうだった。
興奮してると言われたら、そうなのかもしれない。気持ち悪いと同じくらい、気持ち良いと感じることがある。
汚いことは自覚している。それでも、親にとっての俺の価値が身体にしかないことも、わかっている。
だから、その役割を捨てられない。お父さんがいなくなったときから、拒むという選択肢は間違いだとわかったから。
「お前はまともじゃない。お前がいると、優志がおかしくなる」
相沼が何度目かの拳を振り上げる。
もう、散々だった。傷つきたくなかった。
負けを認めるのは怖い。でも、もう殴られたくない。嫌なことを言われたくない。
はやく、逃げたい。
「わかった! わかったから!! 俺が、俺が優のこといじめてたから!! 俺だから!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!」
俺は、無様に声を上げていた。もう、駄目だった。
相沼は聞きたかった言葉を聞いて満足してのか、拳を下ろし俺の胸ぐらを放した。相沼は気持ち悪いくらいニコリと笑って顔を近づけてくる。
「君がやることは、優志の前からいなくなるだけだ。簡単だよ、ただ虐待されていた事実を認めればいいんだから。そうしたら、君は殺人のこともいじめのことも隠したまま被害者として生きていける」
「……」
「言っただろう? 助けるのが仕事だと。これが、君にとっても優志にとっても最善だ」
相沼の言っている最善が全く理解できなかったが、俺はもう殴られたくなくて何度も頷いた。
それから相沼に連れ添われ、警察に保護された。「夜中に歩いてたから保護した」と相沼は真面目な顔をして言った。俺も「母に無理矢理買い物に行かされた」と伝えた。それは事実だから、問題ないだろう。そこから児相で保護され、その間に大人たちが住む場所を探してくれた。
中学校の入学式に合わせるようにして、地元から遠く離れた児童養護施設に入所が決まった。そこに兄の和雄と一緒に入所した。
親に暴力を振るわれることのない日常が始まった。不安ばかりではあったが、少しくらい明るい未来を期待した。
でも、現実は甘くない。
これはきっと、罰だった。
いい人でいようと思っていた。大人に褒められるように、怒られないように生きようと思っていた。
でも、それができなかった。
普段必死に繕えば、段々と疲れて綻びが生まれてしまう。その綻びが出たときに、感情を圧し殺せる術を、俺は身に付けていなかった。
驚くほどに自分を抑えられなかった。恐怖や不安がこびりついて、離れない。気持ち悪さに訳がわからなくなって叫んでいた。苛ついて物に八つ当たりすることもあった。大人は俺を完全に「問題児」として見ていた。
それが嫌で、怖くて、媚を売ろうと必死になればなるほど、本来の自分との差に首を絞められる。いつも笑っていて「キレイだね」と言われる自分でいたいのに、本来の自分を否定されるようで苦しい。
そう、俺はいつも「キレイ」だって大人に褒められた。珍しい金髪だからか? 目が青いからか? 顔立ちが良いのか? 自分ではわからないが、見た目だけはそれなりに評価される顔らしい。
「キレイ」と言われる顔と反対に、汚い気持ちは置いてきぼりになった。
異父兄の和雄は、俺を辱めるためだけに公衆トイレに誘った。それで彼が俺のことを考えてくれるならと……応じた。なのに、和雄は行為が終わったら正気になってしまった。「やってしまった」とでも言いたげな顔をして、馬鹿なことをした自分に絶望して、俺を避け始めた。兄にすら捨てられた。
……でも、和雄とのセックスをして気付いたことがある。
ずっとあった下腹部の痛みと吐き気がする原因がわかった。
こんだけ色んな人とヤッてんだから、姙娠してるんだ。男なのに。
俺、男だよな?
不安は募るだけだった。誰かに相談することなんかできないから、自分で解決するしかない。
言い寄ってくる女と関係を持とうとした。そうすれば、自分が男だと証明できると思った。でも、自分からヤろうとすると身体が震える。息ができない。怖くて……抱けない。
自分からはできないのに、他人に誘われると断れない。断ったときの恐怖が、お父さんに置いていかれた不安が過る。
学校の先生も、施設の先生も、そんな俺をよくわかっていて、性処理に使う人が出てきた。
施設が変わった後はなおさら歯止めが効かなくなって、施設の先輩も、バイトの先輩も、児相の先生も……ある意味幸せなことに、一箇所に一人は必ず俺の身体を好きになってくれる人がいた。
……何でこんなことになったんだろう。
仲の良い家族に憧れた。暴力なんかなくて、毎日みんなで食卓を囲って笑い合っている。そんな家族に、生活に、憧れただけだった。
全部がうまくいかなかった。
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