第12話 僕の神様の、終わり。
「へーちゃんは凄いね!」
へーちゃんは格好良い。
彼は僕のヒーローだった。何からも守ってくれて、強くて、格好良い。
あぁいう風になれたらなと思ったのはほんのひと時だった。僕は子どもながらに彼のようになれないことをわかっていた。僕は、へーちゃんのように心も身体も強くない。
褒められても、へーちゃんはいつも喜ばない。複雑そうに眉間にシワを寄せる。
「優はいつもそればっかりだよな」
「だってへーちゃん凄いんだもん! また正義くんに勝っちゃうし、前は宏くんのお兄ちゃんにも勝ってたし! それに、国語のテストも100点取ってたし」
「……それってさ、スゲェことなの?」
「うん!」
へーちゃんのことを話すのが誇らしくて、僕が力強く頷くと当の本人であるへーちゃんは乾いた笑みを浮かべる。なんだかヘタクソな笑顔だった。
「俺って、スゲェんだ……」
「そうだよ! へーちゃんはね、強くて、凄くて、キラキラしてて」
二人で下校する時間が好きだった。へーちゃんは特定の人と帰ると決めているわけではないので僕以外の人とも帰ったりしている。僕にはへーちゃんしか相手がいない。
「あ、へーちゃん。そういえばね、前に買ったゲームなんだけど」
「うん」
へーちゃんはいつも僕の話を聞いてくれた。歩幅を合わせてくれながら、話すペースを合わせてくれながら、いつも僕を気遣ってくれた。
僕の世界は、へーちゃんに彩られていた。
いつも眩しい彼の姿を、追いかけていた。
それが、本当の彼なのだと信じて疑わなかった。
目を開けると、そこは変わらず古積の家のリビングだった。
ゆっくり身体を起こし、辺りを見渡す。時計を確認すると、ずっと寝ていた気分だったが殴られてから数分しか経っていなかった。でも、へーちゃんの姿は見当たらない。
「本当に僕って馬鹿だ……!」
油断した。へーちゃんだからと信じすぎていた。眠剤を盛られたことを忘れたのか、バカ優志!!
殴り合って怒鳴り合って、少しはわかり合えた気になっていた。でも、そんなことはお門違いだ。へーちゃんは、僕のことを信頼していない。
誰のことも、頼る気なんか毛頭ないのだ。
「優志!」
「え?」
どうしようと悩んでいると、聞覚えのある声が遠くからした。
そうかと思うとガチャンと勢いよく扉が開く。そこにいたのは、僕の父だった。
警察官の父は僕が家にいないことを不審に思い、へーちゃんの家へ向かった。そして、へーちゃんの母の遺体を見つけた。
そのお父さんがここにいる、ということは……へーちゃんを捕まえに来たということだろう。
「平和くんは一緒じゃないのか?」
「わからない。さっきまでは一緒にいたけど」
床に座ったまま答えると、お父さんは露骨に舌打ちをした。僕には、彼が父親としてここにいるのか、警察としてここにいるのか、よくわからなかった。
「友だちくらい選びなさい。あんなのとつるんでるから巻き込まれるんだぞ」
「何……それ」
お父さんは僕に歩み寄り、僕の前にしゃがんだ。眼鏡の奥の目は冷たくて、どうやら心配よりも呆れている様子だ。
「せっかく中学は離れたのに何でまた」
「僕の前でへーちゃんを悪く言わないで!」
このわからず屋と話してる場合じゃない、へーちゃんを探さないと!
僕が立ち上がろうとすると、お父さんが「おい」と、僕の両肩を掴んだ。
「どこに行く」
「へーちゃんを探す。早く見つけないと」
「正気か? 人殺しだぞ」
人殺しというワードに、思わず息が詰まりそうになる。
わかっていることだ。もう、双郷平和は人殺しで、社会に許されない存在になってしまった。彼の肩を持つということは、僕自身も社会に反するということになる。
でも、それでもへーちゃんを……諦められない。
「お父さん、へーちゃんはお母さんに虐待をされてたんだ。この家の主の最初のお父さんにだって……だから」
「平和くんがお前に宛てた手紙に、何て書いてあったと思う?」
「え?」
「……父親じゃなかったんだ」
それはきっと、夏休みに回収された小学6年生の頃の手紙だ。へーちゃんが「大人になったら読んで」と渡してきて、今になって「俺が捨てる」と話していた。まだ、捨てられずに家に置いていたのだろうか。
「猫を殺した」
「猫を……」
心臓が、締め付けられるようだった。
そうだったのか。
小学高学年になった頃だった。近所で猫の死骸が至るところで飾られるように置かれていた。生首を何個も並べていたり、臓器に花が添えられていたり、気持ち悪い事件だと有名だった。
へーちゃんはその話を嫌った。僕は彼が猫を好きだから聞きたくないのかと思っていた。後からお父さんに犯人がへーちゃんの父親だと聞かされ、勝手に納得していた。
へーちゃんだったんだ。それなら近衛くんたちの前で猫の死体を弄っていたのもわかる。お父さんの死を思い出したのも事実かもしれない。
でも、そもそもへーちゃんは元からそういう人だったのだ。
……へーちゃんが僕に「何も見てない」と言っていたのは、こういうことなのだ。
「死体を見ると、楽しくなった。そして……明星……二人目の継父も車前に押し出して殺した」
「……」
そっか。
その事実を書いたから、僕から無理矢理にでも回収したんだ。
それが本当なら、僕はとんでもない過ちを犯したのだ。へーちゃんはきっと「大人になったら読んで」なんて言っておきながら、すぐに読んでほしかったのだろう。それを、律儀に守ってしまった。彼のメッセージを……見逃してしまった。
「お前が友だちだと思ってるのは、ただの人殺しだ」
「それは、その通りだと思う。でも……それが、何?」
「は?」
命を奪ったことは、責められるだろう。それは、当然だ。
それでも僕が彼に救われた事実は変わらない。僕は、自分が受けた恩を、忘れたりしたない。
「お父さんは僕がいじめられて辛いって話したとき、助けてくれなかったよね。でも、へーちゃんは違う。ずっと、僕を助けてくれた。社会が彼を否定しても、僕だけは絶対にへーちゃんの味方になる。へーちゃんが、そうしてくれたから」
味方がいない世界で、彼だけが救ってくれた。
その事実だけで、僕は彼を守る理由がある。
お父さんは、僕をまるでゴミでも見るかのような目をして睨んだ。
「お前は騙されている。平和くんはお前の思ってるような人間じゃない。猫を殺してたんだぞ? わかるか、彼の目的は復讐ではない。復讐に見せかけて遊んでいるんだ」
「何でお父さんにそんなことわかるの」
「彼は普通じゃない。殺しによって性的興奮を得る異常者だ」
お父さんがそう言ったときだった。
お父さんの背後に影ができた。
僕よりも先に、お父さんがそれに気づき後ろを振り返る。それよりもはやく、お父さんの背後に立った男は手に握る何かを振り下ろした。
「ガッ!!」
初めて聞く声を上げて、頭を殴られたお父さんが前にいた僕に覆い被さるようにして倒れる。僕はお父さんの重みに、身動きが取れなくなった。
「ははは」
そんな僕ら親子を、彼は笑いながら見下ろした。
「へー、ちゃん」
へーちゃんは、ずっと近くで息を潜めていたのだ。お父さんが油断する隙を、待っていたのだろう。
へーちゃんは唸るお父さんに馬乗りになると、もう一度凶器で頭を殴った。
血が、ぶわっと吹き出る。お父さんの髪の毛がどんどん赤に染まっていく。
へーちゃんが手に握っている凶器は金槌だった。へーちゃんは血の付いた金槌を撫でながら、笑みを消す。
「久しぶりだなァ、相沼サン。ノコノコひとりで殺されに来てくれてありがとう」
へーちゃんは、静かにお父さんに声を掛ける。そして、また一回、もう一回とお父さんの頭を間髪入れずに殴る。お父さんはうめき声を上げているがそれだけで抵抗できない。背後から来る痛みに耐えるのに必死なのだろう。血が、どんどん流れる。
へーちゃんは一度手を止め、お父さんに押し潰されている僕に視線を移した。そして、狂気に満ちた嬉しそうな笑顔を浮かべ、金槌を振り上げる。
「お前は運がねぇなぁ。俺なんかに着いてこなけりゃあ自分の父親が殺されるところなんて見なくて済んだのに」
「ど、どうしてお父さんを……」
「お前は本当に脳内花畑野郎だなァ! 理由なんかねぇよ! 目の前にいるから殺す! お前の父さんの言うとおりだ、復讐なんかじゃねぇ! 俺は楽しいから殺してんだよ!」
嘘だ。
いや……本当に?
ここまで来ても、結局僕はへーちゃんのことを何も知らなかった。何が本当で、何が嘘なのか、わからなかった。
悔しくて、涙が溢れそうになる。それでも泣いている場合ではないと唇を噛み締めた。
「なァ、これでも俺がまだヒーローに見えるかよ!? 格好良いかよ!? いつもみてぇに助け求めてみろよ!!」
「もうやめてよ!!」
へーちゃんが金槌を振り下ろすのを、声だけで制止を試みた。無理だとは思っていたが、へーちゃんは意外にも手を止めた。目頭はつり上がり、白い頬も興奮して真っ赤になっている。
彼は、笑っていた。
「なぁ、ここでやめて何になるんだよ? 俺はなぁ、元からこんな奴なんだよ。でき損ないで、クズで、汚くて。生きてる価値なんかなくて、救いようもない奴なんだ」
「へーちゃん、君はまだやり直せる。だから」
「やり直せるわけがない! 俺は変わらない! 世界も変わらない! だから、みんな死ねばいい!! 死ねばみんな一緒だ!!」
金槌を振り下ろす恍惚とした顔は、人を傷付けることに快感を得ていた。
彼は、そういう人なのだろう。
双郷平和は、弱い僕を助けてくれたヒーローは、他人の生命を脅かすことが何よりも楽しいのだ。
「君はこんなことしたくないはずだ!!」
「俺はやりてぇことしかしねぇんだ!! バカにしろよ!! 笑えよ!! なァ!?」
「人前でそんなに興奮して恥ずかしいだろ!! 自分を見てよ!!」
自分でも驚くくらいの怒鳴り声を上げていた。彼を止められるなら、何でも良かった。
酷いことを言ったと思う。へーちゃんは、僕の言葉に涙を滲ませた。ワナワナ口を震わせて、手から金槌を落とす。
へーちゃんは、自分の股間に視線を向ける。
羞恥心が戻ったのか、彼は顔を青くした。そして、笑みを消す。
「……恥ずかしいに決まってる……」
「なら、もうやめて」
「……でも、だって、ヘイワ……」
へーちゃんは目をグルグルさせながら、フラフラと僕の上からお父さんを避けた。 ようやく動けるようになった僕は、とりあえず着ていたパーカーを脱いでお父さんの頭からの出血を止めようと試みる。
死んだら困る。死んだら、へーちゃんの殺人件数が増える。
酷いことに、僕は父の命をへーちゃんの殺人の数でしか捉えていなかった。へーちゃんに殺させたくなくて必死に止血を試みていた。
「へーちゃん、君は一体何がした……」
「ゲホッ……ぅっ」
「大丈夫?」
お父さんを止血しながらへーちゃんを見る。へーちゃんは僕の隣にしゃがみ込むとそこで嘔吐した。
「へーちゃ」
「……やっぱり……俺……」
へーちゃんはボソリと何かを呟くと、腕で口を拭った。
そして、へーちゃんはゆっくりとした動きでお父さんのポケットに手を入れた。そこからスマホを取り出し、どこかに電話を掛ける。
「救急です……頭から血を流して倒れている人がいます。意識はないです。場所は……」
へーちゃんは淡々と聞かれたことに答え、通話を終えるとスマホを床に投げつけた。
「へーちゃん……」
「……あと10分くらいで来るってよ」
へーちゃんは僕を見ることなくそう言った。そして、立ち上がるとフラフラと、台所に向かう。
嫌な予感がして、僕は父の止血もそこそこにへーちゃんの後を追いかけた。
彼は、包丁を握っていた。
「へーちゃん、ねぇ」
「お前の言う通り、恥ずかしい人生だった」
へーちゃんは無理矢理口角を上げると、迷うことなく包丁を自分の下腹部に刺した。
「なん、なにし」
僕が驚いている間に刺した包丁をグリグリと動かし、腹から血を吹き出す。
それでも、へーちゃんは口角を上げている。
「……確かめないと……出さないと……駄目なんだ」
僕は、身体が硬直して動けなかった。死ぬ気だったのは、知っていた。何なら一緒に死のうと考えてもいた。なのに、いざ目の前でその行為が始まると、僕はどうしようもない恐怖と罪悪感に支配されていた。
へーちゃんは眉を八の字にして笑っていた。やっぱり、強がっているのだと思う。恐怖があるのか、彼の手は小刻みに震えている。それでも、お腹を何度も何度も刺しては傷を広げる。
立っていられなくなったのか、へーちゃんは膝から崩れるように座り込んだ。それでもお腹を抉る手は止めなかった。
「……優は、あると思う?」
「やめて! やめてよ!!」
彼の泣き出しそうな顔に、僕はようやく足を踏み出した。
へーちゃんの包丁を持つ両手をそっと上から握って抑える。かなり深く刺している。生暖かい血が僕の手にもべったりとつき、僕はその気持ち悪さに吐き気が込み上げてきたがグッと堪えた。
「……おれは、おれ、きれいに、ふつ、うに」
「……うん」
「いた、い……はやく、だして。だ……させて」
出して。出させて。
「……ヘイワ……きたなくて、ごめんね……」
「汚くない」
「……はず、かしいよ……おれ、ずっと、だって……」
へーちゃんは包丁から手を放すと、火事場の馬鹿力なのか僕の手をどうにか払い除ける。そして、傷口に手を入れ始めた。
「へーちゃん! やめ」
「だ、し……」
出して。
下腹部の何かを取り出そうと動かす手を、僕は止めるしかない。必死に彼の手を抑えると、段々と彼の力は弱まり動きがなくなってくる。
それでも、取り除きたいのだ。今まで侵略されたものを、彼は出したがっている。
「お……がい、だし、て」
子宮を、出して。
弱々しい声だった。
考えたくなかった。でも、そういうことだ。
へーちゃんは、本気で、有りもしないソレを出そうと包丁を刺し、自分の身体に手を突っ込んだのだ。
彼の心を歪ませたのは、血の繋がらない父親や教師、母親との肉体的な関係なのだろう。本当はずっとそこから助けてもらいたくて、でもそれを誰かに相談する勇気もなくて、もがいていたのだ。
「そんなことしなくたって、もう誰にも侵されないよ」
「……たのむ、から……もう、いやだ……」
「うん……」
「いや、だ……おれ、おれだって……」
「君はもう誰にも侵されない。邪魔されない。君は、キレイになったよ」
本当は、他にも方法があったはずだった。誰も殺さなくても、助かる方法はあった。
彼が糠部先生と関係を持っていたのがバレたときに言っていたではないか。「言えるわけがない」と。その通りだと思う。世間が優しく守ってくれるとは思えないし、身近に頼れる大人もいなかった。そして、僕もへーちゃんが嫌がっていることに気づくこともなく、手を差し出さなかった。
あのときに気づいていれば、きっとこんなことにはならなかった。
いや、猫を殺したときに気付けばよかったんだ。本当に楽しいからだけで殺したとは思えない。きっと、彼なりの何かがあったんだ……それに気づくことができたなら、この結末だって変わったんだ。
「へーちゃん、話してくれてありがとう。ずっと、気づかなくてごめんね」
どうか、自分を責めないでほしい。君は汚れてない。
僕はここまできてようやく勘違いをしていたことに気がついた。彼が望むのであれば、一緒に死のうが警察に捕まろうがどうでもよかったが、そうじゃなかった。それではへーちゃんは救われないのだ。
僕にできることは一つだけだった。とても小さなこと。本当に、些細でちっぽけなこと。
僕は、へーちゃんを否定しない。
それだけが、僕がへーちゃんにできる唯一のことだった。
血の繋がったお父さんよりも、どんなときでも僕を助けてくれたへーちゃんに対する僕のできる全てだ。
「強い奴は泣かないってへーちゃん言ってたけどさ、きっとそうじゃなかったんだ。本当は……泣いてたっていいんじゃないかな。へーちゃんは泣いたって、強い人だよ。だからさ、もうそんなに心配しないで」
へーちゃんは痛みに顔を歪ませながら、ぼんやりと僕の方を見ている。とても小さい子どものように、不安そうな顔で僕を見ている。
「君が、自分の力で終わらせたんだよ。もう、君を侵す人はいない。だから、殺す必要もない」
生きていても、死んだとしても、きっと世間は彼を許してはくれないのだろう。だからこそ、僕だけでも彼の頑張りを認めたかった。
どれだけ心細かったんだろう。
どれだけ辛かったことだろう。
どれだけ不安だったんだろう。
もう、何が目的で人を殺していたかなんて僕が知る由もなかった。きっと、殺すのが楽しかったのも事実だろうし、復讐の気持ちも事実だ。お父さんを殴ったのも、へーちゃんなりの理由があるのだろう。
いつか知れたらいい。少なくとも、今である必要はない。
「へーちゃん」
へーちゃんの体が僕の方へ倒れてきた。僕は彼を優しく抱くようにして支える。
「へーちゃん、ほら、汚いのは全部出たよ。へーちゃん、もうキレイだよ」
「うん……」
流れる自分の血を見て、へーちゃんが少しだけ笑う。そして、ゆっくりと瞼を下ろす。
「よか、った」
「うん、よかった」
「ありが、と」
ようやく安心したのか、へーちゃんはそれきり何も言わなかった。
外からサイレンの音が聞こえる。どうやら、この非日常が終わるのだ。
僕にとっては数日だけの冒険の終わり。でも、へーちゃんにとっては16年の地獄の終わりだ。
僕はへーちゃんの手を握ったまま目を瞑り、外からの騒音をただただ聞いていた。
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