第11話 熱のこもる、朝。

X年9月13日→14日:相沼優志


へーちゃんが言うには、古積海斗は彼の実の父親ではないらしい。ただ、物心ついたときには古積海斗が親として育ててくれたとのことだ。

古積海斗は優しい父親だったようだ。機嫌を損ねれば暴力を振るわれるが、普段は穏やかで優しく、よく一緒に遊んでくれたとのことだ。

古積はいわゆる小児愛を拗らせていらしく、幼いへーちゃんのこともそういう目で見ていたようだった。彼と一緒に蒸発した女性も、高校生くらいの若い女性だったとのことだ。またへーちゃんが施設の園長から聞いた話だと、古積は当時働いていた塾で教え子を盗撮していたらしい。それがバレたことが、へーちゃんを置いて家を出て行った理由だった。

因みに、へーちゃんが見ていたアルバムの中身も、子どもたちの写真が大量に綴られていたとのことだ。

その事実を知ってもなお、へーちゃんが彼を「優しい父親」だと称して彼を求めていたのは、古積の歪な愛情を感じていたからなのだろう。それが例え親が子どもに向ける愛情ではなくても、へーちゃんにとっては心を保つために必要な愛だったのだろう。

古積は、へーちゃんが家にいても騒ぐことなく笑顔で抱き締めてきたそうだ。それから、へーちゃんに「一緒に暮らそうか」と言ったらしい。

へーちゃんは、その待ちに待った台詞を聞いて怖くなったと話した。

「嬉しいはずなのに、喜べなかった。ようやく、俺のいていい場所ができるはずだったのに、怖じ気ついちまった。お父さんは、俺のこと怒んないでご飯も用意してくれたけど、結局一口も食べられなかった。残したから怒るかもって思ったけど、でも、やっぱり怒らなかった。……そしたら、久々に一緒に風呂入ろう……って。それから、美人になったなだとか、久々にヤりたいとか言うから……それで、あっ、そうかって。結局そういうことなんだって。お父さんの好きな子どもっていう体でもないのにな。もう、お父さんにはそういう対象にしか思われてないんだなって」

もう小児とは呼べる年齢ではなかったが古積はある意味へーちゃんを「子ども」として扱った。それは、「自分の子どもなのだから、何をしてもいいだろう」という意味での、子ども扱いだ。

体目当てなんだろうと思ったへーちゃんは、一緒にお風呂まで行って湯船に浸かった古積の頭を掴み、水の中に突っ込んだ。古積は暴れて抵抗したみたいだが、へーちゃんは全ての力を使って古積を溺れさせた。そうやってしばらくすると、古積はぴくりとも動かなくなった。

古積の死体は、裸のまま湯船にあるとのことだった。どうするか聞くと、へーちゃんは裸の死体を切ったりするのは嫌だと溜め息を吐いた。また、最早隠蔽する必要もないだろうとも言った。

僕らは家主の死体と一緒に、古積の家で一夜を過ごした。

ベッドは2つあったが、さすがに大人の玩具があった部屋のベッドは嫌だよねと言う話になり、僕は古積の寝室のベッドで、へーちゃんは床にタオルを敷いて泥のように眠った。僕らは疲れていたのだ。

夢も見ないくらいぐっすり寝た朝は、それでもどこか気だるかった。僕は10時に起きたが、へーちゃんは既に部屋はいなかった。僕が着替えてリビングに行くと、へーちゃんはソファに座って紅茶を飲みながらテレビを観ている。

「おはよう」

「おう」

僕が声を掛けると、へーちゃんは顔も向けずに挨拶を返した。僕はへーちゃんの隣に腰を下ろし、一緒にテレビを観る。画面の中では頭の良い人が真面目な顔をして日本の災害について話していた。

「ニュース、見た?」

「ああ。もう出てた」

「え、随分早いね。へーちゃん、しばらくバレないと思うって言ってなかった?」

僕が首を傾げると、へーちゃんはわざとらしく大きな溜め息を吐いた。それから、テーブルに置いてあった新聞を僕の顔に押し付ける。

僕がそれを受けとると、へーちゃんは紅茶の入ったカップを持ったまま立ち上がった。「食パンでいいよな」と僕に言うが返事を待たずにダイニングキッチンに向かう。

僕は彼の背中にお礼を伝え、新聞を見た。文字ばかりで読むのも面倒くさいが、タイトルにだけ目を通すとすぐにお目当ての記事にたどり着いた。


[自宅で女性のバラバラ死体 行方不明の次男の犯行か]

9月13日午後18時26分頃北海道葉松郡帆上町の一軒家でこの家に住む無職・双郷和葉さん(37)の遺体を警察官が発見した。第一発見者となった警察官は、同日より自宅に帰っていない警察官の長男と、その友人である双郷さんの次男の行方を探している最中で自宅を訪れたが郵便受けに昨日の新聞が入っていたことを不審に思い、署の許可を得て自宅訪問をしていた。双郷さんは全身を何度も刺された跡があり、失血死の可能性が高いとされている。遺体は頭、銅、手足がバラバラに切られており冷蔵庫に入れられた状態で発見された。また、一部の臓器は次男の部屋のぬいぐるみの中に入れられた状態だった。双郷さんの次男(16・高校2年生)は12日より連絡が取れない状態となっており、行方が不明。事件の重要参考人として警察が調査を進めている。また、次男の友人(16・同高校2年生)も同日から自宅に帰っていない状況であり、事件に巻き込まれた可能性があるとして行方を探している。

双郷さんと次男は以前からトラブルが絶えず、双郷さんの長男・次男に対する虐待が理由で4年前に児童養護施設に保護されていた。次男は今年5月に家庭復帰している。


書かれた内容に、僕は思わず生唾を飲む。死体解体は知っていたが、ぬいぐるみに臓器を入れていたなんて想像もしていなかった。

あまり考えると気持ち悪くなりそうだったので、無理矢理意識を別の場所にもっていくことにする。新聞によると、へーちゃんの犯行に気付いたのは、警察官である友人の父親、つまり……。

「お父さんが発見したんだ」

僕がポツリと呟くと、へーちゃんが僕の目の前に焼いた食パンとコーヒーを置いた。僕がありがとうと伝えると、やっぱりへーちゃんは仏頂面のままで僕の隣に座った。

「ごめんね、僕がいなければもっと発見されるの遅かったよね多分」

「さあな。俺が登校しなかったらそのうち誰か家に行くだろうからこんなもんなんじゃねーの」

「そういうものかな」

「担任とかも結構俺ん家のこと気にかけてたみてぇだったから、どうせこうなってたんだよ。気にすんな」

へーちゃんはお母さんの死体が見つかったことを気にしている様子はなかった。すぐ見つかるのだと予想がついていたのだ。ならば、わざわざ解体する必要はなかったのかもしれないが、もしかしたら解体した理由は発見を遅らせるためではなかったのかもしれない。ただ、憎しみを晴らすために死体を切り刻んだのかもしれない。

死体を解体するとき、あれだけ笑っていたのだから……。

「捕まるまで逃げるのか、さっさと死ぬか……お前はどうしたい?」

へーちゃんは何でもないことのように言って食パンを食べている僕を見た。僕は口に入っていた分の食パンを飲み込む。

「一応確認だけど自首は?」

「ないな。お前だって自首してほしくないとか言ってたろ」

「まぁそうだけど……。でも、うーん、逃げ切る自信もないし、死ぬのもなぁ……」

「……」

へーちゃんは黙って僕を見つめていた。その顔には迷いなんて一切なくて、彼の中では既に答えが決まっていた。なのに、僕の答えを待っているのだ。

「君についていくよ。どっちでもいいんだ、逃亡生活でも、自殺でも」

「自主性のない奴だな」

へーちゃんは溜め息を吐いたが、怒る様子はない。僕は、彼が機嫌を損ねなかったことにそっと胸を撫で下ろした。

前から、僕はへーちゃんが選ぶのは自殺なのだろうと思っていた。僕もだが、へーちゃんにも警察から逃げ切るプランなど思い付かないのだろう。それならば、いっそ死んだ方が手っ取り早いのだ。

何より、へーちゃんには生きる理由がなかった。人殺しのレッテルを背負いながらでも生きていく意味を持ち合わせているとは思えない。

「俺が言いたいことはわかってんだろ? じゃあそーいうことでいいよな」

「うん、いいよ」

僕が即答すると、へーちゃんは笑った。自殺することを決めているというのに、まるで遊ぶ約束をしているぐらいのノリの軽さだった。

「じゃあ、後で準備するか」

「どうやって死ぬの?」

「んー、まだ秘密」

「何それ」

僕が困ると、へーちゃんは意地悪そうな笑みを浮かべた。

それから、僕らはとりあえず体を洗いたいという話になった。死体があるためお風呂は使えないから、へーちゃんが死体のいる浴室からシャンプーを持ってきてくれて、順番に洗面所で髪を洗った。体はタオルを濡らして拭くだけだったけど、少しスッキリした。

「そーいや、優って小学生のとき警察になりたいって言ってたよな」

へーちゃんは冷凍庫に入っていたバリバリくんアイスを2つ手にしながら髪を拭いている僕に言った。そういえば、そんなこと言ってたなぁと他人事のように思いながら頷くと、へーちゃんはアイスを1つ差し出す。ソーダー味で、僕のお気に入りのアイスだ。

「まだ警察になりたかった?」

まだと言いつつ過去形で聞いてくる彼の下手くそな日本語に、僕らの未来が本当になくなったのだとしみじみと感じた。

「ううん。中学のときにとっくに諦めたよ。僕、中学のときもいじめられててさ。それで、僕なんか警察なんてなれっこないやって諦めた」

「ずっと思ってたんだが、お前さお父さんが警察なんだがら相談すればよかっただろ。そんなに親に心配かけたくなかったんか?」

「あー……」

アイスはキンキンに冷えていて、口にいれると味よりも冷たさが口に広がる。

「……本当に一回だけ、お父さんに相談したことがあるんだ。中学1年生のときにね、クラスの人……へーちゃんも知ってると思うけど、ほら、正義くんっていたでしょ? 彼がクラスのリーダーみたいな感じだったんだけどさ、彼らにぼっこぼこに殴られた日があって。顔もちょっと怪我しちゃってさ。思いきってお父さんに言ったんだ。いじめられてて辛いから助けてって」

へーちゃんは、冷えたアイスを口の中に入れたまま、僕の話を聞いている。表情では何を思っているのか全くわからなかったが、僕は気にせず続けた。

「でもね、お父さんは気にもとめなかったよ。そんなの、お前が言い返せばいいって。そんなに弱くてどうするんだって」

「最低な親だな」

へーちゃんは僕に気を遣うことなくハッキリと言った。僕が「どうなんだろう」と笑うと、へーちゃんはアイスをかじり、咀嚼する。あんなに冷たいのに、顔色1つ変えずに食べている。

 「お父さんはね、別に僕のことが嫌いなわけじゃないんだ。でもね、理想が高いんだよね。結局さ自分は何でもできるから僕もできると思ってるんだ。だから、その気になればいじめっ子にも勝てるって本気で思ってたんだと思うよ」

 「それって、お前のこと見てないってことだろ」

 「まあね。でも、まあ仕方ないって感じかな。僕ができないのが悪いんだし」

 僕が自嘲すると、へーちゃんは眉間にシワを寄せて僕をギロリと睨んだ。

 「どんだけ自分のせいにするんだよ。腹立つな、お前のそーいうとこ」

 「うーん……自分のせいにしてるっていうか、自分のせいなんだよね事実。で、僕お父さんに相談したときにそうやって言われたから、さすがに凹んじゃってさ。そのときは本当に辛かったから助けてもらえないってわかって……受け入れられなくて。だから、その時は本気で死のうとしたんだけど、……結局やめたんだ」

 「よくやめれたな」

 「そのとき、君が助けてくれたことを思い出したんだ。世の中には優しい人がいるんだよなって。だから、人生を諦めるのは早いかなって」

 「……」

 「ずっと言ってるでしょ? へーちゃんがいたから僕はここまで生きてこれたんだって。それは、紛れもない事実なんだ」

 僕が笑うと、へーちゃんは僕から目を反らしてしまう。そして、僕に背中を向けながらバリバリとアイスをかじる。

 「お前、本当にこれでいいんか」

 「え?」

 「まだ、やりたいこととか、あるんじゃねーの?」

 どれだけ話しても、どれだけ伝えても、へーちゃんは僕の未来を諦めようとしない。

 へーちゃんはまだ独りで行くつもりなのだ。まだ、僕を元の場所に帰せると思っているから、だから彼はそうやって何度も確認を取る。

 「だから、僕は君と行くって決めたんだって。絶対曲げないから」

 「……」

 「君が最後まで付き合えって言ったんでしょ。付き合うよ」

 「……そーだな」

 へーちゃんはそう言ってアイスの棒をゴミ箱に投げた。彼は見事に的中させる。僕も真似してみたけど、手前でボトリと落ちてしまった。

 「優」

 「何?」

「優は、セックスしたことある?」

「は……え?」

 突然の単語に顔に熱がこもる。へーちゃんは僕の方を向くと、下手くそに笑った。

「ないんだな。優は、親と、しないんか?」

「へーちゃん……普通の親子はしないんだよ?」

「それが、フツー……か」

へーちゃんはそう言うと、おもむろに僕に歩み寄る。そして、肩をガッシリ掴まれたと思うと僕の唇に自分の唇を重ねてきた。はじめての柔らかい感触に、僕は金縛りにあったように動けなくなる。  

 何回か彼の唇が触れたり離れたりする。何度も触れるキスをされて、童貞の僕はどんどん身体に熱を感じていた。

 「ん」

 へーちゃんの舌が、僕の口に入ってきた。そして、彼の舌が僕の舌に絡まる。彼の舌が僕の口内でゆっくりと動いては、不思議な感覚に支配される。

 き、気持ち良い……けど!

 「まっ、て!!」

 僕はへーちゃんの両手を掴んで彼の身体を引き剥がした。へーちゃんは白い頬を僅かに赤らめて、微笑む。

 ヤバい……。

 彼の顔がキレイなのは知っている。だが、キスをしたからなのか、いつもより更にキレイに見えてしまう。僕は別に同性愛者ではないが、それでも彼のキスに、微笑みに、何故か体は正直に反応していた。

 「へーちゃん……急に、どうし……」

 「気持ち良かった?」

 「え、えっと」

 「気持ち良かったよな。うん。見ればわかる」

 僕の股間を見ながら、へーちゃんは微笑んだまま目を細める。長いまつ毛が揺れるのが何故か妙に色っぽく見えてしまって、思わず生唾を飲んだ。

 でも、流されてはいけない。昨日、へーちゃんが「やめろ」と泣き叫んだのは、僕がそういう目で見ているのだと誤解したからだ。 

 なら、何故今こんなことをするんだ。

 「へーちゃん、何でこんなこと……」

 「俺はその気持ち良い感覚を……殺せば得られるんだ」

 「え……?」

 「汚い人間だろ?」

 あはは、とへーちゃんは無邪気に笑う。

 いつもの彼の雰囲気とは全く違った。どこかで何かのスイッチが入ったのか、へーちゃんは別人になったようにニコニコと愛嬌のある顔をしている。

 まるで、誰かに媚びを売るかのようにキレイな表情を作るのだ。

 「お父さんが、教えてくれたんだ。笑ってたらみんな喜んでくれるって。キスしたら喜んでくれるって。言われた通りに脱げば、身体を差し出せば、みんな愛してくれるんだって」

 「それって」

 「でもさぁ、痛いんだ……気持ち悪いんだよ……。ケツも腰も痛いし、腹も痛くなるし……母さんの相手するのも疲れるし……。でも、笑って受け入れないと、誰も俺のことなんて見向きもしないだろ。そんなの……耐えられない」 

 お前ならその気持ち、わかるだろ?

 僕はゆっくり彼の手を解放した。

 そんなことないのだとわかってほしいけど、それは難しいのだろう。

 へーちゃんの中で、双郷平和の価値は肉体にしかないのだ。キレイな容姿を、身体を差し出すことだけが周りの大人から愛されるための行動だったのだ。

 誰にも見向きもされない怖さはわかる。存在価値を見出だせなければ死がチラつくほどの恐怖に苛まれることを、僕は理解できる。

 「……もう、俺のこと、ちゃんとわかったよな」 

 へーちゃんは肩を竦めると、そのキレイな笑顔を向けたまま、優しい声で続ける。

 「終わりだ」 

 「へーちゃん?」

 「最後まで付き合ってくれて、ありがとう」

 それは、一瞬だった。

 へーちゃんが右拳を握ったのが見えた途端、それが僕のこめかみを一寸の躊躇いもなく打ち抜いた。

 強い衝撃が走った。それを痛いと感じる前に僕の身体は床に叩きつけられた。

 何がなんだかわからないまま、僕の意識は遠退いていた。

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