第3話 滾れ、文化祭!
X年7月3日:相沼優志
7月の大きな行事は、文化祭だ。新徳高校の文化祭は3日間あり、1日ごとに仮装パレード、ステージ発表、出店をしなければいけない。そして、クラスの28人を三等分して作業することになっている。
僕の所属する2年1組が行うものは、殆どクラスの中心になっている女子グループによって決められた。仮装は最近映画にもなった今大人気の某アニメの衣装、ステージ発表は定番の歌とダンス、出店はお化け屋敷らしい。他人事になってしまうのは、やっぱり僕はその話し合いの蚊帳の外だったからだ。
やりたい係のところに記名するように、と学級委員長が黒板を3分割してそれぞれの係の枠を作った。周りの人たちがぞろぞろと席を立ち、友だちとどの係になろうかと楽しそうに話すが、僕はその動向を見守るしかない。正直、何でもいい。
ステージ係は注目を浴びたいような、クラスの女の子たちが固まっており、そんな陽キャグループに混ざろうとする人たちはあまりいない様子だった。 そのため、注目はいらないが仲のいい子と思い出作りをしたい系の人たちは仮装や出店を希望した。
僕はへーちゃんのことが気になった。でも、彼も記名してはいない。学級委員長の五木くんに声を掛けられると「空いているところでいいから最後に決める」と答える。へーちゃんとつるんでいる近衛くんや加山くんは五木くんに聞かれてもスマホを弄って「テキトーに決めといて」と言うだけだ。
結局、彼ら3人は人気の少なかったステージ発表の係に配属となった。
「優は?」
「え?」
「え、って。お前だけ名前ねぇぞ」
確かに、僕は記名していない。そもそも、参加して良いのかもわからなかった。
というのも、僕は高校ではいじめられてはいないものの、いない存在に扱われている。実は1年生のときなんて係に配属されてなくても気付かれなかったのだ。そのまま何の準備もできず、文化祭は独り廊下の隅で過ごした。
自分から声を上げる勇気もないし、学級委員長に声を掛けられたるのを待っていたのだ。でも、やっぱり僕は彼らにいないように扱われているらしい。へーちゃんや、普段サボるような近衛くんたちに声は掛けても僕には掛けてこなかった。
へーちゃんはそんな幽霊のような僕を、仏頂面で見ている。
「優は何してぇんだよ」
「え、えっと……何でもいい、かな……」
「五木、コイツもどこかに入れてやってくれ」
「あぁ、すまない。忘れてた」
へーちゃんに言われて五木くんが、僕をあまっていた仮装パレード係に入れた。
「相沼も参加するんだぁ! ウケる!」
五木くんが僕の名前を書くと、同じく学級委員長の榊さんがクスクス笑う。彼女はステージ係に配属した、クラスの目立ちがりやな女子だった。長い茶髪をクルクルに巻いて、まつ毛を毎日上げて登校している。気の強い女子で、もちろん僕とは無縁の存在だ。
でも、1年生から同じクラスなのでたまに授業でグループを組むこととかもあった。その度にキツイことを言われるので、苦手だ。
榊さんが笑ったことで、他の彼女の取り巻きも笑い出す。いじめはない、と自分では言っているがこうやって馬鹿にされることは度々ある。特に榊さんグループには陰口を言われている。陰キャだとかは言われても事実だしなぁって思うだけだけど、この前臭いと言われていたときはさすがに凹んだ。
「相沼ってさぁ、勉強もできないしスポーツもできないし、友だちいないし、何で学校来てるわけ? しかもブサイクだし!」
「榊は性格ブスだな」
ゲラゲラ笑っていた声が、一瞬で白けた。
へーちゃんは榊さんをじっと見つめたまま、鼻で笑う。
「は、はぁ!?」
「大勢の前で自分の性格の悪さアピールして楽しいかよ、ウケるわ」
へーちゃんの言葉に榊さんの顔が赤くなる。それを見て近衛くんが吹き出している。
「双郷、言い過ぎ!」
「事実だろ。言い返して来ない奴だけバカにしていい気になってる。清々しいほどのバカじゃねぇーか」
ふ、雰囲気が最悪なんだけど……!!
榊さんは歯を食いしばってへーちゃんを睨む。だけど、言い返すことはなかった。多分、図星だったのだろう。僕が言い返さないから笑い者にしたのに、別の人に言い返されたら面白くないのだ。
「邪魔したな、悪い。話し合い、進めて」
「あ、そ、そうだね!」
榊さんが言い返してこないのを見て、へーちゃんは進行していた五木くんに軽く頭を下げた。
口をワナワナさせている榊さんと対象的に、へーちゃんは涼しい顔をしている。やっぱり凄い人だ。
へーちゃんは多分、僕の文化祭への貢献度なんて興味がない。ただ、僕だけが参加していないという状況を変えてくれたにすぎない。彼にとって、僕は特別ではなく……誰が同じ立場になっていても、同じようにしていたのだろう。
自分から輪に入れない僕にとって、本当に感謝しかない。
榊さんに怒られるかと思ったが、どうやら彼女はへーちゃんに怒りの矛先が向いているようで僕には目もくれていなかった。
それに胸を撫で下ろしつつ、係での話し合いが始めるということで僕は席を移動した。
下校時間になり、僕は帰る支度をしつつへーちゃんへお礼を伝えるタイミングを窺っていた。
結局、話し合いは他の子たちが盛り上がっていて僕は空気だった。みんなの意見を聞きながら愛想笑いだけを浮かべる。虚しいだけの時間だ。
それでも、去年はどの係にも参加せず教室の隅に座っていたことを考えれば係に所属できただけでも成果は大きい。
へーちゃんは近衛くんと加山くんと帰るらしい。近衛くんの大きな声から、これからカラオケに向かうことがわかる。
2人がいるからへーちゃんに話しかけにくく、じっと彼らを見ていた。へーちゃんは僕の視線に気付いて一度目が合ったが逸らされてしまう。
僕がモジモジしていると、へーちゃんに女の子が声を掛ける。
類沢さんは、引っ込み思案の子だ。他のクラスには友だちがいるようでたまにその子と話しているのを見るが、クラスでは孤立していた。そんな類沢さんは、へーちゃんと同じステージ係だったはず。
さっき彼らの話し合いの声が聞こえていたが、榊さんは今度は僕ではなく類沢さんをターゲットにして嫌味を言っていた。そこにやっぱり突っかかるのが、へーちゃんだった。
へーちゃんは相応なお節介なのだろう。
「さっき、ありがとね」
「はぁ?」
盗み聞きは悪いと思いつつ、彼らの声が聞こえる微妙な立ち位置に行く。どの道、へーちゃんに声を掛けたいので近くには行かないといけないのだと、自分に言い訳をすた。
へーちゃんはよくわからないと言いたげに首を傾げた。よほど勇気を振り絞ったらしい類沢さんは、へーちゃんに気持ちが伝わらず目を泳がせる。
「えっと、ほら、さっき、私の意見も聞いてくれたでしょ……? だからね、その……嬉しかったの」
「お前、あんなんでいいのかよ」
「え?」
「やりてぇことがあるからステージ係に入ったんだろ。このままだと、お前の意見なんて聞くこともしないでアイツらが全部決めて全部やるぞ」
へーちゃんは肩に鞄を掛けながら、類沢さんの目を見て言った。
ステージ係の中心は、間違いなく榊さんだ。だから、類沢さんの意見はあっさり弾かれたのだろう。いや、そもそも意見を言う機会すら与えられないのだ。
類沢さんは人見知りなのだろう。同級生相手に足が震えている。
「でも……榊さんの言うこともわかるの……私が何したって……楽しくない……」
そして、類沢さんは遂に泣き出した。傍にいた近衛くんも加山くんも、驚いて周りを見ている。泣かせた、と思われたくないのだろう。確かに、怪訝な目をしている人たちは何人かいた。
へーちゃんは呆れたように大きなため息をついた。それから、自分のポケットからキレイに折り畳まれたハンカチを取り出して、泣いている類沢さんに差し出した。
「お前だってアイツらのやりてぇことしたって楽しくねーだろ。お互い様じゃねーか」
「……でも、」
「何であんな奴らの顔色伺ってんだよ。バカみてぇ」
「……」
「はやく使え」
へーちゃんは類沢さんの手にハンカチを握らせる。類沢さんは声に出して泣きながら、そのハンカチで目を覆った。
「ステージ発表10分なんだろ。お前、アイツらと別で発表したらいいだろ」
「それいいじゃん! 俺も1分くらいもらおうかな!?」
へーちゃんの案に、何故か近衛くんが乗っかった。
「いっそこっちは4人でステージやらね? 3分くらいもらえばできるっしょ」
「え、俺もやんの!?」
加山くんが驚くと、近衛くんは「当たり前じゃん」と満面の笑みを返した。髪も染めて、タバコも吸って、授業もまともに受けないような彼らに巻き込まれそうになっている類沢さんは目を丸くしていたが、3人の顔を見ながら声を振り絞った。
「い、いいの……?」
「俺はいい! 双郷と加山もいいだろ?」
「んー……まあ、双郷と近衛がやるならいいけど」
「俺もどっちでもいい」
3人の返事に、類沢さんはますます涙を流した。
「あり、ありがとう……」
「じゃあ、決まりだな。おーい、榊!」
……へーちゃんに声を掛けるタイミング、ないなぁ。
近衛くんは大きな声で、彼ら4人以外のステージ係でタムロしている榊さんを呼んだ。榊さんは近衛くんの声に、不快そうに目を細める。
「なに?」
「お前らはお前らで発表していいから、俺らに3分くれよ」
「どういうこと?」
「お前らは5人でダンスなりバンドなり好きなことしてくれ。俺らは4人で何かやるから!」
近衛くんがハキハキと言うと、榊さんは人を見下すように笑いながらへーちゃんを指差す。
「なに? 正義のヒーロー気取り? 類沢のためなんでしょ? ウケるんだけど!! どうせ双郷が言い出したんでしょ? 前から思ってたんだけど、双郷ってもしかして先生にいい子ぶってるの? それとも弱い子助けてる俺カッケェって思ってるの? 相沼のときも思ったけど、そーいうのマジで白けるからやめたらぁ?」
へーちゃんに何てこと言うんだ!
なんて思ったけど、やはり僕はそんなこと言う勇気が出なかった。
ゲラゲラと下品に笑う榊さんに、榊さんの友だちも同調して笑う。でも、クラスに残っていた人たちは引いていた。
言われた当の本人であるへーちゃんは、榊さんに挑発されてこちらも見下すように笑っていた。その顔は、どう見ても正義のヒーローではない。
「んなわけねぇだろ。お前、弱い者いじめして自分が上だと勘違いしてんのか? 大概、俺と変わらねぇんだな」
「はぁ? どういう意味よ」
「誰かの上に立っていい気になってるクズだろ? 他人をコケにして自分は強いって思えると最高だよなぁ、わかるぜ? 俺もそうだから。自分が一番強いって思えると気持ちいいよなぁ」
へーちゃんは、はじめて見るくらいの満面の笑みを浮かべて言った。その笑みを見ると、何故か自分に向けられた訳でもないのに背筋に冷たいものが走る。笑った顔はキレイなのに、冷たい瞳には明らかな敵意が籠められている。獲物を射殺すような視線なのだ。
はじめて、人の笑った顔が怖いと思った。
教室に残っていたみんなが、黙り込んでしまってう。榊さんもへーちゃんの笑みの圧に負けたのか、唇を噛んだ。
「……いいわよ、3分ね。それ以上はあげないからね」
「ああ、どうも」
へーちゃんは話が終わると、すぐにいつもの仏頂面に戻って教室のドアへ向かった。近衛くんたちも慌てて後を追う。
「優」
「あ、ふぇ!?」
ぼんやり眺めていると、へーちゃんがドアの前で僕を見ている。不機嫌そうに眉間にシワを寄せていた。
「ずっと見てただろ。用事あんのか」
「あ、え、えっと! あ、ありがとうね!」
よかった、言い忘れるところだった……。
僕の言葉にへーちゃんは興味なさげに「あっそ」と呟いてそのまま教室を出て行った。
X年7月7日:相沼優志
文化祭の準備が本格的に始まった。
僕は仮装パレードの係なので、衣装作りがメインの仕事だ。学級委員長の五木くんが頑張って描いてくれた衣装の絵を見ながら拙い手付きで縫い物をしている。仮装パレードでは、既成品の洋服はNGなのだ。なのに、当日にカツラとか化粧はオッケーという謎の基準だ。
へーちゃんの所属するステージ発表の係は、分裂していた。クラスの陽キャ軍団である榊さん率いる5人と、そこからあぶれたへーちゃんたち4人だ。
へーちゃんたち4人はクラスでも影の薄い(僕に言われたくないだろうけど)類沢さんを中心とするようだ。類沢さんが国民的に有名なアニメ映画の劇中歌が好きと言うことで、それをへーちゃんと類沢さんで歌うらしい。近衛くんと加山くんはそれぞれ音響と照明をすることになっている。
ちなみにそのアニメ映画は、僕らの作る仮装パレードの題材でもある。
「お姉ちゃん、一緒に遊ぼうよ!」
「一人で遊びなさい!」
「お姉ちゃん、どうしてそんなことを言うの!?」
歌の最中にある台詞をへーちゃんと類沢さんが言っている。僕だけでなく、仮装パレード係の人たちも彼らの練習が気になり、ついつい目を向けている。
「お姉ちゃんのバカー!! ケチー!!」
僕はへーちゃんの声に笑いそうになるのをこらえた。
へーちゃんは、小学生の頃から真面目な人だった。服装はだらしなく着崩しているが、それ以外はしっかりしている。授業は友人たちに引っ張られることなく出席するし、宿題を忘れることはない。同級生と話すときとは違って、普段先生に話すときは丁寧だ。もっとも、先生が間違っていると思ったときはそれをハッキリ伝えるので、必ずしも先生に優良児と思われてはいないだろうけど、根っこは真面目だと思う。
だから、練習も手を抜かない。顔に似合わない妹役の台詞も、恥ずかしがらずに堂々と演じている。
「ごめん、フツーに面白い。めっちゃ感情こもってんじゃん」
「笑うな、うぜぇ」
加山くんが笑うと、へーちゃんは不機嫌そうな顔をした。
アニメ映画は、姉の魔法が暴走してしまい、人を殺めてしまったことをきっかけに、妹との確執ができてしまう。そこから色々あって最後は姉の魔法で妹を救うというストーリーだった。なかなかに人気の映画で、僕もお母さんと妹と一緒に観に行ったが感動したものだ。自分にも兄妹がいることもあって、姉妹の愛に感動して泣きそうになった。
類沢さんも自分がやりたいと言ったからだろう、一生懸命だった。それに、得意分野らしく台詞も歌もうまかった。
類沢さんが本格的に原作を再現しているのに対し、わざとらしく媚びたようなへーちゃんの「お姉ちゃん!」が聞こえてくると吹いてしまいそうになる。本人は真面目なのだけど、必死に甘えた雰囲気を出すへーちゃんが普段と別人すぎるのだ。近衛くんなんかはずっとゲラゲラ笑っている。
「んな笑ってんじゃねぇよ!」
「ごめんって! でも双郷サイコーだわ! 可愛いぞー!」
「マジでキメェんだよ! 可愛くてたまるか!!」
賑やかなへーちゃん、近衛くん、加山くんに、類沢さんも随分と穏やかな顔をしていた。それを見て、何だか僕も嬉しくなる。
「あのさ、本当に3分でいいの?」
「え?」
ステージ係で榊さんのグループの女の子のひとりが、彼ら4人に声を掛けた。榊さんたちはあれをやりたい、これをやりたいと話しながらもなかなかやることが纏まっていないらしい。後は、単純に彼らはクラスで少し浮き始めていた。榊さんの僕や類沢さんへの態度がその原因らしい。
「何か、そっちの面白そうだしさ。ウチも手伝えることあったらやるよ?」
「だって、類沢。どーする?」
加山くんが面倒臭そうに類沢さんに振ると、彼女は目を泳がせてへーちゃんの後ろに隠れた。類沢さんの中でへーちゃんは安全地帯になりつつあるようだ。
「無理に一緒にやらなくていいんじゃねーのか? お前らは一緒に楽しめる奴とだけやればいい。俺らもそうするから。そーしたかったんだろ?」
へーちゃんは素っ気なく答えると、こちらに視線を向けてきた。パチリと目が合って、僕は慌てて手元に視線を逸らす。ヤバイ、作業しないでずっと見てたことバレちゃう……。
「休憩してくる」
「いてらー」
へーちゃんは友だちに声を掛けると、こちらに向かってきた。
意を決して顔を上げると、呆れた顔のへーちゃんが僕を見下ろしている。完全に見ていたこと、サボっていたことがバレている……。
「あ、へーちゃん。あのさ、さっきの歌の練習すごかったね」
「馬鹿にしとんのか」
「違うよ! じょ、上手だったよってことで」
「あっそ。てか、指刺すぞ」
「あ、えっと」
手元を見ないで針を動かそうとすると、へーちゃんの手が僕の動きを制止した。へーちゃんは体を動かすのが大好きで外で走り回っていたのに、肌は白い。生まれつき金髪で青目、肌も白いのでハーフなのだと思う。小さい頃は見た目の違いが気になって周りの子が、よく彼に質問していた。へーちゃんは「たぶんな!」と愛嬌のある顔で笑っていた。多分、というのは、彼は自分の生みの父親を知らないからだと思う。幼稚園の頃のお父さんも、小学生の頃のお父さんも、どちらも日本人だった。
「どう縫えばいい? 手伝う」
「あ、ありがとう」
へーちゃんに設計図を見せると、彼は迷いなく縫い始める。へーちゃんは手先も器用で、家庭科も図工も得意だった。縫い物は完成度が高過ぎで既成品のようだったし、図工で描いた絵は毎回賞を貰っていた。
「優、線引いたんだけど、ここは縫えそうか?」
「ありがとう、頑張る」
「難しかったら言えよ」
図だけ見てもどうしていいかわからなかった僕に、へーちゃんはわざわざ縫う場所に線を引いてくれた。気を遣ってもらって申し訳ないが、やはり嬉しさが勝る。優しさに触れる度に、「やっぱり僕の知ってるへーちゃんなんだな」と感じた。
へーちゃんと縫い物を続けていると、他の仮装パレード係の人たちも来て、あれを作りたいこれを作りたいと相談し始めた。へーちゃんはそんな彼らをあしらうことなく、こうしたらいいのではないかとアイデアを出す。へーちゃんは何でもできるし、その技術を出し惜しみすることも、自分だけのものにすることもない。ちゃんとみんなと協力しようという気持ちがある。
転校初日は悪態をついていたのに、何だかんだクラスに受け入れられているのは、やはりへーちゃんが日頃から他人を無碍に扱わないからなのだろう。結局、へーちゃんは他人を放っておけない。彼も、きっと思うところがあって最初は悪態をついていてのだろうけど、いい方向にボロが出たのだ。
「仮装パレードの衣装だが、ステージでやるアニメと同じだし、君たち着てステージ出るかい? 僕はそれがいいと思うんだ!」
「あー……じゃあ、そーする。俺らも使うから加山と近衛にも手伝わせる」
「それは助かる!」
五木くんの案を採用して、へーちゃんは近衛くんと加山くんを見た。
近衛くんと加山くんは顔を見合わせて肩を竦めた。多分、この1ヶ月ちょっとで彼らもへーちゃんの性格を何となくわかったのだろう。
「こういうのも、たまにはいっか」
「……だな」
2人は観念したかのように笑う。調理実習のときも思ったが、彼らは別に学校行事に不満がある訳ではないようだ。クラスにも不満はないのだろう。単に勉強が嫌なのかもしれない。
「わ、私も手伝うね」
類沢さんも含め、4人が仮装パレード衣装作りに参戦する。仮装パレードは全員強制参加だから、全員分の衣装を作る。人手はあった方がいいに決まっている。
「双郷くんは裁縫が得意なんだな! 普段からしているのかい?」
五木くんが危なっかしい手付きで縫いながら尋ねる。へーちゃんは五木くんの手元を心配そうに見ながら「別に」と答える。
「たまにほつれた物直すくらいだな」
「そうなのか! 多才なんだな! 前のテストで負けたの、僕は悔しかったんだよ!」
「……多才って訳じゃねぇよ。テストも、まぁ、得意なところだったから。あ、少し貸せよ」
五木くんの危ない手から布を借りると、へーちゃんは丁寧に縫い上げる。
さっき五木くんも言っていたが、本当に多才だと思う。逆に何ができないのだろうか。
「双郷くんは苦手なものとかあるのかい?」
「……機械はあまり得意じゃない。基本的なのは何となくわかるけど、パソコンの応用とかはできねぇわ」
「そうなのか! 確かに、高校から情報の授業始まって僕も戸惑ったよ!」
「今は小学生でもパソコンするんだからスゲェよな。近いうちに一人一台タブレット使って勉強するようになるんだと」
「僕らよりパソコン博士な小学生が増えそうだな!」
普段会話をしない2人が話しているを見て、何だか胸が苦しくなる。
僕って、本当に何も話せないんだなぁ。
へーちゃんと2人ならなんとか話せる。でも、こうやって誰かがいると会話に入ることができない。
こんなんだから友だちできないんだよね。
「優はパソコンできるか?」
「え?」
僕が会話に入りたいと思っていたのを感じ取ったのか、へーちゃんが話題を振ってくれる。五木くんも眼鏡越しに僕を見た。
「パ、パソコンは……そこそこ、かなぁ」
絵を描くことが好きで、ペンタブで絵を描いたりそれを某サイトにアップはしているが、その程度の用途でしか使わないので、パソコンに詳しくはない。
僕が苦笑いを浮かべると、へーちゃんは小さく頷いた。
「難しいよな。Excelとか訳分からんし。絶対手書きのが早いだろ」
「アハハ、慣れてしまえばExcelの方が楽ではないかな? 計算もしてくれるからな!」
「その計算のやり方が訳わからんから嫌なんだよ。なぁ?」
へーちゃんが同意を求めてきたので、反射的に頷く。でも、へーちゃんの不得手と僕の不得手のレベルは違う。へーちゃんは何だかんだできる。本人的には苦手なのかもしれないが、別に他の人と比べてもExcelの表作りが遅れたこともないし、先生に指摘されているのも見たことがない。ちなみに僕は教科書を見てもわからなくて先生の個別指導が入るレベルだ。
「ねぇ、双郷! やっぱりウチも一緒に出し物したい!」
僕らが話していると、榊さんのグループの女の子がへーちゃんを呼んだ。へーちゃんは鬱陶しそうに彼女を見る。
「そもそもお前らが類沢を外そうとしたんだろ。それなのに、俺に言ってどうするんだよ。まずは類沢に謝るところからじゃねぇの?」
鬱陶しそうな顔はしていたが、へーちゃんの声は落ち着いている。別に怒りたいわけでも彼女を除け者にしたいつもりでもないのだ。ただ、やるべきことがあるのだと伝えている。
彼女は頷くと、衣装作りを手伝っている類沢さんの元に行き「前はごめん」と頭を下げた。類沢さんは何度も目をパチパチと瞬きさせて驚いていた。
「私も、そっちでみんなとやりたい」
「類沢ちゃん、前はごめん……」
他の榊さんのグループメンバーもゾロゾロと類沢さんに頭を下げる。類沢さんの目には段々と涙が溜まる。
「あ、謝らないで……私も、ちゃんとやりたいって言わなかったし、自分勝手に時間くださいって……言っちゃってごめんなさい……。みんなと、楽しくできるならやりたい、です」
類沢さんが下手くそな笑顔を浮かべると、類沢さんをのけ者にした女の子たちは安心したように笑った。へーちゃんも、類沢さんが許したからなのか彼女たちに何も言わなかった。
でも、へーちゃんはそれを見届けると席を立って一人の女の子の元に向かった。
「お前は一人でやるんか」
不貞腐れたように類沢さんたちを見ていた榊さんは、へーちゃんに声を掛けられると、へーちゃんをギロリと睨んで首を横に振る。
「やんない。みんなそっちでやりたいって言うから、私、もう何もしない」
「テメェは何がしてぇんだよ」
「歌とダンス」
「じゃあ、やれよ。誰もお前がやることを否定してねぇだろ」
「そうかもしんないけどさ、一人でしょ? そんなの嫌だ」
「……拗ねるなよ、ダッセェな」
「いいでしょ別に。どうせアンタは類沢の味方じゃん。か弱い女が好きなんでしょ」
「は? 何でアイツの味方にならなけゃいけねぇんだよ。意味わかんねぇ」
「……」
「テメェが他人のことのけ者にしてるから、自分もそうなるんだろーが」
榊さんは、教室の片隅で泣き始める。そんな彼女に声を掛ける人は、へーちゃん以外にはいない。結局、一緒にはしゃいでいた女の子たちも、力のある方に靡くだけの存在だったのだろう。
へーちゃんは呆れたようにため息を吐いて、ポケットからハンカチを取り出した。黒いハンカチは、以前類沢さんに貸したやつと同じだろうか。
「アンタ、それ使ってないやつ?」
「使ってるやつ貸すと思うのかよ」
「……思ってないけどさ」
榊さんは案外あっさりとそれを受け取り、ハンカチで目を乱暴に擦った。
「じゃあさぁ、双郷は私と踊ってって言ったら踊るわけ? 歌ってって言ったら、私でも一緒にやるの?」
「別に構わねぇけど?」
「八方美人なのね」
「そんなつもりはねぇよ。全部、何の意味もねぇ」
意味なんかない。
そうなのだろうか。こんなに僕や類沢さんのように自分では何も発せない人を気にかけてくれるのに、意味がないなんてあり得るのだろうか。
榊さんはへーちゃんを不思議そうに見ていたが、そこに触れることはなかった。
「私はね、アンタの言う通りなのよ。自分が上に立つのが気持ちいいの。だって、そうしたらみんなついてきてくれるんだもん。一人にならないで済むの。まあ、アンタのせいでめちゃくちゃだけどね」
「見栄張ってつくったダチに価値あるのかよ」
「……わかんない、でも、一人よりマシじゃん」
力なく項垂れる榊さんに、へーちゃんは「そうかもな」と頷いた。それから小さく笑うと、彼女の手を引いた。片隅で立ち尽くしていた榊さんはビックリして目を丸くする。
「一人が嫌なら、今からでも一緒に踊ってやろーか?」
「いやいやいや! やれって言われてすぐやれるのアンタくらいだから! 練習しないでいきなりダンスとかできるわけないでしょ!?」
「お前、人に注目されたいんだろ? それで安心するんだろ? 今から踊って歌って騒げば注目されるぞ? 手伝ってやるから、遠慮せずに踊り狂えよ」
「無理無理無理! 悪かったから!! やめて!!」
「何で?」
「注目されたいのはあるけど、馬鹿やって目立ちたいわけじゃない! みんなと楽しく文化祭がしたいの!! 一人でやりたいわけじゃない! 最初は好きなことできればいいやって思ったけど……みんなで協力したい!!」
慌てたように榊さんが言うと、へーちゃんは小さく息を吐いた。そして、彼女の背中を優しく叩く。
「はじめからそう言えよ。みんなとやりたかったんだろ?」
「……うん」
「ならもう拗ねるなよ? 仲間外れとか、ダセェことすんな」
「うん」
榊さんは小さく頷くと、そのまま類沢さんの方まで来た。類沢さんは困ったようにオドオドしている。
「前はのけ者にしようとしてごめん。勝手かもしれないけど、一緒にやっていい?」
「う、うん。私こそ、はっきりしなくてごめんね……一緒にやろう?」
「ありがとう、類沢」
榊さんが笑うと、類沢さんも笑みを浮かべる。これでステージ発表係みんなが一致団結して準備ができそうだ。
「榊」
「ん?」
類沢さんと和解して、榊さんが明るい顔をしたのを確認してからへーちゃんが彼女を呼ぶ。榊さんは心のわだかまりが取れたのかニコニコしている。
へーちゃんは、そんな榊さんに軽く頭を下げた。目にかかる長さの前髪が揺れる。
「前は言い過ぎた。ごめん」
「え、あ、いいわよ、そんなの! それなら……その、私もごめん……あ、あと、相沼も、ごめん!」
へーちゃんが謝ったことで罪悪感が膨れたのか、榊さんはへーちゃんだけではなく僕にも謝ってきた。多分、文化祭のことだけで言えば、彼女は類沢さんにさえ謝れば輪に入れたのだろう。それでも僕に謝ってくれたのだから、素直に嬉しい。
「大丈夫だよ。……みんなで頑張ろうね」
「そうね」
かくして、僕ら2年1組はようやく1つになって文化祭の準備に取り掛かることになった。
悪口を言われたって殆ど謝られることもなかったのに榊さんに謝られたし、僕にも役割が回ってくるのだから、今年の文化祭は既に過去最高だった。
これも、へーちゃんのおかげだよなぁ。
へーちゃんにありがとうと伝えたくて、彼を呼ぼうとした。でも、既に彼はクラスメイトに囲まれている。衣装作りで苦戦しているところにアドバイスを求められ、榊さんにステージ発表をもっと良くするためにアイデアを出し合おうと誘われ、出店係もお化け屋敷だけどアニメ映画と連動させたいからいいアイデアはないかと聞かれている。
……頼りにされてるなぁ。
へーちゃんが頼られていると、自分のことのように嬉しくなる。
でも、やっぱり遠い存在なんだなと思って、結局この日は話しかけられなかった。
X年7月18日:相沼優志
今まで文化祭なんてものはただ苦痛でしかなかった。本当は輪に入りたいのに、僕は自ら進むことができない。だからいつも影でみんなの賑わう姿を見るだけだった。
でも、今回は違う。相変わらず友だちなんていないけど、それでも自分に役割があって、しっかり参加している。
仮装パレードの衣装は、まるで既成品のような完成度だった。へーちゃんのおかげだ。2年1組は偶然にもあまり裁縫が得意な人がいなかったが、へーちゃんだけはレベルが違うくらい上手だった。みんなが苦戦するところは彼が一肌脱いでくれたし、クラスメイト全員分の衣装の仕上げをしてくれた。僕が縫った布切れが、へーちゃんの手によって人が着れるものになったときは感動したものだ。
ちなみに僕の衣装はモブキャラのもので、その世界観にあった外国の貴族風衣装だ。布はペラペラだけど、ジャラジャラした装飾品は眩しくて僕に不釣り合いだ。
パレードは仮装をしながら商店街を歩く。昨年は僕の衣装は忘れられていたので一人だけ制服でひっそりと歩いていた。でも、今はみんなと作った衣装を身に纏っている。
「類沢可愛いじゃん!」
「え、あ、ありがとう」
喋る魔法の雪だるまに扮した近衛くんが類沢さんに声を掛けている。類沢さんは、明日のステージで主役を張るので誰よりも晴れやかなドレスに身を包んでいた。
照れくさそうな類沢さんを、近衛くんと加山くんが称賛している。彼らは不良だから怖い、なんて勝手に思い込んでいた自分が情けない。人は見かけに寄らないようだ。
「うわぁ、似合いすぎて引くわ」
「似合ってねぇし」
「お姫様が声低すぎて嫌だー! でも見た目だけキレイで腹立つ!!」
もう一人のステージの主役の周りには榊さんをはじめ、女子がたくさん集まっていた。
へーちゃんもまた、きらびやかな衣装に身を包んでいる。キラキラした類沢さんのドレスよりは控えめなドレスであるけど、へーちゃんは不機嫌そうな顔をしていた。まぁ、君が殆ど作ったんだけどね。
眉間にシワを寄せているが、でも彼は元の顔が良いので女装も似合っていた。せっかくなら本格的にしたいと榊さんがウィッグを用意し、へーちゃんの顔に化粧まで施している。そのお陰で、長身の美人女性にしか見えない。元々目は大きいし、まつ毛も長くてボリュームがあったけど、更に女性的になった。
ただ、もちろん声は変わってないので喋れば完全に男だけど。
「マジでうぜぇ……おい榊、写真撮んな」
「いいでしょ? ヤバイ、双郷が超可愛い。ずっとこのままでいてほしいわ」
「やめろって! 撮んな!!」
ギャーギャーと騒いでいるのを眺めていると、パレードが始まる時間になった。僕らはミンミンと蝉の鳴く声を聞きながら、水筒とスマホだけ手に持って歩き始める。他のクラスには着ぐるみのような人もいたし、ダンボール星人もいたので、熱中症にならないか心配だ。
僕らのクラスは、かなり注目を浴びていた。
やっぱり衣装の完成度が高いし、何よりへーちゃんが様になり過ぎている。美しいドレスを纏って歩く美人、遠目で見れば性別すらわからない。パレードを見ている商店街の人たちがへーちゃんを見て目を輝かせているのは、すぐに感じた。
へーちゃん当人は楽しくないのか、表情は特にない。眉間にシワを寄せることはやめたが、楽しそうに笑うこともなく、ただ前を見て歩いているだけだ。
……それで人を惹きつけるんだから凄いよね。
「わああ!! ナナだぁ!!」
観客の中のひとりが、大きな歓声を上げた。
幼児さんだろうか。お母さんに手を繋がれた女の子がキラキラした目でへーちゃんを指差している。 ナナというのは、僕らの仮装のテーマであるアニメ映画の主人公の一人で、へーちゃんが明日演じるキャラの名前だ。
「ナナ!! ね、こっち見てー!!」
「どこの夢の国のキャストだよ」
小さな女の子を見ながら近衛くんが笑う。彼は彼で雪だるまの衣装がなかなか奇抜で目立っている。
へーちゃんはずっと止めなかった足を、女の子の前で止めた。そして彼女の方に顔を向け、優しく笑いかけて手を振る。
「きゃー!!」
女の子だけでなく、近くにいた若い女の人たちまで黄色い声を上げている。
いや、わかる。まるで俳優さんだもん。
でも、凄いのは美人だということではない。彼は本当にどこかの夢の国のキャストにでもなったつもりなのか、キレイに笑って見せたのだ。その笑みはあまりに自然で、その演技力の高さに思わず素顔を知っていてもドキリと胸が打たれる。
へーちゃんは、完全にお姫様だった。
「ナナー! 大好きー!! 写真とって!!」
女の子がお母さんの手から放れ、へーちゃんに近寄っていく。お母さんは「こら」と困ったように娘を追ってきた。申し訳無さそうに小さくなっている。
「あたし、ナナがプリンセスで一番好きなの!!」
へーちゃんが作ったドレスに抱きつきながら、女の子は言う。お母さんはアワアワしながら女の子の手を掴む。
「ご、ごめんなさい! ほら、行くわよ!」
「やだぁ!! ナナと写真とる!!」
「……」
クラスメイトたちは、へーちゃんを追い越してもよかった。商店街のもう少し進んだ場所にアピールポイントがあり、そこでクラスが集まっていればいいので歩く順番なんか関係ないのだ。
それでも、みんなわざわざ立ち止まってへーちゃんの動向を見守っている。小さな女の子の可愛らしいお願いをどうするのだろうと心配していたのだ。
「こら、いい加減にしなさい!」
「お母さん、大丈夫ですよ」
顔が赤くなり始めたお母さんに、へーちゃんは優しく笑いかけた。そして、女の子の目線に合わせるようにしゃがむ。せっかく汚れないように足首より上の長さにしたドレスの裾は、へーちゃんがしゃがむことで汚い地面に着いてしまった。
「……ごめんね、僕、お姫様じゃないんだ」
喋ってしまえば男性なことはわかってしまう。きっとへーちゃんが女性であればお姫様のフリでもしたのだろうが、残念ながらそれはできない。へーちゃんは、女の子の手をそっと握り、眉を八の字にした。
「可愛いって言ってくれてありがとう」
「ナナはお兄ちゃんなのー?」
「本物のナナは女の子だけど、僕は男の子なんだ。ごめんね」
「でもあたしはいいよ! だってお兄ちゃん、ナナそっくりだもん! 写真くーだーさい!」
お姫様が男でも受け入れられたようで、女の子は人懐っこく笑う。へーちゃんはそんな彼女に笑いながら「いいよ」と答えた。
小さな女の子には優しいへーちゃんは、優しい顔を崩すことなく女の子と写真を撮った。お母さんが何度も何度も頭を下げるなか、「大丈夫ですよ」と愛想よく笑う。その間に野次馬たちもシャッターチャンスを逃すまいとカシャカシャ写真を撮っていた。
「双郷ってあーいう顔するのね」
ボソリと榊さんが呟く。確かに、普段の口が悪くて仏頂面の彼からは想像がつかないかもしれない。
でも、彼は元々は明るい人間だった。僕の知るへーちゃんのまま高校生になっていたら、多分クラスの中心にいるような陽キャになっていただろう。
そう思うと、中学生からのへーちゃんは一体どんな生活をしていたのだろうと気になってしまう。彼を変えてしまったのは、何だったのだろう。それが単に時の流れのせいで、これがへーちゃんの思春期だというなら別にいいけど……でも、それで納得できない僕がいる。
「さすが姫様ー! モテモテじゃーん!!」
「姫ー、俺らにもシャッターチャンスくれよー!」
「茶化してんじゃねーよ」
女の子がお母さんに連れられていなくなると、近衛くんと加山くんがへーちゃんの背中をバシバシ叩く。へーちゃんは2人には眉間にシワを寄せながら鬱陶しそうにため息をついた。
程なくして、僕らは商店街に設けられたアピールポイントにたどり着く。簡易的な待機場所が設けられ、先生方が生徒たちに指示していた。商店街の人たちは各々スマホを片手にしながら学生たちの青春を見守っている。
僕らも待機場所に立ちながら前のクラス……1年生最後のクラスのアピールを眺めることになる。1年3組のテーマは魔法使いらしく、みんながお揃いの魔女の服を着ていた。
「優は去年何したんだ?」
「え、」
たまたま隣りにいたへーちゃんが、後輩たちから僕に視線を変えて尋ねる。声はよく知った彼なのに、何だか知らない女性に声を掛けられた気分で恥ずかしかった。
「僕のクラスは……その、野菜がテーマだったよ。僕は、やってないけど……」
「休んだんか?」
「いや、その……衣装が、手違いで一人分足りなくて」
「そっか」
へーちゃんは小さく頷くとポケットから自分のスマホを取り出す。そして、カメラを僕に向けてきた。
「僕を写す気なの!? 何で!?」
「ご両親とか心春に見せてやれって」
「いや恥ずかしいし!!」
「俺が作った衣装が恥ずかしいのかよ。ふざけんな、傑作だわ!」
「そーいう意味じゃないよ!!」
僕がブンブンと腕を振って拒否をするが、へーちゃんは意地悪っぽく笑って「いいからいいから」と写真を撮ってくる。でも、彼は気づいているのだろうか。僕たちは連絡先を知らないのだ……。
「あ、俺お前のアカウント登録してなかったわ」
「そ、そうだよ……気付いてなかったの?」
「小せぇ頃から遊んでたから交換してる気になってた」
へーちゃんはそう言って僕の方にスマホの画面を向けてくる。画面にはQRコードが表示されていた。
メッセージアプリに家族のアカウントしかなかった僕は、読み込まれた双郷平和のアカウントに思わずガッツポーズをしそうになる。へーちゃんのアカウントのアイコンは黒猫だ。猫は変わらず好きなのだろう。
「猫飼ったの?」
「いや、向えの家の猫。ちゃんと許可もらって撮ったからな」
「可愛いねぇ」
「お前は自分で描いたんか?」
僕のアイコンははまっているゲームのキャラクターだ。僕は絵が好きで、小学生の頃からずっと描いている。最近はネットにアップして、それが何気に人気が出てきているから唯一の誇りでもあった。
「そうだよ。まだまだ下手だけどね」
「いや、スゲェよ」
へーちゃんはそう言って僅かに口元を弛める。そんな彼が、小学生の頃のへーちゃんに重なる。
「俺、転校してきた日、お前に態度悪かったよな。ごめん」
「え?」
2年1組の番です。
生徒会の人のアナウンスが聞こえると、クラスメイトたちはぞろぞろと移動した。へーちゃんもポケットのついた衣装の加山くんにスマホを預けてスタスタと進んでしまう。
慌てて追いかけながら、へーちゃんがわざわざ声を掛けてきた理由を何となく察していた。真面目な彼だ、謝りたいと思っていたのだろう。転校初日から色んな人に声を掛けられて疲れていたのだろうから僕は気にしていなったのに……。
五木くんが仮装パレード係の代表として、胸を張りながら大きな声で挨拶をする。僕はぼんやりとそれを聞きながら、へーちゃんを横目で見る。
へーちゃんは商店街の人たちにキャーキャー言われてニコニコ笑っていた。手を振ってと言われれば手を振っているし、相変わらず有名人のようだ。
この場での主役は間違いなくへーちゃんだ。
あまりの彼の眩しさに、僕はすっかり見とれていた。
なんて悠長に人のことを見ている場合ではなかった。
アピールが終わり、後は高校に戻るだけなのだが帰りは地獄の登り坂だった。
他のクラスメイトに抜かされ、僕はとぼとぼひとりで歩く。何度も汗を拭うけれど、結局は頬から垂れてくる。
「大丈夫か」
「あ、へーちゃん……」
最後尾でフラフラしていると、ドレス姿のへーちゃんが待っていた。へーちゃんも相当暑いのだろう。顔は真っ赤だし、ウィッグの髪が汗で顔に貼り付いている。
「近衛くんと加山くんは?」
「先に行ってもらった。マジ暑いし、こんな汗かいたのに明日も着るとか最悪だわ。絶対臭ぇじゃん」
部活をしていない女子よりも遅い僕の歩くペースに合わせながら、へーちゃんは「何で俺こんなん作ったんだろ」とブツブツ言っている。
「へーちゃんは、前の学校の文化祭何したの?」
「ロミオとシンデレラの劇。俺は裏方だったけど、当日にロミオ役の奴が他のクラスの飲食店全部回って腹壊して代理で出た」
「当日に代理できちゃうんだ……」
「ずっと練習は見てたからな」
去年は王子様だったのか。さぞ似合ったのだろう。
「へーちゃんは凄いね」
「あのな、……」
僕の素直な称賛にへーちゃんは何故か眉を寄せる。でも、何かを言いかけてやめた。
へーちゃんは褒められたり感謝を言われると、微妙な顔をする。多分、彼にとっては特別なことなんて何もしてないからなのだろう。彼が僕のような弱者を気にかけるのも、周りの人に手を貸すのも、彼にとっては当たり前でしかないのだ。
僕にとってはそれが凄いのだけど……へーちゃんはしっくりこないらしい。
「あのさ、へーちゃん」
「ん?」
水筒の水を飲み干してから、僕は隣を歩いてくれるへーちゃんを見る。赤い顔は疲れが見て取れるのに、それでも不思議なくらい彼の顔はキレイだと思う。
見た目も、頭の出来も、運動能力も。恐らく人としての魅力も。全て僕よりも持ち合わせている彼が、僕にはただ眩しく見えた。
「へーちゃんは、他人を良いなって思うことある?」
こういうことを言う時点で、僕はきっと駄目な人間のかもしれない。
でも、僕だってできることなら明るい世界で生きたかった。へーちゃんのように、人に囲まれてキラキラしたかった。
へーちゃんは真面目だから、本気で答えを考えてくれている。僅かに首を傾ける様子は、幼くも見えた。
「羨ましいと思うことは、まぁ、あるけど……。大抵頑張ればどうにかなるって思ってるから」
「まさかの根性論」
「俺はスゲェから。だから、頑張れば何だってできるんだ」
へーちゃんはいつだって、そうだった。
彼は自分に努力を課す。やればできるはずだからと、どんなことにも一生懸命だった。
だからきっと、彼はキラキラして見えるのだろう。
いつの間にかクラスメイトたちの姿は見えず、僕らは取り残されてしまっていた。でも、それが嫌だとは思わなかった。隣に他人がいることが、へーちゃんがいることが、心強い。
「優は自分を過小評価し過ぎなんじゃねぇの?」
「そうかな……でも、僕、実際何もできないし」
「そんなことないだろ。学校だって毎日休まず来てるし、宿題も忘れねぇし。あと、絵、ずっと続けてるし上手いだろ。俺はあんな絵描けねぇよ」
彼はズルいと思う。
へーちゃんは、嘘を吐いたりしない。彼はいつも真摯に向き合ってくれるから、こんなうさん臭そうな褒め言葉もすぐに信じられる。
当日まで、まさかぼっちではなく誰かと過ごせると思ってなかったから、僕は高鳴る鼓動を抑えられなかった。友だちと過ごせる学校行事って楽しい!!
ずっと、いつだってへーちゃんは僕の味方になってくれる。彼にとって僕は友だちのカテゴリーの中のひとりに過ぎないけど、できればもう少し仲良くなりたい。それこそ、小学生のときのように笑い合いたい。
その後は暑さと疲れで無言になりながら、僕らは何とか学校に辿り着いた。玄関では王子役の榊さんが仁王立ちしながら出迎えてくれた。
「記念撮影するから教室に急ぎなさい!」
「散々撮ってたじゃねぇか……」
疲れ果てたへーちゃんが掠れた声を漏らす。それでも言われた通り、少し急ぎ足で教室に向かった。僕も慌てて彼らを追う。
教室に向かうと、みんなの汗臭さと暑さに胸がムカムカする。いつも運動なんかしないのにあの炎天下を歩いてきたのだ。苦しくて当然だった。
「優、大丈夫か?」
へーちゃんが僕に声を掛けてくれる。他の人たちは写真撮影に夢中で、和気あいあいと並び順を決めている。
せめて……写真撮影だけでも頑張るんだ。
「大、」
丈夫と続けようとして、気持ち悪さが限界を超える。
僕の異変を察知したのか、へーちゃんが目を丸くする。
「相沼くん、大丈夫かい?」
限界突破した僕は、その場に座り込んで嘔吐していた。
でも、その吐瀉物は床も僕の服にも殆ど垂れていない。へーちゃんが僕の前に手を伸ばし、キャッチしていたのだ。
「袋……なかったらバケツでいいや。用意してくれ」
「そうだな!」
「私、先生呼んでくるわ」
榊さんが先生を呼びに出て行き、五木くんが掃除用具用ロッカーからバケツを取り出す。へーちゃんは手に受け止めた吐瀉物をバケツに入れた。
「ご、ごめん……へーちゃん……手」
「大丈夫。俺こそ気付かなくて悪かった」
いや、全然謝ることじゃないよ。
「まだ吐きそうか?」
「ううん……大丈夫そう……。五木くんもありがとう……」
その後、榊さんが先生を呼んでくれて僕は先生に連れられて保健室へ向かった。結構、記念撮影には参加することはできなかった。
少しベッドで休ませてもらった。目を閉じ、今日を振り返る。
へーちゃんがいてよかった。それが、一番の感想だった。
彼がいなければ準備にすら参加しなかっただろう。友だちの連絡先交換だって、へーちゃんがはじめてだ。そしてなにより、こんなに誰かと話しながら行事に参加できたのは彼が僕を気遣ってくれたからだ。
良い思い出をなぞれば、具合はすぐによくなった。ホームルームの時間からかなり経っていたけど、まだ生徒がたくさん学校に残っていて明日のステージ発表の練習をしている。
「あ、相沼くん。大丈夫?」
保健室から出て教室に着くと、類沢さんがモジモジしながら声を掛けてくれた。彼女は明日の主役なので頑張って練習をしているのだろう。
だが、教室内にはもう一人の主役であるへーちゃんはいない。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。その、へーちゃんは帰ったの?」
「うん。双郷くん、バイトがあるんだって」
「え、これからバイトなの?」
「そうみたい」
ハードスケジュールなんだなぁ。
へーちゃんだって疲れていただろうに、大丈夫だろうか。
いや、彼は大丈夫なのだろう。大丈夫だと思ってなければそこにシフトを入れたりしないはずだ。
「相沼くんも今日はゆっくり休んでね」
「うん、ありがとう」
お互いに人見知りなので、目を合わせられないまま会話を終える。僕はリュックを背負い、ひとりで帰路に立った。
X年7月19日:相沼優志
翌日のステージ発表も大盛況だった。仮装パレードで使用した衣装を着用してのミュージカル風劇だ。
はじめはギクシャクしていた榊さんも、持ち前の明るさとキレキレの動きでボケをかまし、注目の的になっていた。類沢さんも緊張しつつも堂々と歌い、演技をしてたくさんの拍手をもらった。加山くんの雪だるま衣装と繰り出されるおふざけシーンに、笑い声が上がる。
そして、シスコンお姫様役をやっているへーちゃんもとにかく目立っていた。そもそも見た目が良いからステージに上がるだけで女子から歓声が上がる。歌は上手いし、演技には一切恥ずかしさなんて滲ませない。迫真すぎる「お姉ちゃん大好きー!!」は、僕も笑ってしまった。
最終日のクラスの出し物はお化け屋敷だった。せっかくだからとこれまでの題材だったアニメ映画を連動させて、アニメ映画の敵をお化けのように出演させている。
僕は仮装パレード係だったので後半2日間は特にやることがなかった。2日目は一人寂しくステージ発表を見ているだけだった。最終日こそ、へーちゃんを誘って出店を回りたいと思ったけど、ホームルーム後からへーちゃんの姿は見えなかった。
せっかく連絡先をゲットしたけど連絡をこちらからする勇気なんか持ち合わせていなくて、時間だけが過ぎた。
結局、ボーとしているだけで文化祭は終わった。へーちゃんは近衛くんと加山くんといたらしく、彼らはどこかで談笑しながらスマホを弄っていたらしい。聞き耳を立てて話を聞いていても文化祭の話題はなく、近衛くんの好きなアイドルの話だとか加山くんの絶賛している映画の話をしていた。
「ねぇ、アンタら後夜祭出る?」
ホームルームも終わり、ルンルンとスキップしながら榊さんが3人に話しかけている。文化祭準備期間のおかげで、榊さんもすっかり彼らと仲良くなった。
「俺はメンドイからパス! 加山と双郷は?」
「俺も出ない」
「俺も帰る」
「つまらない男たちね!」
榊さんは口を膨らませながらへーちゃんをチラッと見る。
……これは、へーちゃんと出たいんだろうな。
「ねぇ、出ましょーよ! ね、双郷!」
「俺?」
「お、ご指名じゃん!」
茶化すように近衛くんがケラケラ笑う。へーちゃんは、目を細めて不機嫌そうな顔をした。
「用事あんの?」
「いや、特にはねぇけど」
「じゃあ、いいでしょ?」
「……まぁ、いいけど」
榊さんが「やった!」とその場で跳ねる。その可愛らしい姿を見て近衛くんも加山くんもへーちゃんの背を叩いて笑っていた。
もちろん、僕は誰にも声を掛けられることはない。
「双郷、今いいか?」
榊さんがはしゃいでいるところに、教室に担任の先生が来た。僕らの担任は数学の先生で、結構お固いタイプの人だ。
「行ってくる」
「お説教だったりして?」
「な訳あるか。俺はテメェらと違って優良な生徒だわ」
「スゲェ自信」
イツメンに見送られて、へーちゃんは先生に着いていく。僕は、何故か見えなくなるまで目で追っていた。
「相沼」
「え、あ、なに!?」
突然加山くんに名前を呼ばれてビクリと肩が動いた。ドキドキしながら席を立ち、加山くんの方を向く。加山くんは不思議そうに僕をマジマジ見る。
「お前、ずっと双郷見てるよな」
「う、え、えぇ!?」
全くその通り過ぎて何も返事ができない。肯定したら何だかへーちゃんのストーカーみたいだし、否定してもそれはそれで嘘つきだ。
何て答えればまともなの!?
「もしや、双郷のこと好きなのか?」
「そ、そんなんじゃないよ!」
近衛くんがふざけて言った言葉を、必死になって否定する。
人としては、好きだ。でも、それは決して恋愛ではない。
「へーちゃんは……僕と違って凄い人だから」
友だちになりたいとは思うけど、でも本当の意味で友だちになれないことはわかっている。
僕はへーちゃんと対等にはなれない。
「そんな考え込まなくてもいいじゃない。アイツと話したいんでしょ?」
榊さんがため息混じりで言った。
確かに、その通りだ。僕は、彼ともっと話したい。
「アンタも後夜祭、一緒に出る? 前……悪く言っちゃったし」
「……いいの? だって、榊さん」
「いいわよ。アンタがいてもいなくても私の魅力は変わらないし」
この人強い……!
少し悩んだけど、僕はありがたく榊さんの誘いに乗ることにした。
近衛くんと加山くんは僕らに軽く挨拶をすると、2人で帰っていく。元々サボり癖のあった彼らがここまで文化祭に参加したのだから、彼らも頑張ってくれたのだろうと思う。
「で、アンタ、本当にいつも双郷のこと見てるのは何でなの」
「……流してくれないの?」
「ええ。アンタが男であってもライバルかもしれないんだから流せる訳ないでしょ」
榊さんの言葉で、僕は彼女に申し訳ないことをしていたことに気づく。
そっか、榊さんは本気でへーちゃんに恋をしているんだ。なら、聞いて当然だ。
「僕、ずっといじめられてて」
「でしょうね」
「……で、へーちゃんに助けてもらってたんだ。保育所から小学校卒業まで、ずっと彼に助けてもらった。だからかな……無意識に彼のことを追いかけちゃうんだよね。へーちゃんならどう思うんだろう、何をするんだろうって。欲を言えば一緒に話したりできて、友だちになって……いつか、彼に恩返しがしたい」
まだまだ助けてもらうだけの僕だけど。
いつか彼が困っていたら手を差し伸べたい。彼が、そうしてくれたように。
榊さんは「ふーん」と言いながら僕の席に腰を下ろした。
「別に恩返しなんてしなくていいんじゃないの? 双郷、気にしてなさそうじゃん」
「へーちゃんは気にしてないだろうけど、僕にとっては……本当に大きなことだったから」
「変なの」
榊さんが欠伸をしたところで、へーちゃんが教室に戻ってきた。榊さんが僕の席にいるのを見て不思議そうに首を傾げる。
「相沼も一緒に出るから」
「別にいいけど」
「あ、ありがとう」
後夜祭まであと1時間はある。へーちゃんも空いていた僕の後ろの五木くんの席に座った。それでも立ち尽くしている僕に、へーちゃんが「座ればいいだろ」と呆れたように言う。
「双郷って趣味何?」
「趣味……筋トレとか。散歩も好きだな」
「身体動かすのが好きなのね。何かスポーツとかしてたの?」
「剣道は中2までしてた」
引越し先でもしてたんだ。
そう言えば、へーちゃんの引っ越しは何だったのだろう。へーちゃんのお母さんは家にいて、へーちゃんとお兄ちゃんだけが家からいなくなってしまった。
僕のお母さんは色んな噂を聞きつけていた。「やっぱりお義父さんが怖い人だったからじゃないかしら」というのが近所で有力候補だった。へーちゃんの継父が猫殺しをしたから世間体を気にして子どもだけ親戚に預けたのでは、という噂だ。
「え、中2まで? 受験のために辞めたの?」
「いや、そっからまた引っ越したから」
「あー、そういう感じなのね」
「榊はバレー部だったっけか」
「そうそう! 部長がさー」
そこからは榊さんの部活トークが始まった。僕は運動部なんて無縁なので何にも共感はできないが、スポーツをしていたへーちゃんは何か通じるところがあるのか彼女と楽しそうに話している。
「優は運動、あんましねぇか」
へーちゃんに話を振られ、反射的に背筋が伸びた。そんな僕をへーちゃんがおかしそうに笑う。
「いや、お前さ、面接してる訳じゃねぇんだからそんなガチガチになんなくてもいいだろ」
「ご、ごめん」
へーちゃんは僕が話に乗れないくらい鈍臭くても、笑って待ってくれる。でも、榊さんの平らな瞳を見れば、こうやって誰もが合わせてくれるわけではないのだと思い知らされる。
そして、きっとこれが僕の他人と違うところで、嫌われる所以なのだろう。
「そーいや、前の体育のとき……」
へーちゃんは、僕を気遣ってかそれから授業の話題にシフトを変えた。僕と榊さんの共通点なんて、それしかないからだ。
それでもわかる話になった分、相槌は打ちやすくなった。榊さんも先程よりは僕を冷たい目で見ることはない。
「あ、時間だ! 行きましょ!」
スマホで時間を確認して榊さんが立ち上がる。僕とへーちゃんも彼女に倣って歩いた。
後夜祭はグランドで開催された。ビンゴ大会の後に花火が上がるらしい。
僕はノリが悪いので、ビンゴ大会で盛り上がる他生徒を苦笑いで見るしかなかった。へーちゃんは榊さんといるからか、ノリが榊さん寄りになっている。
「私あの景品ほしいのに! 全然リーチにならないんだけど!」
「俺ダブルリーチだわ」
「うわ、ズル!」
「優は?」
へーちゃんが僕の手元を見る。僕は既にビンゴが完成していたが、恥ずかしくて景品を取りに行けていなかった。
「お前もうできてんじゃねーか! うわ、負けた」
「へーちゃん、これ、別に勝ち負けじゃないよ?」
「わかってんけどよー、一番がいいじゃんか」
子どものときのように不貞腐れるへーちゃんは、何だか変だった。
子どもに優しく笑う彼も、仲のいい友だちと仏頂面で話す彼も、僕を助けてくれる堂々とした彼も、全部が双郷平和だ。
「あ、俺ビンゴ!」
「ええー! ズル! いいなぁ!!」
「よし、俺の勝ち! これやるから、景品貰ってこいよ」
「え、いいの!? やった! ありがと!!」
今、榊さんとはしゃいでいる彼も双郷平和なのに。
……何故だろう。
ここにいるへーちゃんは、本当に僕のヒーローだった平和くんなのだろうか。
自分でもどうして疑ってしまうのかわからない。
笑顔が嘘だとは思わない。なのに、どうしても違和感を覚えてしまう。
「優は景品よかったんか?」
「うん。それよりへーちゃん」
「ん?」
「へーちゃん、疲れてない?」
違和感の正体はわからない。でも、もしかしたら疲労が原因かもしれない。
思えば、へーちゃんはまだ転校してきて一ヶ月と少しだ。転校までだってバタバタしただろうし、まだ慣れていないかもしれない。その中でバイトもして、疲れているのではないだろうか。
「心配かけて悪かった。俺は大丈夫」
へーちゃんは勝ち気に笑う。かつての、僕が見ていた彼のように。
「俺は、大丈夫なんだ」
まるで幼い子に言い聞かせるように、ゆっくりと告げる。
「見て! 可愛くない?」
榊さんが白いウサギのぬいぐるみを持って戻ってきた。随分と大きいウサギのぬいぐるみは確かに女の子は好きそうだ。
「榊より可愛いな」
「ひどー! サイテー!!」
ギュッとぬいぐるみを抱きしめる榊さんを、へーちゃんは優しい目をして見下ろす。
それは、好意なのだろうか。ただの友情なのだろうか。
へーちゃんの気持ちは、全くわからない。
ビンゴ大会も無事に終わり、後は花火だけだ。
生徒会の人たちがカウントダウンを始める。周りの生徒も楽しげにカウントダウンをする。榊さんももちろん、へーちゃんの隣で数字を叫んでいる。
「ゼロ!」
パァァァン。
カウントダウンの終わりと同時に、夜空に大きな花が咲く。大きな音と光が、少しズレながら次々と僕らの視覚と聴覚を支配する。
キレイだ……。
家族とは何度も見たことがあるが、まさか学校で誰かと見ることになるとは思わなかった。まるで青春でも謳歌しているような気分で、心臓がバクバク鳴る。
ふと、カウントダウンからすっかり静かになっていたへーちゃんを見る。
へーちゃんは、硬直していた。
大きな音に驚いたのか、目を大きくして固まっている。僅かに開いた口から苦しそうな息遣いが聞こえた。
「へーちゃん、へーちゃん」
「……」
「へーちゃん、大丈夫?」
腕を揺さぶるが、へーちゃんの視線は空に向いて動かない。
「へーちゃん!」
「っ!」
僕が少し大きな声で呼ぶと、へーちゃんはようやく反応した。固まっていた顔を無理矢理僕の方に向けて、歪に口角を上げる。
「悪い……ボーとしてたわ。大丈夫」
「本当に?」
「あぁ、さすがに疲れてんのかも」
「そうだよね」
「でも……見れてよかった。花火なんて久しぶりに見たわ。キレイだな」
へーちゃんは作った顔をすぐになくして、穏やかな顔を浮べた。
「ね、良かったでしょー?」
「あぁ、誘ってくれてありがとな」
へーちゃんのお礼に、榊さんが「えへへ」と笑う。
文化祭が無事に終わってよかった。いつもより楽しかった。
そういう気持ちもあるけれど、何故か胸がざわつく。
何故なのかはわからない。
でも、何だか嫌な予感がしていた。
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