第2話 食せ、調理実習!
X年7月1日:相沼優志
双郷平和が転校してきて1ヶ月が過ぎた。彼はすっかり悪友とも呼べるような友だちをつくり、絡むようになっていた。不良といえるような、決して褒められるような素行ではない男の子と一緒にいることが多い。
僕とは、必要なことしか話をしなかった。授業でペアになったときだとか、掃除当番が被ったときとか、そういうときだけ彼はぶっきらぼうに僕と話をした。
僕は正直、再会を喜んでいたのが自分だけだという事実に落胆した。でも、考えてみれば当たり前のことだった。へーちゃんは、僕にとってはたった一人の友だちだ。でも、彼にとって僕はただの有象無象のひとつなのだ。
今日は、家庭科の調理実習だ。料理なんかしたこともない僕にとって苦痛の実技だ。
実技科目は、一朝一夕の努力でどうこうできるものではない。たまたま絵を描くのが好きだったし一人で作業するだけの美術はいいけど、体育とか家庭科とか、誰かと協力するものは地獄でしかない。
そもそも、実技以前にグループ作りが苦痛なのだ。しかも、家庭科の先生は「誰と組んでもいい」と言う。それこそが、友だちのいない孤独な根暗にはハードルが高い。誰にも声を掛けられないし、最後に入れてくれる人たちは大抵嫌そうな顔をする。
でも、この一ヶ月間で少しだけグループ決めに変化があった。
「優、お前こっち来い」
「えっ、あ、いいの……?」
へーちゃんは、必ず最後までグループに入れない僕を誘ってくれる。彼は小学生の頃の太陽のような笑顔なんか浮かべることなく、ぶっきらぼうで冷たい雰囲気に変わった。それでも、彼のこういう優しいところは変わっていなかったのだ。
「へーちゃん、ありがとう」
「別に」
既にへーちゃんと組んでいたのは、へーちゃんといつも一緒にいる加山くんと近衛くんだった。彼らは単位ギリギリまで授業をサボっているような人たちだ。彼らが家庭科の授業に出ているのは珍しく、恐らく単位が既に危ういのだろう。二人共髪色が明るく、耳にはピアスの穴が開いている。タバコを吸っているだなんて噂もあった。僕は怖くて2人と話したことは殆どない。
加山くんも近衛くんも僕を見て一瞬顔をしかめたが、何も言ってはこなかった。
今回の調理実習のお題はカレーライスだった。カレーは好物だけど、自分では作れない。僕にできるのは精々袋に入ったレトルト食品を湯煎するくらいだ。
「俺、米研ぎ係な! あと盛り付け!」
大きく元気な声で、近衛くんが真っ先に挙手した。そして、僕らの返事を待たずに先生からお米を貰いに行ってしまう。
「俺、洗い物と味見係な」
加山くんも、近衛くんに倣って挙手をする。そんな二人の威勢のいい「調理しない宣言」に、へーちゃんはため息を吐いた。
「そー言うと思ったわ。盛り付けと味見は譲らねぇ。あと、働いた分しか肉入れねぇからな」
「えっ、やだ! 肉食いてぇ」
「知らねぇよ。テメェは洗い物係なんだろ? さっさとそこの皿とか洗え」
「え、まだ使ってねぇだろ」
「誰かが使ったやつだぞ、綺麗かわからねぇだろーが!」
へーちゃんは言うやすぐに加山くんの手にこれから使用する皿やまな板などを押しつける。加山くんは渋々それらを受け取り洗い始める。
「優は? まさか、テメェも何もしねーんか」
じっと彼らの様子を窺っていると、へーちゃんが目を平らにして尋ねてきた。へーちゃんは僕が鈍臭いことをわかっているが、それでも仕事をするべきだと言いたげだ。
「え、じゃ、じゃあニンジン切るよ。じゃがいもは怖いからへーちゃんに任せていい?」
「わかった」
へーちゃんがコクリと頷く。彼が頷いたのを見て、僕は胸を撫で下ろす。よかった、嫌がられてない。
お米を取りに行っていた近衛くんが戻ってきて、彼はルンルン鼻唄を歌いながらお米を研ぎ始めた。といっても、昨今の米は殆ど研がなくてもいいらしいので、すぐにその仕事は終わった。
「双郷、もう炊いてオッケー?」
「待て、テメェちゃんと水計ってねぇだろ! どう見ても多いだろーが!!」
「えー、計るのめんどい」
「それで炊いたら粥になるだろーが!! どけ!!」
へーちゃんは近衛くんからお米の入った内釜を奪い取ると、きっちりと水を計る。近衛くんはへーちゃんの姿を後ろで見ながら笑った。
「母ちゃんみてぇ」
「ザケンな。テメェみてぇなだらしねぇガキ、産んだ覚えねぇよ」
「でも口煩せぇじゃん? 嫌じゃねーけどさ」
近衛くんが人懐っこくケラケラ笑うのを見て、へーちゃんは眉間にシワを寄せた。僕は、近衛くんが意外と普通の……明るい人なのだとわかり不思議だった。
「おい、加山」
「え? 俺?」
そんなへーちゃんと近衛くんのやり取りを微笑ましく眺めていた加山くんに、へーちゃんはズカズカ寄って行く。一体どうしたんだろうと思っていると、へーちゃんは加山くんの洗った皿を指差した。
「泡が流しきれてねぇ。洗い直し」
「ええ? 俺ちゃんと洗ったんだけど」
「いや、どう見てもついてんだろ」
「いいだろ、こんぐらい」
「腹壊したらどーするんだよ!」
へーちゃんは舌打ちして、皿をゆすぎ始める。加山くんはそれを後ろで見ることになり、おかしそうに笑っている。
「あ、優、待て! それじゃあ指切るだろーが!」
「え? あ、だ、大丈夫だよ。気を付けてるし」
「包丁持ちながらよそ見するなバカ!!」
そして、今度は僕にへーちゃんの矛先が向かってきた。
へーちゃんはパパッと洗い物を済ませると、加山くんに皿を渡した。そして、僕の元に来て変わり果てたニンジンを見つめる。
へーちゃんはじゃかいもと肉を切り終えていた。でも、僕はニンジンを切るだけにかなりの時間をかけている。まだ、半分も終わってない。
「左手は猫の手」
「は、はい」
「……手、掴むぞ」
「あ、うん」
へーちゃんは僕の後ろに回り、包丁を握る僕の手を握って一緒に切り始めた。本当にどこまでも器用な人だ。ゆっくり、安全にニンジンを切っていく。
「絶対さ、双郷が一人で作った方がはやいよな」
「それなー」
僕らを見守る近衛くんと加山くんが笑いながら話している。それには僕も同感だし、恐らくへーちゃんが一番思っていることだろう。それでも、へーちゃんは僕たちに簡単な仕事を与えるのだ。それがきっと……彼の中の当たり前だから。一人で大抵のことが出来るへーちゃんは、それでも誰かを巻き込み、輪を作る。昔からそういう人だった。
僕は、それを嫌だと思わなかった。恐らく、近衛くんも加山くんもだろう。彼らは面白そうにケラケラ笑いながらへーちゃんに言われた作業をしている。
へーちゃんは本当に嫌がる人には何かを押し付けることはしない。僕や彼らがこういうことを意外と嫌ではないのだと見抜いて、最低限できることを探してくれているのだった。ここで誰かが本気でやりたくないと言えば無理強いはしないだろう。
順番に炒めて、使い終わったものを洗って……。 近衛くんが勝手に強火にしようとしたり、加山くんが肉を食べようとしてへーちゃんに怒られたり……。他の班よりも明らかに賑やかな彼らは、終始騒ぎ倒していた。
僕は、そんな三人が微笑ましかった。怖い人たちというイメージだったのに、結局はみんな、フツーの高校生なのだ。
案外楽しく作ることができたカレーはとてもいい匂いがして、完成する頃にはすっかりお腹が空いていた。
へーちゃんが全員分のカレーライスを盛ってくれる。ご飯が大盛りがいいだとか、ニンジンは嫌いだとか二人の注文を聞き流しているかのように無視をしていたが、盛り付けはしっかり要望通りにしている。
「あれ、肉いっぱい入ってる!!」
加山くんが子どものようにはしゃぐと、へーちゃんはカレー作りだけで何十回目かのため息を吐く。
「働いた分は食っていい」
「やった!!」
「そんな約束してたのかよ!? 俺も肉もじゃがいももたくさん入ってるー!! ありがとう双郷!!」
働かないと肉を盛らないと言っていたへーちゃんは、僕ら三人にたくさん肉を盛ってくれていた。僕も肉は大好きなので、素直に嬉しい。
「優はこれで足りるか?」
「うん。へーちゃん、ありがとうね」
「別に俺は何もしてねぇ」
僕らに肉を盛りすぎたのか、へーちゃんはでかいニンジンばかりだった。それに最初に気づいた加山くんが肉を渡そうとすると、「肉はそこまで好きじゃねぇ」と首を横に振っている。ならばニンジンが好きなのかと聞かれても、それにも首を横に振った。
確かにへーちゃんが肉が好きだった記憶はないが、嫌いでもなかったはずだ。何だか、子どもに好物をわけてあげる親のような対応に、嬉しい反面、申し訳なさもあった。
何はともあれ、僕たちクラスの問題児が意外にも真面目にカレーを作っていたことに先生もひどく感動していた。味見に来たときは「お前ら双郷がいてよかったな」と笑っていた。まさにその通りだ。へーちゃんがいなければ、僕は何もせずに立ち尽くしているだけだったのだろう。近衛くんと加山くんとは話せていないが、それでも二人も僕の鈍臭さに苦言を呈することなく、待ってくれていた。本当に、三人には感謝しかない。
「じゃあ、後は洗い物係の加山くん、よろしく! 俺、洗い終わった食器片付け係ね」
「はあ!? 自分で食ったもん洗うんじゃねーの!?」
「自分で洗い物係って抜かしてただろーが。俺スポンジに洗剤つける係だから」
「双郷まで!? てかその係要らなくね!?」
カレーを食べ終えると、後は片付けだけが残っている。
調理実習が始まったときに洗い物係なんて加山くんが言っていたからなのか、近衛くんもへーちゃんも笑いながら加山くんに食器を渡していた。
「優もさっさとそれ加山に渡せよ」
「え、い、いいのかな?」
「……相沼はじゃあ皿拭き係な」
加山くんはため息を漏らしつつも、自分から言った手前引けなくなったらしい。結局、全員の食器を洗ってくれた。本当にへーちゃんはスポンジに洗剤をつけるだけかと思ったけど、僕があまりにも食器を拭くのが遅いので一緒に拭いてくれた。近衛くんは拭き終わった食器を片付けてくれた。
「あー、終わった終わった! 5時間目なんだっけ」
「えーと、古典だわ」
「マジ? 俺、サボるわ。加山は?」
「俺も。双郷は……出るよな?」
調理実習の過程全部が終わり、近衛くんと加山くんはいつものようにサボる気満々になっていた。そんな二人に友人であるへーちゃんもわずかに目を細めるが、彼らを止めはしない。
「俺は出る。お前ら、単位だけは気にしとけよ」
「わかってるって! でも糠部マジでキモいから無理!」
近衛くんが副担任であり国語の教科担当である糠部先生を思い浮かべて苦い顔をする。それに加山くんもウンウンと頷いた。
「双郷は気に入られてるもんな。面が良いから」
「やめろ、気持ち悪りぃ」
「事実じゃーん。糠部が可愛い新人女教師だったら良かったのにな!」
「実際はキモいおっさんだからな」
近衛くんと加山くんの会話にへーちゃんは露骨に眉間にシワを寄せる。でも、彼らの会話の内容も納得できてしまうからなのか、何も否定はしない。
彼らの話は事実で、糠部という男の先生は男女問わず面食いだった。授業中は顔が良い生徒ばかり指名する。僕は見た目が決して褒められるものではないので、滅多に当てられることがなく彼のその嗜好に密かに感謝していた。ちなみにへーちゃんはほぼ毎回当てられている。
「ま、頑張れよ双郷」
そう言い残すと、近衛くんと加山くんは手をヒラヒラと振っていなくなった。そんな二人の背中を見送ると、へーちゃんは僕の方を見る。
「そろそろ予鈴鳴るぞ」
「あ、そ、そうだね……教室行かないとだね……」
「……」
へーちゃんは僕を置いてズカズカと歩いて行く。ポケットに手を入れてダルそうに猫背で歩く姿は、かつての彼とはやはり別人のようだった。
『優、ほら、一緒に行こーぜ!』
眩しいくらいの明るい笑顔で、手を差し伸べてくれた彼はもういない。自信たっぷりに背筋を伸ばして歩いていた彼は、もういない。
変わらない部分と変わった部分。それを受け入れることが、なかなか難しい。
……でも、慣れないといけないのだろう。僕は彼を慕っているが、それは僕の一方的な感情でしかないのだ。
それでもせめて、友だちとは思われていたいと期待せずにはいられなかった。
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