1-2 彼女のみた花火

 週末日曜日、花火大会の日の朝。

私は実家の居間でテレビを眺めていた。


 土曜のうちに帰郷し、実家で半分物置になっている自分の部屋で一泊。

万全の体制で花火に挑む。

壁に掛けている本日デビューの浴衣をみて鼻歌でも歌いたくなるくらいに気分が良い。


「やっぱ花火いきたかったんだなあ、私」


 いざ準備を始めてみて、親友とスケジュール決めたり待ち合わせ場所を決めたり色々しているだけでとても楽しかった。

このノリが合うから親友だったんだよなあ、と昔を思い出す。

そして、私が心の傷を乗り越えればまた良い関係に戻れそうだと思えてとても嬉しい。


 今日体調崩したら目も当てられないが、体調管理もバッチリ。

テレビをつけて天気予報も終日快晴で、花火大会に向けての問題は何もない。

強いていうなら、ちょっとテンションが高めなことくらい。


 気分よくテレビを見ているところに、親友からSNSで連絡が入った。


『ごめんなさい、熱が出ちゃって今日花火行けそうになくなっちゃった』


「うわああ」


 今度は親友か。

しかし、それこそ責めるのはお門違いもいいところ。

すぐに返事する。


『気にしないで』

『せっかく二人で準備したのに。本当にごめんなさい』

『うん、まあまた来年行こうよ』


 当時と違い、もう私もいい大人。

来年また行けばいいのであまり気にせずに返事した。

ちょっと間をあけて帰ってきた返事を見て凍りつく。


『先輩、行けるから一緒に行ってきたら?』


 先日の爆撃を乗り越えて生還したつもりだったが、親友は特大の爆弾を投げ込んできたのだった。


『ちょっと、何言ってるの? 先輩に迷惑かけちゃダメだって』

『大丈夫だよ? 事情と相手を説明したら行ってくれるって』


 きてくれるのか。

久しぶりに先輩に会えるのはとてもうれしい。


「じゃなくって、妻帯者はダメでしょ!」


 完全に吹っ切れてない自分のゴタゴタが再浮上してくるのを抑えて返信。


『いや、やっぱいいよ』

『あの人、楽しみにしてるって言って甚平準備してるけどやめておく?』


 ダメだ、断るべきだ。

微かに残る理性は全力でたしなめてくる。

妻帯者とか口に出たが、妻本人公認なのだ、そんなことはどうでも良い。

こちとら十年ものの傷口につい先日ようやくカサブタができたところだ。

それが一週間と保たず傷を開いたら今度は本当に立ち直れない。


 しかし、一方。

私が真に乗り越えるためには先輩と会うべきなんじゃないかという声が聞こえてきた。

なんのことはない、昔好きだった、今でも好きかもしれない先輩の甚平姿にも興味がある。

そして、その先輩と花火に行けるのであれば、それは幸せであろうと。


 数瞬の葛藤の末に指は返信していた。


『わかった、私も楽しみですって伝えておいて』

『うん、伝えておくね。じゃあ予定していた時間に集合してね』

『ありがとう。あ、お大事にね』

『こちらこそ。ごめんね、行けなくて』


「まじか」


 まさかの高校の時とは逆になってしまった。

親友より先に先輩と会うことになろうとは、全く予想していなかった。

呆然と立ち尽くす。


 しかし、よく考えると以前とはかなり状況は違う。

何しろ、既に親友の所有物になっている先輩だ。


 私に奪い取る気も毛頭ない以上、単純に花火に行くのであれば良いのではないか?

 先輩との関係を友人としやり直せるならむしろ幸運なのではないか?


「いい大人が、男女二人、浴衣で花火大会」


 どう見ても友人関係の絵面ではないことは薄々気づいてはいたが、もはやサイは投げられてしまっていて引き返せない。

ならば、みっともない格好だけは先輩に見せるわけにはいかない。

夕方の花火大会に向けて準備済みの浴衣たちを再度点検開始した。



 その日の夕方。

花火大会開催される会場から少し離れたコンビニ前に到着。

これ以上近いと人がごった返していて合流できないから、ここにしようと高校の時にも決めていた場所だ。


「三十分前か」


 混雑によって遅刻したくないという気持ちで早めに着きすぎてしまう。

コンビニで飲み物でも買いつつ涼んでようかな、と思って自動ドアの前に立つと、中から甚平姿の男性が出てきた。


「あ、久しぶり」

「……」


 鉢合わせた男は静かに軽く左手を挙げる。

構えてなかったところに目当ての人物に声をかけられ、動揺して本気で固まってしまった。


 先輩だ。

昔好きだった人。

彼の今した挨拶も、昔に戻ったようで懐かしい。

その場その場で言葉は変わるけど、いつも左手を軽く上げるのは同じ挨拶。

変わったところはその左手薬指が少しだけ眩しいことかな。


「どうした? 大丈夫?」

「あ、いえ、お久しぶりです先輩」


 困ったようにこちらを見る先輩に、かろうじて挨拶を返す。

先輩も当然年相応に大人になっているが、昔の先輩の雰囲気を崩さず、いい塩梅にこなれている。


 こちらが困っていると、自分も困ったような顔して相談に乗ってくれる先輩。

でも、文句は言わず、悪口も言わず、茶化しもせず。

どこか抜けた雰囲気で話す先輩の周りの空気感が好きだった。


「んじゃ、行こうか」

「はい」


 挨拶を終えて合流もできたので他愛無い雑談しながら花火会場へ向かう。


「何年振りだっけ?」

「私卒業して十年くらいなんでそれ振りじゃないですかね」

「卒業間際も会ってなかったかな」

「私、受験勉強に集中してて」

「寂しかったよ。俺のいってた大学に来るのかと思ってたから」


 そのつもりだったのだけど。

と、口をついて出そうになるのをかろうじて抑えて人混みの中を歩く。


 しかし不思議。

因縁の花火大会に原因の先輩というシチュエーション。

古傷切開祭りみたいな状況なのにとても心が穏やかだ。


 やはり先輩と話す時間はいいな。

話し上手な人、相性が良い相手、色々いると思うけどこの空気感はやはり先輩ならでは。

くそ、親友のものじゃなかったら絶対狙うんだけどな。


「でも、大人になったよな。浴衣も似合ってる」

「あ、ありがとうございます」


 やはり褒められるのは嬉しい。

油断すると顔が崩れてしまうので、にやつかないように表情筋に喝を入れる。


 先輩はそんな私を気にせず、歩く速度を落として人混みから庇うように立ち位置を変える。

私の下駄型サンダルを見て歩きにくそうに見えたのだろうか。

なんにせよ大事にされている感はとても嬉しい。


 思えば、先輩はそういう細かな気遣いが高校生にしてできている人だった。

抜けた感じなのに、しっかりと色々な言葉を受け止めてくれる人。

好きだった所を思い出し、噛み締めながら歩く。


 しかし、会場付近は大混雑。

なかなか会場に近寄ることができない。

そうこうしているうちに花火が始まってしまう。


「ここで見よっか」

「そうですね」


 ちょっと歩いて、なんとか座って花火が見える場所を発見した。

少し下の方は見えないが十分花火が楽しめるポイントだ。


 二人で並んで座り、花火を眺める。



 次から次へと花火が打ち上がる。


 夜空に向かって鯉のように登っていく光と風を切る音色。

 それを追いかけるように期待に満ちた人々の顔も夜空を見上げる。


 大輪の花が咲き、花火と人の音が入り混じる。

 束の間の何もない空間と余韻に浸る人々。



 ただただ、花火を無言で見続けていると突然先輩がつぶやく。


「やっぱいいな」

「そうですね」


 私も、呟いた。


 花火はいいなあ。

私の溜まっていたモヤモヤを夜空に解放してくれるみたい。

一つ一つの花火が、私の心を軽くしていってくれる。

光が音が、小さなことだと私の澱みを吹き飛ばしてくれる。


 全く、私は十年間何をしていたのだろう。

小さいことにこだわって、親友や先輩と関わるのを避けてた。

でも、二人ともこんなに変わってない。

私が一歩踏み出すだけで新しい良い関係になれるのに。


 花火に先輩と来れてよかった。


 そんなことを思っていると、最後の花火らしい大掛かりな花火が打ち上がる。


 とても高く、遠いところまで私のモヤモヤを乗せて飛んでいく。

夜空を埋め尽くさんばかりに光が広がり、一際大きな爆発音と歓声がなる。


 私は、顔を花火に向けながら先輩に向かって呟いた。


「ごめんなさい、ありがとうございます」

「ーー」


 先輩も同時に何か呟いていたような気がするが、聞こえない。

私の呟きも多分聞こえてないんだろう。


 でも、いいんだ。

聞いて欲しくて言ったわけじゃない。

これで私は一歩進める。


 帰ったら親友にも報告しよう。

花火ももっと見にいって、この浴衣ももっと使ってあげよう。

新しい出会いも、もうちょっと真剣に探してもいいかもしれない。


 久しぶりに前向きな気持ちでいい気分になっていたところで、花火が終わる。

先輩と久しぶりに過ごすことができたし、とってもいい時間だった。

でも、そろそろおしまい。


「終わったかな」

「そうですね、現実に帰りましょうか」


 先輩が心なしか寂しげな表情で呟いたので、冗談めかして返事をしたらひどく驚いた表情で見られる。

しかし、すぐにふっと懐かしい先輩の笑顔にもどった。


「そうだな、帰ろう」

「はい、帰りましょう」


 花火で混雑する人混みを抜けて、私の実家の前に着く。

わざわざ送ってくれた先輩はやっぱり優しい。


「ありがとうございました」


 今日一日付き合わせてしまって、送らせてしまったことに礼を言う。

先輩は軽くうなづくと、つぶやくように話す。


「また、会えるかな」

「はい、ぜひ。今度は三人で会いましょう」


 一瞬きょとんとした表情に見せたが、すぐに笑って頷く先輩。


 先輩もまた会いたいと思ってくれるんだ。

今日楽しかったと思ってくれたと言うことだ。

これで、先輩や親友との新しい関係を始めることができる。

とても嬉しい。


「それじゃあな」

「はい、また今度」


 軽く左手を挙げて立ち去っていく先輩。

夜も遅いからか、その薬指はもう眩しく見えなかった。

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