第44話 下村と面会2

 此の時、彼が上目遣いに見せた目は、喋りたいのは一目瞭然だった。しかし下村は上半身を屈めたまま少し起こしてこうべをたれた。矢張り深詠子の過去に拘りがあった。深詠子の亡きがらを報されると、今、置かれている立場を下村は認識したのだ。これで喉元まで出掛かった言葉が、現実の深詠子の亡骸すがたに恐縮したのだ。彼は急に痙攣を起こして頭を抱えた。時間はあったが無理だと悟り、警察官に今日の面接時間の打ち切りを藤波は告げて部屋を出ようとした。

「藤波さん、すまない。頭が混乱して、すまない、すまない」

 と藤波の背中に下村は懇願した。藤波は振り返ると「無理しなくて良いです、もう深詠子は逃げも隠れもしません、あなたが思うときに現れます、それまでゆっくり待ちます」

 下村はすまないと繰り返し、警察官に面接時間を促されて起ち上がり、部屋を出しなに軽くお辞儀をして出た。単なる面会に来てくれたお礼じゃない、期待に応えられずに謝罪していると受け取って藤波も部屋を出た。

 この頃になると署内でも同じ路を通るから、署員とは喋ったことはないが顔馴染みになって、余り警戒されずに素通りできた。

 警察署の玄関近くに居た若い男には「すわ! 刑事か」と緊張したが、良く見ると若すぎてまだ学生気分が抜けきらない男だ。そのまま行き過ぎようとして呼び止められて、ギョっとした。差し出された三木谷みきたにと書かれた名刺から高嶋法律事務所の者と解った。あの事務所の使い走りか。

「此の前に高嶋さんの代わりに下村さんと接見した人ですか」

 予想通り頷いた。今年の春に法学部を卒業して二年間は面倒を見てもらえる。在学中に司法試験予備試験に合格していた。今年の七月に三回目の司法試験を受けて三回落ちてあと二回は事務所で働きながら受けるそうだ。司法試験予備に受かれば五回まで司法試験を受けられる。五回失敗すれば諦めろと謂う事か。

「そんなに難しいのですか」

 照れくさいのか彼は頭を掻いた。そこがまだ学生っぽい。

「論文や対面形式でマークシート形式じゃないからね」

 それより高嶋さんは、他に多くの揉め事を抱えて、当分は彼が藤波の相手をする。三木谷は下村との接見を聴取するため近くの喫茶店へ誘った。弁護士でない彼は加害者との接見には制限がある。此の前のように何回かは高嶋の代わりとして顔繋ぎで接見した。

「矢張りわたしや所長では、下村さんはなかなか胸を割ってまでは話にくいようです」

 事件の大まかなものは全て把握したが、肝心の動機に付いて暗礁に乗り上げてお手上げ状態になっていた。

「そこで所長はあなたに賭けてるんですよ。それで今日の面会はどうでした」

 喋る雰囲気は高嶋と同じだが、此の人にはまだ気さくさがなかった。それに近い親しさは感じられたが、時によっては相手を呑み込むだけの気迫がない。無理も無い、今年卒業したばかりで、学生気分が抜けきらない所も見受けられた。企業の営業には向かないし、まして法学部卒では製造現場は更に無理だ。矢張り人の痛みを十分に受け止めようとするタイプだ。ひょっとして似たような者だと見越して、高嶋は三木谷に振り替えたのかも知れない。

「先ずは下村と深詠子の関係から問い詰めようとしたのですが。全てを許し合える二人でない以上は、第三者には絶対触れられたくない部分が有るようで、それでまだ語ってくれなくて、解明出来ないんです」

 愛し合って結ばれた者どうしでない二人には、感情の行き違いはあっても、大袈裟にならなければ取るに足らないと見過ごす。ほとんどの恋が片思いの三木谷には此の意味が理解できない。まあ、藤波もそうだが、彼は本当の恋を深詠子で一度だけ経験した。おそらく深詠子もそうなんだと真苗から知らされた。

「なあなあで済ませられない部分が多いって事ですよ」

 一から十まで知り尽くせない二人は、語り合って埋めてゆくが、既に三人の子供が居ればそんな余裕はない。分担して取り組まないと家庭が守れず、必要最低限のやり取りで乗り切っていた。事業も拡大してゆく中では、下村と深詠子は家庭と仕事の両輪と割り切れば、多少の感情の行き違いに拘っている暇などない。

「最初から二人が力を合わせて盛り立てた事業なら挫折してもやり直しを試みるが、目的が違った此の二人はそうじゃない。途中参加の深詠子はただ家庭を守ることに専念していれば良かった。そこに訪れたのが事業の行き詰まりなんですよ」

 真苗がまだ小さくて深詠子も行き詰まったが、落ち込んだ下村は再起不能と見極めた。

「なるほど目的が違う下村と奥さんでは、今は意思疎通を図るより、二人とも家庭を充実させていたんですね。それが望めなければ下村は死を、奥さんは離婚を考えたって訳ですか」

 割り切る三木谷は、藤波と深詠子の関係を何処まで知っているのか、死者に聞けない。磨美さんか下村しかいない。生前の深詠子を良く知ってるのは磨美だ。三木谷の雰囲気では熊本の兄にまで訊きには行ってない。 

「それでも二人はこうして欲しいと、お互いに思うところは山ほどあった。下村にすれば長男が独り立ちするめどが立てば、じっくりと深詠子と向かい合う。それまでは何としても突っ走るつもりでいたんでしょう」 

「私も所長と意見交換をしましたが、だいたい藤波さんと似たような所に落ち着きました」

 それでも私達は藤波さんよりも無制限に近い時間、接見したが下村の心の奥には踏み込めなかった。なのに藤波さんは短い二回の接見で心の入り口を見付け出してしまった。人情のない行きずりの強盗殺人以外は当人にはどうしょうもない動機が存在する。特に心中事件ほどその闇は深い。その心の闇に光を当てたいと、高嶋と彼は同じ思いに立っていると藤波は感じた。




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