第39話 高嶋弁護士

 キョロキョロと辺りを見回しているが、よそ見をしている風でもない。しっかりと視野に入った出来事を的確に捉えている。丁稚車やモートラは少しでも隙間があれば猛然と突っ込んでゆく。行く手を急に遮られた他の運搬車は激しい罵声を浴びせる。今にも大げんかが始まるかとヒヤヒヤしても、彼らは「おぼえとけ!」とひと言怒鳴り散らしてモートラと丁稚車は別れてゆく。彼らには小売店から受けた注文の品を早く正確に届けるのが仕事だ。小売店はその日に必要な売り物を注文すると直ぐに引き上げる。店に戻って商品を並べる段階で注文の品がなければ「どないなってんね!」と電話する。すると今度はモートラでなく車で小売店まで配送する。余計な仕事が増える。市場内から注文主の車までの配達は一分一秒を争うゆえ、同業者どうしで言い争ってる時間はない。市場で働く者はなんぼ大声で怒鳴っても直ぐ事を収める。混み合ってももたもたせずに際どい処で上手く回避している。真苗は駐車場から市場に入るまでに、そんな光景を物珍しく観察していた。

 あんな怖いおじさん達を初めて見たが、みんなは「おぼえとけ!」の汚い口癖が挨拶になっていると真苗が知るのに時間が掛からない。これにはしっかり手を繋ぐ可奈子も感心した。駐車場から小型の搬送車や人力の荷車で隙間なくごった返す通りを抜けて市場に入った。中は裸電球に照らされて並ぶ卸売店が真苗にはまるでお母さんと行ったお祭りの夜店の光景とタブって眼を輝かせた。市場に小さい子は滅多に居ない。居ても卸売店の者がたまに連れてくる程度で真苗は目立った。しかも初めてなのに物珍しそうに、各店舗に並ぶ商品や買い付け業者とのやりとりを、物静かに眺めている。その所為せいか初めて藤波が連れて来た子なのに、冷やかす業者は一人も居ない。それどころか利発そうな子やなァと口々に言われた。これで益々、深詠子の影響を意識した。

「どうだ、面白いか」

「ウン」 

「でもスーパーと違って飾りっ気がないだろう。此処は何が欲しいかでなく何が売れるかで商品の品定めをするからだ」

 季節ごとに旬のものが出回ると、それに合わせて仕込むが、親の代から来ている客の好みは把握している。   

 歳だからとあっさりしている物を揃えるだけじゃない。

「ハモもこの時期は喜ばれる」

「この時期ならウナギじゃないの」

「あの連中は鱧の方が口に合うんだ」

「そうなの、啓ちゃん骨切りできるの?」

「出来る」

「真苗にも出来るぅ?」

 オイオイ、好奇心旺盛なのか少しでも役に立って貰う一心なのかと笑った。この子はこの子なりに必死で頑張ってる。それってもしかして下村が事業に失敗しなくても、いずれ早いうちにこの子を連れて別れるつもりだったのか。そうと思えるほどこの子は何事にも自立心が芽生えやすかった。

「よっしゃ、鱧の骨切りをやってる店があるがどんなもんか見るか」

「ウン、見てみたい」

 藤波は勝手知ったる鱧を扱う店に行った。鮮魚売り場が並ぶ一角に大きな桶が並ぶ店に足を運んだ。店の桶には数匹の生魚の鱧が桶の縁にへばりつくように鎮座している。これが鱧? と珍しそうに真苗が眺めた。

「オッ、今日は珍しい。しかも初めて奥さんと子供連れですか」

 可奈子は少し照れながら挨拶した。真苗は桶の鱧に首ったけだ。

「お嬢ちゃんは鱧が気に入ったんですか」

「それより骨切りをやりたいと言い出して来たんだが、今日はそんな注文がなければこっちで頼むからやってくれ」

 お安いご用と桶の鱧を一匹取り出し、そのまままな板に固定して腹引きにさばいて骨切りが始まると真苗は真剣にじっと見詰めた。

「どうだ出来そうか」

 黙っていると残りの少しの部分を、店の人と代わらせた。最初はスローテンポだが次第に早く力強くなった。それでも大人に比べると遥かに遅いが正確に切り込んでいる。第一にあのザクザクと小気味よい音がして骨が切れてる。

 店主に出来映えを訊くと、音は申し分ないが、これだけは食べたときの歯応えだ。なるほどそれを楽しみに持って帰った。昼頃にはほとんどの小売店は、開店時間だけに流石に朝の喧騒は鳴りを潜(ひそ)めて楽に車に戻れた。

 軽トラで店に戻ると、表には四十代のきちっとしたサマースーツに身を包んだ男が立っていた。差し出された名刺を見れば、彼は下村を担当している弁護士だ。

「下村さんとは何回が面会しているそうですね」

 それで高嶋と謂う弁護士は藤波に会いに来た。

「此処では無理だ。荷物を下ろしたあと何処か喫茶店で伺いましょう」

 聞けば高嶋は朝も下村に会って、昼からも会う予定だ。

 藤波は今日仕入れた食材を可奈子と真苗と一緒に店に運び入れると、高嶋と二人で直ぐに軽トラで店を離れた。高嶋の仕事の都合を考えて、下村が留置されてる警察の近くの喫茶店に入った。

「下村さんですが、彼は、はっきりとした動機について躊躇ためらってるんですよ」

 高嶋は昼からの面会時間に追われているのか、席に着くと珈琲を注文するより前に直ぐに切り出した。

「どうも藤波さん、下村はあなたの事を気にして躊躇っているんじゃないかと思うのですが……」

 高嶋の仕事は余りはかどってないらしく、下村との面会もかなり詰めていた。

「警察のほうからの接触はありませんか?」

「いや、こちらから面会に出向く程度で、向こうからは一度も来ない」

「そうですか、向こうはあなたから今のところ聞き出す事はないんですね」

「と言いますと」

「下村からの聞き取りが難しくなれば頻繁にあなたから聞いて、つじつまを合わそうとしますが、今のところその必要がないんですよ」

 好感を抱いた彼の表情から誠意が読み取れた。基本的に根っからの悪人はいない、と感じさす印象もこの弁護士から受けた。



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