第40話 高嶋弁護士2

 頼んだ珈琲ようやくテーブルに並んだ。それほど高嶋は間を空けずに手際よく話を進めていた。

「下村さんが動機を躊躇ためらう原因があなたにあると、あの人と接見すればするほど最近は思えてくるんですよ」

 今までは簡単な質問には明確に答えていた。その簡単な質問にも最近あやふやになってきた。丁度その頃に藤波さん、あなたが面会に訪れている。

「いったいあなたと下村さんとは、どう云う関係なんですか」

 高嶋の事務所調査によると、下村が事件を起こすまで一度も会っていない。しかしながら我々の調査では下村はあなたの幻影に怯えていた。

「そんなことはないでしょう。最近まで顔どころか名前も知らなかったんですよ」

「私も下村の弁護士をするまで、いや、してからも暫くあなたの存在は知りませんでした」

「じゃあ、いつ知ったんです」

「下村の親族、奥さんの調査過程で知りました」

「どんな風に」

「先ずは被害者である下村深詠子さんと加害者の下村優司の夫婦関係を調べました」

 そこから色々と判ってきた。先ずは深詠子さんの結婚の動機。深詠子という人物の人柄を調べると、どうして下村と結婚したのか。幾らプロポーズされても有り得ない。そこで深詠子さんと一番親しかった三沢磨美さんから聞き取り調査して、ある条件下で一緒になった事実が判明した。

「そこからあなたの存在が判りました」

 それで下村優司に聞き取ると、下村はハッキリと藤波啓一朗と謂う人物の存在を知った上で深詠子さんと結婚した。その条件が今あなたの処に居る真苗ちゃんを実子として認める。下村は此の条件をあっさりと呑み込むほど深詠子さんにベタ惚れだと知った。

「問題はここからですが、それが今、下村にはそうとう影響しているんです」

「どう云うことですか」

「つまり奥さん亡きあとに許しを請うとすれば、あなた以外に存在しないんです」

 それほど下村は深詠子さんを殺してしまった事を後悔している。なら最初から手に掛けなければ良いが、あの時は必ず直ぐに自分も死ぬ覚悟の上だった。

「それがこうして死にきれずに一日中、彷徨さまよった。信仰心のない下村は誰に許しを請えばいいんだと、あの日が一番苦しんだそうです」

 そうか、下村が死の恐怖に最初に目覚めたのは二階の階段で真苗を見て持っていた包丁の力が抜けたときだ。あの時、真苗はお父ちゃんは持っていた包丁をダラリと下向けた。その一瞬に体当たりして真苗は逃れた。あの一瞬から下村は追い詰められた苦しみと対峙し始めたんだ。

「何か思い当たる事でも有りませんか」

「急にそう云われても思い当たらないですよ」

「そうでしょうね。それでもあなたになくても下村にはあるんですよ」

「そう言いますと……」

「今まで何度接見しても下村は一向に気持ちをハッキリさせない。それで業を煮やして私はあなたにこうして伺ったんです」

 藤波は珈琲を飲み干していたが、高嶋は全く手を付けていない。それどころか仕切りに時間ばかり気にしていた。どうやら下村との面会の接見時間が迫っているようだ。

「それで僕に何を聞き取りに来たんです」

「聞き取りじゃ埒が明かない。下村の考えを変えられるのはあんたしかいないんだ」

「それはないでしょう。だってまだ会って数日しか経ってないんですよ」

「でもあんたの噂話を下村は、八年前から叩き込まれてるはずでしょう」

「そんなの勝手に決めないで下さいよ。誰がそんな埒もない事をまさか下村が言ってたんですか?」

「そうです。奥さんにすまないすまないと留置場で毎日うなされている」

「それは、取り調べの刑事が言ってるんですか」

「検事が手の内を明かしませんが、それで聞き取りが乱されて調書が中々取れてないようですよ」

「そうかなあ、二回ほど下村と面会しましたがそんな様子はなかった」

「そりゃあそうだ。昼間はいたって普通だが、どうしても事件の調書を取ろうと当日の話になるとさいなまれるそうですよ」

 事件の質問になると急に頭を抱えてしまって、話にならずに中断を余儀なくされて取り調べの刑事も弱り果ている。

 本人は深詠子に許しを請おうと深刻に願う余り、思い込めば思い込むほど精神が異常に乱れる。このままだと安静を保つために入院の措置も考えないと、そこで安定して取り調べる方法を探っている。しかし藤波さんが面会に来てから、かなり精神が安定してきている。それを聞いて一度あなたに会ってみる気になった。

「藤波さんは下村と面会しましたが、その時に事件について訊いていましたね」

「どうして知ってるんです」

「面会に立ち会った署の者がすべて聞き取っています。その情報教えてもらって、弁護士さんからあなたに話して欲しいと頼まれたんですよ。警察も出来るだけ下村への刺激を避けているんです」

 警察は事件当時、心神喪失状態だと判断されるのを恐れている。

「あなたは下村が事件を起こさなければ会うこともなく、真苗と謂う子供の存在も知らずにいられた。それを報せたのは深詠子さんだ。厳密には娘さんの真苗ちゃんですが、何故、彼女はそうしたのか、そうしなければならないのか、それを考えましたか」

「今まで憎んでいたからでしょう」

「でも彼女に対して何の感情も持たなければ、愛も憎しみも湧かなかったはず。それは深詠子さんも同じでしょう」

 預かった期間は短いが今までの真苗を見れば、深詠子の想いは一目瞭然だ。そこを高嶋は聞きたい。つまり此の八年間、下村夫婦の間には触れてはならない何かがあった。それは藤波も知りたい。

 此処で高嶋は下村との面会時間が迫った。藤波との話を聞いて中断できないと事務所に電話した。


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