第34話 下村談義2
磨美さんの家を出る頃には気分も安定してバス停まで歩く事にした。出町柳駅まで乗って、そこから京阪電車で店の支度に間に合うように帰った。
スッカリ居着いた可奈子は常連客に受けが良く、店どころか真苗ちゃんまで任せっきりだ。真苗が店に居るのは開店から一時間ちょっとで、遅くても七時には二階へ上げている。この頃には真苗の下準備だった枝豆を卒業して瓶ビールのケースを逆さにしてその上に上がり、もう別な付け出しの盛り付けに掛かっていた。これも可奈子が教えると酢の和え物や漬け物を綺麗にピラミッド型に小皿に盛り付ける。これがお客が席に着くと直ぐに出せるように開店前にはズラッとカウンターの内側に並ぶ。
「真苗ちゃん、上手いもんだなあ」
「ウン、可奈子姉さんに教えて貰った」
よくもまあまあ短時間でここまで教え込むとは、子供の扱いに慣れない藤波には可奈子はたいしたもんだ。それとも憶えが良いのは深詠子の躾けが行き届いてるのか。
「遊びたい年頃なのに良くやってくれるのよ」
ねェ、と頭を撫でられても手は休みなく動いている。
「それでどやったの下村は」
真苗は藤波がお父ちゃんに会いに行ってるのは可奈子から聞いて知っている。それでも大人の会話には聞かれない限り黙っていた。
「うん、だいぶ落ち着いてるが、弁護士の質問にはまだ考え込むことがあるようだ」
「考え込むって?」
「事実はどうであれ、刑を軽くするために奔走する弁護士とは別に、彼は罪の重さに向かい合ってるんだ」
「検察からの追及が厳しくなるとそんな事言ってられないみたい。それで啓ちゃんが一家を道連れにした動機に迫れるのも起訴されるまでかも知れない」
「お父ちゃん、苦しんでるの?」
思わず二人は視線を落とした。真苗は見上げて交互に二人を見た。
ウーンと唸りながら「今日はもう夕食して下を手伝わなくても良いか、二階で休むか」と真苗に顔を寄せた。ちょっと手を止めて「ウン、そうする」と片付けて表側の肘掛け椅子に座った。可奈子はガスコンロに火を点けてあり合わせの材料で炒め出した。
「真苗ちゃん」
「なに」
「お父さん、恨んでるか」
横目で可奈子の作る料理を見ながら聞くと、ウウンと首を横に振った。
「此処の生活に慣れたんか」
「うちの居る場所は此処しかないとお母ちゃんに言われた」
「いつ? あの日の前日か」
「ウン、お母ちゃんが此の店をしっかり憶えときと言われてから」
深詠子はいったい何を考えてたんだろう。まさかこの子だけ預けるつもり? そんなことはないだろう。離婚して実家に戻るつもりならこの子に此の店を教えるはずもないやろう。
「真苗ちゃん、おかず出来たからお皿だして」
ウンと膝掛け椅子から飛び降りてお皿を用意して、独りでご飯をよそうと可奈子が作った夕食を食べて二階へ上がってくれた。
「真苗の話を聞いたか」
「ちょっと腑に落ちないわね」
「ちょっと処やないで。深詠子は
「離婚を持ち出した時からある程度は覚悟していたのかしら?」
「なにを」
まさかと思うが、あそこまでやるとは考えてないように見えた。留置されてからまだ一度も会ってない磨美さんは「あの男ならやりかねん」と否定的だ。犯行前の下村を知る磨美さんと犯行後の下村を見る藤波に相違があるとすれば、あの犯行を境にあの男自身の周囲を見通す眼に変化が出来たのか。
「下村が道連れを考えたのは間違いない。その方法は突発的な行動かそれとも計画的なものなのかを考えると、何が何でもお父さんの話を何処まで聞かせていいもんか思案したんだ」
藤波はひょっとしたらあの子は、父親のそんな一面を見ていたのかも知れない。
「そうね、まさかと思うがどう考えてるのかしら、あの子」
可奈子も口数も少なく何でも頷く真苗が、突然見せる奇妙な主張に何か隠された真実が有りそうだと言い出した。
「ねえ、あたし思うんだけど。あの子をお父さんに会わせてみればどうかしら」
怖がる気はしないがどんな反応するか。普通の子供とは違った対応をすると可奈子は思った。
「啓ちゃんはどう思うの?」
「ウ〜ン、そうだなあ。それより最後に残った真苗を探して二階の彼女の部屋に向かったが、階段前の踊り場で真苗を見付けたが突き飛ばされたそうだ。果たして八歳の子供に突き落とされるか。もしそうなら余程に油断していたか、冷静さを欠けていたかどっちだと思う ?」
「両方、だと思う」
一家心中を図る男が私物化した家族を養う甲斐性が尽きたと悟って起こすとすれば。真苗ちゃんは下村にすれば他人だけに迷いが生じた。そこを予期せぬうちに真苗に突き飛ばされた。此の時の真苗ちゃんにすれば母が
「それで突き落としたのか」
「どうも体ごと打つかったって言ったの」
「それは以前にも聞いたが……」
「あたしも聞いた」
藤波はそれ以上は訊いていない。
「ハア? まさか。お前、あの子に事件について、また聞いたのかッ」
あたしも、あの子にとっては余りにもショックすぎて訊けるわけがない。
「訊くと云うより」
真苗ちゃんがあたしも手伝いたいから教えてと言われた。包丁を持たせば様になって深詠子さんから簡単なリンゴやジャガイモの皮むきとか教わっていた。今度はまな板に載せてブツ切りにさせると「あの時はお父ちゃんは逆さかに持ってた」と言った。どうやら包丁の刃を上向けにしていた。包丁のような幅の広いものはそうすれば深く真っ直ぐ刺さる。でも料理にはそんな必要ないから、こうして刃を下向きにして説明した。それで真苗はあの時のことを思いだした。
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