第32話 下村の心境

 留置所の下村に二回目の面会に行く。前回は初対面で面接時間のほとんどを雰囲気作りに使って、実質的な話は何も進まなかった。

 下村の無理心中をどう思うか、可奈子と磨美の共通点は一家を道連れにするのは間違いだ。二人に関わらず同意を求めば大半の妻は反対する。特に扶養している子供は道連れにされる。問題は真苗ちゃんぐらいから下の子は、遺すのが不憫と考える親が多い。深詠子のように自己主張の強い女性は、全て子供の歳に関係なく反対する。この場合、夫は家族には何の相談もなく後を追い回してでも実行するだろう。現場に居た真苗ちゃんの話から下村がそのタイプで、その過程を聞き出す強い決意で臨んだ。

 面接場所入って来た下村の顔を見るとかなり落ち込んで、まだそこまで話を持って行くには早すぎと悟った。弁護士との面談では先ほどまで、心中事件の動機に、どれだけ妻からの離婚が影響したか聞かれた。

「それでどうしたんですか」

「弁護士はそこを集中的に突けば、情状酌量の余地が広がると言われた」

「それで矢張り動揺したのですか」

「最初はそんな物よりもっと大きな絶望感ですよ。それは取るに足らない動機だと言えば、弁護士は『あなたのお気持ちは分かりますが、事業の失敗から離婚を持ち掛けけられ、仕事に行き詰まらなければ離婚を持ち出さなかったのですね』と念を押され『普通そう謂うときは妻が夫を支える。この逆切れを実証できれば裁判官の印象も変わる』それで妻との仲はどうだったか聞かれたが、今まで仕事に追われて考えたことがなかった。そこへあなたが前回は妻との成り染めを聞かれて弁護士の質問には否定してしまった」

 この人はまだ悔いている。

「情状酌量ですが。どれぐらいの開きがあるんです」

「弁護士は最低でも三年、上手く認められれば七年は刑が軽くなるそうです。でもこればっかりは一方的にあたしの方からは求めませんが、双方が色んな人を証言台に参考人として立てます。それらの人の証言と真っ向から勝負する自信が有りません。正直に答えて判断して貰うつもりです」

「それが良いでしょう。それで、夫婦関係には、磨美さんが証言に立つんですか? 立てば難しいでしょう」

「そうなれば、愛なき心中事件が成立するんでしょう」

「それは下村さんがどれだけ後追い自殺を考えていたかによるでしょう」

「分からない、それは。もうあの時は俺も死ぬんだと言い聞かせて行動した。それが自分に取ってどれほどの痛みを身体に伴うのか周りが落ち着いて冷静になって初めて考えた。此の身勝手な考え中に、弁護士には当時の状況を分析して欲しいと言われても、無我夢中でみんな死ぬんだ。俺も死ぬんだ。死ぬんだ死ぬんだと、包丁を持って追いかけて子供には首を押さえ続けたんだ」

 此処で下村はテーブルに置いた両手を起こして頭を抱えた。 

「そこまで考えが及ばなかった」

「それは自殺の方法ですか?」

「そうです」

 彼は項垂れた頭を起こして藤波に答えた。

「下村さんが思うのも当然でしょう。気持ちにそこまで考える余裕があれば別な方法を探ったでしょう。でも、事件は切羽詰まってどうしょうもない動機で起こります。起こり始めに、理性が入る余地はない。入るとすれば犯行が終わった時ですから、もう手の着けようがないでしょう」

 そうでしょう、と更に同意を促したが下村はまた頭を抱えた。 

「子供は可愛いかったでしょう」

 間を取って訊ねると彼はまた真面に向いてくれた。

「それはもう、とくに下の二人、美澄と孝史は良く俺に懐いて仕事にも熱が入った」

「真苗ちゃんはどうなんです」

「あの子は性格が深詠子に似て可愛げがなかった。それに引き替え真澄は顔がよく似て可愛かった」

「真苗ちゃんは可愛くなかったんですか」

「というよりは子供らしくないんです。ああ、取り調べの人から聞いたんですが。真苗があんたのお世話になってるそうですね。まあ元々はあんたの子やさかい元の鞘に収まったちゅうことですか」

「それは最初から、結婚当初から知ってたんですか」

「上手いこと磨美に乗せられてしもた。でもそんなんはどっちでもいいんです」

「と謂いますと」

「それで深詠子と一緒になれるんです。それぐらいはどってことありませんよ」

 それほど下村に取って深詠子はかけがいのない人なのに、それでも彼の愛が、入る余地はなかった。好きであっても憧れに近い一方的な片想いだったんだ。おそらく深詠子が躾ける真苗も同じように、心の距離を取っていれば子供らしく見えなかったに違いない。

「それでも子供達はいつも三人一緒に遊んでいるんでしょう」

 安定した下村の様子から家族に踏み込んだ。

「まあ、真澄と孝史はいつも一緒だけど、真苗はお姉さんみたいちょっと二人とは距離を空けてた。それは、おそらく深詠子の影響だと感じ取れるほど、真苗はきちっとしてた」

「真苗ちゃんはともかく、その美澄ちゃんと孝史君の首を絞めるときは、何の迷いもなかったんですか」

 下村の心の動きが、微妙に寄った眉に伝わった。

「その時は早く楽にさせたい。でも二人が抵抗すると。ただ早く死んでくれと、俺も直ぐ後を追うからと思えばこそ力を抜けなかった」

 そこで下村はもうがっくりしてこうべを垂れた。疲れたのか気落ちしているのか。同じ質問を弁護士がすれば、こんなに憔悴仕切ることはなかったはずだ。そこに言い尽くせぬ感情の嵐が、この男の頭の中で今、烈しく渦巻いている。今日の面会はこれ以上は無理だと悟った。

 今日も下村との接見予定を伝えると、この前のように帰りに立ち寄って、様子を訊かせてと頼まれていた。おそらくあの家族に一番深入りしている磨美の証言で、刑期が大きく左右されては、と彼女は思い、慎重を期して藤波の話を聞きたいのだ。







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