第29話 再出発

 翌日からいつもと変わらない生活が戻った。いや大きく変わった。二階に下村の居間に設置した組み立ての簡易の祭壇を、ばらして運び設置した。幅が三十センチ長さが一メール程の真新しい二枚の白木の板を、上下二段に分けて取り付けた。上段が丁度座ると目の高さになった。下段には蝋燭立てがふたつ、線香立ての灰が入った香炉がひとつ。それと仏具セットでおりんがひとつ置かれている。

 真苗はおりんの響きが良いのかよく鳴らした。これには合掌して線香を上げる時だけだと言い聞かせた。もうひとつ大きく変わったのは、結婚もしないのに真苗と謂う子が出来た。今まで気が付かなかったが、真苗は落ち着くとお絵描きをよくする。何もしないでゴロゴロしているとこれは目立った。

 宿題はどうした。まだ日にちがあると呑気に構える。確かにまだ一か月はあるが、思い起こせば藤波もそうだった。思い切り遊んで期日が迫ると、もっと早くしたらと毎年後悔したにも拘わらず二日前に出来ると、此の感動が徒(あだ)となって、以後は新学期前日に徹夜する。この子はどうなのか、深詠子のしつけに期待したい。いや、期待できそうだ。あの頃の藤波はそれでも夏休みの宿題が、今年は間に合うのか、ほんとに遊び呆けて良いんだろかと、一抹の不安が付きまとった。真苗はまだ小学校低学年で、そんな苦労は微塵も感じさせない。

「夏休みの宿題は独りでやるのか」

 まだ無理だろう。深詠子が手伝ってると思ったが「お母ちゃんは見てるだけ」と言われて、同棲生活を始めた頃の彼女と変わらない。じゃあどうして別れたんだ。祭壇に祀られた深詠子に幾ら訊ねても手遅れだ。この子をじっくり観察して考えよう。先ずは一段落した処で、可奈子に指摘された店の椅子を見に行った。翌日には業者が注文した肘掛け付きの椅子を持ってきた。これには真苗ちゃんも、まさかこんなに早く取り替えるなんて、と驚いていた。

「あの丸椅子はガード下の靴磨きのように大人が座るもので、真苗ちゃんには落っこちそうで危ないと可奈子に言われたんだ、分かるか」

「ウン、でもガード下の靴磨きってなにぃ」

 しまった余計な事を言った。面倒くさいのを察したのか「だって足が着かないんだもん」と切り替えた。恐ろしく気の利く子だ。  

 あれから直ぐに可奈子とフロアー一杯にインテリア商品と一緒に並ぶ大型の家具店で決めた椅子だ。これなら真苗の足が着かなくても引っ繰り返る心配がない。問題は先代から前の椅子に親しんだ常連客はもっと驚くだろう。凝った料理の次は此の椅子か。こんな居酒屋に肘掛け椅子じゃ、店そのものを改装せんと合わんと言われそうだ。案の定、常連客には散々冷やかされた。

 椅子を替えたお陰で真苗ちゃんにも安心して昼間も店に居られる。

 可奈子の料理がないと常連客から「なんやもうあのメニューは終わりか」と言われて彼女には下ごしらえに雇った。

 朝は市場に仕入れに行き、その間は真苗が留守番をする。午後からは可奈子に来てもらい一緒に手伝ってもらう。

 料理の出し物が変わると常連客から「どないしたんや、まさか板前は雇えんやろ。誰か料理の上手い人に来てもらってるんか」と詮索された。適当に近所のおばさんやと誤魔化していた。その内に可奈子の実家が「出戻りにいつまで店の手伝いをやらせるんや」と談判に来た。可奈子の父は言うだけ言うてサッサと帰った。直ぐ後から可奈子が弁明に来た。

 真苗はさっそく新しい椅子が気に入って昼間は下の店でカウンターを机代わりにしている。可奈子の父と藤波の話には知らんぷりでいた真苗も、可奈子を見ると駆け寄った。 

「啓ちゃんとお話があるからゴメンね」

 と言うと、ウンと言って戻った。この辺は深詠子の躾けに感心するが、もっと子供らしさもあっていいと戸惑った。

「お父さん、来たでしょう」

「ああ、何だあれは『昼間だけ手伝わせてサッサと帰す、けしからん』なんてブツブツ言ったが、サッパリ意味が判らん」

 啓ちゃんが今まで独身でいたが、今回の葬儀で過去が判り父は気の毒がった。

「それじゃあ、早う結婚して店を盛り立てないあかんやろう」

「そんなん家で言わんと直接本人に言えば」とけしかけた。

 父は意気揚々と行ったが帰って来ると、またまた可奈子に食って掛かられた。父は面と向かえば子供時分から知ってる相手だけに、あとは察しろと帰ってきた。

「そう言われても、なんのこっちゃ分からんよ」

「そうでしょう」

 父は啓ちゃんのお父さんとも昔から、喧嘩ばかりしてるくせに、竹馬の友だと訳の分からん事を言ってる。竹馬の友? も五年前に亡くなって、あたしも実家へ戻って、それからや。やいのやいのと藤波との再婚を父は勧めた。

「それでお父さん、来たのか」

「再婚が無理なら真苗ちゃんもらってこい、なんて言い出すのよ」

 何を考えてるのか。要は早う孫が欲しいのよ。そこまで言われて、やっと藤波も察しがついた。

「俺は良いけど」

「どう良いのよ!」

 好きなら好きとハッキリしろと言いたげだ。

「可奈子の気持ち次第だと言ってるんだ」

 あっ、そう。と引き下がった。真苗ちゃんを上手くあやしていただけに、それだけかと気落ちした。

「判ったわ、あの子の面倒をみれば良いのね」

 半分以上はやけくそだ。

「まあ、そうだけれど。真苗ちゃんもそうだけれど、あのメニューに慣れた此処の常連客の胃袋をなんとかしたくて……」

「エッ! あたしをなんだと思ってるの!」 

 可奈子の顔色が急に変わり、藤波は慌てて弁解した。

「なんっちゃってね。一遍言ってみたかったの」

 と可奈子は子供時分と変わらない。ヤッホー、とカウンターの端に居る真苗の声がした。

 エッ、なに、あの子、と可奈子が驚いた。真苗は矢っ張り深詠子の性格そのままだと藤波は思った。





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