第28話 深詠子戻る
聞き終えた磨美と可奈子は、今一度遺骨に向かって手を合わせた。
藤波の深詠子に対する懺悔が終わった。深詠子の思いを此の子に伝え、育てるのが彼が彼女の苦労に応える道だ。
可奈子も真苗ちゃんに、お母さんの事が判って良かったと耳元で囁いた。当の真苗もやっとお父ちゃんとの整理がついた。これで何となくお母ちゃんが、何か有ればあの居酒屋へ行きなさいと言われた意味が朧気ながら判った。
「啓ちゃん、今日は平日やさかいあの老人クラブの店を開けんとあの人らの楽しみなくなる」
言われて時計を見ると今から帰って開店準備しないと間に合わない。今日は市場へ仕入れに行ってない。さて今日の出し物は
「そうか、藤波さんとこはお店開けんとだめなのね」
「帰りにスーパーで買い物して、それで今日はなんとかしょう」
「お店閉められへんの」
「それ、うちも言うて見たけど、何やいきなり表に休みの貼り紙したら多分言われる『親父の代からやってる店や、もっともあの頃は奥さん居たから正月休み以外は無休やった。お前も早う嫁さんもらえと言われそうで、ようそんな貼り紙できひんのや』と」
「此処でごちゃごちゃ言うてても
「エッ! 磨美さん店出るの。あそこはスナック
「勘違いせんように、料理の下ごしらえしたら帰るわよ。それより此処は暫く空き家になるんやったら深詠子、
「啓ちゃんの店の二階に置くしかないでしょう」
「二階に置く場所ないわよ」
「エッ! あの店の二階はゴミ屋敷」
「いやその反対で何にもないんや」
「そうね、此の前二階で子供を遊ばせたけど何にもなかった」
「アッ、そうや、磨美さん、此の前あの店の二階へ行ったんや」
「行ったん
「真苗ちゃん
「オイオイ、いつまで話てんのや。店の開店時間が迫ってくるやないか」
そうやそうや、と四人は葬儀屋が組み立てた簡易の祭壇をばらして遺骨と一緒に持って下村の家を出た。此の時になぜが磨美さんは実家から圧力鍋を持ち出し、お年寄りに受ける料理をこれで作る。
「それ使うの難しいのに、何すんのそれで?」
「これだと数十分でひと晩以上漬けたぐらいになるの」
「それはないやろう」
「味付けで誤魔化して美味しい南蛮漬け作ったげる」
しかし遺骨を持ってスーパーで買い物は出来ん。スーパー前に停めたタクシーに、真苗ちゃんを残してお母さんの番をしてもらう事にした。
三人は今日の居酒屋で出す食材を買って店に着いた。此の際、真苗ちゃんには枝豆をむしり取ってハサミで端を切って、塩水を入れたボールに入れる仕事をさせた。磨美さんには得意な料理を作ってもらった。鰊の南蛮漬けだが、急拵えで圧力鍋をかなり加圧した。それを磨美さんは市販の出汁と酢を上手く組み合わせて、二日かかって染み込むような味にしてくれた。
「これ何ちゅう料理?」
「いつも安い鰯を使ってるけど、まだ名前ないわ」
「カウンター後ろの壁に、お品書きを貼り出さんと、名無しでは話にならん」
「鰊の一夜漬けで良いんじゃないの」
「そのままんやなあ」
こんな感じで磨美さんは、結構煮付けものを作って、可奈子も簡単なものを作ってくれた。二人は開店前に引き上げ、真苗ちゃんは枝豆が終わるとそのまま寝込んで二階へ担ぎ込んだ。定刻通り暖簾を表に掲げて、これで開店に間に合った。
親父から引き継いだ此の店は、五年も経てば名前と顔は一致する。年金の額が足らずにまだ働いてる山崎のじいさん以外は、何をやってる人かサッパリ判らない。その古株の源さんと呼ばれるじいさんが来た。
カウンター席に座るなり、暑くてたまらんとビールを注文するなり、枝豆を肴に呑みだした。
「此の前から此の枝豆、いつも忙しい言うてそのまま出していたのに、最近、ほんまに最近や、塩を掛けんでも丁度ええ具合の塩加減になったけど、どないしたんや」
オッ! 南蛮漬けか。あれは骨まで囓れるように柔らかくなるまで酢に漬けとかなあかんのに。昨日一日頑張ったんかと言われた。そこへ八十に手が届く長老がやって来た。
「じいさん、今日はあんたの歯でも食べられるメニューを
「あんな手間の掛かるもんを、どないしたんや」
「どないもこないもない。昨日の日曜日、余っ程ひまやったんやろう」
最近では一番忙しい日曜やった。なんせ深詠子のお通夜と葬式を二、三時間前まで関わった。今まで市場で仕込んだが、初めてスーパーであり合わせの物を買い出しただけの話や。それが結構受けてる。矢張り藤波の遣り方に限界が来た。店を畳むか続けるか、ふと二階で寝てる真苗を背負い込んだ以上は、店は閉められない。その内に地下鉄に乗って来るやっさんが来た。
「オッ、来たか。今日はいつもと
どれどれ、と先ずは瓶ビールを手尺で呑みながら、壁に貼り出したお品書きに目を通した。
「なるほどなあ。お袋の味っちゅうやっちゃなあ。一皿もらおか」
藤波は可奈子が用意してくれた鍋から皿に移して出した。やっさんはさっそく咀嚼した。
「ほうー、ちょっとまだ煮たらんけど、ええ味出してる。何でもっとせえへんのや。此の場所なら先代から来てるわしら以外にも客来るでぃ」
何で今まで手抜きしてたんやと叩かれた。
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