第24話 深詠子を偲ぶ2

 彼のアパートを追い払われると謂うより、居たたまれなくなって逃げ出すように飛び出した。二階から階下の階段を下りたところで深詠子は立ち止まり、二階の彼の部屋を見上げている。そこで藤波は彼女の両肩を支えて、行こうと促したが彼女は動かない。

「ここにいつまで居てもしゃあないけど、泣くだけ泣いて気が済むのならそうすればいい」

「あの人が出て来たらあなたどうするの、また怒鳴られるわよ」

「まあ、僕はど突かれても君は大丈夫。居たいのなら構わない」

「そうね、あの人は絶対手を出さない人だからその心配は要らないけど、あたしの為にあなたの居場所がなくなるわよ」

 こうなると涙は溜めているが、何処まで本気で泣いているのか判らなくなってきた。

「別に僕はどうなってもいいよ。それで君らが元の鞘に収まるのなら」

「ほんと? ほんとにそう思ってくれているの」

 頷くと彼女は意地悪そうに笑った。こうなると余計に泣いているのか笑っているのか妖しくなってきた。

「あたしの為に自分を犠牲にして、それじゃあまるでピエロね」

「僕は君の道化師でいい。いや、二人のためにも、それに徹するよ」

「ばっかじゃないの」

 彼女は寂しそうに呟いた。

「お馬鹿さんよ。そんなの嫌」

 今度はまた涙を溢して真剣に云ってくる。目まぐるしく彼女の表情が変わって、何かを訴えていると感じた。

「真面目に聞くけど、本当にあの人が好きなのかい?」

 今度は急に無表情で数秒、藤波を凝視した。

「あなた、本当は道化師に徹するつもりはないんでしょう」

「それで。それで君があの人とやり直せるのなら、それでいい」

 彼女の瞳が曇って瞼が濡れだした。エッ! 何でまた泣くの。いつも気の強い彼女があんなにメロメロになるなんて信じられなかった。

「本当にどうしょうもない人ね」

 深まる秋の夜空を仰ぎ見ながら、二人はまるで原野にいきなり放り出されたように、重い足取りで当てもなく歩き出した。

 深詠子さんは上司の部屋で泣き崩れて、腫れぼったいな顔になってしまい、二人はわざと暗い道を選んで歩いた。

「どうして、嫌われたんです」

「嫌われてないわよ」

「そうだ、あの人にもう来るなと言われたが良く考えると、あれは僕に云ってあなたは関係ないんだ」

「そんな気休めでも言ってくれれば少しは気が休まるけど、何の解決にもならない。第一に藤波君は本当に辞めてしまって行くあてがあるの」

「僕は君と違っていざとなれば親父の家に転がり込めるけど、君の実家は遠いから大変だなあ」

 深詠子は何度も首を振って「そんなことより、私のためにせっかく就職した会社を辞めさせてしまって」と気の毒がった。

「僕は君さえ元気になれば、上司だって。さっきはああ云ったけど気が変わるから気にしなくて良いよ」

「あたし達ばかり気を遣って、まるであなたはピエロみたいね」

 ピエロの印象も変わって来た。さっきは戯けさせる人で今度は気遣う人か。

「僕はそれで結構。それで二人が丸くなるのなら」

「あたしは良くないのよッ。同じ事を何度も言わせないで」

 また目に涙が溜まりだした。感情の烈しい人だ。

「だってあの部屋の出しなに、また来てもいいかって訊ねていただろう」

「あれはあたしの捨て台詞よ」

「エッ! あんなに泣きながら」

「そう、あればあたしの特技でもあるの」

 今度は陰りだした瞳が一気に輝きだした。

「だけど説得力あったけど」

 気を取り直した彼女に吊られて藤波も半分は冗談っぽく云った。

「でも、もう通用しなくなって」

 と彼女もスッカリ元気になった。

「誰が?」

 こうなると藤波には頭が混乱する。

「もう〜。あの人はあたしを気違い扱いしたのよ」

「本気じゃないよ。いっときの憂さ晴らしさ」

「憂さ晴らしじゃないわよ。あの人、本気よ。でもどうしてあなたまで辞めるの」

「仕方がないよ。僕は入って間もないしまだ見習いでやり直しが利くがあの人はベテランだから、身を引くのは僕の方だろう。入って間がないから人事の人もああそうですかのひと言で済むけれど、君はどうしたって騒がれて、僕より君の方が辛いんじゃないの」

「さあ、どうでしょう」

 あたしに言い寄る男は今まで好みに合わなくて全部振ってきた。でもあの人だけはあたしから言い寄った人だ。それだけにあの人もうぬぼれが強い。それに負けずにあたしも逆らいながら付いて行くと、あの人は何にも云わずに見守ってくれるだけの人になった。ただ見守っているだけの人だったと気付いて、何がしたいのか問い続けても曖昧にしか云わない。あの人は何もない人だと気付いた時にあなたが現れた。あなたは他の人とひと味違って何を考えているのか、あれこれと近付いて見たけれどあなたは掴み所がなかった。それで三人でよく遊びに行けば次第にあの人は気分を悪くした。これで真面に前を向いて歩いてくれると期待した。今日は思い切りあの人にぶっつけても昔のままだった。

「あなたは違う」

「でも、それだけであの人から離れて、大丈夫ですか?」

「大丈夫。今日からあなたがいるもん」

 じゃあさっきは一体何だったんだ。茶花劇だったのかと思わすように深詠子は明るく笑って歩き出すと、二人の足取りは重いどころか軽くなった。二人はこの先、思案に暮れながら藤波のアパートへ戻った。翌朝、二人は会社を辞めて深詠子は自分のアパートまで引き払って藤波の所ヘやって来た。取り敢えず藤波は近くの麺類の卸販売の店へ配送のバイトで行き、深詠子はコンビニに勤めた。こうして二人の同棲生活が始まった。

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