第22話 兄、深詠子を語る

 真苗ちゃんがお菓子を食べ始めた頃に、丁度、当家担当の桐山さんが、もう直ぐ通夜が始まりますからご準備頂けますかと報せに来られた。

 真苗ちゃん、残念ね、あとで食べようねと可奈子が連れ出すと、表で待機していた桐山がみんなを控え室から会場へ誘導した。

 深詠子の眠る会場では、お通夜の最終チェックで、ホールの職員が慌ただしく動き始めていた。当家から弔問客は殆どないと伺っていても、焼香の案内係と粗供養を渡す係の職員を配置した。

 祭壇中央に僧侶が座ると、司会の桐山が「ただ今より故・下村深詠子の通夜の儀を行います」と告げられると、鐘が鳴り僧侶の通夜経の読経が始まった。祭壇前に安置された深詠子の棺の前で、僧侶が読経する。その後ろ両横には下村の親族と真苗が、向かい側に深詠子の兄が親族で座り、その後ろに祭壇に向かって合掌するように焼香台が置かれている。その後ろには整然とパイプ椅子がずらりと並んでいるが、そこに座っているのは藤波と可奈子と磨美の三人と磨美の主人とごく親しい人が数人参列した。親族を除けば全部で十人にも満たない。弔問客と親族の焼香は直ぐに終わり、長い読経も終わと僧侶が立ち去る。それを合図のようにして、ホールの職員がパイプ椅子をかたつけてテーブルを用意してクロスを掛け、注文した通夜膳がビールと一緒に並べられた。喪主の下村が挨拶して故人を偲ぶ会食が始まった。

 下村の両親は三十分ほど飲み食いして、直ぐに控え室へ下がると、磨美のご主人を交えて生前の深詠子を称えた。矢張り一番目を惹くのは遺された真苗ちゃんだろう。真苗ちゃんはやっと真面な食事にありついたのか、ジュースと寿司を頬張っている。お茶だろうと、此の組み合わせには笑ってしまった。それだけに直してやるのも気の毒になった。磨美に依れば普段はお茶をよく飲むそうだが、此の席にはお酒がジュースしかなかったので、ウーロン茶を追加したが真苗ちゃんはそれ処ではない様だった。磨美夫婦と可奈子は途中から帰った。兄の君嶋は此処には布団もあるので宿泊する。藤波は日曜で店は定休日でも、彼も真苗ちゃんを一人置いておけないので宿泊する。そうと決まれば残った二人は此処で呑むことにした。やはり話題は深詠子だ。

「八年前ですか、深詠子がお兄さんを訪ねたのは」

「そうだが、てっきり君も一緒だと思ったが、何処を探しても居なくて、どうしたんだと思わず言ってしまった」

 どんなことがあろうと、独りで来ることはないと決めつけていたのでこれには驚いた。

 そこで妹の妊娠を知り、同時に下村と謂う男と結婚すると聞かされた時はもう頭がこんがらがった。

 知り合って直ぐに下村との婚前交渉は有り得ないから、別れた君との子だと判っていたが、今更、倫理的にはどうって事はない。情動(心のままにならぬこと)に揺れ動かされれば道徳や倫理は二の次になる。理性は無意識な感情の動きは抑制できない。真実の姿を求めれば美しいだけで何のやましさもない。不倫や道徳は当事者以外の価値判断で、心から発する欲情、それは抑えきれない。その論理を越えた善悪や邪道を考えない行動にあり、悪いと解っていても止められない。そこで倫理が片隅に追いやられる。それが深詠子の行動力学になっている。

「だから君は妹を見送ってやってくれ」

 君嶋は妹が永遠に旅立ったが、君への姿勢は貫いたと藤波に説いた。

 判りましたと言って真苗を見れば、テーブルに伏せったまま寝てしまった。

 翌朝は磨美のご主人は自宅からは出勤して此処にはいない。残った同じ人たちによって九時から葬儀が始まり、僧侶の読経と僅かな人々の焼香のあとに、深詠子の棺は親族と友人の手で出棺した。一連の行事の中心には、昨夜、下村の父から云われて幼い真苗が、母親の遺影を持って深詠子の棺を先導してホールから霊柩車に載せられた。ホールに居る他の葬儀の親族や弔問客たちは、此の幼い喪主に「まあ、あんな小さい子を遺して」と涙する者や、静かに両手を合わす者までいたのには、深詠子の棺を担ぐ者たちにも、胸に染みるものが有ったようだ。

 火葬が終わり、またホールに戻り、そこで遺骨に向かって僧侶の読経で、深詠子の野辺送りの全てが終わった。下村の父は黙って桐山さんに全ての費用を払うと振込先を聞いていた。此の時点では深詠子の遺骨は兄が引き取り、亡くなった子供二人は下村の両親が一旦引き取り、ゆくゆくは刑期の終わった息子に任す事になった。下村の両親とはそこで別れ、あとは残った君嶋とホールのロビーで今後の相談をした。

「向こうの両親には妹を連れて帰る約束をしたが、やはり妹は真苗ちゃんの傍が良いだろう、それは藤波君に任す」

「でも、啓ちゃんの狭いあの店の二階には仏壇もないし……」

「取り敢えず君嶋さん、深詠子は一旦は自宅に帰したげてからにしましよう。明日はもうお仕事でしょう」

 そうだなあ、どうやら君嶋は昨夜も念を押したように藤波啓一朗に最後は任すことにしてホールで別れた。

 話が終わり深詠子の遺骨は、藤波と可奈子と真苗と磨美に見守られて自宅に帰った。

 桐山からあと半月余りで深詠子さんの初盆ですからと、仏壇がないから葬儀社の人によって簡単な祭壇が組まれそこにまつられて、やっと藤波と水入らずになった。

「どうするの。あたしは近所だから直ぐに来られるけれど、深詠子さんを誰もいないこの家にいつまでも置いとけないでしょう」

「そうね、真苗ちゃんは啓ちゃんが引き取るとしても、下村の親族のままでは深詠子さんどするんでしょう」

 三人の輪に入りきれない真苗はじっと成り行きを見ていた。


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