第21話 深詠子の通夜2

 もう八歳にも成れば慣れた実家では好奇心と自立心が芽生えて、ほっといても勝手に遊び回る。初めての家では矢張り借りてきた猫みたいにじっとしているか悪戯いたずらするかの両極端だ。真苗ちゃんの場合は中々しっかりして店の手伝いまで買って出た。平安神宮に近い此の店は見知らぬ観光客ばかりがとっかえひっかえやって来る。物怖じしない真苗ちゃんがおしぼりや注文を聞きに来ると、店のマスコットキャラクターのようにお客さんには結構人気があった。これには迎えに来た二人は、お父さんに血だらけにされたお母さんを見ている子だけに、これには吃驚びっくりしている。娘の可奈子に至っては「お父さんもお母さんもなんなの。こんな小学生を店に出して、うちはそんなに困ってないでしょう。そりゃあ今日は日曜で観光客も多いのに店を抜け出したあたしも悪いけど、急な話でしょうがないでしょう」と直ぐに真苗ちゃんを店から連れ出した。

 タクシーなら近すぎてワンメーターの距離だが、此の暑さに八歳になったばかりの子供が熱中症になれば、深詠子に会わす顔がないとタクシーに真苗を乗せた。

「どこいくの、もうおうちに帰れるの?」

 今までお利口にしていればお母ちゃんに会えると真苗は頑張っが、一向に母親の状態が判らないまま、黙っていた真苗もついに、お母ちゃんはと訊ねられた。これにはずっと付き添った可奈子も胸が痛んだ。その痛みに耐えきれずに。

「これからお母ちゃんに会いに行くさかい」

 と声を掛けた。真苗ちゃんの顔が、やっと作り笑いでない表情を見せた。

「エッ! お母ちゃん大丈夫なん。お母ちゃん病院で元気なん?」

 これには、もっと他に言い方はないのかと藤波が、ウ〜んと唸って「そうじゃない」と藤波が難しい顔をすると、真苗ちゃんは観念したように表情が硬くなった。どうも藤波の顔は喜怒哀楽が小さい子には真面に出るようだ。でも真苗は、それ以上しょげない。これには藤波も、深詠子は、何があっても此の子に八つ当たりしないで、キチッと此の子を育てている。今更ながら君嶋や磨美の言葉が事実だと受け取れた。それだけに同棲の頃にあれだけやかましく言われたが、もう少しあの時は真面に訊いてやればずっと傍に居てくれた、と確信しただけに己の歯がゆさをのろった。

「さあー行こう。お母さん亡くなっても、今なら寝ているようなお母さんが見られるぞうー」

 もう少し感情の籠った顔で言えないのかしら、此の大根役者と可奈子は藤波に眉を寄せた。

「ふ〜ん? お母ちゃん死んでないの?」

「そやさかい中途半端な受け答えはこの子の為にならんのに」

 と可奈子は嘆いている。

「いや死んでる。……けど葬儀社の人が生きてるように綺麗にしてくれはったんや」

 さっきの言い方が良くなかったと藤波は訂正すると、真苗がまた暗い表情をした。

「そんなん出来るの?」

 真苗がそんなに落ち込まずに藤波はホッとした。

「ああ、今の化粧は凄いんやで、このお姉ちゃんの顔みたらわかるやろ」

 真苗が合わせて頷くと可奈子が「そんなとこで気つかわんでええの」と真苗ちゃんをしっかり抱きしめて頭を撫でてやってる。

 タクシーは直ぐに鴨川ホールに着いた。ホール入り口の案内掲示板を見て、二階やねぇと言った真苗ちゃんの顔を二人は足を止めて覗き込んだ。

「真苗ちゃん、あの看板判るの?」

「ウン、お母さんに教わった」

「学校じゃあないの、お母さんなの」

 可奈子が屈み込んで訊いてる。

「ウ〜ん小学校二年か、三年か、で、あの字は習わんやろう」

 と言いながら二階に向かった。

「向こうのじいちゃんばあちゃんには会った事あるんやろう」

 エスカレーターに乗りながら可奈子が聞いた。

「うん、そやけどこっちからはじいちゃんのおうちには行ったことない」

「じゃあ向こうから来るのか」

 どうやらその辺は深詠子が避けてるのか、向こうがわざとそうしているのか余り会ってないようだ。

 二階の会場に着くと、綺麗に飾られた祭壇に真苗は見とれた。可奈子は真苗の手を取って三つ並んだ一番大きな棺の前まで連れて行った。

「お母ちゃん、ここで眠っているから」

 と顔の部分だけ開けて見せたが、斜めで真上から覗けない。

「お顔がちょっとしか見えない」

 ああそうか。届かないのか、とパイプ椅子をひとつ置いてその上に真苗ちゃんを乗せた。 

 此の子は泣かないどころかまじまじと見ていた。

「お父ちゃんは?」

 とこっちを向いた。

「此処にはいやへんの。あんなことしたんやさかい」

「警察にいるの?」

 そうやと可奈子が言うと、真苗ちゃんはもう暫く深詠子と対面して椅子から降りた。向こうの小さい箱には妹と弟が居るけどと言えば首を横に振った。

「そうか……、さあ向こうのおじいちゃんとおばあちゃんが来てるさかい、挨拶にいこか」

 うん、と頷くと可奈子が控え室へ連れて行った。

 藤波にすれば、まるで可奈子があの子の母親に見える。多分それで物怖じせずに振る舞っているのか。どっちにしても深詠子が、この子は真実の愛を伝えるために生んだが子だとしみじみと悟った。

 真苗が中に入ると真っ先に磨美が手を取って、向こうの両親の前に座らせた。普通は久し振りに孫の顔を見れば破顔一笑で迎えるが、なんせ被害者の娘だ。無表情で眺めていると真苗の方から「おじいちゃん、おばあちゃん」と声を掛けられてやっと向こうも「大変やったなあ、よう我慢してるんやなあ。ええ子や、ええ子や」と言いながら近くで買ったお菓子を出した。これには真苗ちゃんも好きなお菓子なのか、そっちに関心が移った。あとで聞くと真苗ちゃんの好みを知ってる磨美が用意してくれた。

 

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