第20話 深詠子の通夜

 鴨川ホールから藤波の店はそう遠くないし、真苗ちゃんが居る可奈子の喫茶店も遠くない。下村の両親には施設から許可をもらって来たことにした。そんな手段がいつまで通じるか、まあ明日の十時の葬式までだ。とにかく君嶋井津治と磨美から聞かされた深詠子の真苗に掛ける思いの深さを知った以上は藤波の手元に置くしかない。

 藤波は可奈子と一緒に真苗ちゃんを迎えに行くことにした。磨美の感触からも下村の両親は、深詠子を余り良くは思ってない。彼女が八年間で下村の実家に帰ったのは最初の一回切りだ。以後は一度も帰らず冷たい嫁だと思われている。真苗ちゃんも一緒に実家に行く気もないはずだ。深詠子が毛嫌いして、下村も結婚してからは実家にはほとんど帰っていない。実家の両親も深詠子には期待していない。これは磨美が、深詠子から直接聞いた話だ。藤波が直接、真苗ちゃんを両親に会わせても、此処に残ると言い出すのは目に見えている。それで通夜に同席させる。可奈子もこれまでの話からお母さんとの最期のお別れには同席させたい。これら一連の行事に真苗ちゃんを参加させて、両親に母親への思いを見せ付ければ、無理に連れて帰るのも躊躇ちゅうちょするだろう。

「でも地方都市で還暦を迎えるあのタイプの夫婦には、ただ世間体を気にしているだけで、本気で真苗ちゃんを可愛がるとは思えない。ただ周りから陰口を叩かれるのが嫌なだけなのよ」

 と可奈子に言われた。

「とにかく俺と可奈子は一旦、真苗ちゃんを迎えに行き、お通夜には母親の最後の姿を見せてやりたい。それで磨美さんと君嶋井津治さんはあの両親を説得して欲しい」

 と頼むと二人はホールを出て、真苗ちゃんを預けた可奈子の喫茶店に向かった。

 残された磨美は、此処は深詠子のお兄さんが一番効き目があると頼み込んだ。なんと言っても加害者はあの両親の息子で、君嶋は被害者の兄なんだ。此の立場を利用して情に訴えて被害者側が真苗ちゃんを引き取れば、向こうの両親も養護施設に残すのは避けられて、それで両親の面目も立つだろう。問題は真苗に藤波が関係しているのは避けたい。深詠子の想いを残すには、その一点だけを伏せて話を進める。これで二人の意見が一致して控え室へ入った。

 下村の両親は君嶋にはかなり気を遣って頭が上がらない。無理もない、無理心中とはいえ息子は何処も怪我をしていない。せめて病院で治療を受けていれば、少しは申し開きが出来るのに、逃げ回った挙げ句の自首だ。出来てしまったことは仕方ないが、余りにもていたらく過ぎて頭が上がらないのだ。

「今夜のお通夜には誰か来られるのですか」

 君嶋が両親に訊ねた。

「いや、近所や親戚には何も言わずに黙って出て来たから、周りは嫁の葬式も知らないから誰も来ない」

「そうね、他にニュースがないときにあれだけテレビで放送されれば、事件に関心が有っても亡くなった深詠子さんがどうなっているかより、捕まった息子さんの方にみんな関心を持ってるもんね」

 元々息子の結婚には反対とは行かなくても気が乗らなかった。息子が結婚相手を実家に初めて連れて来た時に、嫁になる女は言葉や態度では控えめにしていたが、余り初々しさが見えなかった。何が物足らんのかとずっと思案し続けて、初めて連れて来た嫁を見て、何とも言えん虚無感が漂ったのを憶えていた。顔で決めるな、と息子が一人の時に意見したが、親が決める見合いをことごとく断った訳がこれで解った。

 此の嫁では息子を何処まで支えてくれるか、一抹の不安があって、盆暮れにはこちらから何もしてこなかった。まさかこんな形で先方と向かい合うとは如何いかにも息子のしたこととは云え、針のむしろに座っている。それでもお兄さんはひと言も息子の不祥事には触れないだけに尚更に辛い。

「それで今夜のお通夜には、妹が遺してくれた真苗ちゃんを藤波さんが迎えに行ってるんですが……」

「あっ、そうですか、でもさっきの話だと施設に預けられてるそうですね」

「もしよろしければ、私の方で引き取りたいんですがどうでしょ」

 これには両親よりも磨美が、何を急に言い出すのかと驚いた。

「でも、それは君嶋さんのご実家で十分話された上で云ってるんですか?」

「いえ、私の独断で、連れて帰っても内のもんは何も言いませんから、ご心配無く」

 これには向こうの奥さんが、そうされたらと話に乗って来た。

「うちに連れて帰っても、ご近所や親戚にどう紹介していいか。お父さんはそこまで考えずに連れて帰るらしいので、あたしは君嶋さんさえ良ければお任せします」

 これには父親は黙って聞いているだけで、反対も賛成も云わない。

「それじゃあ、お通夜から葬式まで真苗ちゃんを立ち会わせますが、それでよろしいですね」

「お父さんどうなの、前々から真苗ちゃんは息子の子か、妖しいって云っていたのに……」

 これには磨美も君嶋も顔を顰めると、父親も黙ってられずに二人の手前、奥さんを叱りつけた。

「お前は何を急に言い出すんだッ。君嶋さんの前で……」

「下村さん、妹が生前に離婚の話をしていたのはご存知ですか?」

「ウん、まあ、事業が失敗して多額の負債を残して、それで妻と喧嘩して、そう云う話が出ていると電話で知りました。今は息子は警察に居て子供の扶養処ではありませんので。取り敢えず君嶋さんにお願いして、近々息子に面会して相談しますが、何度も申して、申し訳ないですが、その話は息子が落ち着くまでお願いします」

「じゃあ葬式が終われば遺骨と一緒に、真苗ちゃんを連れて帰ります」

 どうやら向こうはそれどころではなかったのだ。

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