第14話 深詠子無言の帰宅
その日は朝から夏の陽射しが燦々と降り注ぐ日曜日だった。真苗ちゃんが藤波の店の二階に移って二日経った。真苗ちゃんにすれば毎日が夏休みだが、藤波には一週間店を開け通して、親父の馴染み客を適当にあしらって、やっと迎えられた日曜日だ。先週までなら此の日曜はゆっくりと休めたが、今週は遠い昔に別れた女の付けが廻って来て、とんでもないものを押しつけられた。本を正せば藤波の不始末と謂えなくはないが、とんでもない対岸の火事が飛び火したようなものを背負わされた。
これから毎朝は真苗ちゃんに朝食を済ませる仕事が出来てしまった。さて此の子をどうしたもんかと、やっとゆっくり思案できる時間がやって来た。がそのつかの間の休みを切り裂くように電話が鳴った。電話はおとつい会ったばかりの磨美からと分かると、昨夜、自首した下村に関するものかと思った。
それにしても磨美は、おととい会ったばかりなのに、もう随分と長い付き合いのように、ずかずかと土足で踏み込むような慌ただしさを電話口から漂わせた。
「今朝、下村家から電話があり、それが大変で大騒ぎになっているのよ」
「まあ落ち着けッ」
とこっちも深詠子から磨美は聞いていたが、おとつい初めて会った女なのに、向こうの話っぷりに吊られてしまった。
「それでどうしたんだ」
「どうもこうもないわよ。結婚してから深詠子と一番親しかったあたしではどうにもならないのよ」
「何のことだ」
下村から検視の終わった深詠子を引き取りに行ってくれと言われた。何であたしなのと聞き返すと「亡くなった下村深詠子は近くに親戚がいなくて、それで一番親しい貴方に実家の者が着くまで代わりにやって欲しい」と下村の親に頼まれた。
警察でも、旦那は自首したばかりで、本格的な調書をまだ取れる段階じゃあない。それで検視の終わったご遺体を此処には長く安置できないと云われた。
「それは俺よりも、先ず下村の両親がするものだろう」
「もうッ、だから今、連絡して下村の親族がこっちへ向かっているんじゃないのッ」
警察の話だと、ご遺体は損傷が激しく直接お渡しできない。じゃあどうするのか訊くと、先ずは葬儀社に連絡して、そちらの方からご遺体を丁寧に処理をされてからご親族に引き渡している。その説明を受けた下村家から了解の下に、警察から葬儀社に連絡して引き取りに来て貰う事になり、その内合わせに行くことになった。
何故そんな事をするのか問い詰めた。
「損傷の激しいご遺体は先ず親族から連絡を受けた葬儀社の方々が深詠子を白装束に着替えさせて棺に納めてくれるらしいのよ」
「じゃあもう葬儀社が深詠子を引き取りに行ってるのか」
「下村さんの話ではそうなの、でも葬儀社は深詠子を何処に連れて行けばいいか判らないから、その自宅の案内と取り敢えず親族が着くまでにするべき通例があればしてもらうように頼まれたのよ」
「なんだ、君が今度の窓口を一手に引き受けてるのか」
「まあ、親族が来るまでね」
「それと、八年前に別れた俺がどう関係してるんだ。第一に深詠子は君の方が親しくて俺より身近な存在だろう」
「でも血縁者じゃないのよ」
「俺もそうだ」
「真苗ちゃんが居るでしょう」
それはないだろう。二日前に言われてハイそうですかとは行かない。
「下村と付き合っていたときには、真苗ちゃんは深詠子のお腹に居たんですから、これは動かしようのない事実です。紛れもなくあなたの子です」
「言っとくが、真苗の母親でも此処では葬式は出来ないぞ」
「もうー、何を聞いてるの。それは向こうが決めるけど、ご近所さんの事もあるから。まあニュースであれだけ騒がれると、出来るだけひっそりとしたいから。葬祭を扱うホールの方が近所にも判らずに、ごく少ない身内だけで厳かに送ってあげられるでしょう」
「だけど下村の親戚は何で今から出掛けるんだ。事件が報道されれば直ぐに駆けつけるのに、やっとこっちへ向かった。とはどう言うことだ」
「それはそうでしょう。深詠子はともかく下村は殺人犯なのよ。だからその家族が肩身の狭い想いをしているのに、その奥さんを引き取りに来る様に仕向けるのも大変だったのよ」
警察も連絡先は下村の実家しか判らず、また深詠子側の親族も詳しい事は掴めず、しかも下村の実家は被害者と加害者の双方に関わっているだけに、何処に電話して良いか迷った揚げ句に、亡くなった深詠子の義親父に電話した。
「そんな状態だから親族が来るまで、あたし達が今はするしかないのよ」
「肝心の深詠子の親族はどうしてるんだ。九州から来てるのか?」
「深詠子の実家の君嶋家も、彼女が嫁いだ婚家には随分とご無沙汰していて、とにかく両親は高齢で深詠子のお兄さんが遠方から来るけど、この人も四十代でそれ相応の仕事もあるし、それに嫁ぎ先を差し置いて出しゃばれないし、第一に深詠子はその婚家の亭主に殺されたのよ。だから大変なのは判るでしょう。こんな状況だからこそ、深詠子もあなたを頼った。だから今、頼れるのは真苗ちゃんを預けた藤波さん、あなたしかいないのよ」
深詠子は離縁していない以上は、下村家の人なんだと磨美は強調した。こうなると深詠子が、
「取り敢えず直ぐ来てくれる」
「分かった、が、真苗はどうする」
「もちろん連れて来て」
「それはどうだろう」
「真苗ちゃんはお母さんの事が心配でしょう」
「それ以上に別な心配があるが……」
藤波は真苗ちゃんを眺めて思案していると、磨美から何度もお願いと念を押されて電話が切れた。
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