第13話 藤波の店2
あの日、親父から浴びた罵声も、別れ際に深詠子が浴びせた罵声も、真面に受け取った。それでも親父はこの店を藤波に遺した。同じように深詠子も真苗を遺した。ふと見たテレビのニュース番組は自首した下村を写していた。厳密に言えば真苗を残したのはあの男だ。テレビ画面で見せた貌は、俺のものでないものはお前に返す、と言いたげな面だ。
「藤波のおやっさんはなあ、あんたのことをよう此処では愚痴ってた」
源さんは藤波をテレビからこちらへ戻した。
「なんて云って?」
「親の心、子知らずってなあ、嘘やと思うのならここに居る連中に訊いて見てもいい」
「もう死んだ藤波のおやっさんの事は止めとけ」
「そうや、此処はそんな事を忘れるために来てんにゃ」
「おい、それよりテレビ替え、もうあの事件は終わったさかい」
終わってない。これから始まるんや。その下村の葛藤が。と思いながらリモコンでテレビのニュースを野球放送に切り替えた。
「オッ、珍しい勝ってる。これにしとけ」
「あの電鉄球団は、昔はいつも負けてイライラさせるさかい熱が籠もったもんや」
三人の話題がそっちにいくと、隅っこに居る源さんが藤波を呼んだ。
「さっきの話やが、けどあんたの二十代ではおやっさんの心情を汲むのは無理や。それでもおやっさんは云い足りんかったそうや」
「地に足が付かんやっちゃって云うことやろうか」
「そうやない、しっかりした地面を探してたんや、それが見つからへんさかい、此処へ戻ってきたんやと、そう言ってた」
「今日は珍しいなあ源さん、もう五年も経ってるのに今更おやっさんの話をしてもしゃあないやろう」
「いや今日は珍しく店、開けっのんが遅かったさかい、おやっさんに代わって説教せなあかんやろう」
「そらたまにはあるやろう。別にパチンコ屋やないさかい開店時間はきちっと決まってないがなァ。それより今日の贔屓のチームはええ勝負してるで」
そうか、と九回裏一点差で勝っとると、源さんもテレビを見入ったが、そこで野球放送は時間切れになった。
どうやら最終回で負けてるチームが満塁の押せ押せムードで放送が終わった。チャンネルを回して一通り見たが、コマーシャルばかりでまたニュースに代わった。ニュースはさっき他の放送局がやってた一家心中事件をやっていた。
「この時間のニュース番組は何処もこれやなあ」
「しゃあないわなあ、ここ最近ショッキングなニュースがなかったさかい」
「そやなあ、川や海で溺れ死んだニュース番組ばかりをやってたなあ」
「また今朝、放送した現場の家が写ってる」
「あのニュースで彼は実業家としては真面かも知れんが、内面を追究する生き方が幼稚すぎたんや、今まで築いた繁栄しか見えへんさかい、一家心中しか選べんかったんやろう」
「そやかて挫折を繰り返して本懐を遂げる奴もいるやろう」
「そやけどなあ、己の築いた世界にしか没頭できんやつが失敗したら惨めやでぇ」
エッ! と藤波は驚いた。このじいさんたちは一体なんなのだ。あのニュースからこれだけの話題が飛び出してくるか。
「あんたは、わしらの酒の談義を真面に聞いてくれるけど、全てはあのニュースの男の事やとは限らんで。今、話たんは、わしらが長い過去から見た世間話や、これからも通用するとは限らん。なんせ世間が変わり続ける以上はな。そやけど人間の本質は変わらん」
真面な源さんまで
「今日はいつもより棺桶に片足を突っ込む前の談義になってしもた。はたから見るとアホなァ事にみえるが、言っておくが愛に溺れた心中に
「落ち込んだら
下村は今まで普通に生きてきたというよりは、順調な人生を歩んだ。藤波が何度も挫折したようなものは、おそらく一度もなかったのだろう。挫折がなければそれを克服する
この切実なる問題は下村の内包にある。それは己に自由を求め、妻子にも自由に振る舞っても、その心の内にある趣や情緒まで束縛すれば、まさしく
深詠子はその淵から這い上がろうとして引きずり込まれた。あれほど勝ち気な女がズルズルと引き込まれたのは、やはり安定した生活から来たのだ。ぬるま湯のうちに抜け出せずに茹で蛙になってしまったんだ。それだけダイヤモンドの輝きは理性を狂わすのか。不思議とここに居る連中は、死にぞこなって逃走した男の酷評ばかりで、相手の女にはひと言も触れない。
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