第10話 磨美の話2

「深詠子さんはこの人を愛欲の果てに突き落としたのね」

「でもそこには憎しみより深い愛情を持っていたはずよ」

「判るもんですか深詠子さんにすれば愛はお金より軽いんでしょう」

「あんたは会った事もないのによく言うわね」

 磨美にすれば色々と話の横合いを入れられて面白くないようだ。だがそこは怒鳴り散らすほど気短きみじかな神経の持ち主でもなく、今も穏やかに可奈子に釘を刺している。

「会わなくても啓ちゃんから伺った。金色夜叉のようにダイヤモンドに目が眩み、この人の人生に陰を落として心を曇らせた」

「じゃあ深詠子はどうして堕ろさなかったの。愛の結晶なんですもの、だから大事に育てたのよ」

「別に結晶はダイヤモンドとは限らないと言うわけか。じゃあ俺を谷底へ突き落とす恵まれた生活に走らせた下村優司って言う男はどんな奴なんだ」

「今まで挫折したことがなかった」

 とにかくバイタリタィー溢れる闘志で、ドンドン深詠子を引っ張るから、生活に不安がなかった。矢張り子育てには必要不可欠な要素を下村は揃えてくれたお陰で、真苗ちゃんも下村との間の子も、スクスク順調に育ち順風満帆な人生だった」

「それだけ」

 藤波はそんな磨美の説明に、今度の家族を巻き込んだ無理心中と、何処でどう繋がるのか訊いた。

「それはあたしにも解らない。だってあのニュースを見て今も本当に下村さんがやったのかと理解に苦しんでいる」

「そう言う兆候は今まで一度も感じなかったのか」

「まあ子供を含めて家族同士の付き合いには違いないけど」

 下村はいつも気さくに何でも聞いてくれて子供達とも親馬鹿みたいに接していたから、どうしてあんな可愛い子供も一緒に道連れしょうとしたのか分からない。

「いや、それだけ子供の心情を酌み取りすぎると一心同体になっちゃうってことはないのか。思い詰めた時に遺された子供を考えると当然じいちゃんやばあちゃんが居れば子供を託すだろうが、下村の頭からそんな考えは抜け落ちていたのか」

「それが深詠子も言ってたけど、そんな思想は皆無だった。それに子供を遺すのが不憫でならない親も居るでしょう。真苗ちゃんも下の子達も可愛かったのに、ニュースでは深詠子が刃物で殺されたけれど子供達は首を絞められたそうよ」

「そうだなあ、あんな可愛い子供たちならそうするのか」

「親が死ぬのは勝手だが、子供に手を掛けるのはどうだろう。里親が見つかるまで児童養護施設に預けるだろう」

「でもね、人殺しの子供だって一生言われるのよ」

「自殺だろう」

「本人はね、でも深詠子は違う。ご自由にと言ったように。追随する気はないのを無理に引き込んだのよ」

 まあ、そんな男ほど仕事が順調で営業以外に考える事がないから、自殺する者を馬鹿にして軽蔑する。それは絶対に自分とは無関係な世界の出来事としか考えずに、受け取れない者ほど、そこから抜け出す心構えがない。俺のように常に死と向かい合って必死でもがきながら生きてる者は、そこから抜け出すすべを模索して、全力で乗り越えるが、下村は逆に死に向かって埋没して行く。そうなれば周りに映るものはこの世に遺したくない。自分が築いた愛着のあるもの全てをあの世へお供させる。すなわち有りもしない死後の世界に逃げ込む算段を描くと、取りこぼしのないようにする。自分の物は自分の物として、妻や子供を私物化する人ほど無理心中を強行する。そこに同行拒否は許さない決意で実行する。もう相手の身になればなるほど残す事への憐れみより、共に逝く妄想に取り付かれただけに躊躇ためらいがない。

何故なぜそんな男と結婚したんだ」

「甲斐性のある男だと思ったのよ。ニュースで郊外にあるモダンな住宅を見たでしょう。近所とは謂え、瓦屋根が続く家がある中で、下村の家はひときわ目立つ尖塔のような急斜面の屋根に、鳩時計のような小窓をあしらって浮き世離れしたおうちなのよ。それも旦那の甲斐性があれば建てられた。おそらく下村に出会えなければ住めなかったおうち

「だがその下村に出会えなければ殺されずに済んだのに、どっちが幸せだったんだ」

「此処の屋号のようにどん底生活していれは落ちようがないから、その点は幸せかも知れないけど」

 なんか険のある言い方だ。

「けど生まれた以上は一度は頂点を目指さないと生まれた甲斐がないと思わないの」

「まだ人生長い。勝負を焦る必要はないんだ。殺されなければ深詠子もそう思い直しているだろう。多くの家族と財産に囲まれても、熾烈な相続争いが起こればその起業家は草葉の陰で嘆いているだろう」

「いや、案外愉しんでるかも知れない。そう云う人は無理心中なんてしないでしょう。啓ちゃんを見てるとそんな気がしてくる」

「でも調べに行った深詠子の話だと、今は場末の居酒屋で老い先短い将来性のない客ばかりでどうするんだろうって心配してたわよ」

なんであいつがそんな心配するんだ」

「啓ちゃん、それって、離婚したあとに真苗ちゃんを連れて転がり込む算段だったのかも知れない」

「それはあり得る、スッカリしょぼくれて落ち込んだ下村を見て、ダイヤモンドだけが人生じゃあないとつくづく思い直したのかも知れない」

 此の二人はそこに落ち着くかとふと磨美は上を見た。

「二階が静かになったのは、真苗ちゃん、下の様子が気になったんじゃないの」

「そうだなあ、近いうちに下村も自首するだろう。話を聞けば彼奴あいつは一人では死ねない。主体性のない奴だ」

なんで分かるの?」

「逃げ切るにも甲斐性がいる。これは己の信念の持ちようで変わるさ」

「そんなの変よ」

 もしそうなら、それは生き方が間違っていると可奈子は思う。



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