第8話 谷を渡る雲3

 藤波は深詠子の最後の想いを受け止めるが、事はそう簡単じゃない。昨日は真苗を店の前まで連れて来て、彼がまだ独り身を知ってこの子を寄越した。独り身だが店の営業中は誰が面倒見るんだ。却って警察から児童養護施設に預ける方が精神面はともかく生活面は保証される。でも深詠子はおそらくそんな考えは省いたのだろう。しいいて言うなら、それは藤波に全て委ねたのだ。厳密に言えば二人の愛が理屈抜きで、他の考えを全て帳消しにした。現に藤波も独りで引き取る方に傾いてる。

「敬ちゃん、この子の夏休みが終わったらどうするの。その前に今日はお店開けるの?」

「当然店は開ける。みんな夕方まで退屈でこの店に暖簾が掛かるのを今や遅しと待ってるんだ」

「じゃあこの子はどうすんの。今日は臨時休業にして、お年寄り達に此処は老人ホームじゃないって、頭を冷やしてもらえば」

「彼らも毎日来るわけじゃない。定休日はちゃんと有るんだ。日曜と決めてある」

「じゃあ多少ボケてるから、今日が日曜日と勘違いするかも知れないわね」

「そう都合良くボケてくれないだろう」

「だって深詠子さんにも都合良く押し付けられて」

「彼女に死が迫れば、せめてこの子だけでも救いを求める」

「あたしお店手伝いますから置いて下さい」

 と真苗ちゃんは寂しげに俯き加減に此のタイミングで言いだした。見れば盛られたピラフを平らげていた。

「あの老人達の良いマスコットになるかも知れないわね」

 と可奈子は思い詰めた真苗の気分をほぐそうとした。

「その前に誰の子か詮索するだろう」

「そうなるとハッキリしとかないといけないか」

 可奈子も現実的な藤波に同調した。  

「お父ちゃん死ぬから真苗ちゃんにも死んでくれって言われたの」

 うんと頷いた。

「でもお父ちゃんずるいから分からへん、そやのに置いてもらわれへんの?」

 と真苗の悲愴感に二人は顔を見合わせた。

「ニュースで出てた亭主の下村優司やけど、やり手の実業家でテレビの人は紹介してたけど、深詠子さんの手紙とはちゃうけど、どうなんやろう」

「さっきも言ったが、顔も知らんし会った事もない。ましてテレビのあの顔では判らん」

「でもお父ちゃんいつも怒らへんのに今日はビックリした」

 切実な真苗の顔を見て、ウ〜んと藤波はうなってからスマホを持ち出して操作した。

「なにすんの?」

「磨美に聞くしかないやろう。時間がない。いつ此処に警察が此の子を尋ねて来るか判らんからなあ」

「番号知ってるの?」

「八年前から変わらんと思うけど……」

 電話は繋がった。どうやら磨美もテレビのニュースを見て話もスムーズに繋がった。

 ーー真苗ちゃん知ってるか。

 ーー知ってる。

 此処で藤波は可奈子に真苗を表に連れ出して一緒に遊ぶように言った。可奈子も大事な話があるさかいと真苗を連れ出した。

 ーーもしもし、どないしたん。もしかしてそこに真苗ちゃん居たん。

 ーーそうや今、席はずさした。それで訊くがあの子は本当に今の旦那の子か ?

 ーー深詠子なんも言ってないん。  

 ーーそやさかい電話した。亭主との経緯いきさつは知らんが俺の子か ?

 ーーピンポーン、当たり。

 ーーアホ。

 昔と変わらんやっちゃ。

 ーーとにかく事情を聞きたい直ぐ来れるか。

 彼女は今は子持ちの主婦だった。公的機関が動き回ってる以上はタクシー代は持つから、尾行に注意して直ぐ来る様に急かした。

 藤波は磨美が来るまでに真苗に真実をどう伝えるか悩んだ。だが知らない事が多すぎる。五歳までは興味津々きょうみしんしんでもあの歳頃になると少しは考え出す。それにどう対処するかが一番難しい。それ以上に母親の死と妹弟きょうだいたちの死を父親に因って目の前で見せられたショックをどう受け止めてるか。しかし受け入れる生活基盤もなく、今夜寝る場所も解らない身では、ただ気に入られようと余計な事は喋らないのかも知れない。それらの不安要素の鍵を握っている俺に、突き放されればあの子は路頭に迷う。それを避けるために深詠子は俺に頼るしかなかったのか。

 考え込んでいると、いつの間にか可奈子は真苗を連れて戻っている。可奈子にしてもいきなりなんの事情も解らずに、あなたのご落胤らくいんですと一枚の紙切れを添えられただけではどうしていいか判らない。しかもテレビから流れた情報以外は全く知らずに、これで判断するには心許なく、当然もっと詳しく知りたい。

「ねぇ、その磨美さんって謂う人は確かなの」

 表面はチャラついても根はしっかりしている。深詠子の会社に面接に行った時に最初に事務所で会った彼女が人事課に案内した。それ以来、深詠子と別れるまで色々と世話になった。もちろんそれは俺が目的でなく友人としての深詠子にだ。

「そうなの。要するにあなたでなく、深詠子さんと深い仲の人なんか」

「そうだ、その人が働いてる主人と家の中に居る手の掛かる子供二人をほったらかしてこっちへ向かってるんだ」

「家は近いの?」

「解らんが、市内ならタクシーを飛ばせば三十分以内だろう」

「そうか、連絡受けて直ぐに出れば小一時間こいちじかんもすればれるか」

 言ってる間に玄関の引き戸を開ける音がした。丁シャツにジーンズの軽快な服装で磨美は現れた。もっと驚いたのは、後ろに真苗より小さい子が二人居た事だ。

 真苗が彼女を見付けるなり、二人の子供に駆け寄ったのには更に驚いた。

「おいどうなってるんだ」

「見ての通り深詠子の家は近所なのよ、で、この子らはいつも一緒に遊んでいるの。それに家に置いとけないから連れて来た」

 上の男の子は六歳ぐらいか、下の女の子は五歳か。まあ真苗はお姉さんだろう。

「じゃあちょっと二階で三人遊ばせてくれないか」

 磨美は手慣れたもんで「知らないおうちなんだから行儀良く遊ぶのよ」と言い聞かして二階へ上げた。

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