第4話 可奈子3

 いつまでも父の遺した物にすがってないで、真面目にやらないとその内に食いっぱぐれると言われてしまった。藤波は別にこれで生計を立てようとは思わないが、そうハッキリ言われると焦って来る。待てよ、これがこの出戻り女の狙い目か、としっかりハンドルを持ち直した。それなら感受性の高い彼女が何処まで研ぎ澄まされたか試してみるか。

「君の神経は一般社会では合わないようだけど、僕には合いそうだなあ」

「実に回りくどい言い方ね、それで前の彼女に振られたの」

 いやにアッサリと躱された。しかも俺の神経に逆なでするように、そこは矢張り変わってないのか。子供の頃から見知っている彼女の思考の過程は掴めても、感情の起伏が烈し過ぎて心情は極めて過小評価せざるを得ない。

「ねえ、前の彼女のこと、少し聞いていい?」

「何だ一体、聞いてどうするんだ。前の彼に復縁を迫る口実でも探るつもりか」

「あの男にはもう気疲れしてダメ」

「お前でも気疲れする相手が居たんか」

 軽トラは大きな道を避けて離合しにくい道ばかり走っている。この男の頭の中みたいに実に回りくどい近道を走り続けていた。

「話が段々逸れていくんだけど、そう云う作戦なの。ならハッキリ言いたくないのならそう言えばいいのに」

「いや、今の君なら聞かせて、女心の複雑さを知りたい。性格でなく構造が同じ女の神経回路を知りたい」

 男女に神経回路に差はない、有るとすれば思考と感情の差だ。

「何処から話すか」

「もちろん切っ掛け、出会いじゃないん」

「俺が喋りたいのはなぜ彼女が去ったか、その一点を知りたくて喋る気になった」

「そうなの、じゃあ先ず、その人の名前はなんて云うん?」

「みえこ」

「深詠子」

 と読んで字を説明した。

「漢字を見ればなんか複雑な名前の付け方ね」

「それを言っちゃえば、みんなそうだ。そう簡単に名前を付ける親はいない。もうすぐ市場に着くが、車で待つかそれとも一緒に見て回るか」

「レクサスなら良いけど、この車では待てないッ」

「そうだなあ、じゃあ一緒に買い出しに行くか」

 車は中央市場のごったがやす駐車場に着いた。この街の胃袋を預かっているだけに凄い人混みだ。もちろん通りを埋め尽くしているのは、小売業者が買った品物を指定した駐車場まで運ぶモートラ(小型運搬車)や丁稚車が所狭しと行き交っている。

なんなのこんな狭い道に、お祭り騒ぎな人出は」

「そんな祭り気分な者は一人もいない。みんな一刻も早く注文を受けたものを配達するのに必死なんだ」

 野菜や果物を一杯積んだモートラの荷台の前には、エンジンと一人掛けの丸椅子があり、エンジンはドラム缶を横半分にしたようなエンジンカバーに覆われ、上に取り付けられた円形のパイプがハンドル代わりになっている。その隙間を這うように荷物を一杯積んだ丁稚車が所狭しと行き交っている。今は移転したが、以前にテレビで見た東京の築地市場そのままだ。

「見れば分かるだろう。買った品物は店の者が車まで配達してくれるから駐車場の番号、もしくは目印になるものを駐める時に見付けて憶えておかないと、あとで商品が届かずに困るんだ」

 藤波は人混みをかき分けて市場に入った。後に続く可奈子は周囲をキョロキョロしながら、はぐれないようにしっかり彼の肩を掴んで続いた。市場の中は品物がはみ出して所狭しと並べてあるから、八畳ぐらいの広さの店が、区画された市場内に並んでいる。藤波は鮮魚売り場に直行して、次々と注文して代金を払うと他の店を物色する。

「店はあんなに狭いのに、外の通りには荷物を配達する人と車で溢れている。いったいどこにこれだけの荷物があるの」

 仲買店の一店舗分の商品なら、普通の四トントラック一台分にも満たないが、中央市場の外には、数え切れない商品の入った段ポール箱を山積みした小型の運搬車や人力車が引っきりなしに右往左往している。

「そうだなあ、俺たちが行った鮮魚売り場はトロ箱で買わないから全部店に置いてもしれてるが、野菜や果物は段ボール箱で何箱と買うから、とても全部店に置けない。店に置いているのは今日入荷した一部の商品だ。残りは別の所にある。それと同じ品物を積んで客のトラックまで配達してるんだ」

 仲買店が仕入れた食品が入った大量の段ボール箱をそれぞれの小売業者が買い入れる。つまり仲買店の市場から駐車場内で待期する市内の全小売店へ大量の商品が移動する。しかも開店時間前に帰って店へ並べないといけない。短時間に大量の食品が此の狭い中央市場と駐車場を往来すれば、われ先にと大混乱になる。

「じゃあ中央市場内の店に居る人や買いに来る小売店の人は値踏みだけで、実際その商品を配達する人は大変な労力を要するのね」

「まあね。でも短時間の配送だけで、みんな昼過ぎには仕事が終わり、パッと働いてパッと遊べるのが魅力で働いてる」

 さあ今日の仕込みは終わった帰るか、と駐車場へ引き返すと可奈子は笑い出した。

「どうした」

「だって肝心なものを忘れてない」

 と言ったきり指摘しない可奈子に、藤波はいらついた。

「深詠子さんって言った人。もっと詳しく知りたい、話してよ」

 そうでなければ教えないと言われて、帰りの車で話す約束をさせられた。

 彼女は笑い転げるように、金目鯛はどうするのと突かれてしまった。彼は慌てて引き返して、今から配達では遅くなり、金目鯛は自分で持ち帰った。夏は荷台に置いた鮮魚の上から氷と分厚い幌を敷いた。

 車が市場を離れると、さっきの約束の実行を迫った。しょうがねぇなあ、とポツリポツリ喋り出した。

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