第3話 可奈子2

「何処へ行くの?」

「ちょっと早いが今日の仕入れに行く」

「付いて行ってもいい?」

「これから観光客が増えて忙しくなるだろう」

 観光客は帰りに立ち寄るので、喫茶店は土産物屋と違ってまだ暇だそうだ。仕入れに使う軽トラが置いて有る駐車場へ向かった。

「それで付いてきたのか」

「そう、いつもゆっくり出来ないから。それにあの後片付けも今日は億劫なのよ」

「どうして、なんか言われたのか」

「あなたが余計な事をさっき言ったからよ」

 昔の彼女なら「何よッ」と、聞き流すくせに、えらく大人になったもんだ。やはりなれない嫁ぎ先で相当揉まれたか。しかし彼女を此処まで矯正させるとは、相手も相当に手こずらせた挙げ句に決断したのか。それでも五年持ったのは、可奈子の器量に悩まされた日々が想像出来る。幼い時から可奈子を見ていた藤波には、彼女のツボを心得ていた。付かず離れず、此処ぞ、と思うときに手を差し伸べる。このタイミングを間違うと絶えず言い争いが限りなく続く。出戻りで実家に帰った彼女は、その扱いに憎いほど浸透していた。

「考えすぎだろう、誰も聞いてないし。相手の世間話に夢中で聞こえてないよ、それよりその髪どこまで伸ばすんだ」

「お嫌いですか」

 としとやかに言うと、彼女は急に手の指を広げて、胸まである長い髪をすかし始めた。此れは気分転換なのか、それとも自慢の髪を披露しているのか判断がつかない。

「いや、心には響くが、手入れが大変だろう」

「平安貴族のお姫様に比べれば大した長さじゃないわよ」

 彼女らには身辺をお世話してくれる侍女が居るからいいけど、一人ではとても洗うのが大変、それでも恋が時めくのなら、そんな苦労はものともしない彼女らの恋に掛ける情熱を見習うには、ほど遠い長さの髪だと言って退けた。

「それもそうだ。あの当時の姫様が出家すると言って髪を切っても、今の君より少し短い程度だ」

「それでも二十歳はたちすぎまでショートカットで過ごした者には、これはこれで余程の気持ちの入れ替えがあっての事か」

「そうでなきゃあ嘘やん」

「それより今日はどう言う風の吹き回しで、手伝いもせずに実家の店を出たんだ。両親も後片付けの手伝いを期待しているのに」

「今日ぐらいいいのよ」

「何処がいいのか今も解らないが、君が五年掛けて言い争ってやぶれた相手には同情心は湧かないが、君に繊細せんさいさを身に付けさせた相手には感謝する」

「五年のバトルに敗れたのはあたしかも知れないのに、どうして相手の肩を持つような言い方をするんよ」

「別に相手を褒め称えてない。君の素性を磨きだしてくれたことにただ感謝しているだけさ、かぐや姫さん」

「さっき言った変人扱いのだるま大師のお返しにかぐや姫で返すなんて、あなたもあたしを磨き直すつもりなの」

「そんな大層なもんじゃないけど、別れた彼の怨霊がひらめいたのかも知れん」

「それって元彼の嫉妬かしら」

「いや怨霊だ。五年の我慢比べに心尽きた者が、この世に放出した恨み節だ」

「恨み節? なにさそれ」

 と可奈子は藤波に突っかかる。

「そうッ、どうせ別れた相手は、嫉妬が積もり積もって変身した怨霊なんでしょうッ」

「それは凄まじい。嫉妬の挙げ句に振った相手はその怨霊となり、君の身辺に降り注ぐ。まさにこれが六条御息所なら情念の恋だ」

「じゃあ、あたしは悲恋に散る夕顔なのかしら。それにしてもあの生き霊は凄い嫉妬のかたまりそのものの怨霊よ」

「オイオイ、彼との新婚生活はそんな怨霊どうしの烈しいバトルだったんか」

 エヘヘと彼女は笑った。

 二人は親父の遺してくれた駐車場に入った。場所柄コインパーキングに比べて安いから常に満車だ。

「今日はちょっとドライブできるか」

「軽トラだぞ、これでドライブ気分はないだろう」

「たまにはこんな車もいいんじゃないの」

「たまにか。新婚時代のマイカーはなんだ」

 まあね、と言ってレクサスと答えたから驚いた。それじゃ、こいつとは月とすっぽんだと車に乗り込んだ。彼女も気兼ねなく乗って来た。

「レクサスとこいつでは窮屈だろう」

「乗り心地は別もの。彼の家は広いけど気持ちが窮屈なのよ」

 彼女は学生時代までは言うだけ言うて清々せいせいして家に帰ったが、今度は言った相手と四六時中家の中に居れば、たとえレクサスで出掛けても気分は変わらんか。

「あいつと一緒に暮らして判ったのよ。何でも言ってしまえばおしまいって」

 悟るのが遅い。俺なんか小学生の頃からお前を相手にした所為せいかか、一度腹の中で言う前に吟味するコツを憶えてしまった。

 車は駐車場を出て、いつも知った狭い道を走り出した。

「可奈子。お前、彼奴に惚れたんでなく彼奴の家と車に憧れたんだろう」

 まあその器量ならなびくだろうが、喋り出すと直ぐにメッキがはげてしまう。

「行儀作法に料理や茶道。学校では法然の教えを請うても、きちっとした躾は親が子供時分に教えないと身に付かない、その典型がお前だなあ」

 子供時分は啓一朗にこんな説教されればむかついて罵っていたが、今は植物が水を吸収するように スッと身体の中に溶け込んだ。でも彼に云う言葉は昔のままだ。

「うるさいッ、余計なお世話だ」

 彼は笑ってハンドルを握っていた。

「今日はなにを仕入れるの」

「常連の一人が金目鯛を喰いたいって言っていたな」

「あれは高いでしょう」

 それを言うと、気にするなと言われた。全く老い先短い連中は、いつも末期の食事だと思って俺の店に顔を出している。

「じゃあ、いつも現金払い」

「ああ、それを言うと香典にして少しは返せとのたまうんだ」

 あ〜あ、なんて云う店なの、お先真っ暗と可奈子は嘆いた。




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