三話 砂漠の中の楽園

青年は商団のキャラバンに付いていくことにした。キャラバンはテミルの先に広がる大きな砂漠を越えるそうであった。砂漠の先にはオアシス都市がある。キャラバンはテミル近郊の漁港で水揚げされた魚を干して干物にして砂漠を渡る。それが一番儲かる商売なのだ。青年はキャラバンの荷物持ちの一人になった。砂漠は寂寥としており、夜になると遠くまで続く地平線はもう闇に包まれ、四方に開かれた空には満天の星空が広がっていた。砂漠の夜は危険だ。 夜には砂嵐が吹きつけ、ハイエナや狼が徘徊する。砂漠は風の精霊の力を強くするそうだ。砂漠は絶えず変化し、一つとして同じ顔をすることがない。キャラバンのような旅をする者たちはそこを注意しつつ渡る。夜中には交代で見張りが立つ。何十ものテントの間に一つの大きな焚き火がある。見張りはその火を油で濡らした布を巻いた太い木の棒に移し、松明とするのだ。真ん中の焚き火では吟遊詩人が唄っていた。よく通るその歌声は風の声を伝えていた。砂漠のことも歌っているようであった。詩人の影は楽しげであった。焚き火に照らされたそれは龍のように見えた。青年は詩人の声に応えるように青い宝石が輝いていると気づいた。夜が更けるまで、あの吟遊詩人の歌声が止んでからも火はテントを照らし続けた。そして夜は明けた。                       キャラバンは朝焼けを背にして荒涼とした砂漠を進んだ。風はキャラバンを容赦なく打った。吹き荒れる風に包まれ、視界は黄色く染まった。服に砂が流れ込んできてひどく息苦しい。バラバラと顔を打つ砂は痛い。どれほどの時が経っただろうか。急にパッと辺りが晴れ渡り、青年の前に太陽が姿を見せた。キャラバンの隊はまた旅を続けた。自分は死にかけたのかもしれない。そんなことを青年は思った。不思議と身体は軽かった。青年とキャラバンは遠方のオアシス都市を眼前に見た。日干しレンガで作られた家々の中央には金や銀で装飾されたモスクが荘厳と建っている。

砂漠の中の楽園は活況を呈し、オアシスは水に満ちていた。都市にはマーナと呼ばれる教団があり、祭司長はそのままその都市の代表も務めた。砂漠特有の熱射と土煙を避けるため、人々は白い布で全身を覆い隠している。青年は初めて見る格好に胸を踊らせた。この都市にも高名な魔術師がいるようだ。彼の目は隻眼だが、遠くを見透かすように青く光っている。端正な顔立ちで顔色は薄茶に染まり、髭はよく整えられている。灰色のローブを着た彼は白一色のオアシス都市では異色を放ち、快活に笑うその顔は幽玄な魔術師とは無縁のもののようであった。しかし時折光る目の輝きはいかようにしても隠せず、周囲を取り囲む人々は魔術師と楽しそうに話しているが、どこか尊敬と崇拝の念も持ち合わせているようであった。暑いのに、その暑さすら感じぬような虚ろな目をした老人が、灼熱の砂上に一枚の粗末な布をひいて腰かけていた。それを見ると魔術師は、にっこり微笑んで魔法をかけた。水は龍のような姿をするとするりと老人の持つ壊れかかった椀の中に満ちた。その水は、透明だが青白く光り、砂漠の灼熱もそこにはなく、火傷の痛みも感じない、虚ろになってしまった心さえ、すっと包んで甦らせるようであった。魔術師の顔は慈愛に満ち、鳥でも愛でるように最後の一滴を飲み干すまでじっと見つめていた。彼は魔術師であり、マーナの神であった。そしてまたオアシスの化身でもあった。オアシスの水には聖なる力が宿るとされていた。マーナの祭祀はオアシスへの沐浴である。沐浴は邪気を祓い清め、聖なる力を与えてくれる。マーナの戦士は皆剣をそこで清める。砂漠の魔獣は強い。対抗するにはオアシスの力を借りねばならなかった。青年はキャラバンの人たちから教わった事実をしっかりと反芻しながら魔術師のほうを見ていた。魔術師は治療を終えると青年のほうを見た。彼の言葉は神の言葉であり、彼の唱える魔法は神の祝福であった。魔術師は青年に何事か唱えた。またもやあの青い石は輝きを増し、いつにも増して光り輝いた。祭司たちが青年の前に立った。彼らは神の祝福を受けた青年のために祈った。「彼の言葉は神の言葉、彼の魔法は神の祝福、神の祝福を受ける者よ、我らの神に認められた者よ、神の加護を受け取り給え」だんだんと人が集まってきた。青年と魔術師の周りを囲み、彼らはそれぞれ祈り始めた。人々の胸が金色に輝いている。魔術師は彼らの信仰に応えるように何事か囁いた。それは古語であると分かった。遠き昔に忘れ去られた言葉であった。魔術師は青年の持っている竹筒に水を満たした。「この水は尽きない。マーナの水は常にこの中にある。また来るといい。オアシスはまた君のために開かれる。」その後青年はまた旅を続けた。

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