刹那

三葉

刹那

 昼休みに、三階の教室で友達とふざけ合っていたときのことだった。

 振り上げた手が、机の上の箸に当たったのだ。

 箸は、水を得た魚のように元気に飛び跳ねた。

 片方は窓の桟に当たって事なきを得たが、もう片方が窓の外へと落ちてしまった。

 急いで確認すると、校舎の壁の突起の上に箸は乗っていた。

 まだ弁当はほとんど食べていないし、放課後は部活があるから、箸は絶対に必要だ。

 頑張れば届くかと、窓から手を伸ばす。

 人指し指の爪が箸の先に当たったところで、窓の外に傾けすぎた俺の身体は宙へと躍り出た。


 俺はその勢いを活かして、空中で一回転をした。

 たちまち腕はフワフワの羽毛に覆われた翼に、脚は固く長く変化し、鳥になった。

 一部始終を目撃したクラスメイトや、下の階にいた生徒が驚きの声をあげた。

 それを後ろに聴きながら、俺は空へと舞い上がる。

 心の奥底から、いままで感じたことのない種類の悦びが湧き上がった。

 嘴を上へ向け、ぐんぐん高度を上げる。

 雲をかき分けるようにさらに上へ上へ。

 頬に当たる風が心地良い。

 自由を身体全体で感じる。

 今まで俺を縛っていた鎖が、羽ばたくたびに解けていくようだ。

 空気が薄くなってきた辺りで、今度は重力に身を任せた。

 羽毛に覆われた小さな身体は、地面に垂直に落下していく。

 空気が身体を打ち付ける。

 地面が目の前に迫ってきたところで、体勢を立て直し、また高度をあげていく。

 ああ、自由だ。

 このままずっと鳥でいたい。

 何度も上へ下へと行ったり来たりして疲れた俺は、直ぐそばにあった木の上にとまった。

 窓からは、中年の女性と小学校低学年くらいの小さな男の子が見える。

 男の子は半泣きの状態で女性になにかを訴えていた。

 ああ、俺がとまっているこの木は、ウチに生えている柿の木か。

 中年の女性こと母は、弟の夏休みの宿題を見ているようだった。

 ウチのドアの前には、弟と同じくらいの背丈の男の子が立っている。

 きっと、終業式で早く帰ることができたから、放課後に遊ぶ約束をしたのだろう。

 母の説得、頑張れ。

 弟に心の中でエールを送りながら、俺は大空へと飛び立った。

 突然、強い風に煽られた。

 俺の軽い身体は簡単にその場から吹き飛ばされていく。

 遠くまで飛ばされないように、足に当たったものに、がむしゃらにしがみついた。

 ようやく風が収まり、目を開けると、一生懸命勉強する子供たちの姿が目に飛び込んできた。

 どうやら、俺が小学校の頃から通っている塾のすぐ近くの電線にしがみついていたらしい。

 ビルの中では、黒縁メガネをかけた大柄な先生が、生徒に叱責を飛ばしている。

「あの先生に目をつけられたら面倒なことになるぞ、ドンマイ」と、叱られて萎縮している生徒を心の中で慰めながら、俺はまた大空へと飛び立った。

 一度弟の様子を見に戻ろうかと、方向を変えたとき、急に横腹に強い衝撃が走った。

 そのまま自分の意思に従わず、身体は逆の方向へと飛んでいく。

 痛みに堪えながら見上げると、俺よりも二回り以上大きい鳥に咥えられていた。

 その鳥は、俺の見知った校舎の屋上で、俺を啄み始めた。

 経験したことのないほど強い痛みに、抵抗する気力ももはや起きない。

 とうとう死を覚悟したとき、またもや強い風が吹いた。

 俺の身体は空中へ飛ばされた。

 飛ぶ力など残っていない俺は、重力に身を任せるしかなかった。

 地面がどんどん近づいてくる。


 頭が地面に触れるかどうか、というところまできたところで、俺は夢から目覚めた。

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刹那 三葉 @mitsuba_okura

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