第16話 『しなければいけないこと』


「本当ですか? 嬉しいです。でも、は出来れば一人で浴びさせてもらえると助かりますかね。入浴だけで終われる気がしませんし」


 カナタは案理の片頬に向かって話しかけた。


……? さっきまで夜だと思っていたのだけれど、日も差している…………。私の勘違い……だったみたいね?)


 案理の脳内には新たな疑問が湧き出てきたが、窓の外は明るく、麗らかなさえずりも聞こえてくる。――ということは、現在は朝で間違いないだろう。


「じゃあ、ちゃちゃっと着替えてきますね。案理さんはそのまま外で待っててくれてもいいですし、先にリビングに戻っててもいいですよ」


 寝室に到着すると、カナタは疑問でいっぱいの案理を廊下に残し、部屋に踏み入っていった。

 

「待っていても仕方ないし、先に戻らせてもらうことにするわ」

 

「わかりました。またあとで」


 案理が部屋の中まで届くように呼びかけて歩き出すと、数歩行ったところでカナタの返事が聞こえた。


(カナタさんを呼びに行く前、私はリビングにいたはずよね。そこに何か手掛かりが残されているかもしれないわ……!)

 

 直前の行動から記憶を逆算出来る可能性に賭け、案理は早歩きでリビングに向かった。


「…………課題?」


 ローテーブルの上には開かれたままの問題集とノート、その横には愛用のシャーペンと消しゴムが転がっていた。


(さっき思い出しかけた『しなければいけないこと』って、もしかしてこれ……? たぶんそうよね。そこまで急を要するものではなかったはずだし)


「……案理さん、これは夏休みの課題ですか?」


 案理が課題を再開するでもなく文具たちと睨めっこしていると、カナタが肩越しに問題集を覗き込んできた。


「ええ。量も多いし、今のうちに終わらせてしまおうと思って」


「そうなんですか。感心ですね。僕はそういうの、最終日まで残してしまうタイプでしたから」


 カナタの腕が案理の身体を包み込んだ。

 

「まあ、意外ね? ……でも、私だって同じようなものよ。自主的にそうしようと決めたのではなくて、と予定が合わなくて仕方なく――」


「案理さんが? 僕以外の誰と一緒に過ごそうとしていたって言うんです?」


 尖った声には警戒心が滲んでいる。


「…………誰……だったのかしら? とぼけているわけではないのだけど、思い出せそうにないの……」


 案理が首を傾げると、彼女の髪からシャンプーの香りが広がった。

 

「大切な人でしたか?」


「…………わからないわ」


「じゃあ、無理に思い出す必要もないんじゃないですかね。所詮、その程度の存在だったってことでしょう。いいじゃないですか。気の進まないことは早いうちに済ませるが吉ですし、誰が言ったかなんて大した問題じゃありませんよ」


「そう……なのかもしれないわね……」


 ――――案理は知らない。背後の男が仄暗い笑みを湛えていることを。

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