第17話 いつもの朝
そのあと、ダイニングテーブルに移動した二人は
「すみません。今日はちょっと焦がしちゃいました」
「いいじゃない、少し香ばしいのも。そのほうがコーヒーには合うんじゃないかしら」
俯き加減で謝るカナタのマグカップになみなみと注がれたコーヒーの香りが、部屋中に広がっていく。
平皿の真ん中には端の焦げたトースト。その上で蕩けたバターを受け止めるのは、ふわふわの黄色いスクランブルエッグ。
隅に追いやられたソーセージに、色とりどりの野菜が収められたサラダボウル。
それらを食べるのと、言葉を交わすのと。二人にとってメインの作業は一体どちらだったのだろうか。
「…………おっと。もうこんな時間でしたか。早起きしたはずなのに。案理さんといると、時間があっという間に過ぎてしまいますね」
カナタは話し終えるのと同時にマグカップを置いた。底のほうにはまだコーヒーが残っているが、案理が用意したときにのぼっていた湯気はすっかり消えている。
「私と一緒とかどうとかではなくて、シャワーを浴びていたからではないの……?」
「ははっ。そうかもしれません。…………とりあえず、僕はそろそろ出ますね。案理さんは課題の続き、頑張ってください」
カナタは隣の椅子に掛けていた背広を着込み、案理に声を掛けた。
「ええ。カナタさんもお仕事頑張って頂戴ね。言われるまでもないでしょうけれど」
案理は器用に積み上げた食器を両手に、キッチンに姿を消すところだった。
「玄関まで見送ってくれないんですか?」
「見送る必要あるかしら。毎日のことでしょう? 一日くらい、大目に見て頂戴」
のれんから顔を出した案理が答える。
「わかってないですね、案理さん。僕は奥さんに見送ってもらうのが昔からの夢だったんですよ?」
カナタはそう言い残し、リビングの扉を開けた。
「奥さんって…………! 私、アナタと結婚したおぼえはないのだけれど……!」
ゆったりとした足音を追いかけるもうひとつの足音は、朝の時間にふさわしくせわしない。
「してませんけど、左手の薬指は予約済みでしょう? ……その指輪、この前一緒に見に行ったじゃないですか」
廊下の中ほどで振り返ったカナタは、案理の左手の甲に口付けを落とした。
(指輪? 指輪なんて、私…………)
分厚い雲が流れて月が姿を現すように、カナタの後頭部がどいたあとに案理の目を奪ったのは、ショーウィンドウ越しに見ていたエレガントな輝き。
(…………本当にしている。買ったおぼえも嵌めたおぼえもないのに……)
「案理さんが選んだ指輪です。『これがいい』って。――忘れちゃいました?」
手首を様々な角度に向ける案理に、カナタが問いかけた。
「私が…………選んだ…………」
案理がカナタの言葉を復唱すると、そのときの記憶とおぼしき映像が脳内に流れ始めた。
腕と腕が触れ合う距離感でガラスのショーケースを覗き込む二人。いくつかの指輪を指す案理。案理よりもたくさんの指輪を指すカナタ。
最終的に三つの指輪の中から案理がひとつを選んだところで再生は終わった。
「……ええ。ごめんなさい。私ったら、寝惚けているのかしら……」
「そうかもしれませんね。枕も変わって、眠りも浅かったんでしょう。……外まで送ってくれますか?」
カナタは案理の腕を引いた。指輪の嵌まっていないほうだ。
「もちろん。罪滅ぼしにもならないけれど」
案理はカナタと並んで歩き出す。バスルームからリビングに移動したときよりも廊下が短く感じた。
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