12. ディスタント・クリーディ

 階数表示は上がっていく。50を超え、60を超え、70、80、あらゆる施設を越えて更に上へ。

表示が109を指し示したころ、エレベーターはようやく停止した。開いた扉から一歩踏み出したディスタントは眉を顰める。

 やはりここの雰囲気には慣れない。エレベーターホールから続く長い廊下には真っ赤なカーペットが敷かれ、それを挟み込むようにガーゴイルを模した石像や剣を真上に構える鎧などが並んでいる。

「趣味の悪い……」

 カーペットを乱暴に踏みつけ、進む。廊下の突き当りにあるコンソールにブレインジャッカーを突き刺せば、巨大な扉は音を立てて開いた。

 そこは、扉の外と変わらぬ雰囲気をもつ空間だった。装飾方のアーチや天使が描かれた天井の真下には五つの椅子が並べられ、その前には机。それと相対する形で置かれた演台にはスポットライトが照らされている。

「待っていたぞ、ディスタント・クリーディ」

 椅子のうちのひとつ、右端に座った老紳士がそう言った。声は空間全体に響く。そういう設計が為されているのだろう。

「ごきげんよう、我らが取締役会のみなさま。相も変わらず小手先の技術だけで権威を保っていらっしゃるようでなにより」

「黙りたまえ、ディスタント・クリーディ。貴様は今そのような態度を取れる立場にいない」

 左から二番目の椅子に座った、線の太い老人がそう言うと、他のメンバーもそれに同意する。

「さて、我々が聞きたいことは一つだ」

 再び空間に静寂が訪れると、中心の席に座る横に広い帽子をかぶった老婆が口を開いた。

「治安維持部隊を動かしたな? その理由を答えてもらおう」

「しょは──」

「我々はもう、〝諸般の事情で〟では納得できないのだよ」

「おや、ワタシの忠誠をお疑いで? 今までBRAIN SHAPEに数多くの利益をもたらしてきた自負がありますのに」

 それは事実だ。ディスタント・クリーディという人間がたった一人でもたらしてきた〝益〟は、創立から勤めてきたあらゆる社員のすべての功績を集めたならなんとかタメが張れるほどのもの。ゆえに、数々の手続き不足や越権行為を許されてきた。

「疑っているとも、ディスタント・クリーディ。さあ、登壇したまえ、弁解を聞かせてもらおう」

 ディスタントは笑みを浮かべ、ゆっくりとスポットライトの下に立った。ライトに練り込まれた干渉信号は極度の緊張と恐れを登壇者に与える。ゆえにここに立たされたことが一種の罰であり、既に尋問なのだ。

「さて、どこから話しましょうか?」

「すべてだ」

 席の左端に座った少年が告げた。その声は幼いが、トーンは歳を重ねたそれ。聞いたものはちぐはぐな印象を抱くことだろう。

「すべてを話せ」

「はて……すべてですか。では、そういたします」

 ディスタントは両手を広げ、ゆっくりとお辞儀をした。

「これより、この会社──BRAIN SHAPEはワタシのものです。取締役会のみなさまがたにおきましては、速やかにすべての権利を──生存権をふくめたすべてを、譲渡していただきましょう」

 ざわり、と。波紋が広がっていく。困惑する者、怒りに立ち上がるもの様々だったが、そんなな中でも落ち着きを保っていた人物。右から二番目の椅子に座っていた豪奢なドレスを身に纏っていた情勢は、音を立てて扇子を閉じた。

「あなたはわたくしたちが重用したから、ここまで来れたのです。その恩を返す義務があなたにはあります。それとも、戻りたいですか? うだつの上がらぬ離れ小島に」

 それを皮切りに、取締役会の他メンバーも次々と言葉をディスタントに投げかける。やれ〝節度が足りない〟だの、〝我々への敬意を持て〟だの。どうやら傍若無人っぷりを発揮していたディスタントへの怒りや恨みは相当なものだったようだ。

 そんな数々の、半ば罵詈雑言と化した言葉たちをディスタントはじっと聞いていた。笑顔のままで、微動だにせずに。やがて、返答のないディスタントを不気味がった取締役会は一人、またひとりと口をつぐむ。

「──これまで散々便宜を図ってくれたことには、最大限の感謝を。ですが、歯車伝書鳩の時代から生きる中古品のみなさまに、この会社は過ぎた器です──」

 悪びれもせずに、ディスタントは続けた。

「──いいから黙ってワタシに渡せよ。クソ老害どもが」

 再び取締役会全員が抗議の言葉を叫ぼうとするのと、システム音が響き渡るのは、ほぼ同時だった。

『『『『『ジャッキング』』』』』



 ビニール袋を持つというのは案外大変だ。手の爪が触れようものなら即切断。持ち手が切れた日にはどう持っていいのやら。尻尾もそれは同様で、手の爪よりは持ちやすい程度であり、結果としてメゾフォルテは〝すごく気を使って持つ〟というなんともどうしようもない手段を取るしかなくなっている。

 現在彼女たちが根城にしているのは暗影街の只中。主のいない建造物を勝手に利用させてもらっている。周囲から不審な奴らとして見られるが、暗影街ではよくあることなため、問題はないだろう。

「ただいま」

 建物の内部、空っぽの空間のその声は反響した。やがてその声に反応したのか、奥からジェイクが姿を現す。

「なにも なかった?」

 ジェイクはその質問に答えなかった。代わりに、ふらふらとメゾフォルテの前まで歩くと、そのうつろな目で彼女を見つめる。

「ゆうごはん たべる?」

「……あー……あ?」

 あの時、ジェイクはディスタントになにかされたらしい。記憶編集を途中で中止させたからなのか、ジェイクの精神は完全に壊れてしまっていた。難語のようなものしか発音せず、こちらの言葉を理解しているようにも見えない。

 逃走の成功から三日、暗影街まで手を伸ばしてくる治安維持部隊からそんな状態のジェイクを抱えて逃げ回る毎日。ジェイクと出会うまでは似たような生活を繰り返していたメゾフォルテだが、一度ジェイクとの生活を味わった後では……。

「はい あーん」

 スプーンをジェイクの口へと運ぶ。幸いなことに、ジェイクは一切の強制に抵抗しない。腕を引っ張れば素直にその方向についてくるし、こうして差し出したものは口に含んでくれる。だが、それだけだ。反応はないに等しい。

「ね じぇいく」

 呼びかけても返事はないので、自然と独り言が増えた。

「ぜんぶ……ぜんぶおわったら けーき たべたい」

 終わる。そう、終わらせなければ。

『──ええ、そうです』

 ラジオから聞こえる声は、ディスタントのものだ。

『古いものも悪くはない。ですが時代は進むのですから、世代交代は必要だと。取締役会のみなさまはそうおっしゃってくださいました』

 BRAIN SHAPE現最高責任者、ディスタント・クリーディ。彼女がその立場に就いたのは、メゾフォルテたちの逃走が成功してからわずか4時間のことだった。元々準備はしていたのだろう。探す必要が出てきたからそれを早めたのだ。そう、ジェイクを探し出す必要が。

 ディスタントがなぜジェイクに固執するのか、メゾフォルテには分からない。だが、あの目は、彼を見るあの目は、メゾフォルテに言う〝失敗作〟などとは比べ物にならない。明らかな執着と、纏いつく重たい感情の目だ。

「わたし どうすればいい?」

 その質問に、ジェイクは答えない。ただ中空を見上げてぼぅっとするだけ。

『──では、ディスタントさんは組織構造を改革なされるわけですね?』

『もちろんです。いかんせん、今までは各部門の独自裁量権が強すぎました。それゆえのトラブルを避けるため、改革後は権限すべてを一か所に集めます。すなわち、ワタシの元に』

『随分と思い切りましたね』

『向き合いたくないことに向き合うときが来たということです。ワタシも、わが社全体も』

 向き合いたくない。当たり前だ。華々しき勝利、ジェイクと共に掴んだ勝利が一転、すべてが逆転してしまった。

 未来を、幻視した。ジェイクと共に生きる未来を。どんな形であれ、彼の隣にいれる未来を。

「それは……かなってる ね」

 そろそろ、向き合うべきなのだろう。最終目標へ向けて。

「……」

 目標は、変わらない。一周回って戻って来たと言うべきか。

 すなわち、復讐を。


 目下の問題は、治安維持部隊だ。物量は正義、あれが出張って来ればどんなに上手くいったとしても形勢は逆転する。それをなんとかしても、ディスタントにはブレインジャッカーがある。記憶編集にどれだけの時間が必要かは知らないが、そこらの市民を兵に仕立て上げるだけでも脅威には変わりない。メゾフォルテには、小細工を真っ向から打ち破るだけの実力がある。だが、その実力を真っ向から叩き潰せる物量には抗えない。

 メゾフォルテ自身の状態も問題だ。使えるには足と手、尻尾の単分子ブレードにパルス加速のみ。ターゲットマーカーはジェイクがフィルターを逐一調整しなければまともに運用できないし、チャフ・スモークの残弾はもうない。自分で作り出そうにも独自規格すぎて無理そうだ。

「いや……」

 ある。本来なら使えるはずなのだ。この身に眠る機能は、そんなものじゃない。もっとある。使える……

「つかえる はず……なのにっ」

 叫んだメゾフォルテを、ジェイクが不思議そうに見つめていた。

 使えるはず。だが、それもジェイクがいなければ探せない。自分の内側にアクセスなんてできやしない。

「なんでっ! なんでっ……」

 無力感。上も下も、横も斜めもすべて塞がっていた。何処に行こうにも滑らかな壁があるのみであり、その壁に継ぎ目なんて一つも、一つも。

「……」

 継ぎ目はない。だが、地面との隙間があった。指一本すら通らぬほどの隙間が。

 チャフ・スモークは、他ならぬメゾフォルテが自らの手で見つけ出した機能だ。土壇場、ほんの偶然で見つけ出した。あのときの感覚をもう一度思い出せば。

「わたし が やるんだ……」

 それは意地だった。もはや気力だけの再起だった。だが、再起は再起だ。

 チャフ・スモークはなんとしてでも生きたい意思と、追跡を逃れたい一心で偶発的に見つけたもの。

〝機能を探すなら、明確なイメージは大事かもね〟

〝どこかの企業部隊は、イメージでもって発動する形式の酔狂なプラグインを使っていた。酔狂ではあるが、脳波操作ならどんなシステムだろうと理論上は行える〟

 ジェイクとトキシカズラの会話は大抵難しく、メゾフォルテが着いていけるような内容ではなかった。だけど、二人が話しているのを傍で見ているのは楽しかったし、トキシカズラと喋っているときにしか浮かべないジェイクの明るい笑顔は、メゾフォルテに向けられる優し気なそれとは違って、それが無性に羨ましかった。

〝暇つぶしで作ったんだ。当時ワタシがもてるだけの技術をありったけ詰め込んだ最高傑作。まあ、今見れば随分と稚拙な作品だが──〟

 ディスタントの台詞を思い出す。

 なればこそ、今探すべき機能は、たった一つなのだろう。

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