11. THE CoNfUsIoN

「はか、せ?」

「ああ、そうだ。キミのディスタント・クリーディだとも」

「どうして、ここに……」

 その質問には答えず、ディスタントはゆっくりと、地に付すメゾフォルテへと視線を向けた。

「ああ、やっぱり……まったく随分と長い間かかったものだ」

「あなた だれ?」

 メゾフォルテの質問に、ディスタントは答えなかった。まるでその価値がないとでも言うように。代わりに、一歩近づく。

「さあジェイク、帰ろうか」

「博士? ちょ、ちょっとまってください。なにが、なん……だか……」

 たどり着いたカウフィットの記憶の最奥。他の記憶にがんじがらめにされる形で封じられたそれは、一人の顔写真だ。どこかに寝かされているらしいカウフィットとそれをのぞき込むディスタント。カウフィットに意識はなく──いや、あった。あったのだ。だが、ないことにされた。そして、メスを持ったディスタントは。

「博士……? これは、なんだ? いったい……」

「ああ、だから言ったんだジェイク。早く帰ろう、と」

 なおも近づこうとするディスタントとジェイクの間にメゾフォルテが割って入った。

「……ん?」

 〝そこで初めて気づいた〟と言いたげに、ディスタントはメゾフォルテの全身を舐めるように見回す。

「はは、無理をするなよ玩具ふぜいが。立っているのもやっとのクセに」

 玩具、おもちゃ。そのワードがジェイクの脳内を回っていく。おもちゃ、趣味の悪いおもちゃ。

 〝自由意思を持つおもちゃにはもう懲りた〟いつかのディスタントの台詞が思い出される。

「博士、なんですか。メゾフォルテを……」

 メゾフォルテはその言葉の意味を理解した瞬間、尻尾を逆立たせた。ジェイクがどういう思考からそこにたどり着いたのかはわからない。だが、その言葉が真実であるという信頼はあった。

「うん? ああ、そうだな。暇つぶしで作ったんだ。当時ワタシがもてるだけの技術をありったけ詰め込んだ最高傑作。まあ、今見れば随分と稚拙な作品だが──」

「──よくも よくもっ!!」

 メゾフォルテの一撃は遅い。なにせ彼女は満身創痍、当たるものも当たらない。

「よくも わたしの じんせいを──!」

「…じんせい? 人生だと? はは、あはははは!!!」

 声を上げて、ディスタントは笑った。おかしくってしょうがないのだ。元々そう作ったとはいえ、ここまで上手くいっていると笑いがこみあげてくる。

「いいだろう、数年越しの種明かしだ」

 ディスタントは痛む腹筋を抑えながら、おかしそうに口にした。

「オマエに人生なんてハナから存在しない。すべてワタシが一から作り上げたんだ! 意思も、過去も、記憶も、そして身体も!!」

「──」

 意味がわからなかった。理解できなかったし、理解したいとも思えなかった。情報の洪水で脳がパンクし、今にもその場に再び倒れこみたかった。足元が、ふらつく。視界が、ぼやける。意味を咀嚼するのにあと数時間は欲しかったし、震える手を落ち着ける方法を探したかった。

「いやはや本当に、自我を持たせたのは失敗だった……だからカウフィットを使って始末しようとしたんだが……やはり急ごしらえはダメだな」

 ディスタントは、笑みを浮かべていた。ちょっとした失敗を反省するときと同じ笑みを。

「ジェイク、帰ろう。おもちゃに親愛を抱かないことと同じように、キミとソレが友情を育んだところでなんの意味もない」

「なにを、言ってるんですか。あなたは──!」

 ジェイクの口から絞り出せたのは、それが限界。それ以降は言葉が上手く詰まってでてこなかった。なにを言えば、いや、どうすればどうなるのかがなにも分からない。

 ディスタントという人間は、恐ろしい部分が少なからずある。だが、こんなにも不気味に見えたことはなかった。なにを考えているのかが分からない。なにを目指しているのかが分からない。なにも、なにも分からない。

「ワタシは正気だ。ジェイク」

 ディスタントの口調には慈しみがこもっていた。本物の慈しみが。

「その不安はすぐに消えるさ、すぐにワタシたちの関係は元通りだ」

 そうして立ち上がるのは、ブレインジャッカー。一本目が鎌首をもたげ、二本目も同様に。

「まさか……だって、ブレインジャッカーじゃあ──」

 ブレインジャッカーじゃ、記憶の編集はできない。そのはずなのに。

「抜け道があるんだ。とはいえ知らない方がいいだろう。〝前のキミ〟はそれで死のうとしたからね」

 猛烈な吐き気に襲われて、ジェイクはその場でしゃがみ込んだ。必死に口を開け、喉を動かすが、胃から中身は出てこない。

 もし、これまでも記憶を弄られているとしたなら。今の自分はどこまで自分なのだろう。どこからが自分で、どこからが自分じゃないのだろう。今感じているこの恐怖は、不安は、本物か? いったいどうしたら本物である確証が、偽物である確証が得られる?

「あぁ、今回は早かったな」

 茫然自失になり、自身の両手をじっと見つめて動かなくなってしまったジェイクを見て、ディスタントはそう呟いた。

 毎回こうだ。ジェイク・リブレインという人間の精神は脆い。自身の不完全性と不安定性に耐え切れないのだ。

「世話が焼けるな、キミは」

 ジェイクに向け、踏み出す。手が届くほどに近づいたディスタントの髪から、ブレインジャッカーがゆっくりと──

「じぇいくは わたさない」

 咄嗟に、ディスタントはその場から飛びのく。爪での一撃は空中を通過した。

「……はは、なんだ? 自分の過去の次はジェイクに縋ろうってハラか?」

「あなたは あなただけは ゆるさない」

「やってみろよ、許さなければどうする?」

 メゾフォルテが躍動する。尻尾を振るい、爪を振るい、振り切った腕を地面に着くことで支点として、さらに一撃。メゾフォルテのインファイトスタイルは舞に近い。周囲に利用できる遮蔽物が無ければなおさらに。爪や尻尾の刃は正真正銘の一撃必殺。分子に匹敵する鋭さをもってあらゆる物体をバターよりも抵抗なく切断できる。だが、ディスタントはそれを軽く避ける。避ける。避ける。

「ちょっとは頭を使えよ。だからオマエは失敗作なんだ」

「うる さい!」

「『ブレインジャッカー』」

 宣言。感情の破壊者が躍動し、舞の間を抜けてメゾフォルテの頭部に張り付いた。が、それはすぐにディスタントの元へと戻っていく。

「腐ってもワタシか」

 仮とはいえ、ブレインジャッカー予防策を講じていたらしい過去の自分にディスタントは舌打ちをした。


 メゾフォルテは限界に近づく自分を自覚しながらも、なおも動き続ける。

 視界がぶらつく。警告音こそ止んだものの、真っ赤なアラートウィンドウは閉じない。だけれど、ここで引くわけにはいかない。ここで引いてしまったなら。ジェイクは。

「わたさない わたさないっ!」

「馬鹿なインコ以下の台詞だな、ええ!?」

 乱暴な台詞と共に迫るブレインジャッカーを爪で切断し、さらに一歩、前へ、前へ──

 記憶を、命を弄んだ。自分を、そしてなによりも大切な人を。

「じぇいくを よくも!」

「ジェイクの居場所はワタシの隣だ、オマエじゃない!」

 ブレインジャッカーは残り一本。ディスタントの厄介さ、その最たるものであるあれを処理すれば少なくともこの場から離脱できる。もっとも避けるべきはジェイクを確保されることだと、メゾフォルテは再認識した。記憶の編集にどれだけの時間がかかるかは分からないが、一度変えられれば最後、ジェイクはメゾフォルテを忘れるだろう。

「そんなの、そんなのは……」

 そんなの、許せるはずがない。

 メゾフォルテの体が宙を飛ぶ。弧を描く跳躍は綺麗にディスタントの頭を飛び越える。一瞬、ほんの一瞬、その跳躍に反応できなかったディスタントが目を見開く。それだけで、メゾフォルテには十分だった。三叉に別れた尻尾は振り返りざまにディスタントの髪を掴み上げ、その内側に潜むブレインジャッカーを引きずり出す。そのまま引き裂けば、ブレインジャッカーの切断された先端が地面に落下した。

「どこまでも……どこまでも邪魔をする……」

 顔をしかめるディスタントと、それを真っ向から見据えるメゾフォルテ。二人は至近距離で向かい合った。

「ッ!?」 

 気配。半ば勘で飛びのいたメゾフォルテの位置に、唐突なエネルギー照射が為された。カウフィット戦でジェイクが用いたレールカノンよりも威力はずっと低いが、いかんせん数が多い。

 弾幕を張りながら、物陰から大勢の人間が姿を現した。白を基調とし、青と緑の差し色がなされたお揃いの制服とフルフェイスユニット。手には小型レールカノン。BRAIN SHAPEの治安維持部隊だ。

「さぁて」

 服をはたき、ディスタントは両手を広げた。

「この数を相手にできるか? 失敗作」

 再び、一斉に射撃が開始された。避けるのは簡単だ。通常の物理弾とは速度が桁違いであるが、メゾフォルテからすれば誤差の範疇。数に物を言わせた弾幕にも隙間はあるため、避けるのは難しくない。だが、今はダメだ。今の目標は避けて生き残ることじゃない。

 ディスタントが近づいていく。弾を避けるために動くメゾフォルテを一瞥もせず、ジェイクの方へ。

「だめっ!」

 接近できない。弾を避けて間を進むが、それでも遅い。遅すぎる。こんなに短い距離が、永遠に感じるほど長い。

「……ジェイク」

 そしてディスタントはジェイクの眼前へと辿りついた。ジェイクはゆっくりと手を退け、ディスタントへと顔を向ける。

「博士……」

 悲哀、不安、絶望、あらゆる負で張り裂けそうな表情。いや、もう張り裂けたのだろう。限界を迎えてしまったからこそ、ジェイクは動けないのだから。

「リラックスしろ、ジェイク」

 そっと、ディスタントはジェイクの頭に手を乗せた。二度、三度、撫でる。

「すぐに終わる」

『ジャッキング』

「やめて やめてっ!!」

 メゾフォルテの言葉はもう届かない。ディスタントにも、ジェイクにも。

 そしてジェイクは、その場でゆっくりと倒れ伏した。

「このっ──よくもっ!」

 メゾフォルテが到着した。だが、もう遅い。すべては終わって、そして、

「ここから始まる。ワタシたちの新たな始まりだ」

「そんな そんなこと──」

 ジェイクの表情、台詞、一挙手一投足をメゾフォルテは思い出せる。初めてだった、温度なんて感じないはずのこの体が、心が、たしかな温かさを感じたのだ。あの温かさを失いたくなんてない。

「──そんなこと させない」

 黒煙がまき散らされた。その場にいる全員──治安維持部隊も、ディスタントも──の視界が塞がれた。

「……チャフ・スモークか、ここまで温存を? 小賢しいな」

 だが、これでなんとかなるわけでは──

「まさか──!」

 ディスタントが振り返ったその瞬間、視界の端を光が駆け抜けていく。その光は黒煙を消し飛ばしした。

「……それも温存か、オーバーヒートを防ぎ、離脱のために」

 残ったのは、ディスタントただ一人。メゾフォルテもジェイクも、どこにもいない。

 おかしいとは思っていた。メゾフォルテがパルス加速を頑なに使用しないことが。だが、些事だと思った。アレは動揺していて、だから使わないのだと。その程度の小物だと侮った。その結果がこれだ。

 ディスタントは光が消えた方角へ目をやると、不機嫌そうに目を細めた。 

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