9. 決戦の夜

「チェック」

『きこえるよ』

「よし、通信問題なしっと」

「よかった これでずっと いっしょ」

 窓をガラリと開けて部屋内に戻ったメゾフォルテが、ご機嫌の証に尻尾をゆったりと振った。

「いやまあ日常生活で使えるかは……あれだけど」

 通信は、マイクロドローンネットワークを用いている。小規模ではあるが、ここから戦場予定地まで一直線で繋いでいるので、今回の仕様に限っては問題ないだろう。

 メゾフォルテの持ちうる機能として通信もろもろも存在するはずだが、彼女自身が自分に眠る機能を探す手段を持ちえないため、現在は彼女の体に直接通信機をつなげている状態だ。

「ばらんす へん」

「できるだけ小型なやつを選んだつもりだったんだが……お嬢さんにとっては結局枷か」

 トキシカズラが苦い顔を浮かべ、通信機の位置を再調整した。現在の位置は太ももあたりに巻きつけているような形だ。

「準備はオッケー?」

 ジェイクの言葉に、メゾフォルテはうなずくと、ずいっと顔を差し出す。

「じゃあ きす」

「えっ……?」

「きす して」

 どこでなにを覚えてきたのか。ジェイク痛む頭を抑え、なんらかの行き違いが起きていることを願った。

「ええっと……な、なんで?」

「たたかうまえ きす でしょ?」

「まあ、そういう作品もあるにはあるけど……」

 どうやら、リハビリ期間中に見たドラマかなにかに影響を受けたらしい。

「やってやれよリブレイン。キスの一つや二つ安いもんだろ?」

「安くはないだろ……」

 とはいえこんな状況だ。たしかに願掛けや祝福の類が欲しくなってくるのも事実。

 ジェイクはそっとメゾフォルテの額──額というか、カメラアイの隙間というか──にそっと口づけをした。

「うん ありがと」

 どうやら彼女に恥という概念はないらしい。嬉しそうに首を曲げたメゾフォルテは中途で三本に分かれている尻尾を器用に使ってハートを作り出した。横からならばあらゆる角度からハートに見える逸品だ。それを見て、トキシカズラは口笛を一つ吹いた。


 暗影街とは、保護圏の淵ぎりぎりに存在する地域の名称である。圏外に出るとはいかないまでも、保護圏に馴染めなかった者たちの吹き溜まりであるため治安は悪く、企業の治安維持部隊もめったに乗り出さない。そんな暗影街の路地を、一人の女が歩いていた。燃えるように赤い髪はその動きの軌跡にわずかな光を残し、その姿はこのうえなく目立つ。だが、路地に潜む漁り屋は身を潜め、決して襲おうとはしない。自らの立場を、実力をわきまえているのだ。

 カウフィットはふと、背後を振り返った。隠れて様子をうかがっていたらしいごろつきが急いで身を隠すが、それには気にも留めない。

「あぁ、なァるほど。上ですか」

 上空から、唐突にミサイルが着弾した。企業勢力の軍勢が保持するそれに匹敵する威力のミサイルはあたりを破壊し、建物一つを完全に倒壊せしめる。

「ちゃくだん かくにん」

 路地を構成する建造物の屋上から屋上へ飛び移りながら、メゾフォルテはそう報告した。

『了解、それじゃあ次だね』

「りょうかい つぎ」

 通信の向こう側にいるジェイクの声を受けて、メゾフォルテは駆け出す。計画性という言葉からかけ離れた建造物の屋上から屋上へ飛び移り、そこにあった黒色のケースを手に取った。

「じだん かくほ」

『よし、照準補正完了』

「はっしゃ わん つー」

 黒色のケースは展開し、小型のミサイルポッドへと姿を変えた。そして──発射。

 倒壊による余波によっていまだに煙る路地へと追加のミサイルが撃ち込まれる。

「めいちゅう……つぎ」


 ジェイクたちが立てた作戦は至極簡単なものだった。

 カウフィットの行動範囲は限られている。数パターンしかないそれらの周囲に小型ミサイルポッドを事前に忍ばせ、あとはそれを随時回収しぶっぱなす。ただそれだけ。

 この作戦の要は、カウフィットに先手を取れること。奴のフラクタル構造紋章は局所的にしか展開できない。ゆえに広範囲攻撃には対応できないのだ。ミサイルを一発撃ち込み、カウフィットの反応を確かめないうちから次弾を撃ち込み続けることで反撃の隙を与えない。これならばそもそも戦わずして決着をつけることができる。奴の体が爆散しては、メゾフォルテの身体に関する情報が得られないが──


 手に取った三つ目のケースに、炎で構成された短剣が突き刺さった。メゾフォルテがその場で距離をとると、ケースは音を立てて爆散する。

「……なぁかなか、面白い手段をとっていただけたヨうで、感激ですねェ」

 ──その程度で死ぬほど、カウフィットは生易しい敵ではない。

 爆炎の中から姿を現したカウフィットは、ほぼほぼ無傷。せいぜい服の裾が少し焦げた程度であり、余裕のある表情はひとかけらたりとも崩れていなかった。

「まだっ だめっ!」

 そう言うなり、メゾフォルテの左ふくらはぎ部分が展開。そこから転がり出た円筒形の物体が黒煙を周囲にまき散らす。

 チャフ・スモーク。これは以前のカウフィット戦でメゾフォルテが半ば偶然に発見、使用できた自身の機能だった。黒煙は周囲を包み込み、通信、追跡、および赤外線カメラ等を妨害するが、今回ばかりはただの煙幕として活用している。

 煙幕に乗じて壁面を駆け上がり、再び屋上だけが続く上空へと躍り出たメゾフォルテだが、そんな彼女のすぐそばを短剣が掠めていく。

「ついせき されてるっ!」

『所定の位置まで行けそう?』

「いけなくても いく」

 屋上へ飛び出すカウフィットの姿を視界の端で捉えながら、メゾフォルテはパルス加速を起動させた。



「……」

 階段を上がり切ったトキシカズラは、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。

 インカムから聞こえる内容からして、作戦は無事に進行しているらしい。ズレこそあるものの、まだ許容の範囲内だ。

「俺は俺の役割をしろ、だな」

 トキシカズラの役割は、BRAIN SHAPE内部の情報を奪取することである。メゾフォルテの改造がカウフィットの独断であるならば良い。だがもし、自らが所属する企業が、その最も上に立つ者が関わっていたならば。

「……俺は」

 メゾフォルテのことは好きだ。恋愛的な意味ではなく、自らにとって一番の友人の良さを熟知しているという点で。だから、だからこそ、幸せになってほしい。もしBRAIN SHAPEが関わっているならその責任を少しでも果たしたいと、そう思う。証拠が欲しかった。決断に足る証拠が。


 たどり着いた保全部門はてんやわんやだった。当然だ。自社で管理しているはずの携帯ミサイルポッドがいくつも紛失し、暗影街で使用されているのだから。

「誰が使ってる?」

「わからん! なんか素早いってことしか……」

「おい! 誰か上と連絡取れ!! さっさと治安維持部隊を入れろよ!!」

 怒号や不満、冷静な台詞が飛び交う中を、トキシカズラは平然と進んでいく。保全部門に研究部門の研究員がいるのは平時であれば特異に映っただろう。だが、今はそんなことを気にしている余裕など誰にもありはしない。

『アクセス承認』

 普段は求められる承諾の数に辟易していたものだが、今日ばかりは主任権限がありがたい。音もなく空いた扉を跨げば、そこはアーカイブルーム。社内のあらゆる情報が集まる機密の玉手箱である。



 メゾフォルテを追う短剣が、その背後で爆発を起こした。

 逃げるメゾフォルテと、それを追うカウフィット。現状はカウフィットが微々たる差で有利と言ったところだろうか。

 なんせ、追われるメゾフォルテには地で遠距離攻撃手段が存在しない。各所に配置したケースを手に取ればいいが、その際に生まれる一瞬のスキを突かれ、短剣によってケースを潰される。それに加えて常時飛んでくる短剣を避けなければならないのだ。

「いやぁ素晴らしィ! 素晴らしいですねェ!!」

 各段にやりにくさが上がっている。その成長にカウフィットは内心舌を巻いた。

 固定砲台のような戦法を得意とするカウフィットにとって、最も苦手とするのが追跡戦だ。自身のリズムは乱され、短剣の狙いもつけづらい。反対に、身軽で素早い動きを得意とするメゾフォルテは逃走が大得意ときたものだ。実力の差は埋まり切らないものの、もっともその隙間が小さくなる形で戦場をお膳立てされてしまったと言えるだろう。

「こうなってくるとォ……最初から追わなければ良かったデすねぇ……」

 もっとも、追跡を止めれば今度はミサイルを喰らう。現状のほうが幾分かマシかもしれない。


「じぇいく! つぎ!」

『マーカー切り替えて、フィルターは偏光2、曲射6、還元5。成分はアゼチリニアイトで』

「わかった!」

 ケースの位置を記憶する手段としてはメゾフォルテのターゲットマーカー機能を用いている。

 すべてのケースに違う成分を混ぜこんだ塗料を用い、光屈折式紋章を描いた。これによってターゲットマーカーのフィルター機能を用いれば、それぞれの違いからケースの位置を特定できる。



『じぇいく もういっこ!』

「よし、次は偏光7、反射2だ。成分は非活性レネゲイド水晶」

『うん!』

 張りつめたメゾフォルテの台詞をバックに、ジェイクは扉を開けた。いつもならなんともない扉の重さが、今は何十倍、何百倍にも感じる。

 夜風が頬を殴りつけた。ここまで強いともはや気持よさは皆無。普段ならば、飛ばされてしまうのではないかというあり得もしない未来を心配しただろう。

「よ……いしょっ」

 ジェイクが今いるのはBRAIN SHAPE本社の展望デッキである。〝社員同士のコミュニケーション〟をお題目に作られたラウンジと展望デッキは、位置が高すぎるため下層階からはアクセスに不便であり、そもそも、わざわざラウンジまで行って仲を深めようとする社員などそうそういないという悲しき理由によってほぼないも同然となっていたエリア。

 そんな展望デッキからは、視界の遥か下に保護圏を一望することができる。ジェイクの部屋とは比べ物にならない高さだ。地面よりも階層の天蓋が近いというのは、流石保護圏の文字通り中心と言ったところだろうか。そんな景色の彼方に、瞬く光が見えた。

「……メゾフォルテ」



「クソッ、むやみやたらと記録が多い……」

 トキシカズラはそう毒づいた。BRAIN SHAPEはその歴史の中で数多の機密を作り出してきた。ジェイクのブレインジャッカーでその封を解いたとはいえ、籠をひっくり返して中身を一つひとつ見聞するのだから時間はかかる。

「全部は……無理か」

 いくら保全部門がてんやわんやとはいえ、ずっと情報を漁れるわけもない。見つかるのは時間の問題だ。トキシカズラはわずかに目線を上げる。平時ならばこちらを見つめているはずの監視カメラは機能を停止している。ジェイクのブレインジャッカーに感謝だが、どちらにせよ、人が来るか監視カメラ停止に気づかれるかでトキシカズラは勝負に負ける。

「急げ、急げよトキシカズラ……」

 トキシカズラは緊張にあまり強くない。見た目からは冷徹で常に冷静な印象をもたれるが、見た目から推察できる彼の印象において合っているのは〝神経質である〟というその一点だけである。しかしそれですら〝そういうときがある〟だけなので完全な正解とも言えない。

「ああ、もうっ……」

 漁り、漁る。無意味な会議記録をフリック、ゴミ箱にシュート。治安維持部隊の極秘活動も同様に投げ捨て、大量にある部品受注記録を──

「……?」

 どうして、部品受注記録が機密扱いにされている? この受注は社内から社内のもの。確かに車外に漏れるのは防ぐべきだが、わざわざ機密指定され、ブレインジャッカーの助けを借りなければ閲覧できないようなゾーンにあるものとは思えない。

「まさ、か」

 メゾフォルテの推定被改造歴と日付は一致している。パーツも、数も、おおよそ一致。受注責任者は──BRAIN SHAPE上層部。

「掴んだ……これだ」

 すべての証拠。これをどう扱うか考えなければ。いや、待て、ということはメゾフォルテの駆体の図面がどこかに──

「……こんなところで出会うとは、奇遇だな。トキシカズラ・ラベンデス」

 扉が開き、聞き覚えのある声が聞こえた。

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