8. 生のくびき

 明確な生の終わりを味わったことがある者など、この世界に何人いることだろう。少なくとも今回、メゾフォルテはその貴重な一人に入ったわけだ。

 彼女が〝終わる〟前、警告によって視界と聴覚を埋められていたころ、最後に考えたのは、当然、自身の復讐のことだった。結局、元々自分がどんな人間であったかを知らずに死ぬのだ。長いこと探して、ようやく見つけた目標に殺されて。

 ああ、でも。元の自分がどれだけ美人か知りたかった。もしも凄く美人だったとしたら、ジェイクの〝大切〟にも勝てたりして。そうして、そうして、深い深い泥に足を取られ、メゾフォルテはゆっくりと、自ら意識を手放した。



「……」

「随分と懐かれているようだな、リブレイン?」

「じぇいく じぇいく こっち むいて」

 トキシカズラの生暖かい視線から目を逸らせば、そこにはメゾフォルテの尻尾が強く巻き付いた自身の腕と、寄せる駆体と赤いカメラアイ。どっちを見ても、どのみち気まずい。

 目を覚ましたメゾフォルテが真っ先にしたことは、ジェイクを見つけることだった。その場でぐるっと見回し、見つけるや否や飛び掛かろうとしたのでジェイクとトキシカズラは随分と焦った。

 メゾフォルテの身体の構造上、なにかを抱きしめることは、その〝なにか〟に単分子ブレードが及ぶことになる。あわやジェイクが惨殺死体になる一歩手前でキャンセルされた再会の抱擁だが、代わりにその重みは尻尾巻き付きに比重が傾いたというわけだ。

「まあその、なんだ。仲良きことは美しきかなというやつだが、修復はまだ不完全だ。むやみに動いてくれるなよ」

 そこで、ようやくメゾフォルテはトキシカズラの存在に気づいたらしい。すぐに警戒態勢を取ろうとするが、ジェイクがそれを静止した。

「……あなた えれべーたーの」

「おぼえてくれていたとは。嬉しいな」

 トキシカズラがにこやかな笑顔を向けた。他者に、特に部下や同僚には厳しい態度をとりがちな彼ではあるが、小さい子に対しては礼儀正しい。見た目こそ子供からはかけ離れてるメゾフォルテだが、背丈でそう判断されたようだ。

「それで……メゾフォルテ」

 再会の喜びもそこそこに、ジェイクは聞く必要があった。すなわち、メゾフォルテになにがあったのかを。


「炎の短剣、紋章学、か……」

 メゾフォルテがようやく目標を見つけた。それはいい。むしろ喜ばしい。だが──

「厳しい……んだね」

 ジェイクの問いに、メゾフォルテはゆっくりと頷いた。

 ようやく見つけた。復讐を果たし、自らについて知れればよかった。だが、それを叶えることができるかどうかはまだ分からない。 

 メゾフォルテはずっと、復讐の対象を探してきた。ただ探すだけで、見つけたあとソイツが抵抗してきた場合など想定していなかったのだ。

 メゾフォルテは、ジェイクの腕に巻き付けた尻尾にぎゅっと力を込めた。本当は、今すぐにでもジェイクに飛びつきたい。抱き着いて、抱き返されて、金属の肌では感じることができないはずのぬくもりを錯覚したい。長いことメゾフォルテは我慢してきた。自身の身体の醜さと危険性を理解していたから。だけど、もう無理だ。

 強く〝終わり〟を感じたことによって、メゾフォルテの思考には変化が生じていた。ジェイクは恩人で、新しいことを教えてくれる人で、多少なりとも引け目があった。だが、死んでしまっては、終わってしまっては意味がない。

「わたし たおすよ わたしじしんのために」

「メゾフォルテ……」

 瞬く六つのカメラアイはくるくると回転し、ジェイクにその光を向けた。その動きにどんな感情を、想いを込めたのかはジェイクには分からない。だが、この数週間あまり、共に暮らして来た中で分かったことがある。

「……僕は、きみに着いていくよ」

 彼女は、〝生きるために生きる〟人だ。経由なんて元から考えず、生を進んでいく人だ。……ジェイクが忘れようとして、遂には捨ててしまったなにかを持っている人だ。だから、もう一度──

「僕の人生を、きみの行動に乗せてくれ」

 代行ではなく、賭けの対象として、人生をベットするのだと。

「──よしっ!」

 するり、と、メゾフォルテの尻尾がジェイクの腕を開放すると同時に、ジェイクは両手で頬を勢いよく打ち付けた。

「トキシカズラ、頼みがある」

「みなまで言うなよ」

 トキシカズラは片手を軽くジェイクの肩に置くと鼻を鳴らして見せる。

「俺も加わらせてもらおう。お嬢さん、あなたのその健気さに敬意を表して。かまわないかな?」

 メゾフォルテがジェイクに顔を向けると、ジェイクはそれに頷きで返した。

「よろしく おねがい」

「こちらこそ」



 数日が経過した。メゾフォルテは次第に元の姿を取り戻しつつある。

「どうかな、お嬢さん」

「ちょっと にぶい」

「えーと、ジェイク?」

「単純に、動作が思考についていかないってことかな」

 言葉足らずになりがちなメゾフォルテの言葉をジェイクがかみ砕き、その言葉を受けたトキシカズラが調整を行い、時に新たなパーツを作り出す。それの繰り返しだ。

「お嬢さんとジェイクは出会ってまだ一か月経つかどうかだろう? 随分とツーカーだな」

 トキシカズラの言葉に、二人は顔を見合わせた。本人たちに自覚はないが、トキシカズラから見た際の二人の距離感はとても近い。主に主導しているのはメゾフォルテだが、彼女自身が触れられないからだろうか、その分を埋めるかのように尻尾での自然なスキンシップも多く、それが仲の深さを際立たせている。

「そう、かな?」

「……きずな」

 ジェイクは首を傾げ、メゾフォルテはなぜだか自信満々にそう言った。

「そこは合わないんだな……おっと、失礼」

 トキシカズラはメガネに手を当て、誰かとなにかを話しはじめる。

「ああ、そうだ。ああ……確かに受けとった」

 連絡を終えると、トキシカズラが振り返る。その顔は固く、さきほどのほがらかな雰囲気が消え失せるほどの真剣さを帯びていた。

「情報が出た。お嬢さんの目標についての詳細だ」

 トキシカズラがメガネの位置を直す。そこから空中にウィンドウが投影される。そこに写るには、燃えるように赤い髪を持つ女──

「こい、つ──!」

 思わず、メゾフォルテは尻尾を逆立てた。数日前とはいえ、あの敗北は記憶に新しい。

「名は、〝カウフィット〟。フリーの殺し屋、兼技術者だ」

「かうふぃっと……」

 メゾフォルテはその名を疑似声帯の上で転がした。

「紋章と元素魔法の複合……まあ珍しくはない組み合わせだな。だがその腕前は一級品だ」

「紋章と元素魔法の使い手が技術屋を?」

 ジェイクの疑問に、トキシカズラは手元の端末に目を落としながら答える。

「以前は前述の二つを扱った刻印改造を主に扱っていたようだが……数年前からモダン・メカナイズされた複合改造を扱うようになったらしい」

「そらまた急な……」

 この世界において、一つの技術を極めることは簡単ではない。だからこそ、一つの技術を深く深く掘り下げた者が急に他技術を取り込むことは難しいのだ。

「加えて、ここ数日、奴は暗影街の裏路地を闊歩しては漁り屋やごろつきを壊滅させることを繰り返している」

「……さそわれてる?」

「かもしれない」

 向こうがこちらを待っているなら作戦がいる。ただでさえこちらの最高戦力であるメゾフォルテが一度敗北しているのだ。研究一筋の男二人が増援に駆け付けたところでできることはほぼないと言っていい。

「情報屋もここまでが限界だと。暗影街の住人から、カウフィットはよほど怖がられてるらしいな」

「問題は……紋章をどう突破するか」

「そう、そこだ」

 ピッと指をジェイクに向け、トキシカズラは言った。

「奴の紋章はフラクタル応用型の無限減衰だ。局所的ではあるが、一度展開されれば無限の減衰と距離的な問題であらゆる衝撃を受け付けない」

「それについては……少し、考えがあるんだ」

 ジェイクはそっと作業室へと目を向けた。

「僕にも、戦わせてほしい」


「リブレイン、ちょっといいか」

 会話がひと段落した頃、トキシカズラはジェイクへと声をかけた、メゾフォルテはリハビリもかねて今頃建物の壁面を駆けまわっているだろう。

「これを見てくれ」

 トキシカズラが差し出した手のひらの上に載っていたのは小さなソケット式の電極だった。それを手に取ってまじまじと見つめたジェイクはそっと呟く。

「……ウチ(BRAIN SHAPE)のか」

「ああ、お嬢さんの駆体の推定製造年からして、当時はまだ図面上にしかない試作品だ。コイツはどうもきな臭いぞ」

 ジェイクはそっと天井に目をやった。その動作にトキシカズラは頷く。

「図面が漏れることはありえない……とまでは言わないが、十中八九〝上〟が関わっているぞ、これは」

 BRAIN SHAPEの組織図、その頂点には取締役会が存在し、そこには五つの椅子が存在する。どれも傑物にして妖怪。陰謀と策謀を巡らせる、人を操る天才たちだ。

「引き続き、俺はそこらを調べよう。カウフィットを倒しました、ですがお嬢さんが日常を送れません、では意味がない」

「ああ、任せた」

「……てっきり、俺が今いるポジションにはディスタント・クリーディの奴が納まるもんかと思っていたんだがな」

「博士には──まだ、言わないでくれ」

「どうしてだ。プライドか?」

「それももちろんあるよ、だけど……」

 〝相応しい人間に〟などと考えたことはなかった。不可能だからだ。その考えは今も変わらない。ディスタントという人間の隣に寄り添える者など存在しない。ジェイクが人生を何度繰り返そうとも、それはゆるぎない事実としてそこにあるのだろう。

「……そうだなぁ、目指すのはタダだから、かな」

 たとえ果てのないゴールだったとしても、ただひたすらに生きて、生きて、生き抜いて、一瞬の隙をついてフラッグを掠めとる。今、その目前までたどり着いた少女を知っているから。

「はは、目指すことそのものを目標に? 酔狂だな」

「勝手に笑ってくれよ、これでも考えた結果なんだ」


57階から見下ろす町並みは、ぎらぎらと輝いていた。朝も夜も関係なく光を発し、人の不幸も幸福も、決断も諦めも飲み込み、無味として吐き出すのだ。

 昼夜照明は消え、そうして迎える。決戦の夜を。 

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