7. 〝つかのま〟の終わり
火の粉が舞う。女は煙幕によって煙る視界を軽く払うと、建物を見上げた。
「スモーク……いや、チャフのようなものですカァ? ……ま、いいでしょう」
文字通り、女は火の粉を払うだけ。去る者は追わず、来るものは迎える。一度見つかれば次は闇討ちの可能性があるが、今回ばかりは早々ないだろう。
「……どのミち、再起不能でしょーからネ」
何事もなかったかのように振り返り、女は再び路地を奥へ奥へと歩いて行った。
◇
ジェイクは一人、自室へとつながる長い廊下を歩いていた。毎日歩いている場所なにも関わらず、電灯の光がいつもより眩しい気がする。ふと、先ほどの夕食を思い返し、その口は僅かにほころんだ。
久しぶりにディスタントと過ごした夕食は、実に楽しい時間だった。共に夕食を取らなくなった期間中、軽口をたたくことはあったものの話し込むことはなかったため、積もり積もった話題に火が付いたのだ。話し、笑い。話し、呆れ。話し、拳を軽く突き合わせる。その繰り返しだけで時間は驚くほど速く過ぎていった。夜は更け、もうすぐで夜明けといった時間帯だが、幸いなことに明日の予定は無い。
照合を済ませ、開いた扉の向こうからふと、夜の風が届いた。
窓が開いている。メゾフォルテが帰っていたとしても、窓は閉めるはず。かといって五十を超える建物を壁面から昇り、たかが一研究員の私室に侵入する者などいるわけがない。思考は止まらないが、それは行動も同様。ジェイクの足が今、リビングを踏んだ。
「──」
状況を理解するまでに、さほど時間は必要なかった。リビングにいたのはメゾフォルテだったのだ。ただし、床に伏し、ピクリとも動かず、六つのカメラアイはその輝きを停止させ──
そして、右腕が。肩の付け根で破壊された右腕の残骸が、床に転がっていた。
◇
「メゾフォルテ!!」
駆け寄る。返事はない。揺さぶる。返事はない。
生きているのか、死んでいるのか。そもそもこの駆体はどこまで破損保護があるのか。何も分からない。ジェイクは自身が機械化について精通していないことを憎んだ。多少の知識こそあれど、それは基礎からせいぜい少し発展した程度のもの。極地とまではいかないし、そのためブラックボックス同然のメゾフォルテボディを見極める力量が無いのだ。
『ジャッキング』
ノータイムでブレインジャッカーを接続、反応があると言うことはまだ僅かににシステムが生きている証。しかし、その反応はかなり鈍い。そして、今も弱々しくなり続けている。
いつから? いったいいつから彼女はこの部屋で自分の帰りを待っていた? ディスタントと楽観的な時間を過ごしている間に──
「いや、落ち着け。落ち着け、ジェイク・リブレイン」
自分を責めている時間などありはしないのだ。選択は二つ。一つはこのまま自力でメゾフォルテを修復する──いや、これは無理だ。時間をかければ各パーツの構造を解析して再構築、システムも修復できるだろうが、時間との勝負には負けてしまう。なによりも、機械化駆体への造詣が足りない。
「ああ、クソッ」
ならば、助けを呼ぶしかない。だが──
ジェイクはピクリとも動かないメゾフォルテに視線を移した。
メゾフォルテの存在は、今のところ本人とジェイクだけの秘密である。無用なリスクを避けるためと、メゾフォルテの改造者探しに支障をきたさないためというのもあるが、一番は本人が嫌がったためだ。しかし、今はそんなことを言っている暇など──!
「……!」
居た。今は培養生物学を専門としているが、彼は置換工学を専攻していたはず。
判断を行動に移したのはほぼ同時。幸いなことに、彼はすぐに電話を取ってくれた。
◇
トキシカズラ・ラベンデスにとって、深夜の連絡は珍しいことでもない。彼が専攻する生物培養には不測の事態が起こりうるからだ。だが、彼の数少ない友人からの連絡というのは実に珍しい出来事だった。明らかに切羽詰まっている音声メッセージは事態の異常性を際立たせ、トキシカズラの意識を完全に覚醒させるには十分すぎた。
ジェイクの部屋を訪れたトキシカズラはまず絶句し、そして自身に求められている役割を理解した。そして、ひとしきりの道具を持ってきてほしいという言葉の意味も。
「……図面は、ないんだろうな」
「……ああ」
それっきり。状況の説明はなしのまま、二人は作業に取り掛かった。まず優先すべきはメゾフォルテの意識だ。腕は治りました。しかし目が覚めません。では意味がない。ジェイクはブレインジャッカーでもってシステムを修復し、トキシカズラは駆体中核部の物理的破損を埋める。そのためにトキシカズラの部屋から持ち込まれた万能プリンターは動き続けた。
「ったく……なんなんだこの機構は……」
作業が始まって数時間。トキシカズラはぶつぶつと呟く。メゾフォルテの腹部を開け、中を覗いたわけだが、そこはもはや戦場だった。ぐちゃぐちゃに詰め込まれたコードやパイプ、複数の──明らかに企業の規格品ではなくお手製の──ポンプや処理装置は、制作者がいかに計画を立てずにこの駆体を作り上げたかを示していた。コアとなる動力部や電子頭脳に破損はなさそうなものの、その他の機構のほとんどがオーダーメイド品であり、型番はおろか仕組みすらよく分からない。
そんなトキシカズラを尻目に、ジェイクもまた戦っていた。メゾフォルテのシステムは複雑怪奇で分かりにくい。整理されていない電子コードは明らかに他者のメンテナンスを想定しておらず、思いついた先から機能を詰め込んだとも思える乱雑さ。しかし、そのどれかを抜けば全体にどんな影響が出るか分からない。それを一つ一つ繋ぎ合わせ、再起動の方法を探っていく。
夜は更け、トキシカズラが自室から持ち出した追加の三次元プリンターが7台を超えたころ、ようやくメゾフォルテのカメラアイがチカチカと点滅を始めた。
コアシステムの再起動成功。しかし、それでもなお意識を取り戻した様子がないということは、勝負はここからであるということだ。
メゾフォルテの駆体はめちゃめちゃである。物理的にも電子的にも整頓の〟せ〟の字すらなく、既存の知識がほぼ役に立たないほどに独自の構造が用いられている。そもそも、コアシステムと電子頭脳が合わせて一つとして機能しているかも分からず、そうだったとしたならコアシステムをもう一度起動すれば良いだけだったのだが、事実として彼女は目を覚ましていない。藁の山に落とした針を見つけてもどうしようもないということは、藁の山が存在する納屋の中から、その針に通すたった一本の糸を見つけ出さないといけないわけだ。
「果てが無いな……これ」
「こっちも同じくだ。これを作った奴の顔面に蹴りを入れたいよ」
もはや今が何時かも分からない。作業室の外に出れば日が出ているかくらいは分かるのかもしれない。
「応急処置終わり。そっちを手伝おう」
額に浮かぶ汗をぬぐい、トキシカズラがそう言った。意味の分からない機構をもう解析したのかとジェイクは目を見開くが、本人曰く〟作った奴のルールが分かってきた。だから予想で再構築しただけだ〟とのこと。比べられる相手が悪かっただけで、トキシカズラもまた化け物の一人なのだ。
ふと、ジェイクの思考に雑念が混ざった。どうして自分はディスタントを真っ先に呼ばなかったのだろうか、と。彼女ならば難なくシステムを解析し、意味の分からない機構の数々を理解し、なんなら一人で修復まで持っていくかもしれない。負い目があったのか、それとも自分でやりとげたいというエゴか。どのみちもう彼女は眠ってしまっている。今から呼んだところで起きては来ないだろう。
「あっ」
余計な考えが思考操作を鈍らせたらしい。ブレインジャッカーによって侵入していたジェイクの操作意識は深く深く、システムの奥へと入り込んでいく。
ブレインジャッカーは、接続した対象に任意の感覚、記憶を想起させることができる。だが、それはあくまで当人が過去に体験した事柄であり、無から感覚を呼び出すことはできないし、記憶を編集することはできない。
「整合性だよ」
以前、どうして記憶は編集できないのかという会話になった際の、ディスタント台詞を思い出す。
「記憶には整合性がある。ある一点だけを変えたところで、前後の文脈から、編集された記憶を脳が勝手に補完してしまうんだ」
だから、記憶を変えること自体は時間をかければ可能かもしれないが、その内容をコントロールすることは不可能だと、そういうことらしい。
ならば今、ジェイクが目にしているこれは、失った一部が補完されたメゾフォルテの記憶ということになる。
濁り切った怨嗟と、血に濡れた復讐心。うず高く積まれたそれらの中にあったデータは記憶だった。だが、その内容に整合性などなく、途切れ途切れになった映画のフィルムがばらばらに浮かんでいるようなものだ。
ある場面では、貧困にあえぐ家庭が見え、ある場面では、豪奢な屋敷に住まう蒸貴族の一家が見え──明らかに整合性が取れていない。前後となるべき記憶が存在しないため、補完されては捨てられる記憶たちなのだろうか。
「……」
その中に、燦然と輝く記憶があった。最も新しい記憶、ジェイクとの生活が。
すべての動作、会話、その時感じた様々なこと。ジェイクと出会ってから、メゾフォルテの記憶は急激にその数を増やしていく。ジェイクはそれらからそっと目を外した。彼女の感情は彼女のものだ。今ここでそのすべてをつまびらかにもできるか、それは決して、すべきことではない。
それでも、目に入ったものはあった。彼女を部屋に招いた時、目を覚ました彼女が床で眠るジェイクを見つけたそこで感じた感情。名前が付けられないその感情の構成要素は、それまでの復讐と怨嗟とはかけ離れた色をしていた。
「ああ……そうだ、そうだよメゾフォルテ」
きみのその純粋さが、僕は眩しかったんだ。
ジェイクはより深く、深く潜っていく。もう躊躇わない。慎重さを捨て、ただ奥へ奥へ──!
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