5. 言われ、言う。

「おはようございます」

「ああ、おはよう。体調は大丈夫なんだな」

「ええ、この通りです」

 〝あの日〟以来のディスタントとの再会、二人は何事もなかったかのように挨拶を交わし、仕事へと移った。お互いに言いたいことこそあれど、それをあえて口にはしない。それは、あの夜の出来事を無かったことにするという暗黙の了解がこの瞬間に生まれた証でもある。

 もし、それが破られるときは、きっと二人がそれぞれに向き合うときとなる。それが分かっているから、余計に口にしようとしない。


「見よ! これぞワタシの最新作だ!」

 デスクワークを黙々と行っていたジェイクの目の前に、機械仕掛けの小鳥が置かれた。

「スイッチを入れると自動で飛び立ち、他者の陰口を自動録音! そのうえで陰口の当事者へと届ける!」

「うっわぁ……」

「なんと電源は最大で五日という大容量だ」

「相変わらず悪趣味なおもちゃを……」

 ディスタントの悪癖である。読み取った身体情報から対象の推定寿命を割り出し、ファンファーレと共に伝えるパーティーハット。抱きしめると全力で抵抗してから爆発し、周囲に真っ赤なインク(なかなか落ちない)をまき散らすぬいぐるみ。といった類の、まさに〝悪趣味なおもちゃ〟をディスタントはたびたび生み出し、それを使おうとするのだ。被害者は数知れず、それによって精神を病んだ者も両手では数え足りない程度には存在している。

「ふっふっふっ、だが、見事なものだろ」

「それはまぁ……同意しますけど」

 事実、ディスタントのおもちゃはよくできている。トキシカズラが嫉妬するほどには。

「ですけど、苦情はぜんぶ僕に届くんですからね」

「そこら辺の処理は信頼しているさ、助手殿?」

「……調子のいい」

 申請書の類を纏め、ジェイクはため息をついた。届いた苦情に対応するのはジェイクの仕事。相手は怒り狂っているか、極度に落ち込んでいるかのどちらかだが、大抵はジェイクの対応の手慣れ具合を目にするうちに怒りや落ち込みは同情へと変わる。

「勝手に暴れまわるおもちゃとか、作らないでくださいね」

「安心しろ、自由意思を持つおもちゃにはもう懲りた」

「既にお試し済みですか……」

 傍若無人の権化。しかし、それでも離れられないカリスマと才覚がディスタントにはある。

「それはさておき、ジェイク」

「今度はなんです?」

「……今日の夕食はどうする?」

「あー……すみません。しばらくは」

「いいさいいさ、気にするな。キミにも自由はあって然るべきだからな」

「ありがとうございます」

 ディスタントの気遣いを有難く受け取り、ジェイクはそう答えた。



「や、随分とお疲れだな」

 エレベーターの扉が開き、乗り込んできたトキシカズラはジェイクの顔を見るなりそう口にした。

「まあ……最近寝不足で」

「大丈夫か? なにかあれば言ってくれよ」

「それは、うん、助かるよ」

 ジェイクとトキシカズラは、特別親しいわけではない。二人で出かけることや食事に行くことなどほとんどないし、することと言えばたまたま出会った際に行われる雑談や世間話程度。だが、二人が二人とも、互いのことを友人だと言って憚らない。互いに劣等感を抱える者同士、通じ合っている。

「ちょっとした仮定の話なんだけど……神経接続済みの装備を外すのってどうすればいいと思う?」

「ほぅ、中々面白いな。形態は?」

「爪。常時活性・展開型の単分子ブレード」

「常時活性で展開固定の単分子ブレード? 随分と欠陥品だな」

「まあ、仮定だから」

 そんなジェイクの言葉に、トキシカズラは肩眉を上げると自身の髪をかき上げた。考え事をする際に行われる彼の癖だ。

「手っ取り早いのは物理的に破壊することだ。だが精神接続となると──」

「ああ、駆体への影響がね」

 精神接続系の装備を取り付ける場合、その駆体はそれを前提として設計されることがほとんどだ。故に、取り外した際の影響は未知数であり、故に装備は展開、収納が可能な設計が施される。

 ただ、メゾフォルテの爪は収納が度外視されている。そうしなければ日常生活が厳しいのにも拘わらず、だ。

「なら再設計しかないだろうな。図面は?」

「……所在不明」

「ハンッ、とんだ厄ネタだな。仮定だとしてもあり得ない」

「それには手放しで同意するよ」

「仮定、なんだよな?」

「……ああ、もちろん」


 トキシカズラに別れを告げ、自宅の扉へとたどり着く。生体認証を済ませると扉はスムーズに開き、そして、主を迎え入れた。

 ジェイクは鞄を置き、ゆっくりとリビングの扉を開ける。照明は点いていた。そして、食卓を囲む椅子には、人影が一つ。

「おかえり じぇいく」

「ただいま、メゾフォルテ」

 二人が同居を始めて、二週間が過ぎようとしていた。


「きょう けーき ある?」

「残念ながら」

「ざんねん……」

 メゾフォルテはしょぼ、と身体全体をすぼませると、カメラアイを何度か瞬かせた。

 出会った当初の不気味さはどこへやら、彼女を知れば知るほどかわいらしく思えてくる。もちろん、その凶悪な見た目が変わったわけではない。どちらかといえば、その所作である。

 ジェイクと出会った当初、メゾフォルテは常時周囲を警戒していた。話を聞けば彼女は決まった住宅や安全圏の類を持っていなかったそうだから、それも当然なのだろう。で、現在。ようやく緊張は解けたらしく、リラックスした様子を見せてくれている。

「夕食にしようか、ケーキはないけど、冷蔵庫にアイスクリームはあるよ」

「あいす たべたことない」

「そっか。きっと気に入ると思うよ」

 二人は、食卓に隣り合って座る。ディスタントとジェイクが夕食を取るときは向かい合うため、それとは丁度反対の形だ。

 ジェイクの前に料理は置かれるが、メゾフォルテの前には置かれない。なぜなら、意味がないからだ。メゾフォルテの身体に摂食機能は存在しない。故に、あらゆる食事を必要としない代わりに味わうことが出来ないのだ──唯一、ジェイクの隣にいない場合を除いて。

「それじゃ、繋ぐよ」

『ジャッキング』

 ブレインジャッカーが高らかに唸った。想起させるのは、メゾフォルテの記憶ではない。今回対象となるのはジェイクの味覚。それを味わった瞬間にブレインジャッカーを通してメゾフォルテへと伝えている。

「なんか ぶにぶに」

「脂身だね。嫌い?」

「にがて……だけど いい しょっぱい すき」

 彼女にとってはすべての食感が、臭いが、そして味が未知のもの。すべてが新鮮で、鮮烈。ゆえに多少不快だったとしてもメゾフォルテはそれを味わうことを選んでいる。

「そういえば、パルス加速は試してみた?」

 メゾフォルテの内に眠る数多の未使用機能には視界内インターフェイスが存在しない。それはつまり画面を見ずに知らないゲームをプレイしようとする行為に等しいことであり、改造者がいかに被改造者のことを考えていないかの証明でもあった。

 故に、ジェイクはメゾフォルテの駆体に一つの細工を施した。一から視界内インターフェイスを作成し、ブレインジャッカーを用いてそれを導入したのだ。

「うん」

 メゾフォルテは頷くと、自身の足を爪で指し示した。

「ため いるけど はやい」

「その他のも使えそうなら試していいからね」

「うん いろいろ してみる……みつける」

「……ああ、そうだね」

 〝みつけるために〟。それこそが、彼女の至上命題。


 食事を終えると、その余韻もそこそこにメゾフォルテは窓際へ向かった。鍵を開け、そのまま開けば夜特有の冷えた悪臭交じりの空気が部屋の中に流れ込んでくる。

「いってきます」

「いってらっしゃい、気を付けて」

 メゾフォルテが、窓から外へと身を投じた。一瞬の浮遊感と共にその身体は落下を開始する。高層、57階、そこから自由落下を続けるメゾフォルテの手足が閃いた。その手は、足は、爪でもって建物の外壁を駆ける、駆ける、駆ける。やがて、足の一部が展開し、パルス加速が起動するとその姿は一筋の稲妻となった。


「……」

 建物から建物へと駆けるメゾフォルテを見送り、ジェイクは窓を閉めた。もはやこのやり取りも習慣化している。

 彼女は、毎晩こうして出かけていく。一晩明けても彼女は帰らず、ときおりジェイクが帰宅するよりも遅くなることすらある。ほぼ一日をかけた捜索は、栄養や燃料を必要としないメゾフォルテの特権だ。特権ではあるものの、精神は摩耗していくはず。

「僕も、頑張らなきゃな」

 メゾフォルテの至上命題とは、復讐である。自身の身体を改造し、記憶を奪った者を見つけ、復讐を果たす。そのためにこれまで生き、そしてこれからも生き続けるのだ。今夜も彼女は夜通し復讐の対象を探し、街を彷徨うのだろう。──手がかりなど、ないに等しいというのに。



「……」

 メゾフォルテは一人、建物屋上に座り込み、遠く道行く人々へと順繰りに目を移していた。復讐すべき者を見極める術などない。これまでも、そしてこれからも、ただやみくもにピンときた人物を襲い、この身体を元通りにできるか尋ねるしかない。数週間前はそれでアルハナイに目をつけられたが、ここまで保護区の中心となれば奴らだって早々手出しはできない……とジェイクも言っていた。

 そう、ジェイクと出会う前の彼女であれば、本当にやみくもに目をつけることしかできなかっただろう。今の彼女には、ジェイクがいる。

「……ひっと ひっと ひっと ……おおい」

 彼女のカメラアイに人物が写るたびに、彼女自身すら自覚できない記憶内の手がかりを分析した電子頭脳がマッチする標的を自動で選別してくれる。ターゲットマーカー。ジェイクによって使用が可能になった機能の一つである。

 とはいえ、それは画面すらつけずにゲームをやっていた状態から、画面はつけたもののコントローラーはない状態になっただけである。視線と脳からの信号にって操作するそれには未だ慣れず、著しい疲労がメゾフォルテを襲う。この調子ではその他の機能と併用することなど夢のまた夢だ。

 彼女からしてみれば、物心ついたころから使っていた二本の腕とは別に、用途の違う何十の腕があることを知らされたに等しい感覚に近い。存在することは理解していても使い方など分からないし、何処にあるかも分からない。幸いなことにジェイクがお膳立てをしてくれたおかげでいくつかの腕はどこにあるか判明したので、頑張って動かしているわけだ。

「ひっと ひっと ひっと──」

 ないころより効率的にはなった。が、ターゲットマーカーが選別する標的はかなり数が多い。

「ひっと……」

 ふと、メゾフォルテは自身が身に着ける灰色のレインコートが風に吹かれて揺れていることに気が付いた。ジェイクに貰って以来、メゾフォルテはいつもこれを身に着けている。

 バサバサと、レインコートが音をたてて揺れる。上層からの風が強い。もしかしたら時期に雨が降るのかもしれない。

「じぇいく」

 自分に家を、食事の喜びを、そして失われそうな命を再び与えてくれた人。どうして彼は未だに自分を傍に置いてくれているのだろうかなどという疑問は何度も浮かぶが、それを本人に聞きたいとは思わない。答えを聞くのが怖かったのだ。怖い? どうして怖いんだろう。

「……じぇいく」

 レインコートを思い切り抱きしめたい気分だったが、そうすれば爪が裂いてしまう。メゾフォルテは代わりに立ち上がると、選別されたターゲットたちの元へと身を躍らせた。 

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