4. メゾフォルテ

 夜の街を、一人と一人が歩いている。片方はジェイク・リブレイン。白衣は泥にまみれ、髪は雨でくしゃくしゃになっている。

 もう片方はサイズの合っていないレインコートを身に着けた機械の化け物。幸いなことにジェイクのレインコートは化け物にとってぶかぶかであり、それが爪や尻尾を隠すのに一役買っている。

 二人の間に会話はない。それは、保護圏の中心部近くに来ても変わらなかった。

「あー、えっと」

 気まずさに耐えかねたジェイクが、ようやく口を開いた。

「キミは──」

「──めぞふぉるて」

 怪物は、そうとだけ返す。遅れてジェイクは、それが名前なのだという考えに行きついた。

「メゾフォルテ?」

 そう聞き返すと、怪物はコクリと頷く。レインコートが隠す身体のラインも相まって、その姿は少しかわいらしいようにも思える。……いや、感覚が麻痺しただけか。

「メゾフォルテ、アルハナイとやり合うなら〝締め出し〟は必要になる。呪術相手にその身体は不利になる。知っているだろ?」

 メゾフォルテは、ジェイクに顔を向けたまま黙ってその話を聞いていた。理解しているのかいないのか、そもそもジェイクに意識を向けているのかいないのか。それ以降も会話がないままに、二人は街を進んでいく。

 レインコートで全身を隠したメゾフォルテの姿は少し奇異に見えるものの、傍から見れば二人は若い父親と成長した子に見えなくもない。たどり着いたBRAIN SHAPEの宿舎でもそれは同じだった。ジェイクの姿は警備員に知られているが、警備員はメゾフォルテの存在に注意を払おうとしない。ディスタント・クリーディの助手だということは割れており、ディスタントその人に目をつけられることを好む人間などいないのだ。

 ジェイクの心臓は早鐘を打っていた。同僚に遭遇したら──いや、なによりもディスタントに出会ってしまったら。何を怖がっているのか自分でも分からないままに、二人はエレベーターへと乗り込む。

 10、20、30。数字が増えていくにつれて緊張は消えていった。消えていったというよりも慣れていったのだろうか。ジェイクの部屋は57階、あと少しでたどり着く──前に、エレベーターは止まる。階にして43階、ジェイクの顔から血の気が引く。かくして扉が開き、姿を現したのは金髪のオールバック、神経質そうな顔にメガネの男──第二十一研究部門主任研究員、トキシカズラ・ラベンデスその人であった。


 トキシカズラ・ラベンデス。その神経質な性格を自身でもってねじ伏せ、主任研究員に昇りつめた男。人は彼を〝ディスタントさえいなければ〟と称する。それだけの天才、故に彼がディスタントに抱く感情は複雑だろう。

「やあ、リブレイン。まったく最近は雨が多いと思わないか」

 そんな天才はにこやかに笑い、ジェイクにそう声をかけた。遅れて、白衣の後ろにそっと隠れるメゾフォルテの存在に気づく。

「……こんにちは、お嬢さん──でいいのかな」

 メゾフォルテは顔を上げない。カメラアイも、爪も隠し通したまま僅かに会釈。レインコートのフードは深い。その容貌の異様さはトキシカズラに悟られていないだろう。

「彼女は?」

 トキシカズラの質問に、ジェイクは答えられなかった。正直に言う選択肢は〝はな〟からなく、しかし、言い訳を考えているその間をスルーできるほど、トキシカズラは鈍感でもなかった。

「ふぅん、訳アリか。ま、自分から首を突っ込むこともない」

 階にして53階、トキシカズラは扉を抑え、最後にそう言って廊下へと身を躍らせた。

 トキシカズラが消えたとしても、エレベーターは止まらない。更に上へ上がるなか、ふと、メゾフォルテが顔を上げた。

「……〝しめだし〟 って なに?」

 思わず、ジェイクは言葉を詰まらせ、メゾフォルテの顔を見つめる。

 〝締め出し〟とは、簡単に言ってしまえば外部からの干渉を防ぐため機械にほどこされるセキュリティシステムの総称である。機械の身体は、呪術や霊体干渉(ゴースト・ハンド)などを中心とした因果、外界干渉系の技術に弱い。そのため、身体に改造を施すのであればある種のセキュリティは必須であり、それを知らない、というのは──

「……メゾフォルテ。キミは……」

 そこではじめて、ジェイクはメゾフォルテのすべてを見ることが出来たように思えた。小さくて、無知な少女。見た目こそ化け物じみているが、そこにいるのはただ、何も知らない少女だった。


「それじゃ、ここに座ってもらえるかな」

 ジェイクの自室にたどり着くと、メゾフォルテは素直にその指示に従った。物置同然の作業室、その中心に鎮座する調整台になにかを乗せるのは、実に数年ぶりのことだ。

「キミの記憶器官は機械化脳? それとも生体系か……」

 メゾフォルテに背を向け、久々に再開するかつての相棒たちを吟味しながらジェイクはそう呼びかけた。が、返事はない。

「……」

 振り返ると、メゾフォルテの赤いカメラアイがジェイクをじっと見つめていた。

 感情の発露がほとんど見て取れない。表情など最初から存在しないし、口調も機械的に調整しているんだとしたら、理解する術もほぼない。

「わからない」

 遅れて、メゾフォルテはそう言った。

「……キミのその身体は、同意の上でのものじゃあないわけだ」

 メゾフォルテは反応を示さなかった。だが、その無反応こそが答えとなった。

 ジェイクが先ほど覚えた違和感、どんなに粗悪な闇改造だったとしても、〝締め出し〟についての知識がないとは考えづらい。

 ああ、なるほど、ジェイクは内心で顔をしかめる。同意のない改造というのは、この世界に置いて珍しいことではない。実験狂いか、企業勢力にモルモットとして目をつけられたか、原因は様々だがその被害者の末路は大抵悲惨だ。

「……そうか、わかった。それじゃあ作業を始めよう。まずはキミの構造を測るところからになる」

 平常を装い、ジェイクは自身の左手の裾をまくり上げた。そこから蛇のように鎌首をもたげたのは、たった一機のブレインジャッカーだ。ディスタントからの贈り物、こんなところで使うことになろうとは。

「少し不快感があるかもしれない。だけど──」

 鋭い爪、不気味な目、しなやかに動く尻尾、すべてがジェイクの覚悟を鈍らせ、恐怖を吹き込ませる。

「──だけど、信じてほしい」

 願いに近い言葉。メゾフォルテは軽く頷くと、台の上で横になった。

「よし、まずは」

 ブレインジャッカーはゆっくりと近づき、メゾフォルテの頭部に張り付いた。

『ジャッキング』

 機会音声と共に、メゾフォルテが僅かに身じろぎをする。

「それじゃあ始めよう」

 ブレインジャッカーの機能は、人に感覚を想起させる。だが、それだけではない。よほど複雑なシステムでなければ侵入できるし、その場で調整だってできる。ジェイクが今やろうとしているのはそれだった。

「基本的な構造は機械化駆体──記憶は機械化脳──なるほど、これは……」

 ジェイクが驚いたのは、身体の年季の入り具合と、動力系のちぐはぐさだった。システムログと各パーツの劣化具合からして、メゾフォルテはかれこれ十年以上整備なしで生き抜いている。だが、動力部に使用されているのは最新に近い紋章学と電気動力技術の複合。燃料の類を補給することなく動き続けるものだ。十年前にはまずない技術。彼女を改造した者は、相当卓越した技術を持っているらしい。

 また、未使用の機能が多いことも気になった。晶汽浄化などの限られた機能ならともかく、パルス加速装置やターゲットマーカーなども使用履歴がない。が、すぐに納得した。彼女はこの機能の存在すら知らないのだ。

 生体組織残存率、0%。その数値自体は珍しくもなんともないものの、ジェイクにはそれが随分と不吉に、そして改造者の露悪性を示しているように思えた。


 呪術痕跡、つまり呪術によってもたらされた縁を除去する作業は実に7時間に及んだ。アルハナイはガチガチの軍事企業であり、用いる呪術は複雑に絡み合い、除去を試みる者には一種の呪詛返しを用いて抵抗する。常時気を張らなければならず、少しの油断から呪いは逆流してしまう。

 作業を終えると、ジェイクは無言のまま、その場で横になった。夜をまたぎ、時刻は正午を既に回っている。始業時間は既に通過しているが、企業側はそんなこと気にしないだろう。

 ここまで作業に打ち込んだのは本当に久しぶりだ。夢中になっていた──ああ、そうだ。夢中になっていたのだ。他の一切を気にせず、ただ目標に向けて指を動かす。そんな、かつての自分に戻ったかのように──



「……」

 システムチェックが終わり、目を覚ましたメゾフォルテはゆっくりと身体を起こした。身体が軽い。先ほどよりも、昨日よりも、ずっと。

「……?」

 台から降りると、床に突っ伏して寝息を立てるジェイクの姿がそこにあった。メゾフォルテは彼を起こさぬようにそっと部屋を後にする。足音を殺すのは得意だった。

 メゾフォルテは、ジェイクのことを何も知らない。どうして自分にここまでしてくれるのかも知らなければ、この建物がどういったものなのかも知らない。けれど、彼が自分に向ける感情が悪意ではないことだけは分かっていた。

 寝室らしき部屋を見つけると、メゾフォルテはその尻尾でもって器用に扉を開けた。無機質な部屋から毛布だけを尻尾で巻き取り、足を再び作業室へと向ける。途中、自身が歩いた後にひっかくような痕が残っていることに気が付くと、メゾフォルテ数度カメラアイを瞬かせた。爪は足にもある。精一杯触れないように歩いたつもりだったのだが……。



 長い長い睡眠が終わり、目を覚ましたジェイクはまず、自身に掛かっている毛布がズタズタであることに気が付いた。誰が掛けたのか──いや、元より選択肢は一つか。

 作業室の扉を開けると、そこには自身の爪をもって床を削り続けるメゾフォルテの姿があった。つまりは、そういうことなのだ。

 彼女の爪は、どう頑張っても触れるすべてを傷つける。律儀にも、彼女は床の傷を消そうとしたとした。だが、選んだ方法が〝傷が分からないように床全てを少しずつ削る〟では、上手くいくわけがない、結果として床は余計にズタズタに。

「……あ」

 ジェイクに気が付いたメゾフォルテが、顔を向けた。表情はない。カメラアイの輝きだって変わらない。けれど、その〝都合の悪いところを見つかった〟感ときたら。

「ふっ……ははっ」

 それはもう、思わずジェイクが噴き出すほどにかわいらしく、愛らしいものだったのだ。

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