2. 付かず/

 この世界は、混沌の元に成り立っている。呪術、魔法、紋章。蒸気、晶汽、電気。長きに渡って続いた企業戦争の終焉と同時にそれらは垣根をなくし、複雑に混ざりあうこととなった。

 戦争は終わらない。保護圏を構築し睨み合い、そこからあぶれた者はその日暮らしに殺し合い、怯え、縮こまって生きる。

 その構図が続いていく。一層、二層、三、四、五、六──。幾重にも積み重なった階層は上空を塞ぎ、人々は空を観ぬまま人生を終える。

 この世界は、正しく〝るつぼ〟だ。あらゆる混沌が混ぜられ、新しき混沌が産声を上げ続ける。


 そんな〝るつぼ〟の中、〝BRAIN SHAPE〟保護圏の中心部に存在するのは本社となる建物である。ジェイクは、白色の廊下を歩いていた。同じ扉、同じ照明、同じ床、それらが淡々と、無機質に続いていく。

 ジェイクの私室は、そんな廊下の一角にあった。特徴的な位置にあるなんてことはない。ただ均一に並ぶ扉の中の一つというだけ。ここに越してきたころは、ジェイク自身ですら部屋の位置が分からなくなることがしょっちゅうだった。


「ふぅ……」


 認証を済ませると、扉は主のために開いた。そこからは均一とは程遠い部屋が広がっている。白いカーテン、白いベッド、白いシェルホーンクラブのぬいぐるみ。そして、それらとは一線を隔した異質さを放つ、埃をかぶった機械群が詰まった部屋へと続く扉。

 思えば、部屋の主である自分よりも先に、ディスタントはこの部屋の位置を覚えた。それが当然であるように、それが権利であるかのように。


「天才、か」


 ジェイク・リブレインは、かつて夢見たことがある。幼い頃に目を焼かれたあの日、あの眩い栄光の光の隣で、肩を並べられたなら。そんな幻想を夢見て──

 ──そして、諦めた。凡人は天才になれなかった。ディスタント・クリーディの背中に触れることさえ叶わなかった。

 まず、才能の無さを思い知った。次に、立場に差ができた。更に、口から出る言葉が敬語になった。そして、そして、もう一度、念入りに、才能の無さを思い知った。

 それだけ、それだけで終わりだった。


「……なにやってんだろ、僕」


 壁に掛けられている巨大な機械を、ジェイクは見つめた。

 二本の電磁加速レールに挟まれた砲身、燃料はいらず、弾もいらない。大型仮想レールカノン。ジェイクがやる気に満ち溢れていたころの、最後の作品だ。

 レールカノンは威力、継続性ともに申し分なかった。研究部門内でも革新的構造だともてはやされた。だが、あまりに大型だった。このレールカノンの小型化。これこそが生涯をかけるべき課題なのだと、勇んだ。


 ……ディスタントが小型化に成功したのは、その数週間後。ジェイクが放置していた設計図をちょちょいと数分眺めた程度で、彼が生涯をかけるはずだった研究は終焉を迎えた。

 威力は落ちた。だが、小型化はその威力減少に勝る利点だった。


 それ以来、ジェイクは挑戦を辞め、進歩を止めた。〝諦めたわけではない〟と言い訳をしながら。


「博士……ディスタント」


 名前を呼んだのは、実に数か月ぶりだった。前回も私室で一人呟いただけだったが。

〝キミがいるだけでワタシはなんだってできるってだけだが〟

 先ほどディスタントが放った言葉を思い返す。

 恐らく、ジェイクはディスタントのことを想っている。ジェイク自身にだってその自覚はあるのだ。だが、理性がそれを許してくれない。釣り合わないという仮想の声と、コンプレックスがそれを邪魔している。

 時計の針が9時を指し示した。そろそろ行かなくては。



「やあ、来たな」


 ジェイクが呼び鈴を鳴らすと、数秒すらかからずに扉が開いた。

 ディスタントの私室は、ジェイクのそれとは階も広さも違う。当然だ。かたやBRAIN SHAPEの第五十八研究部門主任、かたやその助手……という名の平研究員。与えられる環境には如実に差が表れる。このうえなく残酷なほどに。


「待ってたぞ、今日はなんだ?」


 ディスタントはカウンターキッチンのすぐそばに置かれたテーブルに座っていた。背が高く、他者に凛々しい印象を与えるディスタントだが、今はまるでご主人様を待っている犬のような可愛げがある。


「二十一研究部門でやっているあれ、分かります?」

「ああ、トキシカズラの……待て、ということは……鶏か!」

「正解です。天然培養モノの鶏を一匹分けてもらいました」


 第二十一研究部門主任研究員、トキシカズラ・ラベンデス。彼は気難しいが、不思議とジェイクと気が合った。恐らくはディスタントに対する劣等感によってつながったその友情が今夜、ディスタントの食卓を飾り付けるわけだ。


「この前言ってましたよね、〝淡白な肉が食べたい〟って」

「ああ、ああ! 憶えてくれていて嬉しいよ」


 ジェイクが食事を担当する際、ディスタントは実に感情豊かになる。彼女の同僚や部下たちがその様子を見たらさぞかし驚くだろう。彼女が表だって分かりやすい感情を露にする機会といえば、他者に失望したときか、自身の性格の悪さを存分に振るうときだけだからだ。


「ソテーにしますか」

「いいね、丁度ワタシもその口だった」


 二人は、食事の趣味も合う。趣味が合うからここまで共に来れたのか、ここまで共に来たから趣味が合うのか、どちらが先かは、誰にもわかりはしないのだろう。


「ごちそうさま、非常に美味だった」

「それはなによりでした」


 皿洗いを終えたジェイクは、ディスタントの座るソファに腰を下ろした。リビングの真ん中に鎮座するソファはとても大きく、ディスタントの座る真ん中とジェイクの座る左端では思ったよりも距離がある。


「まったく、キミには年々頭が上がらなくなるな」


 ディスタントは、ジェイクには顔を向けずにそう言った。


「……なんですか急に」

「事実を述べたまでだ。キミがいなければワタシの部屋はぐちゃぐちゃ、食事もおざなり、まぁ……数年で死んでいただろうな」

「馬鹿言わないでください。博士を手伝いたい人なんて山ほどいるでしょうに」


 事実、BRAIN SHAPEに所属する研究者の間で、ディスタントは半ば偉人のような扱いを受けている。彼女が舵を取る第五十八研究部門を志望する者は数知れず、憧れを持って入社する者も少なくない。きっと、ジェイクなどいなくとも──


「──なぁ」


 ふと、ディスタントが立ち上がった。彼女はそのままジェイクのほうへと歩み、その隣に腰かけ直す。ジェイクがそっと距離を離すと、ディスタントはそっとその距離を詰めた。


「ワタシはキミに感謝している。本当だ。これだけは本当なんだ……」


 そっと、ディスタントの頭がジェイクの肩に乗せられた。


「は、博士……?」


 恐る恐る口を開いたジェイクがディスタントのほうを向こうとすると、ディスタントは無言でジェイクの頭に手を添えた。


「ワタシはよく、孤高の天才だと言われる。何者の必要とせず、何にも心を動かさないのだと」

 ディスタントの言葉は、まるで眠りかけているかのようなトーンをもってジェイクの耳に届いた。

 独白は続く。


「その噂は、まぁ、概ね事実だと言っていいな。ワタシが誰かを必要とすることなどない……キミを除いては」

「……博士?」

「〝ディスタント〟と、そう呼んでくれ。昔のように」

 二人の関係性は、あの頃から変わっていない。少なくともディスタントから見た場合は。それがどれだけ残酷なことかは、ジェイクですら答えられないだろう。

「キミだけが、ワタシを対等に見てくれた。真っ当に、気の置けない友人として見てくれたんだ」

「博士、あの……やめてください」

 ディスタントの首がジェイクの肩を離れた。だが、その距離は離れない。身を乗り出したディスタントの顔が、ジェイクのそれに近づけられる。

 その瞳は、薄い緑を帯びていた。内側で光が反射し、ぼやけたそれらは星のように瞬いていた。

 綺麗だと思った。この宝石の中にある銀河を、もっとよく見ていたいと思った。ジェイクはもはや、その銀河から目を離せない。離したいと思えない。

「ジェイク、ワタシは……」

「お願いですから──」

 無理やり絞り出すような、泣きそうな声がジェイクの口から漏れた。だが、ディスタントは止まらない。両者の顔が更に近づく。目と目は離れず、口の先が──

「──」



 扉が閉まると、ディスタントの身体がソファに沈み込んだ。背もたれに頭を預け、天井を見上げる。

 結局のところ、二人の距離が0になることはなかった。なる直前に、その間をジェイクの手が塞いだのだ。

「……なにを怖がってるんだ。ワタシは」

 降り始めた雨音が、会話の消えた部屋に静かに響いていた。

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