イタコ:神楽幽華さん

第一章:霊視の目覚め


 霧雨が降り注ぐ早朝、私の意識は現世と霊界の狭間で揺らめいていた。私、神楽幽華は、今日からイタコとしての第一歩を踏み出す。まだ20歳の若輩者が、この神聖な役目を果たせるのだろうか。不安と期待が、霧のように私の心を包み込む。


 目を開けると、薄暗い部屋に仄かな光が差し込んでいた。起き上がり、窓を開ける。湿った空気が肌を撫で、遠くに鳴る鐘の音が耳に届く。深呼吸をすると、霊気(*1)が肺に満ちていくのを感じる。


「さあ、今日も精進するのです」


 鏡の前に立ち、長い黒髪を丁寧に梳かす。化粧は控えめに、ただ唇だけは朱色に染める。これは、神々との対話を促すための儀式的な意味合いがある。白の着物に身を包み、赤い帯を締める。色彩にも、霊界との交信を助ける力があるのだ。


 師匠の神無月柊花様の家に向かう道すがら、朝靄の中を歩く。周囲の木々がざわめき、まるで精霊たちが私に語りかけているかのよう。


 神無月様の家に到着すると、既に準備が整っていた。


「おはようございます、神無月様」


「幽華よ、今日は初めての口寄せ(*2)じゃ。心して臨むように」


 神無月様の声には、厳しさの中に温かみが感じられる。


 まずは、祓いの儀式から始める。塩を撒き、お神酒を捧げ、祝詞を唱える。一つ一つの所作に、霊界との調和を求める想いを込める。


「幽華、イタコ舞(*3)の準備はできたか?」


「はい、心得ております」


 緊張で手が震える。深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせる。


 口寄せを依頼したのは妙齢の男性だった。彼は真剣な目つきで私を凝視していた。


 太鼓の音が鳴り響く中、私はゆっくりと舞い始める。身体が自然と動き、まるで霊に導かれているかのよう。目を閉じると、色とりどりの光が見える。それは、この世ならざる者たちの気配。


 突然、私の体が激しく震え始めた。それは、まるで千の針が全身を貫くかのような鋭い震えだった。背筋を冷たいものが駆け上がり、指先から足の先まで、すべての細胞が目覚めたかのように震える。


 そして、私の意識とは無関係に、唇が動き始めた。喉から絞り出されるような、かすれた声が部屋に響く。


 「我は……我は……」


 その瞬間、私の中に異質な存在が流れ込んでくるのを感じた。それは、長い年月を生きた魂の重み。私の若い体は、その重みに耐えきれず、さらに激しく震え始める。


 「我は……みね……と申します」


 それは、確かに亡くなった老婆の声だった。耳慣れない方言で、ゆっくりと、しかし確かに語り始める。私の口を通して紡がれる言葉は、老婆の人生そのものだった。


 「息子よ……あんたを残して逝くのが、何より辛かった……」


 老婆の悲しみが、まるで濁流のように私の心に流れ込んでくる。その感情の強さに、私の意識が揺らぐ。


 「もっと……もっとあんたの成長を見たかった……」


 後悔の念が、鋭い刃となって私の胸を刺す。息をするのも辛くなるほどの後悔。それは老婆の想いであると同時に、私自身の感情でもあるかのように感じられた。


 「でも……あんたの笑顔を見られたのが、何より嬉しかった……」


 そして最後に、深い愛おしさが溢れ出す。その純粋な愛に、私の目から涙が溢れる。老婆の愛情が、温かな光となって私の体を包み込む。


 これらの感情の奔流に、私の意識は翻弄される。自分が誰なのか、どこにいるのか、すべてが曖昧になっていく。老婆の記憶と私の記憶が混ざり合い、現実と幻想の境界が曖昧になる。


 私は必死に自分の意識を保とうとするが、老婆の強い想いに飲み込まれそうになる。まるで深い海に沈んでいくような感覚。暗闇の中で、私は自分の名前を必死に呼び続ける。


 「私は……神楽幽華……私は……」


 しかし、その声さえも老婆の想いに飲み込まれそうになる。私の意識は、現実と霊界の狭間で揺らめき続けた。


 口寄せが終わると、全身から力が抜ける。神無月様が優しく肩を抱く。


「よくやった、幽華。初めてにしては上出来じゃ」


 その言葉に、安堵の涙が溢れる。


 夕方、他のイタコたちと共に、その日の経験を共有する。皆、男性ばかり。私一人が女性であることに、少し心細さを感じる。


「幽華さん、女性ならではの感受性があるね。羨ましいよ」


 先輩の霧島蓮様が声をかけてくれる。その言葉に、少し勇気づけられる。


 家に戻り、夕食を取る。精進料理を心がけているが、今日は特別に甘いものを口にする。緊張から解放された体が、糖分を欲しているのだろう。


 就寝前、再び鏡の前に立つ。今朝とは違う、何か神々しい光を帯びた自分がそこにいる。


「私、少し成長できたのかもしれない」


 そう呟きながら、布団に横たわる。目を閉じると、今日出会った霊たちの姿が浮かび上がる。彼らの想いを胸に、私は静かに眠りについた。イタコとしての人生は、まだ始まったばかり。これからどんな霊との出会いが待っているのか、期待と不安が入り混じる。でも、きっと乗り越えられる。そう信じて、明日への英気を養った。



◆霊界の深淵


 朝靄が立ち込める中、私の意識は現世と霊界の狭間で揺らめいていた。25歳になった私、神楽幽華は、イタコとして5年の歳月を重ねていた。目覚めると同時に、部屋に満ちる霊気(*1)を感じ取る。以前よりも鋭敏になった感覚が、目に見えない存在たちの気配を捉えていた。


 窓を開けると、冷たい風が頬を撫でる。遠くで鳴く烏の声が、何か不吉な予感を運んでくるようだった。深呼吸をすると、霊界からの風が肺に流れ込む。


「今日も、あの世とこの世の架け橋となるのです」


 鏡の前に立ち、長く伸びた黒髪を丁寧に結う。化粧は相変わらず控えめだが、目元には特別な注意を払う。瞳は霊界を覗く窓。その窓をより明確に保つため、自然の材料で作った薬を塗る。白地に淡い青の模様が入った着物を身にまとい、紫の帯を締める。色彩の持つ力が、今日の口寄せ(*2)を助けてくれるはずだ。


 師匠の神無月柊花様の家に向かう道すがら、木々のざわめきに耳を澄ます。かすかに聞こえる精霊たちの囁きに、今日の予兆を探る。


 神無月様の家に到着すると、異様な緊張感が漂っていた。


「幽華、今日の依頼者は特別じゃ。心して臨むように」


 神無月様の声には、普段以上の厳しさが感じられる。


 祓いの儀式を始める。塩を撒き、お神酒を捧げ、祝詞を唱える。一つ一つの所作に、これまで以上の集中力を注ぐ。霊界との調和を求める想いが、体内を駆け巡る。


「幽華、イタコ舞(*3)の準備はよいか?」


「はい、心得ております」


 5年前とは違い、今の私の声に迷いはない。


 太鼓の音が鳴り響く中、舞い始める。身体が自然と動き、霊界の風に乗って漂うかのよう。目を閉じると、幾重にも重なる光の層が見える。それは、この世とあの世を隔てる幾つもの境界線。


 突然、私の体が激しく震え始めた。それは、地震のような激しさだった。足元から天辺まで、全身の細胞が共鳴するかのように震える。今まで経験したことのない強烈な霊力が、まるで雷のように私の体を貫いた。


 その瞬間、私の意識が一瞬空白になる。そして、全く知らない声が、私の喉から溢れ出した。


  「我は……我は……古(いにしえ)の神なり」


 その声は、人間のものではなかった。深遠な海の底から響くような重低音と、雷鳴のような轟きが混ざり合った、言葉では表現しきれない声だった。神々しい威厳が、部屋全体を満たしていく。


 私の体は、その声の器となっていた。しかし、その存在があまりに強大で、私の意識は霊界の深淵に引きずり込まれそうになる。まるで宇宙の果てに放り出されたような感覚。無限の闇と、眩いばかりの光が、同時に私を包み込む。


 その声は、天地創造の秘密を語り始めた。


  「始まりの時、混沌の中から生まれし世界は……」


 言葉の一つ一つが、私の脳裏に鮮明なイメージを焼き付ける。原初の海、最初の生命の誕生、大陸の形成……。それは人類の歴史書に記された知識をはるかに超える、生々しい記憶だった。


 続いて、人の世の行く末が語られる。


  「人の子らよ、汝らの歩みは……」


 未来の光景が、走馬灯のように私の目の前を駆け巡る。栄華を極める人類の姿、そして待ち受ける試練。それは希望に満ちていると同時に、深い悲しみを秘めていた。


 そして最後に、神々の悲しみが明かされる。


  「我ら神々も、永遠ならざるもの……」


 神々の苦悩、葛藤、そして深い愛情。それは人知を超えた感情の奔流だった。あまりの情報量に、私の意識は霊界の深みへと引き寄せられていく。


 現実世界の感覚が徐々に薄れていく。私の体は、ただの抜け殻のように感じられた。意識は、無限に広がる霊界の海原へと溶け出していく。


 そのとき、かすかに聞こえた声。


「幽華! しっかりせよ!」


 その声が、私を現実へと引き戻す。しかし、古(いにしえ)の神の声は、まだ私の中で響き続けていた。現実と霊界の狭間で、私の意識は揺れ動き続ける。


 体は震え、汗が滝のように流れる。しかし、私は必死に意識を保ち続けた。神託を最後まで伝えるという、イタコとしての使命を全うするために。


 口寄せが終わると、全身から力が抜け、その場に崩れ落ちる。神無月様が駆け寄り、私を抱き起こす。


「よくぞ耐えた、幽華。これほどの神託を受けながら、意識を保っていたとは……」


 その言葉に、安堵と誇りが胸に広がる。



 夕暮れ時、神社の裏手にある古びた集会所に、地域のイタコたちが集まっていた。窓から差し込む茜色の光が、畳の上に長い影を落としている。部屋の中央には、樟脳の香りがほのかに漂う古い桐箪笥が置かれ、その上には神棚が祀られていた。


神楽幽華は、正座をした状態で、今日の神事での経験を語り終えたところだった。彼女の 声が途切れると、部屋に重い沈黙が降り立つ。集まった7人のイタコたちの表情は、驚愕と畏怖の入り混じったものだった。


 年長のイタコ、鶴見千鶴子が、震える手で茶碗を置き、ゆっくりと口を開いた。


「幽華さんが……まさか、古(いにしえ)の神との対話を果たすとは……」


 千鶴子の声は、畏敬の念に満ちていた。彼女の目には、かすかに涙が光っているようにも見えた。


 隣に座っていた若手のイタコ、佐藤光は、興奮を抑えきれない様子で前のめりになった。


「凄いです、幽華さん! どのような感覚だったんですか? 私にも、いつかそんな経験ができるでしょうか?」


 幽華は穏やかな笑みを浮かべながら、光の熱意に応えた。


「光さん、きっとあなたにもその日が来ますよ。大切なのは、日々の修行を怠らないこと。そして、何より謙虚な心を持ち続けることです」


 幽華の言葉に、光は深く頷いた。その瞳には、決意の炎が宿っていた。


 部屋の隅で黙って聞いていた中年のイタコ、山岸源太が、ゆっくりと立ち上がった。彼は幽華に向かって深々と頭を下げた。


「幽華殿、あなたの存在が、我々イタコの誇りとなりました。これからは、私たちがあなたを支える番です」


 その言葉に、他のイタコたちも同意するように頷いた。幽華は、胸に込み上げる感動を抑えながら、丁寧にお辞儀を返した。


「皆さん、ありがとうございます。でも、私はまだまだ未熟者です。これからも、皆さんのご指導をよろしくお願いいたします」


 幽華の謙虚な態度に、部屋の空気が和らいだ。イタコたちの間に、親密さと連帯感が生まれていくのを感じる。


 窓の外では、夕日が山の端に沈もうとしていた。その赤い光が、幽華の横顔を照らし出す。彼女の目には、これからの道のりへの覚悟と、仲間たちへの感謝の想いが宿っていた。


 集会が終わり、イタコたちが一人、また一人と帰っていく。最後に残った霧島蓮が、幽華に近づいてきた。


「幽華殿ならではの柔軟さが、古の神の声を受け止めたのかもしれませんな」


 蓮の言葉に、幽華は少し照れくささを感じつつも、自分の役割の重要性を再認識した。彼女は静かに頷き、蓮に向かって優しく微笑んだ。


「蓮様、ありがとうございます。これからも、皆様と共に、この道を歩んでいけることを嬉しく思います」


 二人は互いに深々と頭を下げ、別れの言葉を交わした。幽華は集会所を後にし、夕闇が迫る参道を歩き始めた。木々のざわめきが、まるで今日の出来事を祝福しているかのように聞こえた。


 幽華の心の中で、今日の経験と仲間たちの言葉が響き合っていた。彼女は自分の成長を実感すると同時に、これからの責任の重さも感じていた。しかし、その重さは彼女を押しつぶすものではなく、むしろ背筋を伸ばし、前を向かせるものだった。


 明日からまた、新たな挑戦が始まる。幽華は深く息を吐き、夜空に輝き始めた最初の星を見上げた。そこに、未来への希望を見出していた。


「幽華殿、女性ならではの柔軟さが、古の神の声を受け止めたのかもしれませんな」


 先輩の霧島蓮様が、敬意を込めて語る。その言葉に、少し照れくささを感じつつも、自分の役割の重要性を再認識する。


 家に戻り、夕食を取る。今日の激しい霊的体験で消耗した体に、栄養を補給する。精進料理を基本としつつ、特別に滋養強壮の効果がある食材を取り入れる。


 就寝前、再び鏡の前に立つ。5年前とは明らかに違う、神々しい光を帯びた自分がそこにいる。瞳の奥に、霊界の深淵が垣間見える。


「私は、もう後戻りはできない」


 そう呟きながら、布団に横たわる。目を閉じると、今日出会った古の神の姿が浮かび上がる。その圧倒的な存在感に、身震いが走る。


 イタコとしての道は、想像以上に険しく、そして神秘に満ちていた。これからどんな霊的体験が待っているのか、期待と畏れが入り混じる。でも、この道を選んだ以上、最後まで歩み続けなければならない。


 そう決意を新たにしながら、私は霊界の夢の中へと誘われていった。



◆霊界と現世の調和


 夜明け前、私の意識は霊界の深淵から浮上し始めていた。30歳になった私、神楽幽華は、イタコとして10年の歳月を積み重ねていた。目を開けると同時に、部屋全体に漂う複雑な霊気(*1)の流れを感じ取る。かつては混沌としていた感覚が、今では明確な像となって現れる。


 窓を開けると、朝靄の中に神々しい光が差し込んでくる。遠くで鳴く鶯の声が、新たな一日の幕開けを告げているようだ。深呼吸をすると、現世と霊界の境界線が溶け合うのを感じる。


「今日も、二つの世界の調和を守るのです」


 鏡の前に立ち、長く艶やかな黒髪を丁寧に結う。化粧は最小限だが、額に神聖な印(*4)を描く。これは、高位の霊との交信を可能にする秘儀の一つだ。深紅の着物に身を包み、金糸で刺繍された帯を締める。色彩と模様が織りなす神秘的な力が、今日の神事(*5)を守護してくれるはずだ。


 かつての師匠、神無月柊花様の祠に向かう道すがら、自然界の精霊たちの声に耳を傾ける。木々のざわめき、小川のせせらぎ、風の囁き。それらが織りなす天然の交響曲が、今日の神託の内容を暗示しているようだ。


 祠に到着すると、既に多くの人々が集まっていた。今日は、この地方最大の神事の日だ。


「幽華様、よろしくお願いいたします」


 かつての先輩、霧島蓮様が丁重に頭を下げる。今では私が、この神事を取り仕切る立場となっている。


「はい、皆様と共に、神々の御心を正しく伝えてまいりましょう」


 私の声には、10年の歳月が磨いた威厳が宿っている。


 祓いの儀式を執り行う。塩を撒き、神酒を捧げ、古の言葉で祝詞を唱える。一つ一つの所作に、現世と霊界を繋ぐ架け橋としての使命を込める。


 イタコ舞(*3)が始まる。太鼓の音が鳴り響く中、私の体が自然と動き出す。舞いの中で、現世の重力から解放されていくのを感じる。目を閉じると、無数の光の糸が見える。それは、この世とあの世を繋ぐ神聖な紐帯。


 突然、全身に激しい震えが走る。圧倒的な霊力が私の体を貫く。しかし、今の私には十分に受け止める力がある。


「我ら、この地の守護神なり」


 神社の本殿に、張り詰めた空気が満ちていた。夜明け前の薄闇の中、幽華の周りを取り囲むように立つ参列者たちの息遣いさえ、ひっそりと止まったかのようだった。


 突如として、幽華の体が激しく震え始めた。その振動は床を伝わり、本殿全体に広がっていく。燭台の炎が大きく揺らめき、幽華の影が壁一面に投影された。その瞬間、幽華の口から発せられた声は、もはや彼女自身のものではなかった。


「我ら、この地の守護神なり」


 その声は、まるで千の雷鳴が一斉に轟いたかのような重厚さと、万の滝が一つに合わさったかのような流麗さを併せ持っていた。それは単一の声ではなく、幾重にも重なり合った複数の神々の声だった。


 本殿を包む闇が、突如として金色の光に満たされる。それは太陽の光にも似た眩さでありながら、見る者の目を傷つけることはなかった。幽華の体は宙に浮かび上がり、その周りを幾筋もの光が螺旋を描きながら回転し始めた。


「聞け、人の子らよ。天地の真理を汝らに授けん」


 神々の声が語り始めると、本殿内の空間が歪み、参列者たちの目の前に壮大な幻影が現れ始めた。


 まず、原初の海が広がる。そこから陸地が隆起し、生命が誕生する様が映し出される。火を使い始めた人類の姿、文明を築き上げていく過程が、まるで加速された歴史書のように次々と示される。


「見よ、自然の摂理を。全ては循環し、生まれ変わる。汝らもまた、この大いなる循環の一部なり」


 幻影は移り変わり、今度は未来の光景が広がる。驚異的な科学技術の発展、宇宙進出、そして待ち受ける幾多の試練。しかし、それらの困難を乗り越え、調和のとれた世界を築き上げる人類の姿も示される。


「人の世の行く末は、汝ら自身の手に委ねられている。選択の自由と、その結果への責任を忘れるなかれ」


 最後に、目に見えない糸が人々と自然、そして神々を繋いでいく様子が映し出される。それは複雑に絡み合いながらも、美しい調和を保っていた。


「我ら神々と人間との絆は、太古より途切れることなく続いてきた。しかし、その絆を守り、強めていくのは汝らの役目なり」


 神々の声が語り続ける中、幽華の体からは光が溢れ出し、参列者一人一人の胸に吸い込まれていく。それは神々の啓示が、直接心に刻み込まれていくかのようだった。


「慈しみの心を持ち、智恵を磨き、勇気を持って前に進め。我らは常に汝らと共にあらん」


 最後の言葉と共に、幽華を包んでいた光が爆発的に広がり、本殿全体を包み込む。その瞬間、参列者たちは自分たちが宇宙の一部であることを、魂の深みで理解する。


 光が収まると、幽華の体はゆっくりと床に降り立つ。本殿内は再び薄闇に包まれたが、そこにいる全ての者の目には、確かな光が宿っていた。


 幽華は深く息を吐き、ゆっくりと目を開ける。彼女の瞳には、神々との交信を経た者だけが持つ深い智慧の光が宿っていた。


 参列者たちは、言葉を失ったまま、ただ深く頭を垂れる。彼らの心には、今この瞬間に立ち会えたことへの感謝と、これからの人生への新たな決意が芽生えていた。


 本殿の外では、夜明けの光が静かに空を染め始めていた。新たな時代の幕開けを告げるかのように。


 神託が終わり、静寂が訪れる。

 人々は畏敬の念に包まれ、誰も声を発することができない。


 私は静かに目を開け、周囲を見渡す。人々の表情に、深い感動と新たな決意が浮かんでいるのが分かる。


「神々の御心を忘れず、自然と共に生きていくことが、私たちに課せられた使命です」


 私の言葉に、皆が深く頷く。


 神事が終わり、人々が去った後、霧島蓮様が近づいてくる。


「幽華様、素晴らしい神事でした。女性ならではの慈愛の心が、神々の声をより温かいものにしていたように感じます」


 その言葉に、少し照れくささを感じつつも、自分の役割の重要性を再確認する。


 家に戻り、夕食を取る。今日の強烈な霊的体験で消耗した体に、特別な養生食を用意する。霊力を高める薬草や、神々に愛でられる食材を中心とした料理だ。


 就寝前、再び鏡の前に立つ。10年前とは比べものにならないほど神々しい光を放つ自分がそこにいる。瞳の奥には、霊界の無限の広がりが見える。


「私は、二つの世界の調和を守る者」


 そう呟きながら、布団に横たわる。目を閉じると、今日語られた神託の内容が脳裏に浮かぶ。その重みと責任に、身が引き締まる思いがする。


 イタコとしての道は、想像を遥かに超える神秘と責任に満ちていた。しかし、今の私には確かな使命感がある。現世と霊界の調和を守り、人々を導いていく。その道は決して平坦ではないだろう。しかし、この10年で得た経験と知恵が、必ずや私を支えてくれるはずだ。


 そう確信しながら、私は再び霊界の夢の中へと誘われていった。明日もまた、新たな啓示と出会いが待っている。その期待に胸を膨らませながら、私は深い眠りに落ちていった。


(了)


注釈:

(*1) 霊気:目に見えない霊的なエネルギー

(*2) 口寄せ:霊媒が死者の霊を呼び出し、その言葉を伝える行為

(*3) イタコ舞:口寄せの際に行う儀式的な舞

(*4) 神聖な印:霊力を高めるために額や手に描く特別な模様

(*5) 神事:神を祭る儀式や行事



◆魂の再会


 ある秋深き夜、月光が窓から差し込み、私の寝室を銀色に染めていた。突然、霊気(*1)の強い波動が私を目覚めさせる。時計は午前2時を指していた。私、神楽幽華は、ベッドから起き上がり、窓の外を見つめる。紅葉した木々が月光に照らされ、幻想的な光景を作り出している。


「何かが起ころうとしている……」


 そう直感した私は、急いで身支度を整える。いつもより丁寧に髪を梳き、白無垢の着物に身を包む。何か重大な出来事が起こる予感がして、心臓の鼓動が高まる。


 夜明け前、私は祠に向かっていた。道中、木々のざわめきが普段以上に激しく、まるで何かを告げようとしているかのようだった。祠に到着すると、そこには既に数人の村人が集まっていた。


「幽華様、突然お呼び立てして申し訳ありません」


 村長の言葉に、私は静かに頷く。


「いいえ、霊界からの呼び声を感じました。何かあったのですか?」


 村長は深刻な表情で説明を始めた。村の古老が危篤状態にあり、最後に何か大切な話があると言っているという。その古老は、かつて私の両親とも深い親交があった人物だった。


 祠の中で、私は口寄せ(*2)の準備を始める。普段の儀式以上に丁寧に、塩を撒き、神酒を捧げ、祝詞を唱える。そして、イタコ舞(*3)を始める。


 舞いが進むにつれ、私の意識は現世から離れていく。目を閉じると、無数の光の粒子が見える。それらは、あの世とこの世を行き来する魂たちだ。その中に、見覚えのある二つの光を見つけた瞬間、私の体が大きく震える。


「……あなた方はどなたですか?」

「我ら、幽華の父母なり」


 その声を聞いた瞬間、私の心は激しく揺さぶられた。10年以上前に事故で亡くなった両親の声だった。しかし、イタコとしての使命を忘れず、私は冷静さを保とうと努める。


「父よ、母よ……どうか古老様へのメッセージをお伝えください」


 両親の声が、私の口を通して語り始める。


「古き友よ、長き年月お疲れ様でした。あなたの人生は実り多きものでした。安心して来世へと旅立ちなさい」


 その言葉に、部屋の隅で横たわっていた古老が微かに頷くのが見えた。

 その表情には安寧があった。

 しかし、両親の声はそこで途切れない。


「そして、我が愛しき娘よ」


 突然、私に向けられた言葉に、私の心は大きく揺れる。


「幽華、よく頑張ったね。私たちはいつもお前を見守っていたよ。イタコとしての道を選び、困難を乗り越えて成長していく姿を、誇りに思っています」


 父の声に続いて、母の優しい声が響く。


「幽華、あなたの優しさと強さは、きっと多くの人々の心を癒し、導いているわ。これからもその道を歩み続けてほしい。でも、時には自分自身を大切にすることも忘れないでね。お母さんはあなたの体が心配よ」


 両親の言葉に、抑えていた感情が溢れ出す。涙が頬を伝い落ちる。しかし、それは悲しみの涙ではなく、感謝と安堵の涙だった。


「お父さん、お母さん……ありがとうございます。私、精一杯生きていきます。だから、どうか安心して……」


 私の言葉に、両親の声が優しく応える。


「幽華、私たちはいつもあなたの側にいるよ。寂しくなったら、風のささやきに耳を傾けてごらん。きっと私たちの声が聞こえるはずだから」


 その言葉と共に、両親の存在が徐々に薄れていくのを感じる。最後に、温かな光に包まれるような感覚があった。


 口寄せが終わると、部屋に静寂が訪れる。古老は穏やかな顔で永遠の眠りについていた。周りの村人たちは、畏敬の念と深い感動に包まれている。


 私は静かに目を開け、深く息を吐く。体は疲れているが、心は不思議な充実感に満ちていた。両親との再会は、私に大きな勇気と安らぎを与えてくれた。


「皆様、古老様は安らかに旅立たれました。そして、私たちに大切なメッセージを残してくださいました。生きている私たちは、その言葉を胸に刻み、日々を大切に過ごしていきましょう」


 私の言葉に、皆が深く頷く。


 夜が明け始める頃、私は一人祠を後にした。朝焼けに染まる空を見上げながら、両親との再会を思い返す。悲しみや後悔ではなく、温かな愛情と感謝の気持ちが胸に広がる。


 家に戻り、朝食を取る。いつもの精進料理だが、今日は特別に美味しく感じられた。食後、庭に出て深呼吸をする。朝の空気が、新鮮に感じられる。


 鏡の前に立つと、そこには穏やかな表情の自分が映っていた。目には、新たな決意の光が宿っている。


「お父さん、お母さん、見ていてください。私はこれからも、人々と霊界をつなぐ架け橋として、精一杯生きていきます」


 そう誓いながら、私は新たな一日を迎える準備を始めた。両親との再会は、私のイタコとしての道を、より確かなものにしてくれた。これからも困難はあるだろう。しかし、両親の愛と導きがあれば、どんな試練も乗り越えられる。


 そう確信しながら、私は朝の光に包まれた庭に足を踏み出した。風が頬を撫でる。その風の中に、かすかに両親の温もりを感じた気がした。


(了)

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