金箔職人:箔原輝さん

金色こんじきの夢を追いかけて - 金箔職人1年目の春


 朝もやの中、鐘の音が響き渡る。私、箔原はくはらひかりは、目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。時計は午前5時30分を指している。金箔職人として働き始めてまだ3ヶ月。毎日が新しい発見と緊張の連続だ。


 ベッドから起き上がり、鏡の前に立つ。22歳の若々しい顔に、昨日遅くまで練習していた跡が残っている。髪をとかしながら、今日の予定を頭の中で整理する。


(今日は初めて本物の金箔を扱う日。緊張するけど、精一杯頑張らなきゃ)


 化粧は控えめに、でも凛とした印象になるよう心がける。作業着に着替えながら、ふと袖口に付いた金粉に目が留まる。この小さな輝きが、私の新しい人生の始まりを象徴しているようだ。


 工房に向かう道すがら、朝日に輝く銀杏の葉が目に入る。


「金箔って、自然の中にもあるのかもしれないわね」


 そんなことを考えながら、足取りも軽く歩を進める。


 工房に到着すると、師匠の中村さんがすでに準備を始めていた。


「おはようございます、師匠」


「ああ、輝。今日は大切な日だ。心して臨むように」


 中村さんの言葉に、背筋が伸びる思いがする。


 まず、作業場の清掃から始める。金箔(*1)は微細なほこりにも敏感だ。埃一つない環境を整えることが、良い仕事の第一歩。


(この清掃も、作品づくりの一部なんだ)


 丁寧に掃除をしながら、そう心に刻む。


 午前中は、金箔を打つための下準備に没頭する。原料となる金合金(*2)を溶かし、薄く延ばす作業だ。


「輝、その金槌(*3)の扱い、もう少し繊細にな。力任せじゃダメだ」


 先輩の山田さんが、優しく指導してくれる。


「はい、わかりました! ありがとうございます」


 緊張しながらも、丁寧に作業を進める。


 昼食時、同期の佐藤くんが話しかけてきた。


「輝さん、慣れてきました? この仕事、本当に繊細ですよね」


「うん、毎日が勉強だよ。でも、金箔が完成した時の喜びは格別なんだ」


 佐藤くんと話しているうちに、ふと気づく。この業界、まだまだ男性が多い。私のような女性職人は珍しい存在だ。


(でも、だからこそチャンスもあるはず。女性ならではの感性で、新しい金箔の魅力を引き出せるかもしれない)


 午後からは、いよいよ本物の金箔打ち(*4)に挑戦する。薄く伸ばした金を、専用の紙(*5)で挟み、慎重に叩いていく。


「輝、リズムが大切だ。自分の呼吸と一緒にな」


 中村師匠の言葉に、少し自信がつく。


「はい、わかりました」


 深呼吸をしながら、金槌を振り下ろす。


 夕方まで、金箔打ちの練習に没頭する。やっと一日の作業が終わったところで、工房長の鈴木さんが声をかけてくれた。


「輝ちゃん、今日の君の仕事ぶり、素晴らしかったよ。金箔に込められた君の思いが伝わってきたよ」


 その言葉を聞いて、胸がいっぱいになる。


「ありがとうございます。まだまだ未熟ですが、これからも精進します」


 家に帰る途中、夕焼けに染まる空を見上げる。


(私も、この金箔のように、どんな形にも適応できる柔軟さと、それでいて輝きを失わない強さを持ちたいな)


 帰宅後、お風呂に浸かりながら今日一日を振り返る。指先に残る金箔の感触が、なぜか心地よい。


 明日への期待を胸に、早めに就寝する。夢の中で、金色に輝く世界が広がっていた。


◆輝きを磨く日々 - 金箔職人5年目の秋


 秋風に乗って銀杏の香りが漂う早朝、私は目覚めた。時計は午前5時を指している。窓の外では、紅葉が始まっている。私、箔原輝は今年で金箔職人5年目。少しずつだが、確実に技術を磨いてきた。


 起き上がり、鏡を見る。27歳になった顔には、少しだけ自信が宿っている。髪をまとめながら、今日の重要な仕事を思い出す。


(そうだ、今日は老舗料亭の襖(*6)の修復作業だったわ。5年間の集大成ともいえる仕事ね)


 化粧は控えめに、でも凛とした印象になるよう心がける。作業着に袖を通しながら、ふと手を見る。繊細な作業の繰り返しで、指先は驚くほど敏感になっている。


 工房に向かう道すがら、朝露に濡れた蜘蛛の巣が金色に輝いているのを見つける。


「自然の中にも、こんな繊細な美しさがあるのね」


 そんなことを考えながら、足早に歩を進める。


 工房に到着すると、後輩の田中さんが緊張した面持ちで待っていた。


「おはようございます、先輩! 今日の料亭の仕事、私も同行させていただきます」


「おはよう、田中さん。緊張しないで。一緒に頑張りましょう」


 後輩に教えることで、自分の成長も実感できる。そう思いながら、道具の準備を始める。


 まず、現場に向かう前に、使用する金箔の最終チェックをする。光の加減、厚さ、色味……一つ一つ丁寧に確認していく。


(この金箔が、何百年も続く料亭の歴史の一部になるのね)


 身が引き締まる思いで、作業に取り掛かる。


 料亭に到着すると、先代の女将さんが出迎えてくれた。


「箔原さん、今日はよろしくお願いいたします。うちの襖は、あなたの腕を見込んでお願いしたのですよ」


「ありがとうございます。精一杯頑張ります」


 緊張しながらも、自信を持って答える。


 午前中は、傷んだ襖の下地作り(*7)に集中する。古い金箔を丁寧に剥がし、表面を整える。


「先輩、この作業、本当に繊細ですね。少しでも力を入れすぎると、紙が破れてしまいそう」


 田中さんが驚いた様子で言う。


「そうね。でも、この繊細さが金箔の美しさを引き出すの。力加減を覚えるには時間がかかるけど、必ず身につくわ」


 自分の経験を言葉にしながら、改めて技術の奥深さを実感する。


 昼食時、女将さんが手作りのお弁当を持ってきてくれた。


「箔原さん、あなたの仕事ぶりを見ていると、まるで金箔が生き物のように輝いて見えるのよ」


「ありがとうございます。私にとって、金箔は単なる材料ではなく、魂のこもったものなんです」


 謙遜しつつも、内心では誇らしい気持ちがある。女性ならではの感性が認められつつあるのを感じる。


 午後からは、いよいよ新しい金箔を貼る作業(*8)に入る。息を殺し、細心の注意を払いながら、一枚一枚丁寧に貼っていく。


「輝さん、その金箔の扱い方、まるで生き物を扱っているようですね」


 同行していた工房長の鈴木さんが、感心したように言う。


「はい。金箔には命があると思っています。その命を最大限に引き出すのが、私たちの仕事だと」


 自信を持って答える自分に、少し驚く。5年前の自分には想像もできなかった姿だ。


 夕暮れ時、ようやく作業が完了する。夕日に照らされた襖が、まるで生命を宿したかのように輝いている。


 女将さんが涙ぐみながら近づいてくる。


「箔原さん、素晴らしいわ。まるで襖に命が吹き込まれたみたい」


「ありがとうございます。これからもこの襖が、料亭の歴史と共に輝き続けますように」


 帰り道、紅葉した銀杏並木を見上げる。葉の輝きが、今日貼った金箔のようだ。


(私も、この金箔のように、時を経ても輝き続ける職人になりたい)


 家に着くと、鏡の前で深呼吸をする。指先に残る金箔の感触が、今日の充実感を思い出させる。


 お風呂に浸かりながら、ふと将来のことを考える。


(いつか、自分の工房を持ちたいな。そして、金箔の新しい可能性を追求していきたい)


 明日への期待と、新たな夢を胸に、穏やかな気持ちで眠りについた。夢の中で、金色に輝く大きな木の下で、たくさんの若い職人たちに技を教えている自分がいた。


◆伝統と革新の融合 - 金箔職人10年目の夏


 早朝4時、蝉の鳴き声と共に目が覚める。窓から差し込む朝日が、部屋の中を金色に染めている。私、箔原輝は今年で金箔職人10年目。今では自身の工房「輝箔堂」を構え、伝統技法の継承と新しい金箔の可能性を追求している。


 起き上がり、鏡を見る。32歳の顔には、自信と共に新たな挑戦への期待が浮かんでいる。髪をまとめながら、今日の重要なプロジェクトを思い出す。


(そうだ、今日は現代アート展での金箔インスタレーション(*9)の仕上げだったわ)


 化粧は自然な印象に。アーティストとの打ち合わせもあるため、普段よりおしゃれな服を選ぶ。


 朝食を取りながら、スマートフォンでSNSをチェックする。最近始めた金箔ワークショップの告知が好評だ。


(伝統を守りつつ、新しい形で金箔を広めていく。これが私の使命ね)


 工房に向かう途中、コンビニに寄って若手職人たちの分の飲み物を買う。彼らの成長が、私の誇りでもある。


 工房に到着すると、既に数人の職人が準備を始めていた。


「おはようございます、みんな。今日も一日、よろしくお願いします」


 全員に声をかけてから、アート作品の最終確認に入る。


 巨大なキャンバスに、金箔で抽象的な模様を描いていく。従来の技法に加え、私が開発した新しい接着剤(*10)を使うことで、立体的な表現が可能になった。


「輝さん、この技法はどうやって思いついたんですか?」


 新人の佐々木さんが興味深そうに尋ねる。


「うーん、ある日、桜の花びらが風に舞う様子を見てね。あの立体感と儚さを金箔で表現できないかと思ったのよ」


 説明しながら、改めて創造の喜びを感じる。


 午前中は、アート作品の仕上げに没頭する。細部まで丁寧に金箔を貼っていく。


「輝先生、アーティストの山田さんが到着されました」


 秘書の中村さんが知らせてくれる。


「ありがとう。すぐに行くわ」


 緊張しながらも、自信を持って作品を説明する。


「山田さん、ご覧ください。金箔の持つ柔らかさと強さを、現代的な解釈で表現してみました」


 山田さんは、目を輝かせながら作品を見つめる。


「素晴らしい! 輝さん、これは金箔アートの新たな地平を開く作品になるでしょう」


 その言葉に、10年間の努力が報われる思いがする。


 昼食後、若手育成プログラムの会議がある。工房長の鈴木さんと、今後の方針を話し合う。


「輝、君の指導のおかげで、若手たちの成長が目覚ましいよ。特に女性職人の増加は、業界に新しい風を吹き込んでいる」


「ありがとうございます。でも、まだまだやるべきことはたくさんあります」


 謙遜しつつも、内心では大きな誇りを感じる。


 午後は、来月のミラノデザインウィークに向けた準備。金箔を使った新しいプロダクトデザインの最終チェックだ。


「これ、すごいアイデアですね。金箔のしなやかさを活かした照明器具ですか?」


 デザイナーの高橋さんが感嘆の声を上げる。


「そうなんです。金箔の特性を活かしつつ、現代の生活に溶け込むデザインを目指しました」


 自信を持って説明する。10年前の自分には、想像もできなかった挑戦だ。


 夕方、若手職人たちとのミーティングで一日を締めくくる。


「皆さん、金箔は単なる装飾材料ではありません。それは、日本の文化であり、私たちの魂なのです。その魂を、どう未来に繋げていくか。それが、私たちの使命です」


 熱く語る自分に、少し照れくさい気持ちになる。


 帰宅後、テラスで夕涼みをしながら、夫と今日のことを話す。結婚して5年、お互いの仕事を尊重し合える関係に感謝している。


「ねえ、そろそろ子どもを……」


 夫の言葉に、ハッとする。


(仕事も家庭も、どちらも大切。これからは、新たなバランスを見つけていく時期なのかもしれない)


 お風呂に浸かりながら、この10年を振り返る。苦労も多かったが、それ以上に得たものは大きい。


(金箔のように、柔軟に、そして強くあり続けよう。そして、この輝きを次の世代に繋いでいきたい)


 明日への新たな決意を胸に、穏やかな気持ちで眠りについた。夢の中で、金箔で覆われた大きな木が、世界中に枝を広げていた。


(了)


注釈:

(*1) 金箔:金を極薄く延ばして作った箔

(*2) 金合金:純金に他の金属を混ぜて作った合金

(*3) 金槌:金属を叩いて形を整える道具

(*4) 金箔打ち:金箔を薄く延ばす作業

(*5) 専用の紙:金箔を打つ際に使用する特殊な紙

(*6) 襖:日本の伝統的な引き戸

(*7) 下地作り:金箔を貼る前の準備作業

(*8) 金箔を貼る作業:金箔を対象物に接着する作業

(*9) インスタレーション:現代美術の表現形式の一つ

(*10) 新しい接着剤:輝が金箔を立体的に貼るために開発した特殊な接着剤



◆師匠の中村匠氏のお言葉


 ほう、輝よ。もう10年経ったのか。光陰矢の如しとはよく言ったもんだ。お前が初めてこの工房に足を踏み入れた時のことを思い出すと、まるで昨日のことのように感じるし、かと思えば遠い昔のようにも感じる。不思議なもんだ。


 あの頃のお前は、まるで打ち立ての金箔のようだった。繊細で、か弱くて、でも何とも言えない輝きを秘めていた。正直、最初は半分諦めていたんだ。「こんな華奢な娘に、この仕事が務まるものか」とな。だが、お前は見事にこの老いぼれの予想を裏切ってくれた。あっぱれだよ、輝。


 金箔を打つ技術は、ただ手先が器用なだけじゃダメだ。心のバランス、呼吸、そして何より金箔への愛情が必要なんだ。お前はそれを、わずか数年で体得した。あの時の俺の驚きといったら、まるで生まれて初めて金箔を見た時のようだったよ。


 そうそう、3年目の冬のことを覚えているか? お前が初めて一人で仕事を任された時のことだ。あの時、お前は失敗を恐れるあまり、手が震えて仕方がなかった。だが、最後の最後で踏ん張って、見事に仕上げた。あの時の、お前の目に宿った自信と喜びの輝き。あれこそが、真の職人の目だったんだよ。


 5年目を過ぎた頃から、お前の技術は目に見えて向上していった。金箔を扱う手つきは繊細さを増し、仕上がりの美しさは俺すら及ばないものになっていった。だが、最も俺を驚かせたのは、お前の創造力だ。伝統を守りつつ、新しい表現を模索する。そのバランス感覚は、まさに神業だった。


 そして今、10年目。お前はもう立派な金箔職人だ。いや、単なる職人の域を超えている。お前の作品は、まさに芸術だ。金箔に命を吹き込む、そんな稀有な才能を持った存在になった。


 だがな、輝。お前にはまだまだ伸びしろがある。10年やそこらで満足するな。この仕事に終わりはない。俺なんぞ、60年以上この仕事をしてきたが、まだまだ道半ばだと感じている。お前もそうあってほしい。


 そうだな、こんな例えはどうだ。金箔は、光の加減で様々な表情を見せる。朝日を受けた時の柔らかな輝き、真昼の太陽の下での眩いばかりの光彩、夕暮れ時の深みのある黄金色。そして、月明かりの下での神秘的な煌めき。お前の人生も、きっとそうなるはずだ。様々な経験を重ね、その度に新たな輝きを放つ。そんな金箔のような人生を歩んでいってほしい。


 最後に一つ。輝、お前は確かに素晴らしい職人になった。だが、忘れるなよ。お前一人の力じゃない。先人たちが築き上げてきた技術の上に、お前の才能が花開いたんだ。そして、お前を支えてきた仲間たちがいる。その感謝の気持ちを忘れずに、今度は後進の指導に力を注いでいってほしい。


 さて、こんな説教じみたことを言うのは今日で最後にしよう。明日からは、お前と俺は対等の金箔職人だ。切磋琢磨しながら、共に成長していこう。そして、この日本の誇るべき伝統技術を、さらに高みへと押し上げていこうじゃないか。


 輝よ、お前の未来は、まさに黄金に輝いている。だが、それに慢心するな。常に謙虚さを忘れず、日々精進を重ねていけ。そうすれば、きっとお前は、金箔の歴史に新たな一ページを刻む存在になれるだろう。


 さあ、明日からも一緒に、この美しき金箔の世界に身を投じようじゃないか。老いぼれの俺に、まだまだ付き合ってくれるな?


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