ゴム職人:高橋優香さん

◆柔軟な夢 - ゴム職人1年目の春


 目覚ましの音で目を覚ます。時計は午前5時30分を指している。窓から差し込む柔らかな朝日に、私、高橋優香は深呼吸をする。ゴム職人として働き始めてまだ半年。毎日が新鮮で、学ぶことばかりだ。


 ベッドから起き上がり、鏡の前に立つ。22歳の若さゆえか、昨夜の残業の疲れもあまり感じない。髪をまとめながら、今日の予定を頭の中で整理する。


(今日は新しい配合(*1)の試作日だったわね。緊張するけど、頑張らなきゃ)


 化粧は最小限に抑え、作業着に着替える。工場まではバスで30分。車内で、スマートフォンでゴムの特性についての記事を読み込む。


 工場に到着すると、先輩の山田さんがすでに準備を始めていた。


「おはようございます、山田さん」


「ああ、優香ちゃん。今日は大事な日だぞ。気合い入れていけよ」


 山田さんの言葉に、背筋が伸びる思いがする。


 まず、原料の準備から始める。天然ゴム(*2)、合成ゴム(*3)、そして様々な添加剤(*4)を、レシピに従って計量していく。


(少しでも計量を間違えたら、性質が全然変わっちゃうんだよね……)


 慎重に作業を進めながら、内心では不安が渦巻く。


 午前中は、混練り(*5)作業に没頭する。大きな機械のローターが回転し、ゴムと添加剤を均一に混ぜ合わせていく。熱と圧力で変化していくゴムの様子を、真剣なまなざしで観察する。


「優香! ミキシングタイム(*6)、あと30秒だ!」


 先輩の声に、ハッとする。


「はい! わかりました!」


 タイミングを見計らって、機械を止める。ほんの数秒の違いで、ゴムの性質が大きく変わってしまう繊細な作業だ。


 昼食時、同期の佐藤くんが話しかけてきた。


「優香さん、慣れてきました? この仕事、結構大変ですよね」


「うん、毎日必死だよ。でも面白いんだ。ゴムって本当に奥が深いんだね」


 佐藤くんと話しているうちに、ふと気づく。この業界、まだまだ男性が多い。私のような女性職人は珍しい存在だ。


(でも、だからこそチャンスもあるはず。女性ならではの視点で、新しいものを生み出せるかもしれない)


 午後からは、試作品の物性試験(*7)に取り掛かる。引張強度、伸び、硬度……様々な数値を丁寧に記録していく。


「優香、この数値、ちょっと目標と違うな」


 上司の田中部長が、眉をひそめながら言う。


「すみません……どうしたらいいでしょうか?」


「う~ん、配合をもう一度見直してみるか。女性の繊細な感覚で、何か気づくことがあるかもしれないぞ」


 田中部長の言葉に、少し勇気をもらう。


 夕方まで、配合の微調整と再試験を繰り返す。やっと目標値に近づいたところで、一日の作業が終わる。


 帰り際、山田さんが声をかけてくれた。


「優香ちゃん、今日はよく頑張ったな。こつこつ積み重ねていけば、必ず良い職人になれるさ」


「ありがとうございます! まだまだ未熟ですが、頑張ります」


 家に帰る途中、ふと空を見上げる。夕焼けがゴムのように柔らかく広がっている。


(私も、このゴムのように柔軟に、でもしっかりと形を持って成長していきたいな)


 帰宅後、お風呂に浸かりながら今日一日を振り返る。手の皮がゴムのように少し固くなっているのを見て、苦笑する。


 明日への期待を胸に、早めに就寝する。夢の中で、色とりどりのゴムボールが弾んでいた。


◆弾力のある成長 - ゴム職人5年目の夏


 朝日が昇る前、午前5時に目覚める。窓の外では、蝉の鳴き声がすでに始まっている。私、高橋優香は今年でゴム職人5年目。少しずつだが、確実に技術を磨いてきた。


 起き上がり、鏡を見る。27歳になった顔には、少しだけ自信が宿っている。髪をまとめながら、今日の予定を頭に描く。


(今日は新製品の最終テストだ。この5年間の集大成といっても過言じゃない)


 化粧は控えめに、でも凛とした印象になるよう心がける。作業着に袖を通しながら、ふと手を見る。ゴム製品を扱う日々で、少し荒れている。でも、それは職人としての誇りでもある。


 工場に向かう道すがら、朝露に濡れた草花を眺める。


「この湿度、今日の作業に影響するかもしれないわね……」


 天候と製品品質の関係を、頭の中で整理する。


 工場に到着すると、すでに数人のスタッフが準備を始めていた。


「おはようございます。今日も頑張りましょう」


 全員に声をかけてから、新製品の最終チェックに向かう。


 まず、原料の最終確認から始める。天然ゴムと合成ゴムのブレンド比(*8)、各種添加剤の配合を丁寧にチェックしていく。


(香りも大切よね。使う人の気分まで考えないと)


 ゴムの香りを確認しながら、使用者の立場に立って考える。これは、女性ならではの視点かもしれない。


 午前中は、加硫工程(*9)の管理に集中する。温度と時間を細かく調整しながら、最適な硬さと弾力を追求する。


「優香さん、この加硫曲線(*10)、どう思います?」


 後輩の中村くんが、不安そうな顔で聞いてくる。


「うーん、ピークがもう少し早く来ると良いわね。硫黄の量を0.2%増やしてみましょう」


 経験に基づいたアドバイスをしながら、自分の成長を実感する。


 昼食時、同期の佐藤くんと話す機会があった。


「優香さん、この前の技能コンテスト、すごかったですね。準優勝おめでとうございます」


「ありがとう。でも、まだまだ課題はたくさんあるの」


 謙遜しつつも、内心では誇らしい気持ちがある。女性としては初の快挙だった。


 午後からは、新製品の耐久テスト(*11)に取り掛かる。何度も繰り返し使用した時の劣化状況を細かくチェックしていく。


「優香、この製品、女性向けだからな。お前の意見を聞かせてくれ」


 田中部長の言葉に、責任の重さを感じる。


「はい。使い心地はもちろん、デザイン性にもこだわりました。でも、それ以上に安全性と耐久性を重視しています」


 自信を持って説明する自分に、少し驚く。5年前の自分には想像もできなかった姿だ。


 夕方、最終的な品質チェックを終え、新製品の承認が下りる。チーム全員で小さな拍手を交わす。


 帰り際、山田さんが近づいてきた。


「優香、よくやったぞ。お前の頑張りが、この製品を作り上げたんだ」


「ありがとうございます。でも、まだまだ学ぶことはたくさんあります」


 山田さんの言葉に感謝しつつ、もっと成長したいという気持ちが湧き上がる。


 家に帰る途中、夕暮れの空を見上げる。雲がゴムのように伸び縮みしているように見える。


(私も、このゴムのように、柔軟に、でもしなやかに強く、これからも成長していきたい)


 帰宅後、お風呂に浸かりながら今日一日を振り返る。指先に残るゴムの感触が、なぜか心地よい。


 携帯に、婚約者からのメッセージが届いていた。「今日の新製品、うまくいった?」

 返信しながら、仕事と私生活のバランスについて考える。


(これからは、仕事も家庭も、両方大切にしていかなきゃ)


 明日への期待と、新たな決意を胸に、眠りについた。夢の中で、ゴムのように伸びゆく未来が広がっていた。


◆柔軟な強さ - ゴム職人10年目の冬


 目覚まし時計が鳴る前、午前4時45分に目が覚める。窓の外は真っ暗で、雪が静かに降っている。私、高橋優香は今年でゴム職人10年目。今では工場の主任として、製品開発から若手の育成まで幅広く担当している。


 起き上がり、鏡を見る。32歳になった顔には、自信と責任感が刻まれている。髪をまとめながら、今日の予定を頭に描く。


(今日は新しい環境配慮型ゴム(*12)の発表会だ。10年間の集大成ともいえる製品……)


 化粧は控えめに、でもプロフェッショナルな印象になるよう心がける。スーツに袖を通しながら、結婚指輪を見つめる。仕事と家庭の両立は大変だが、互いに支え合える関係に感謝している。


 工場に向かう車の中で、プレゼンテーションの最終確認をする。


(環境への配慮と性能の両立……これが私たちの挑戦ね)


 工場に到着すると、若手社員たちが緊張した面持ちで待っていた。


「おはようございます。今日は大切な日ね。みんな、自信を持って臨みましょう」


 全員に声をかけてから、最後の打ち合わせを始める。


 まず、新製品の特徴を確認する。バイオマス由来原料(*13)の使用率、リサイクル性能、そして従来品と変わらぬ耐久性。一つ一つの項目を、丁寧に説明していく。


「優香さん、この製品の開発で一番苦労したのはどこですか?」


 新人の鈴木さんが質問してくる。


「そうねぇ……やっぱり、環境性能と実用性のバランスかしら。でも、そこが一番やりがいのある部分でもあったわ」


 自分の経験を後輩に伝えることの大切さを実感する。


 午前中は、プレゼンテーションの最終リハーサル。部下たちの発表を聞きながら、適切なアドバイスを与える。


「中村くん、もう少しゆっくり話すといいわ。この製品にかけた思いが、もっと伝わるはずよ」


 一人一人の個性を活かしながら、チーム全体のパフォーマンスを高めていく。これも、10年間で培ったスキルの一つだ。


 昼食時、かつての同期だった佐藤くん(今は営業部長)が話しかけてきた。


「優香さん、今日の発表、楽しみにしてるよ。君が主任になってから、うちの製品の評判がどんどん良くなってるんだ」


「ありがとう。でも、これはチーム全員の努力の結果よ」


 謙遜しつつも、内心では誇らしさを感じる。女性リーダーとして、道を切り開いてきた自負がある。


 午後2時、いよいよ発表会が始まる。取引先や業界関係者が会場に集まっている。

 深呼吸をして、マイクの前に立つ。


「本日は、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。私たちが自信を持ってお届けする、新しい環境配慮型ゴム製品について、ご説明させていただきます」


 10年前の自分には想像もできなかった堂々とした姿で、プレゼンテーションを進める。製品の特徴、開発秘話、そして未来のビジョンまで、情熱を込めて語る。


 質疑応答では、鋭い質問も飛んでくる。しかし、長年の経験と知識を活かし、的確に回答していく。


「このゴムの特性を活かせば、医療分野での応用も可能ではないでしょうか?」


 ある参加者からの質問に、新たなアイデアが閃く。


「素晴らしいご指摘です。実は、私たちもその可能性を探っているところです。今後の展開にご期待ください」


 発表会が成功裏に終わり、チーム全員で小さな祝杯を上げる。


「優香さん、素晴らしかったです! 私も優香さんのような職人になりたいです」


 新人の鈴木さんの目が輝いている。その姿に、10年前の自分を重ね合わせる。


(私も、こんな風に先輩を見上げていたんだろうな……)


 夜、家に帰る途中、雪が積もった街並みを見る。雪に覆われた木々が、ゴムのように柔軟に枝を垂れている。


(ゴムのように柔軟で、でも芯のある強さを持ち続けたい。そして、次の世代にもその思いを伝えていきたい)


 帰宅後、夫と今日のことを報告し合う。互いの仕事を尊重し合える関係に、改めて感謝する。


 お風呂に浸かりながら、この10年を振り返る。苦労も多かったが、それ以上に得たものは大きい。


(これからも、ゴムの可能性を追求し続けよう。そして、この業界をもっと魅力的な場所にしていきたい)


 明日への新たな決意を胸に、穏やかな気持ちで眠りについた。夢の中で、ゴムのように伸び縮みする無限の可能性が広がっていた。


(了)


注釈:

(*1) 配合:ゴム製品を作るための原料の組み合わせと比率

(*2) 天然ゴム:主にゴムの木から採取される天然の弾性材料

(*3) 合成ゴム:化学的に合成された人工のゴム材料

(*4) 添加剤:ゴムの性質を改良するために加える物質

(*5) 混練り:ゴムと添加剤を均一に混ぜ合わせる工程

(*6) ミキシングタイム:混練りにかける時間

(*7) 物性試験:ゴムの物理的特性を測定する試験

(*8) ブレンド比:異なる種類のゴムを混ぜ合わせる割合

(*9) 加硫:ゴムを熱と圧力で処理し、強度と弾性を高める工程

(*10) 加硫曲線:加硫の進行度合いを示すグラフ

(*11) 耐久テスト:製品の長期使用における性能維持を確認する試験

(*12) 環境配慮型ゴム:環境負荷を低減するように設計されたゴム材料

(*13) バイオマス由来原料:植物など再生可能な有機資源から作られた原料



◆田中茂樹部長のお言葉


 高橋優香くん。君と出会ってからもう10年が経ったのか。時の流れは、まるでゴムのように伸び縮みするものだね。君が初めて我が社に入社した日のことを、今でも鮮明に覚えているよ。


 あの頃の君は、まるで未成形のゴムのようだった。可能性に満ち溢れ、どんな形にでもなれる柔軟さを持っていた。しかし同時に、まだ自分の可能性に気づいていない、不安定な状態でもあった。


 最初の1年は、君にとって本当に厳しい時期だったね。ゴムの配合を覚えるのに苦労し、何度も失敗を重ねた。でも、君は決して諦めなかった。その粘り強さこそが、君をここまで成長させた原動力だと思うよ。


 2年目、3年目と経つにつれ、君の才能が徐々に開花していった。特に、新しい配合法を考案した時の君の目の輝きは忘れられないな。男性社会の中で、女性ならではの視点で問題を解決する君の姿勢に、私も多くのことを学んだよ。


 5年目になった頃、君は既に我が社になくてはならない存在になっていた。君が開発した環境に優しいゴム製品は、業界に大きな影響を与えた。それは単に技術的な革新だけでなく、ゴム産業の未来を見据えた先見性のある取り組みだった。


 そして今、10年目。君はもはやゴム職人としてだけでなく、業界のリーダーとしても認められる存在だ。君が主導した新製品開発プロジェクトは、我が社の売上を大きく伸ばし、さらには業界全体の発展にも貢献している。


 優香くん、君の成長は、まさにゴムの特性そのものだったと思う。外部からの圧力に耐え、時に形を変え、そして元の形に戻る復元力。しかし、単に元の形に戻るだけでなく、毎回少しずつ強くなり、しなやかになっていく。まさに君そのものだ。


 特に印象に残っているのは、7年目に君が直面した大きな壁だ。新製品の開発が思うように進まず、プロジェクトの中止も検討された時期があった。しかし君は、その困難を乗り越えるだけでなく、そこから新たな可能性を見出した。あの時の君の粘り強さと創造力は、今でも社内で語り草になっているよ。


 また、君が女性の立場から提案してくれた働き方改革は、我が社の文化を大きく変えた。育児休暇を取得する男性社員が増え、残業時間が減少し、それでいて生産性は向上した。これも、君のしなやかな発想があってこそだと思う。


 優香くん、君は私の誇りだ。単に優秀なゴム職人というだけでなく、業界全体を変革していく力を持った人材に成長した。これからのゴム産業の未来は、間違いなく君たち若い世代の手にかかっている。特に、君のような女性技術者の活躍が、この伝統ある業界に新たな可能性を開いていくんだろう。


 最後に一つ、アドバイスをさせてもらうとすれば、これからも常に新しいことにチャレンジし続けてほしい。ゴムは、適度な刺激を与え続けることで、その特性を維持できる。君自身も同じだ。今の成功に満足せず、常に新しい課題に挑戦し続けることで、さらなる成長を遂げていってほしい。


 そして、君がこれまで受けてきたサポートを、今度は後輩たちに与えていってほしい。特に、これから入社してくる女性技術者たちにとって、君は大きな励みになるはずだ。彼女たちを導き、支援していくことで、我が社、そして業界全体がさらに強くしなやかになっていくはずだ。


 さあ、優香くん。これからも君の柔軟な発想と強靭な精神で、ゴム産業の新たな時代を切り開いていってくれ。我々古参は、君たちの成長を誇りに思いながら、しっかりとサポートしていくとしよう。


 未来は、君たちのものだ。頑張れ、高橋優香! 君の輝かしい未来に、心からの声援を送るよ。


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