第一話 タイムリミット
「ここでいい、停めてくれ!」
「はぁいよ。えーとじゃあ、二千六百、、」
「これで。おつりはいいから!」
「おっ、いいのかい?すげえ新紙幣だ。確かなんちゃら梅子だっけ?ああ危ない!」
「おわっ?!」
そうそうとタクシーを降りようとしていた俺の横すれすれを自転車が通り過ぎて行った。
「チッ、危ねえな。」
気を取り直してタクシーから降り、イライラをぶつけるようにドアを勢いよく閉めた。
急がねえと、、待ってろよサヤ!
俺は急いで目の前の古びた病院に入った。時刻は夕方5時ごろ。待合室には誰もいなかった。俺はエレベーターまで急いで駆けていく。
くそっ
エレベーターは四階で止まっていた。今から一階に降りてきても時間がかかる。
こんな時に、、、!早くしないとサヤが、、、!
サヤの予定日は三日後だった。俺も今日まで会社に行き、明日からは数日のあいだ休みをもらう予定だったのだが、どうやら予定外のことが起きたらしい。一時間前に突然病院から電話があった。
「西本さん!」
ベテランのおばちゃん看護師がエレベーターの前で焦る俺に気付いて声をかけてきた。
「階段!そこの扉から上がれますよ!」
「そうだ、ありがとうございます!」
「早く!三階よ!」
俺はすぐに非常階段の扉の前までまた走り、そこで止まり、おばちゃん看護師に尋ねた。
「サヤは、、つ、妻は大丈夫なんですか?!」
おばちゃん看護師は一瞬顔を曇らせたまま俯いたが、すぐに顔を上げて言う。
「分からない。とにかく早く行って!」
俺はそう言われ、事態の緊急さを思い出す。とにかく早くサヤに会わなくては。
階段をものすごい勢いで駆け上がっていく。二階までの折り返しの踊り場ですぐに息が上がる。膝が痛い。腰に痛みが走る。
クソブラック企業が!
日ごろの過労が、鬼気迫ったこの状況でも俺の足を引っ張ってくる。いつからか俺の体は常にボロボロの状態だった。それでも最近、その疲労も気にならずに働けていたのは、日に日に大きくなっていくサヤのお腹を見て、生まれてくる我が子への想いがつのっていたからだろうか。ハアハアと息を上げ、三階まで到着した。無駄に重い扉を開けると、左右には廊下が続いている。どちらに行けばいいかは分かる。右手の廊下の突き当りの両開きの扉の上にたしかに「分娩室」というプレートが見えた。目指すべき最後の標準を定めた俺は、息をつくことなく再び走り出す。目線は扉だけを捉え、視界は上下に激しく揺れつつも、徐々にその扉が大きく、近づいてくる。
あの先にサヤがいる。まさに激しい痛みと戦っているサヤが。
この非常階段の前の扉から分娩室までの直線で、俺はおそらく自分史上最も早いスピードを出しただろう。その反動が体に表れた。扉まであと少しというところで足がもつれてしまったのだ。視界が傾き、すごい速度で床が目の前に迫ってきて、そして暗転した。傾いた視界をまっすぐに戻すように顔を上げたが、体がうまく動かない。なんとか手だけを前に伸ばすが、扉までは届かなかった。
ちくしょー、なにしてんだ俺!
早く立ち上がれ!サヤが、サヤが、、、。
扉を前に情けない姿勢をなかなか起こせないでいた俺に最悪な声が聞こえてきた。
「西本さーん?!聞こえますか?!西本さん!」
緊迫した女性の声が扉のむこうから漏れている。
まずいまずいまずいまずい
体の底からかつてない不安がこみあげてきた。
「サヤーーー!!!俺だ!!サヤーーー!!!」
体を起こすことなく必死に叫んだ。すると次の瞬間、目の前の扉の片方が開いた。
「わあ!お父さんですか!?」
扉の前に倒れた俺に気付き、若い女の看護師が驚いた声を上げる。俺はビリビリと痛む体をなんとか動かし、立ち上がりきる前の姿勢で、看護師の横を通り、よろよろと扉の中に突っ込んだ。
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