第二章 命の灯火編

プロローグ



「はぁ、はぁ、はぁ」


 暗い森を疾走する人影が一つ。何かに追われるように、しきりに後ろを確認しながらおぼつかない足取りで走り続けていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……ここまで来れば」


 声色は男のものだ。森を抜け、男が飛び出した先は川のほとり。皇国中部を流れるこの川は水質が非常に良く、飲み水にも使われる。男も何度も世話になった馴染みのある川に抜け、力が抜けるのを感じた。


 付近の樹木に手をつき、呼吸を整える。そのまま背中を預け、ずるずると座り込んだ。


「皇聖様方に、皇都に、はやく知らせなければ」


 上がった息を整え、魔力を練り上げる。召喚術の魔法陣が徐々に形成されていき——


「みぃーつけたっ」

「ッッ!!」


 背後から聞こえた女の声と共に、辺りが爆破する。召喚のために練り上げていた魔力を咄嗟に防御に転換した男は、なんとか爆発から逃れ、土煙の中から脱出する。


 川の上に降り立った男は、攻撃を仕掛けてきた相手を睨む。


 土煙の中から姿を現したのは、礼服を纏った女。全身を黒で包んだドレスは、顔までも黒いベールで隠していた。皇国において、夫を亡くした女性が喪に服すために着用する喪服だ。


 皇国の人間が目にしたならば、悲劇の女性ともとれる装いをした女だが、それ以上に危険な雰囲気を、その手に持った大鎌が放っていた。


「チッ!君たちも本当にしつこい!」


 不機嫌を隠そうともしない男の怒声に怯えた様子もなく、女は大鎌をくるりと一回転させ、不敵に笑った。

 表情が見えたわけではない。ただその黒いベールの向こうから、「ふふっ」と、場違いに嬉しそうな声が聞こえてきた。


「狂人がッ!」


 女の笑みが男の感情をさらに逆撫でる。吐き捨てるように言うと、男の立つ川の水面が、ざわざわと揺れ始めた。


「君が何者なのかは分からない。——ただこのまま野放しというわけにはいかなさそうだ」


 揺れていた水面が、男を中心に渦を発生させる。女はもう一度大鎌を片手でくるりと回すと、両手に持ち替えた。


槍聖隊そうせいたい所属パスカル・マレー。ただで帰れると思うなよ!」


 啖呵を切った男にむけ、女は走り出す。


「〈青時雨あおしぐれ〉」


 水属性第三階梯の魔法を唱えると、川の水面からいくつもの水の弾丸が女に向かって放たれた。

 鉄をも容易に貫く水の弾丸は、大鎌を器用に扱い弾き飛ばされた。押し込もうとするパスカルであったが、距離を詰められ、大鎌の一閃が襲う。


 上へと跳躍し攻撃を躱わしたパスカルは、女を見下ろしながら魔法を唱える。


「〈水拘すいこう〉」


 川の水が縄のように、女の手足を拘束する。動きは封じた。


「〈貫水弾かんすいだん〉」


 拘束された女の目の前に、先ほどよりも巨大な水の弾丸が形成され始める。力を貯めこむように徐々に巨大に、圧縮されていく弾丸は大気を震わすほどに振動したかと思うと、勢いよく射出された。


 解き放たれた弾丸は森の木々だけでなく地面さえも抉りながら直進を続け、完全に勢いを失うと霧散した。


 地表に着地したパスカルは、自身が削りとった地面を視界に映す。川の水が勢いよく流れ込み、森の中に新しい流れが作り出される。


 その上に、喪服の女が降り立った。


「……やっかいな大鎌だ」


 魔法が射出される直前、女の手を離れた大鎌が水の拘束を切り裂いた。抜け出した女に魔法が直撃することはなく、何食わぬ顔で今目の前にいる。


「干渉術か?それとも魔道具?——まぁいい、地の利はこちらにある」


 再び騒めき始めた川の水が、女を威嚇するように舞い上がる。

 水使いとして秀でた才をもつパスカルにとって、水を手足のように扱うなど造作もないことだ。


「なにか裏がありそうだな。——やはり君には皇都に来てもらう!」


 多量の水が女に襲いかかる。それを皮切りに再び戦闘が始まった。


 辺り一体に派手な振動と音を響かせ、清らかな川に、血が流れた。


 

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