さよなら



「いいじゃねぇか!レイ!うん、いい名前だ!私は変わらずベルと呼ぶがな」

 

 どうやら剣聖殿には非常に好評なようだ。捻らずサトシと馬鹿正直に改名しなくてよかったと安堵する。


「よし!それでは皇都に戻ったらワーズ村村長の就任と改名の手続きは私が行っておこう。それから——」

「……ッッ!!」

 剣聖がうきうきと話を進め始めた時、怜は上空に巨大な気配を感知した。


(なにか、来る!)


「……ほう。ベル、やはり君はいい勘を持っている」

 剣聖はすっと目を細めると、にやりと口角を釣り上げた。


 ピシッ。


 怜たちの上空、なにもない空間に突如、亀裂が入った。

 亀裂はピキピキと空間を覆うように広がっていき、最後は、パリィンと音をたて、空が割れた。


「ッッ!!——なんだ、これ……」


 割れた空間から現れたのは、一隻の巨大な船。本来海を渡るはずの巨大な建造物は、宙に浮かび上がり、大きく帆を張り怜たちの上空で寄港するように停滞し降下始めた。


「驚いたかね?我が皇国の誇る水空両用船、アシリエル号だ」

「……空を、飛んでるのか?」

「あぁ。〈舞空ノ業〉を封じた魔道具により浮いている。皇国は寒い。海が凍って船が近づけないこともざらだ。だから、空を飛ぶことにしたのだ」

「……ははっ!魔法ってすげぇな」


 自然と、怜の口角が上がった。イスティフの時代にこのような代物はなかった。やはり、魔法の進歩とともにこの世界の文明は、現代日本をも超えた技術を手に入れているようだ。


「特殊な結界で感知を阻害しているのだが、まさか勘付くとはな。——さて、我々はこのアシリエル号に乗って皇都まで帰還する。一度戻って報告しなければならない事もできたことだしな。もう一度聞くが、君は一人で皇都までくるのだな?」


(めちゃめちゃ乗りたい!)


 空を飛ぶ大船に、怜の少年心が刺激される。だが格好をつけて皇国をこの目で確かめたいと言っておきながら、今更言葉を翻すことはできなかった。


「あ、あぁ……俺は陸地を歩いていくさ」

「……分かった」


 意思に変わりはないと判断した剣聖は、不意に怜の右手を両の手でしっかりと握りしめた。


「ベル……いや、レイ=ベルナール・ラボルト殿。此度の魔物の討伐、感謝する。あのまま野放しにしておけば、民間人にさえ被害が及ぶ可能性があった」


 心からの感謝を向けられている。剣聖の態度からは、そう感じさせるものがあった。


「あ、いや……べ、べつにいいって!俺もまぁ自衛のために戦ったようなあぁぁうわっはいッ!」


 言い切るより前に右手を強く引かれ、引き寄せられる。剣聖の顔が至近距離に迫り、怜は硬直した。


「あ、あの……なにか……?」

「……赤いな」

「うぇっ?」

「真っ赤な瞳だ」

「は、はぁ……まぁ……」


 射抜くような視線で、怜の瞳を凝視する。しばらく見つめ合うような形となっていたが、剣聖が耳元に顔を寄せ呟いた。


「献上品は、『キュバールの血液』……だ」


「ん?けつえ……血?血?はぁ?」

 吸血鬼だとでも思われているのか。怜に血液を摂取する習慣はない。献上されても困る代物に戸惑う。


 剣聖はしばらくじっと見つめていたが、困り果てた様子の怜に何を思ったのか、笑顔を見せた。


「いや悪かった!念のためと思ったが、心配はいらなかったようだな。まじないみたいなもんだ、忘れてくれ」


 意味ありげなまじないを聞かされ、嫌でも記憶に残るが努めて気にしていない素振りを見せる。


「杞憂に終わったところで、我々はもういく。ただ君は皇国で軍に所属したいと言っていたな?——わかった、皇都に戻ったら私が君を、皇聖隊へ推薦しておこう」


 ヴァーノンの言葉に、周りの三人が少し騒ついた。

 剣聖からの推薦。それがどのような効力を発揮するのか怜には分からない。ただ、栄誉な事であろうことは想像できた。


 気付けば地表近くに降下していたアシリエル号から、階段が降ろされた。

「ではひとまずお別れだ。——ベル。私……剣聖ヴァーノンは、君が皇都の門を潜る瞬間を、楽しみに待っている」

 階段を上がる直前、ヴァーノンから、とても優しげな視線を向けられた。免罪被せて捕らえた罪悪感からなのか、ごつい老人から向けられた視線に、怜は寒気を感じた。


「レイさん。次は皇都でお会いしましょう」

 爽やかな笑みで別れを告げたヴィクトルが、金髪を靡かせ階段を上がっていく。後ろ姿さえイケメンだ。怜の中で好感度が大きく下がった。


「まったねーレイくん!」

 馴れ馴れしいガキ、パメラが揚々と階段を駆け上がっていく。上司になったらあいつを泣かそう。怜の方針が決まった。


「……」

 リリアが無言で怜の前に立つ。

「どうかしたのか?」

 何かを言い淀む様子に声をかけると、肩を少しだけ震わせる、おずおずと話し始めた。


「……あの、ラボルト様……今回の件はほんとに、その……私一人が謝ったところで、許されないことだとは理解しています。……でも、この度のこと、本当に——」

「べつにお前のせいじゃないんじゃないか?」

 リリアの言わんとしていることを察した怜は、言い切られるより前に言葉をかける。「えっ?」と、驚いたような声が聞こえた。


「べつに村が襲われたのはお前のせいじゃねぇだろ。確かに庇護できなかった軍全体の責任ではあるかもしれねぇ。でもお前一人で村を守るってのも酷なもんだろ。その他にもたくさん、守らなければならねぇやつもあるだろうしよ」


 いくら軍といえど、全てに目を光らせ、全てを守り切るなんて不可能なものだろう。


「俺の尊敬する男は、一家五人を守るのにだってはぁはぁぜぇぜぇ言ってたぞ。お前一人が謝ることでもないだろ」


 怜はこの村に特別な想いはない。村が滅んだのは仕方のないことだろう。冷酷な自分が判断する。

 無言のリリアの感情は読めない。ただしばらくじっと怜を見つめると、口を開いた。


「……ラボルト様、皇都でお待ちしております」


 最後にリリアが乗り込むと、階段は上げられ、船体は大きく上昇し始める。一定の高度まで上昇したアシリエル号は、海面を泳ぐように進行し始めた。


「……皇都で待ってる、か——」


 舌の上で、転がすように呟いた。目の前の船が向かうのは、皇都のある方角だ。徐々に小さくなり始めた船体の姿は、突如地平線にのまれるように掻き消えた。

 新たに結界を張ったのだろう。先ほど感知できた船も、この距離では気配を捉えることさえできなかった。


 アシリエル号を見送った怜は、それとは逆方向に、村の中へと歩みを進めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 徐々に小さくなっていく青年の姿を、アシリエル号の上からリリアは見送る。


「すごい魔力だったね」


 後ろからかけられた聞き慣れた声はパメラのものだ。振り返らずに、村での出来事を思い出す。


 怜が感情のままに唱えた〈送火おくりび〉の魔法は、村全体に発現するほど魔力が練り込まれていた。


 直前に感じた荒立つ魔力とふんだんに怒りを込めた殺気は、離れていたリリアでさえ身がすくむほどのものだった。


「……故郷を滅ぼされたんだもの。当然よね」


 青年はリリアの謝罪を受け取らなかった。優しさからくるものなのか、本当に気にしていないのかは分からない。


「レイくんは、皇都に来てくれるのかな」

「……」


 パメラの問いに、リリアは答えられなかった。


 一人で皇都を目指すと言った青年が、言葉通りに皇都にやって来る保証はない。


 村を滅ぼした敵の元へ、一人で向かおうとしている。そんな予感から、青年を引き留めた。皇国を守る軍人として、死地へと足を踏み入れようとしている臣民を、見逃すことはできなかった。


「……ラボルト様とは、きっとまたお会いすることになる」


 最終的に青年の意思を汲んだ四人だが、彼の本心は分からない。

 ただ何故か、リリアは彼とはまた再会できる、そう感じていた。


「それが、皇都であれば私は嬉しい」


 願望を口に出し、皇都とは逆方向に歩き始めた怜の姿を、リリアは見送った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「よっこらせいとっ!」

 翌朝、へんてこな掛け声をあげる怜の姿は、村の共同墓地にあった。

 村人の家に置いてあったスコップを村長の権限で拝借し、せっせと穴を掘っていた。


「よし!こんなもんだろ。仏さんが出てこねぇか心配だったけど、うまくいったな」


 満足する穴が掘れた怜は、召喚の魔導書を取り出し魔法を唱える。呼び出されたのは、ボンボルの遺品。


 一つ一つを丁寧に穴の中へと納めていくが、その中には怜に見覚えのない私物もあった。


「あいつ、これで髪の毛剃り落としてたのかよ」


 出てきたのは簡易的な剃刀のようなもの。どうやら光り輝くあの頭は、日々のボンボルの手入れによるものであったらしい。


 笑みを溢しつつ作業を進める怜であったが、ふと気になるものを見つけた。


「これは……」


 青く輝く水晶を飾りつけた首飾り。そこからは、強力な魔力の流れを感じる。


「……『ヴァルーノの護封石ごふうせき』、か。あいつ、こんなもんがあるなら最初から教えとけよ」


 不満を口にしつつ、共に埋葬する。いつか、相応しい使い手がこの首飾りを手にすることを願いながら。


「よっっっこらしょいとっっ!!」


 穴を埋めた怜は、その上に蓋をするように干渉術で岩を持って来た。


「だああぁぁぁぁ」


 ごっそり魔力が抜け落ちた徒労感をそのままに、岩の後ろに大剣を突き刺す。

 見る者が見たら気づくだろう。ボンボルの墓だ。


「ひっそりとした墓にしてくれって言ってたけどよ、それは村人に俺とお前の入れ替わりが気付かれねぇようにするためだろ?村人はもういねぇみてぇだし、要望通りの墓にしてやれなかったことは許してくれよな」


 墓に向け、語りかける。


「お望み通り、『アルスリア戦記』も一緒に埋めてやったよ。お前が母親からもらったつうボロボロの絵本をな。だからこの長編版は形見としてもらってくぜ」


 まだ真新しい本を見せつけるように前に出し、懐にしまった。


「俺、改名したんだよ。『レイ=ベルナール・ラボルト』ってな。お前知ってたか?自分が養子に取られてたってこと。村長に、実の息子、孫のように思われてたんだぜ?村まであとちょっとだったってのによ、ファミリーネームはお前が愛されてた証だ。——レイってのは怜って名前の別の読み方だ。お前がへんてことか言うから、変えざるをえなかったじゃねぇかよ。『ベルナール・ラボルト』はお前の名前だしな、お前が俺ってのも気持ち悪りぃ。——あぁそうだ。改名した理由はな、なんか俺が村長になっちまったんだよ。よく分かんねぇだけどよ——」


 他愛もない話を、ボンボルに喋り続ける。思えばゆっくりと会話をした時間など二人にはなかった。


「——そういえば俺とお前は一月ほどの付き合いしかなかったんだったな。まだお互いのこと、よく知らなかったみてぇだよな」


 アルスリア大陸に戻ってきての最初の仲間、二人の時間は、短いものだった。


「……お前は、何者だったんだろうな」


 『ラウナの情景』を完遂せよ——

 怜が最期にボンボルからもらった言葉だ。

 言葉自体に聞き馴染みはある。その意味までは知らないが。


「……ほんと、何を知ってたんだよ」


 意味を語ることなく、ボンボルはいなくなった。この世界に来てから見なくなった夢の中の言葉を、ボンボルはどこまで知っていたのだろう。


 記憶の中にヒントがないか、この一月のことを思い出す。


 初めて会った時、怜の分の夕食にまで手をつけたボンボル。馬車に乗ればすぐに吐いていた。炊き出しのシチューを溢しては号泣し、襲われている農夫を助けては殺人鬼と誤解されていた。ボンボルの年齢を知った時の農夫一家の顔は、恩人に向けるには余りにも凍りついていて——


「ぷっ……うぐっ……あっはっはっはっはっ!!」


 堪えきれずに怜は吹き出す。記憶の中のボンボルに大きな秘密を抱えていた様子はない。短い付き合いだったが、確かに木偶の坊だった。


「ひいぃぃぃ……お、お前に、そんな暗号みたいな言葉を解読する知能はなかったもんな。実はお前も言葉の意味なんて知らなかったんだろ?」


 ひとしきり笑った怜は、笑顔でボンボルに語りかける。


「いいさ。俺が見つけてやるよ、その言葉の意味を——」


 穏やかな表情で口にする。言葉の意味は分からない。ただボンボルの口から頼まれた事だ。『ラウナの情景』とやらを完遂してやろう。覚悟が決まった清々しさを感じる。


「——なんたってお前は俺の……俺の……」


 レステリオとの戦闘の前、伝えられなかった言葉を思い出す。


 怜は斬れない鈍を腰から引き抜き、ボンボルの墓へと文字を刻んだ。


「安心してくれ木偶の坊。仇はとってやるさ。この俺——レイ=ベルナール・ラボルトがな」


 また来る。心の中で声をかけ、墓の前から立ち上がる。


「さぁ、これからどうするか」


 一度体を伸ばして、これからの方針を考える。

 皇都へ行けばどうやら軍へと入る事はできそうだ。無職の現状ではありがたい。ただそれが、レステリオに、『ラウナの情景』に繋がっているのかは分からない。このまま皇国に身を落ち着ける事なく、個人で敵を追うことが最善の可能性だってある。


「よし、決めた!」


 しばらく思案に耽っていたが、考えが纏まり一歩を踏み出す。


「楽しかったぜ木偶の坊。——さよならだ」


 一度振り返り、語りかける。


 並べられた四つの墓。


 その右から二番目の『友』と彫られた墓石の前から、怜——レイは背中を向けて、歩き出した。

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