レイ



「……なるほど、な」

 ワーズ村の入り口に立ち、さとしは悟ったように呟いた。

 村は、暗闇に包まれていた。街道で見たような、簡易的な街灯には灯りは灯っておらず、散見される民家からも光は漏れ出していない。

 皆が寝静まっている。そういうわけではないということを、怜は理解していた。


「人の気配を、感じねぇ」


 多少なりとも回復した魔力で感じる人の数は、怜を含めて五人。四人分は、皇聖隊のもの。


「……我々の警戒が中央地域の衝突に向いている間に、何者かによって襲われたようです。生存者は……いませんでした」

「……そうか。どうやって殺されたんだ?」

「分かりません。みな、衣服だけを残して消失したようです。何かの魔法かと思われますが、私たちにもそのような魔法に心当たりは……」

 隣に立つリリアが、村を襲った悲劇について教えてくれた。

 怜の脳裏に、一人の男の姿が思い浮かぶ。


「こちらへ」

 促されるまま、村の中へと入り、先頭を歩くリリアについていく。あとの三人は村の入り口で、止まったまま、二人の姿を見送っていた。

 しばらく歩くと、一軒の民家の前で立ち止まった。他の民家はつい最近まで人が暮らしていたような気配を感じていたが、この家はもうしばらく誰も住んでいないようだ。外観に補修が施されている様子もなく、家の付近の雑草は伸びきっている。

 建て付けの悪い扉を無理に開けると、埃っぽい室内があらわになった。


「……ここは」

「えぇ……あなたが七歳まで暮らしていた、元村長の家です」

 怜にとっては初めて訪れた場所だ。懐かしさも何もない。あるのはちょっとした、寂しさだ。


「……村長は?」

「……既に亡くなっています。六年ほど前でしょうか?病に倒れ、この家で息を引き取ったと、そう報告を受けています」

 ボンボルが冒険者として活動し始めた頃、育ての親はこの家でひっそりと亡くなったのだという。ボンボルは村長を、長としての義務感から自身を育てていただけだと言っていた。だが怜は、幼少期の面倒を見ていたのはそれだけが原因ではない、そう感じていた。


 埃っぽい室内には物も少なく閑散としていた。老人の一人暮らしなどこんなものなのだろうか。足を踏みいへれると、木製の床が軋んだ。

 食器さえもほとんど置いていない戸棚を眺めていると、ふと一つの木箱が怜の目に飛び込んできた。

 厳重そうに仕舞われている木箱を手に取り、埃を払う。蓋を外すと、中から一冊の古びた絵本が出てきた。


「『アルスリア戦記』、ですね。すごく古い。どうしてこんなものがっ……」

 隣から覗きこんできていたリリアは、なにかを察したのか悲しげな表情になる。


「やっぱ保管してたんだな」

 ボンボルの言っていた、母親が残してくれた絵本だ。村を出る時に、置いてきたと言っていた。村長に捨ててもらうと。だがその本は、こうして大切に保管されている。


 きっと、村長にとって、ボンボルを思い出す、大切な絵本だったから——


「……墓はあるのか?」

 怜の問いに、リリアは頷く。

 村長宅を出ると、村に隣接した森へと入っていく。なにも喋らず後をついていくと、いくつかの墓石が並べられた墓へと辿り着いた。その中央を、二人は歩く。

 何度か立ち止まりつつも、目当ての墓を見つけたのか、リリアが振り返る。


「ワーズ村では、こうやって集団で埋葬されていたようですね。あなたのご両親と育ての親御様、その三方の墓になります」

 リリアの背後には二つ並んだ墓石と、一つ分距離を置いてもう一つの墓石が並んでいた。


「……文字が、読めねぇんだ」

「えっ?」

「あの本はいっつも、村長に読み聞かせてもらってたからよ」

「……そうでしたか。左からあなたのお母様、お父様、一つ距離を置いて、元村長のお墓になります」

 礼を述べ、三人分の墓の前に立つ。ボンボルの家族だったものたちの墓の前に。


「……今これを、あなたに伝えていいのかは迷います。ただ、やはりお伝えしないといけないと思います」

 背後から、リリアに声をかけられる。


「皇国の戸籍上、あなたの名前はベルナール・バラスコではありません」

「……どういうことだ?」

「……ベルナール・ラボルト。それがあなたの、本当の名です」

 伝えられた事実に、怜は振り返る。


「……えぇ。お分かりかと思いますが、あなたは養子として迎えられていました。ピエール・トリエ・ラボルト様に……あなたの育ての親である、元村長に」


 ボンボルからそのような話は聞いていなかった。ならば、ボンボルさえもその事実を、知らなかったということだ。


「やはりご存じなかったのですね。ピエール様はあなたを養子として迎え、ご自身の財産も全てあなたに相続させる旨を皇国に伝えておりました。——あなたを実の息子、実の孫のように、想っていたのでしょう」

「……」

「……私は皆の所へ戻っています。ゆっくりで結構です。また後で、私たちに声をかけてください」

 では、と言い残して去っていくリリアを見送り、怜は一人になった。


「……なにが愛情には恵まれなかっただよ」

 三つの墓へ向けて、言葉を漏らす。


「めちゃめちゃ愛されてたんじゃねぇかよ。ばかやろう」

 一番右、村長の墓を見ながら怜は呟く。ここにはいない、ボンボルへ向けて。


「ただ不器用なだけだったんだろ。分かり辛かっただけじゃねぇかよ」

 おそらくボンボルの師匠は、村長の想いを知っていた。才能に恵まれているボンボルを欲っしはしたが、言い争いが聞こえた晩、ボンボルを手放すことを村長が強く拒否したのだろう。二十歳には村に戻ると伝えたのは、おそらく村長のため。


 旅に出ると伝えられた時の村長の胸中を想像し、高橋怜の胸が締め付けられた。


「最終的には子どもの決意を尊重したってか?立派な父親で、立派なじいちゃんを持ってたんじゃねぇかよ」


 愛がなければ老人一人で幼いボンボルを育てられたはずもない。知らずに死んでいったボンボルに、少しだけ苛立つ。


「あとちょっとだったじゃねぇかよ。あとちょっとで、愛情ってもんを知れたじゃねぇかよ」


 さとしの脳裏に、ボンボルの顔が浮かぶ。続いて浮かんだのは、レステリオ——ボンボルを殺し、おそらくボンボルの故郷さえも滅ぼした、男の顔。


(——許さねぇ)


 回復し始めていた魔力が、一気に荒立つ。溢れ出す魔力を、留めておくことは出来そうにない。

 怜は感情のままに魔力を練り上げ、魔法を唱えた。


「〈送火おくりび〉」


 怜の周囲に、幾つもの火玉が現れた。だが決してそれは、嫌な気配のするものではなかった。

 イスティフの時代、初級魔法として扱われていた〈送火おくりび〉は、戦闘用の魔法ではなかった。魔術師が仲間の死を惜しむため、天へ向けて昇らせた鎮魂の炎だ。

 〈送火おくりび〉はその場で周囲を暖かく照らした後、ゆっくりと、皆のいる天へ向けて昇っていった。


 天高く舞い上がった炎を見送った後、辺りに一陣の冷たい風が吹き抜けた。


「ふっ。やっちまった。冒険者は冷静に、だったな」

 感情のままに魔法を唱えた怜を、ボンボルが見たら小言を言ってくるだろう。見かけによらずネチネチとしたやつだったと笑う。


「冒険者は、油断大敵。ピンチの時ほど冷静に。内心を悟らせるな」

 ボンボルからの教えだ。そのどれもが、レステリオとの戦闘では欠けていた。

 油断した上に背後を取られ、感情のままに殴りかかってカウンターを決められ、ペラペラと自身の考えを口にした。当然の敗北だった。そう感じる。


「……どんな時にも、涙を、見せるな」


 もう一つのボンボルの教えだ。短い期間だったが、確かに必要な事を教えてくれていた。


「お前は、よく泣いてたけどよ」


 炊き出しのシチューを溢した時、農夫一家の家族愛に感動した時、涙を流していたボンボルを思い出して笑う。


 俯く怜の視界に映った自身の足と茶色い土。その足元の土に、水滴が一つ落ちた。二つ三つと、続けて落ちた水滴が地面を濡らす。

 四つ五つと地面を濡らす水滴は、勢いを増して地面を叩き始めた。雨だ。


 降りだす前に雨を凌げる場所を探すことは叶わなかった。

 勢いを増す雨が止み上がるまで、怜は冷たい水滴に、打たれ続けた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 雨が落ち着き、怜が村へと戻った頃、四人は話し合いの真っ最中だったようだ。怜に気付くとこちらに向き直り、剣聖が声をかけてきた。


「もういいのか?」

「あぁ。また時間があれば墓参りにでも来るさ」

「そうか。——しかし、やっぱ君はすごい量の魔力を持っているようだな。さっきの〈送火おくりび〉、村中に上がってたぞ」

 どうやら魔力を練り込みすぎたらしい。〈送火おくりび〉に引火の力はなく、村が燃えた様子はないが、感情のままに魔法を唱えたことにバツが悪くなる。


「ちょ、ちょっとばかし弔うのに気合いを入れすぎたぜ」

「魔力量はもしや皇国内でも……いや、今はそんなことよりこれからどうする?我々は今夜のうちに皇都に向けて出発するつもりだ。君を一緒に連れて行ってもいいぞ?」

 怜は少し悩んだ。このままこの四人と一緒に皇都に向かえば道中なんの問題もなく到着するだろう。手持ちも考えて、無駄に日数がかかるような旅もできそうにない。だが——


「いや、俺はこのまま一人で皇都に向かって旅を——」

「ダメです!」

 怜の言葉を、リリアが強く拒絶した。


「このまま私たちと共に皇都まで行きましょう!道中それがなにより安全ですし、あなたは皇都までの道順など分からないはずです。まだ寒さも厳しい皇国内で、土地勘もないまま皇都を目指しては——」

「……リリちゃん」

 早口で捲し立てるリリアを、パメラが宥める。我に帰ったのか、リリアは自身の口許を抑え、すみませんと引き下がった。


 なぜ拒絶されたかは分からないが、怜は努めて気にしないことにして、話を続けた。


「……やっぱり一人で行く。確かに土地勘もねぇし金もそんなにはねぇ。無駄に日程を消化するのはよくねぇと思うが、まだ知らない皇国ってのをこの目で確かめてみてぇんだ。どうせこれから死ぬまで皇国に居座るつもりだからよ、自分の国を知りながら、皇都まで向かうさ」


 怜の話を黙って聞いていた四人は、それぞれに頷いた。リリアのみ、渋々というような様子ではあったが。


「分かった。なら我々は一足先に皇都に向かう。そろそろ迎えが来る頃だろうしな」

 剣聖が空を見上げて呟くが、未だどんよりとした夜空が広がっているだけであった。


「……ところでベル。君、名前はどうする?」

「……ん?名前?」

「あぁ。名前だ」

「……は?」

 唐突な質問に、訳も分からずに混乱する。


「剣聖様……あまりにも説明不足かと」

 呆れたような表情でヴィクトルが横から進言する。

「ん?あぁそうだったな!リリア!頼むぞ!」


 丸投げにした剣聖を、ジトっとした目つきで睨んだリリアが話し始めた。


「この村が襲撃にあったという報を受けてから、皇国に残っているワーズ村の情報を調べましたが、生存者の存在は確認できませんでした。あなた以外は」

 先ほども聞いた話だ。頷いて、続きを待つ。


「縁故のある方はいらっしゃいますが、皆様村を離れて生活しています。村へなんの思い入れもない方がほとんどでしたが」

 田舎を離れて都会で暮らし始めるとそうなってしまうのか。そもそも親の故郷で自分は村の出身ではないとなると、確かに愛着もなにもないだろう。


「……言葉を濁さず言いますが、実質的に廃村状態です」

 どう考えてもただの廃村じゃね?と、村にこれっぽっちの思い入れもない怜は判断する。


「ですが、ワーズ村は歴史のある村です。歴代の皇聖様を輩出した村でもあります」

 長い歴史を誇る皇国なら、こんな辺鄙な村からでも確かに一人くらいはそんな猛者が輩出されていてもおかしくはない。


「ですので、形上は存続ということで、村を庇護していこうと考えています。そのためには、村の長をたてたいのです」

「ん?まさか……」

「はい。あなたにその任を担って頂きたいと考えています」

「……」

 突然、縁もゆかりもない村の村長になれと言われた怜は、混乱した。


「と言っても、何かをしていただく訳ではありません。村へ定住することなく、どこへなりとも行っていただいて構いません。村の復興は、皇国の行政が尽力します。形だけの村長として、名前をお貸しいただければと思います」

 形式上、怜が村長ということになるようだが、実質的な運営は皇国が担うようだ。君臨すれども統治せずというものだ。それなら引き受けてもいいと怜は思う。


「……ん?でも名前をどうするってなんだよ?」

「皇国では、たとえどんなに小さな村でも、要職に就かれた方には中間名をつけていただく風習があります。剣聖様なら“エル”、元村長は“トリエ”という中間名を名乗っていました」

「……へぇー」

「名を変え、要職に就いたという自負を強く持つためだと言われています。ただ最近ではこのような風習も風化しており、中間名をつけない方々もいらっしゃいます。ですので強制ではございません。お望みとあれば名を変える事も可能ですが」

「は?名前も変えられるの?」

「はい。中間名をつけられるかまったく変えない方がほとんどですが」


 『ベルナール・ラボルト』——皇国における、ボンボルの本当の名前だ。

 この名前を名乗るのは、ボンボルから受け取った報酬だ。これから自分は、ベルナールとして生きていく。ただこの名は、記憶の中のボンボルだけのもの。そう感じていた——


「——レイ」


 口にしたのは、高橋怜だった頃、幼馴染の二人しか呼ばなかった怜のあだ名。


「……はい?」

「レイだ。——『レイ=ベルナール・ラボルト』、新しい、俺の名だ」

「……はぁ」

 呆気に取られたようなリリアの顔が目に入る。まさか本当に名を変えるとは思っていなかったようだ。


(へんてこな名前なんて言われたくはねぇしな。この世界では、こっちの方が自然だろ?)


 最期に怜の名前をへんてこだと言い放ったボンボルの顔を思い浮かべて、怜は——レイは、笑みを溢した。

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