喰われる



 すぐさま攻撃を仕掛けてこないボンボルを不審に思ったのであろう男の顔が、驚きを見せる。

 身動きせずに攻撃を弾いていた男は、避けるように左へ動いた後、空中を滑って体勢を立て直した。


「……驚きました。〈魔衝弾ましょうだん〉に交えて他の魔法を」

「……驚いたのはこっちだ。いまのをどうやって避けた?〈灼砲しゃくほう〉は俺の魔法の中でも最速を誇る。あのタイミングじゃ避けられないはずだ」


 さとしの放った〈灼砲しゃくほう〉は、触れた者の水分を蒸発させミイラ化する、火属性の中でも高位の魔法だ。それに加え、怜の扱う魔法の中でも飛び抜けた速度を誇る最速の魔法でもある。先ほどのタイミングで、魔法を避けきれたとは思えなかった。


(なにかタネがありそうだな……)


「避けられたってわけじゃなさそうだな。確実に直撃するタイミングだった。さっきといい今といい、なにか魔法でも使ってやがんのか?——兄ちゃん、接近戦で確かめるか?」

「……あぁ、頼む」

「おう!任せとけ!」

 威勢のいい返事とともに、ボンボルの魔力が一気に高まる。周囲の空気を振動させるくらい粟だった魔力を纏ったボンボルが一歩踏み込み、消えた。


「……ッ!」

 突如目の前にまで移動してきたボンボルに驚いた様子を見せるも、男は瞬時に後ろに引き、回し蹴りを避ける。だが、完全に避けたはずの蹴りから繰り出された風圧に押され、体勢を崩し飛ばされる。


「〈火炎壁かえんへき〉」

 身動きの取れない空中で、怜の作り出した〈火炎壁かえんへき〉」を足場にボンボルが男に追撃をしかける。

 先ほど怜が施した〈火走ノ業ひばしりのごう〉によるものだ。本来捉えることのできない炎を物体として捉え、炎の上を歩行可能にする中位の魔法。熱気を無効化する効果はないが、〈防炎鎧ぼうえんがい〉により補っている。


 ボンボルの追撃の突きは空中に自由に動き回ることのできる男に避けられる。だが容易に躱わしたというわけではなさそうだ。突き自体を回避できても風圧の範囲までは把握しきれていないのだろう。風に煽られ飛ばされた勢いのまま、男は大きく上昇して距離をとる。


 〈炎操えんそう〉を用いて〈火炎壁かえんへき〉を足場に持ってくる。怜の炎が吹き飛ぶほどの勢いで跳躍したボンボルは瞬時に男の上をとる。


「おらあぁぁぁぁ」

 手の届く距離に現れたボンボルに、躱わすのは不可能と判断したのか、男は両手をクロスさせて防御の姿勢をとる。


「〈岩砕拳がんさいけん〉!」

 魔力の籠った強烈な一撃。

 魔力を持たないもの、持っていても防御が間に合わなかったものが喰らえば、原型も留めずに爆散する。その拳が、魔力を練り上げ硬く防御を試みた男に直撃した。

 空気を震わす衝撃が男の体を貫通する。

 男は強く地面に叩きつけられ、土煙が舞う。振動が怜のところにまで伝わってきた。


「……どうだ?」

 怜の隣に着地したボンボルに尋ねる。

「……いや、だめだな」

 殴りつけた拳を確かめるように、開いては握ってを繰り返す様子から結果は芳しくなかったと想像はしていた。

「手応えはあったな……だが、技が決まった感覚はない」

「……どういうことだ?」

 技は直撃したはずだ。手応えもあったというのに、決まらなかったと言うボンボルに、疑問を感じながらも“位置を調整する”。


「……そのままの意味だ。確かに俺様の拳は直撃した、ただ〈岩砕拳がんさいけん〉はやつには決まらなかった。これは——」

「〈蒼炎そうえん解印かいいん〉」


 怜の干渉術にて男の真上に移動された大剣が、〈蒼炎そうえん〉を吹き出す。大剣に込めた魔法、〈封魔ふうま蒼炎そうえん〉の効果だ。真下に向けて魔法を放った反動で、再び大剣は空へと打ち上げられる。

 追撃の魔法を不意に撃ち込まれた男は——魔法を浴びることなく、立っていた。


 今もなお放たれている〈蒼炎そうえん〉は、男に到達する数十センチほど前でその勢いを失い、何事もなかったかのように消え続けていた。それは——


「——魔力が喰われた」


 自分の魔法が吸収されていくのを、怜は感じる。ボンボルの〈岩砕拳がんさいけん〉が決まらなかったのも直前で魔力を吸われたからだろう。


「……そういうのは早く言ってくれ。俺の〈蒼炎そうえん〉喰われちまったじゃねぇか」

「言う前に魔法を撃ち込んだのは兄ちゃんじゃねぇか」

「……吸収しただけではい終わり、ってことはねぇよな?何が来る?」


 さとしは自身の扱う魔法を思い出す。〈吸炎陣きゅうえんじん〉で炎を閉じ込め、〈放炎陣ほうえんじん〉で魔力を上書きして撃ちだす。火属性魔法にしか効力を発揮しない代わりに、相手の魔法を封殺する恐ろしい魔法だ。

 だが、男はボンボルの〈岩砕拳がんさいけん〉だけでなく、怜の〈蒼炎そうえん〉までも飲み込んだ。〈灼砲しゃくほう〉も同様に吸収されたはずだ。

 魔力の属性なく喰らい尽くす恐ろしい魔法に、次があるとは思いたくなかったが、目の前の男に、警戒心を最大限にまであげる。


「くッ!やはり怪人と呼ばれるだけはありますね。恐ろしい体術使いです」

 魔法を喰らい尽くした男は、両手をぶらりとぶら下げて、口から血を吐き出していた。両腕の骨が折れ、臓器にもダメージがあるようだ。


「……技は決まらなかったんだよな?」

「あぁ。だから全力で殴った。あんな病人みたいなやつを仕留め損なうなんて、情けねぇぜ」

 ボンボルの怪力に内心引くも、男から注意を離さないように意識する。すると、満身創痍に見える男の体が、紫のオーラに包まれた。


「なんだ?毒素みたいなのが溢れてきたぞ?」

「そんな生半端なもんなら苦労しねぇんだがな」

 禍々しい気配を感じる紫色のオーラは、燃える炎のように揺らめいた後、男の体に吸収されるように消え去った。


「……なるほど。これが無傷のタネか」

 怜の目に、凄まじい速度で傷を癒す男の姿が映る。

 力なく垂れていた腕は活力を戻し、口から溢れていた血液は止まって、ダメージを負った臓器を庇うように前屈みになっていた背中は、姿勢良く伸ばされていた。


「傷を癒すのは光属性魔法だろ?あいつの技は闇属性じゃねぇのか?あんな禍々しい魔法撃ち込んできやがって」

 男につけられた傷に触れながら、ボンボルがぼやく。

「そのはずなんだがな、どうもやっぱりあいつはやべぇやつみたいだな。どういうカラクリだ?」

 怜は意識を集中し、男を感知する。


「……そうか。こいつはすげぇや」

「どうしたんだ?兄ちゃん」

「よくよく感知したらあいつは魔力なんてほとんど持ってねぇ。お前の言う通り弱った病人ぐらいだ。——ただ、人間じゃありえねぇくらいの瘴気を宿してやがる」

 感知魔法を発動した怜の目には、恐ろしいほどの瘴気を纏った男の姿が見えていた。


「いや、どんな魔物でもこんな量の瘴気は宿してねぇな。こいつはまるで——“魔王”だ」


「私が王などとは畏れ多い。このような不肖の身、取るに足らない魔術師で十分です」

 完全に傷を癒した男が、大袈裟な身振りを見せる。

「魔術師か?魔物の間違いじゃねぇのか?お前はとっくに人間辞めてるよ」

「どうすんだ兄ちゃん?魔力が吸われんなら、タコ殴りにしてやるしかねぇぞ」

「……俺の〈魔衝弾ましょうだん〉と最初の〈蒼炎そうえん〉、あいつは吸収せずに躱わしていた。あんだけ便利な魔法が使えるなら、躱わす必要はなかったはずだ。何故そうしなかった?——なにか制限が?それとも、使いたくない理由が?」


「……戦場の怪人ばかりを警戒していましたが、やはりあなたも相当な魔術師のようだ。——生かしておくのは、我々にとって脅威になりかねます」

「それはこっちのセリフだ。お前はどう考えても危険すぎる」

 瘴気を粟立てる男に、自然と怜自身の魔力も粟立つ。


「兄ちゃん、よく分かんねぇがあいつがやべぇってことはよく分かる。だがさすがに首を飛ばせば再生できないはずだ。魔力は残ってるか?」

「ぬかせよ。まっだまだたっぷりだ。持久戦でもいいぞ?」

「はっ!そいつは勘弁だな。今日はふかふかのベッドで寝てぇ気分なんだよ。日が変わらねぇうちにやっちまうぞ!」

「あぁ。ネタは仕込んでる。次で決める!」


「させませんよ」

 男が、右手を払うように宙を切る。

「木偶の坊!」

 咄嗟にボンボルに向け、〈掌底しょうてい〉を撃ち込む。

「うがっ!」

 吹き飛ぶボンボルと反対方向に、反動で怜の体も大きく飛んだ。

「何しやがんだ兄ちゃん!」

 地面に転げたボンボルから怒声が飛んでくる。

「大して魔力も込めてねぇ。痛てぇだけだろ!あいつ、〈灼砲しゃくほう〉を撃ち返してきやがった」

 先ほどまで二人が立っていた場所、そこに生えていた草花が、水分を抜かれたようしおしおと枯れ果てた。


「……やべぇ。やっぱり吸収した技を放出することもできるのか」

「ただ撃ち返すだけじゃねぇ。瘴気を乗せてやがる。——おそらく吸収した技を瘴気に変えてるんだろうな。さっきは〈蒼炎そうえん〉を瘴気に変換して自分の治療に充てたんだろ、俺ら人間は魔力で傷が癒えて、あいつら魔物は瘴気で傷を癒してる」


 魔法が外れたのを確認した男は、再び空中へと浮遊する。

「もう遊びは終わりです。ここからは、全力でお相手をさせていただきます」

 男が両手を広げるとともに、大きな召喚の魔法陣が現れる。ビアスが蜘蛛火を呼び出した時と同じだ。だが、その数は七つ。

 魔法陣から、大型の魔物が呼び出される。人型の魔物が三体、四足歩行の魔物と空を飛ぶ魔物がそれぞれ二体。


「……鬼、トロール、サイクロプス。四足歩行のやつはバジリスクとケルベロスか?」

「空を飛んでやがるのはロックに大嘴鳥だいしちょうだな。どれも特級の魔物だ。二人でやるか?」

「……いや、木偶の坊は男を頼む。魔物は俺がまとめて相手してやる」

「分かった。無茶すんじゃねぇぞ兄ちゃん!」

 駆け出したボンボルの後ろから魔法を発動させる。


「〈炎湖湧水えんこゆうすい〉」

 ボンボルと魔物の間に炎が溢れ出し、巨大な湖を作り出す。

 炎の上を走り続けるボンボルと対照的に、地表を歩行する魔物は足を焼かれ、苦痛の悲鳴をあげる。

「〈炎牙弾えんがだん〉」

 怜が狙ったのはバジリスク。足元の炎を使い、バジリスクの頭を潰す。石化を使う厄介な魔物は、頭を失い炎の湖に沈んだ。


「〈鬼球炎ききゅうえん〉」

 炎の湖から巨大な球体が、空を飛ぶ魔物に向かい打ち上げられた。白く大きな猛禽類のようなロックは、空中でうまく躱わすが、体の半分ほどもある嘴を携えた大嘴鳥はもろに直撃を受けて体勢を崩した。

「〈炎波暴流えんはぼうりゅう〉」

 波のように打ち上がった炎は大嘴鳥を飲み込み、湖へと引き摺り込む。もがいては脱出を試みているが、燃える翼では飛び立つのも困難だろう。

 怜は炎を操り、次はロックへ向けて炎の波を打ち上げる。


 〈鬼球炎ききゅうえん〉を上手く躱したロックは、大嘴鳥と比べて動きが素早く羽ばたく力も強い。襲いかかる波を力強い羽ばたきから発生させた風で防御する。強風に煽られた炎は、なんとかロックを飲み込もうと抵抗するが、徐々に押し込まれ始めた。

「〈炎操えんそう〉」

 怜は炎を強く引っ張る。炎の波を押し返すロックの後ろに、〈鬼球炎ききゅうえん〉がぶつかり爆発した。


 鳴き声をあげるロックをすぐさま拘束した炎は湖へと引き摺り込み、じたばたともがく二匹の鳥を飲み込んだ。しばらく抵抗を続けていたが、徐々に動きが緩慢になり、やがて二匹は動かなくなった。


「焼き鳥二丁できあがりだ……ん?」

 空を飛ぶ厄介な魔物に気を取られて怜の前方に、大量の水が発生する。怜の炎湖に被さった水はブシュゥゥという音を立て、蒸発すると一緒に炎を鎮火した。


「ケルベロスの水か」

 炎は消えても残りの五体は足を焼かれている。脅威にはならないと判断するが、地面に倒れた鬼とサイクロプスが、それぞれ両手を握りしめて振り上げる。


 ドゴオォン、という轟音と共に、拳を叩きつけた二体から、衝撃波が地面を割りながら向かってくる。

 魔力を使って跳躍する間際、トロールが自らの足を切断するところが見えた。


 空中に飛び上がった怜に、ケルベロスの三つの頭から〈水弾すいだん〉が飛んでくる。

「〈灼砲しゃくほう〉」

 中位の水魔法だが、属性の相性的に高位の火属性魔法でないと相殺は叶わない。幾度となく降りかかる〈水弾すいだん〉を全て相殺し、地面に着地した怜に、切断した足が再生したトロールが襲いかかる。


「くッ!〈炎斬えんざん〉!」

 繰り出される拳を即座に剣技で迎え撃つ。

 トロールの腕は切り裂かれると同時に炎に包まれるが、怜も衝撃を受け止めきれずに後ろへ飛ばされる。右足をブレーキに勢いを殺すが、消えない炎に苦しむトロールの後方から、再び鬼とサイクロプスの放った衝撃波が地面を伝わってきているのが確認できた。


 再び跳躍して衝撃を回避するが、トロールに避ける隙はなかったようだ。

 足から伝わってくる衝撃に、体が震えているのが目に見て分かる。割れた地面に呑み込まれかけているトロールの周囲に、怜は干渉術を発動させる。魔力がごっそりと抜け落ちた。怜の魔法を受けた割れた地面が、トロールを押し潰す。

「〈豪炎火葬ごうえんかそう〉」

 潰れたトロールから激しい炎が上がり焼き尽くされ。これで再生は叶わないはずだ。


「やっぱ干渉術の魔力消費は半端ねぇな。いっそ地属性の修行でも積むか?——おっと!」

 空中を落下する怜に再び〈水弾すいだん〉が襲いかかるも、〈灼砲しゃくほう〉で相殺する。

 鬼とサイクロプスの二体が、怜の着地を待つように瘴気を練り上げ、拳を振り上げているのが目に入った。


(このままじゃ着地した途端にやられちまう……)


 炎の壁を作り出し、ボンボルがしたように蹴り上げる。空中で足場を作るとは思っていなかったのか、魔物たちの動きが一瞬止まる。

「〈火炎弾かえんだん〉!」

 五発の魔法を、それぞれの頭に撃ち込む。

 怜はさらに魔力を練り上げつつ、炎の足場を使い、もがく三体の魔物の中央に着地した。


 目の前に降ってきた獲物に、三体は咆哮をあげる。歓喜か怒りの怒号かは分からない。ただやかましい空気の振動が怜の鼓膜を震わせる。


 それぞれが獲物を仕留めようと、各々瘴気を粟立て構えをとる。

 三体の魔物からの攻撃が、怜に向かい放たれる直前、魔法を唱えた。


「〈炎牙咬弾えんがこうだん〉」


 地中と空中、その両方から発生した炎の牙に体を貫かれ、魔物は、息絶えた。

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