気まぐれ



「旦那。世話になったな」


 朝日が村を照らし始めた早朝、村の入り口にてボンボルは農夫に礼を述べる。


「いえ、そんなそれは本当にこちらこそです。……でも、よろしいんですか?」


 礼を述べられた農夫は困ったような表情でボンボルに聞き返す、隣では農夫の妻と息子夫妻も同じような表情で困惑の色を浮かべていた。息子の腕には、昨晩見かけなかった幼い女の子が抱き抱えられている。おそらくこの子が、病に侵されている孫なのだろう。


「あぁ、一宿一飯の礼だ。旦那たちで有効活用してくれ」

「しかし……」

「おっちゃんには孫も、村の家族たちもいるんだろ?俺たちが懸賞金なんてもらっても使い道に困るだけだ。おっちゃんたちの方が、意味のある使い方をしてくれるだろ?」


 昨晩、ボンボルとピアスの処遇について話しあった。ギルドに報告後、懸賞金は農夫に受け取ってもらうことにした。


「……でもやはりいただけません。父の命を助けていただいたばかりか村の近くに潜んでいた脅威を対処してくださり、挙げ句の果てには懸賞金をいただくなど……どれだけ礼を尽くしても返しきれないというのに」


 農夫の息子が生真面目に答える。娘のため、本当はそのお金が喉から手が出るほど欲しいだろうに。


「礼ならもらっただろ?ほら、こいつ」


 怜はポーチから小瓶に入った液体を取りだす。昨日、毒をたちどころに分解した解毒薬だ。昨晩怜が息子に所望したところ、徹夜で大量の薬を調合してくれた。

 解毒薬に加えて鎮痛剤や傷薬もおまけにと交ざっていたが、この男の薬なら効果は本物だろう。ポーチに入りきらない分は、『召喚の魔導書』——リアからもらったスケッチブックのような古びた本——の中に詰め込んだ。絶対にしないがお金に変えたらそれなりの財となるはずだ。


「そんな……しかし……」

「わあぁった!薬師の兄ちゃん。それならお礼はこの子に返してもらうさ」


 ボンボルが、農夫の腕に抱かれる女の子を見つめながら提案する。


「優秀な薬師の娘なんだ、この子も将来きっと大物になる。ひょっとしたら治癒士にでもなってるかもな。その時に、おっさんになった俺様たちを治療してくれよ。な、頼むぜ嬢ちゃん」


 ボンボルに語りかけられた女の子は、返事をするように右手を精一杯あげて笑った。


「娘はそれでいいって言ってるみたいだぜ?これで決まりだな」


 念を押すような怜の言葉に、農夫の息子は目尻に涙を浮かべた。


「お二方……この御恩は、必ず」

 頭を下げて感謝を述べる一同に背を向ける。


「あ!言い忘れてたぜ。もしかしたらヴァレミーっていう商人が村に来るかもしれねぇ。そのおっちゃんは俺様たちの知り合いだからよ、歓迎してやってくれ」

「はい、ぜひ盛大におもてなしさせていただきます。——最後にボンボル様、失礼ながらご年齢をお伺いしても?」

 農夫の問いに、ボンボルは胸を張る。

「ピッチピチの二十歳だ!おっさんになるにはまだまだ先だが、その時は嬢ちゃんの世話になるぜ!」


 凍りついた笑顔を浮かべる一同に、今度こそ別れを告げて歩き始める。

「ぷっ!」

 堪えきれずに、怜は噴き出す。どうやらボンボルの見た目は、この世界でもしっかり老けているようだ。



 村を出立してすぐに、悠然と構える森が見えてきた。


「本当に霧がかかってやがるんだな」

「言ったろ?晴れてる方が珍しい。ここ何ヶ月かが異常気象だったんだよ」


 森は、深く濃い霧に覆われ姿を眩ましていた。遠目にも分かる、濃密な白だ。一度でも霧の森を抜けていこうと考えた怜の思考が甘かったのだと、明確に証明している。


(俺が目覚めたのは別の場所か?どのみち晴れてる時でよかったぜ)


 濃い霧に覆われる森を左に確認しながら迂回を始める。ボンボルの話によると、夕方には皇国領内に入れるとのことだ。

 農家や商人、旅人風のものたちと何度かすれ違ったが、魔物に襲われることもなく、順調に旅は続き、陽は傾き始めていた。


「なぁ木偶の坊、階梯かいていってなんだ?」


 街道が続く広大な草原に差し掛かったところで、ボンボルに尋ねる。

 昨日の戦闘により道中常に気を張っていた怜であったが、見晴らしの良い草原地に出たことにより、張り詰めていた警戒心を緩ませた。


「……兄ちゃん魔術師のくせに階梯も知らねぇのか?——階梯ってのは魔法や体術の習得難易度だ。第一階梯から第七階梯まである。階梯が上がるほど習得が困難になる」


 この時代の魔法は階梯というものにより細かく分けられているらしい。イスティフの時代には、初級、中級、上級とざっくりと三段階に分類されているだけであった。


「属性魔法でいえば、第一や第二階梯の魔法を使えるやつが見込みありで、第三階梯を習得したら属性使いと認められる。第四階梯を扱えれば一端の戦士だな」

「ほーん。第五階梯は?」

「第五階梯ともなると上級、高等魔法と呼ばれる領域だ。この階梯にもなると才能のあるやつじゃねぇと扱えねぇな。魔力量、魔力操作の熟練度が高く、魔法の真髄に触れて初めて行使できる」

「難易度一気に上がってねぇか?」

「属性に目覚めたと認められる第三階梯行使が一つ目の壁だとすると、第五階梯行使が二つ目の壁だな。第六階梯ともなると禁術に指定された魔法がごろごろしてやがる。場合によっては術者の命にさえ関わるような危険な、超高等魔法の領域だ」


 第六階梯——ボンボルをもってして危険と言わしめる、時には術者の命にさえ関わる恐ろしい魔法。怜は背筋が冷たくなるのを感じた。


「やべぇじゃん。そんな魔法を使うやつらがいるのかよ……」

「……使ってたろ。兄ちゃん。」

「……へっ?」

「使ってたじゃねぇかよ、第六階梯。〈炎城壁えんじょうへき〉は古い魔法だが第六階梯だぞ?強力な炎の城壁を具現化させるには膨大な魔力が必要となる、並の魔術師なら一発使っただけで干からびちまう危険な禁術じゃねぇか」

「……まじで?」

「それに〈憐火れんか〉は第五階梯の高等魔法だ。俺様は初めてみたが、あの憐火がばちばちって燃え移っていく魔法は確実に第六階梯はあるぞ」

「……へぇ」

「魔力量は俺様の数倍はあるんじゃねぇか?もうそれは人じゃねぇよ、化け物だ!」


 化け物とキチガイが肩を並べて歩く前方に、遠くから人影が見えた。おそらくこちらに向かい歩いてきているのだろうが、目視でその姿を確認するには距離が遠かった。


「……ん?じゃあ第七階梯ってのはどんな魔法なんだよ?」

「極致だな。名の知れた優秀な魔術師ともなると、第六階梯魔法を複数使いこなすようなやべぇやつもいる。だがそんなやつでも、第七階梯になると一つも扱えないなんてのがザラだ。大陸中に名を轟かせ、各国から恐れられる使い手が一つ習得してるかどうかってとこだな。——まぁ習得したところで、切り札として秘密にしてるってのもあると思うがな」

 魔法の極致。第七階梯とは、常軌を逸した次元のようだ。


「凄まじい領域だな」

 素直な感想を、口にする。

「……兄ちゃんは、使ってねぇだけじゃねぇのか?」

 疑問として投げかけられた問いは、答えを必要としているようには見えなかった。その顔は、確信づいたような表情をしていたから。


「……さぁな。俺もどれが第何階梯の魔法かも分からねぇからな」

「これまで階梯も知らずにどうやって習得してきたんだ?普通は第一階梯からコツコツ修行していくもんだぞ?」

「とりあえずなんとか頑張って習得してきた」

「まじかよ兄ちゃん……もしかして天才か?」

「当たり前だろ?何を今さら」


 驚いたような表情のボンボルに、さも当然というような調子で答える。イスティフが魔法の鍛錬を積んだ記憶はない。この姿に転生してからもだ。

 “どうやって魔法を習得したのか?”、深く考えても答えが出そうにない疑問に、怜は思考するのを放棄した。


 前方に見えていた人影は、目視できる距離にまで近づいていた。ローブを目深に被った旅人風の、恐らく男だ。道中あのような形の人間とは何度かすれ違った。


「そういえば、階梯ってのは魔法だけじゃなく体術の習得難易度でもあるんだろ?」

「あぁ、魔力を使った体術も階梯に分けられてる。概要は魔法と一緒だな。第五階梯の体術を扱えれば一線級よ」

「お前こそ、まだ見せてない体術があるんだろ?」

「……兄ちゃん、聞きたいことがあるんだがよ、懸賞金はあの家族に寄付してよかったのか?」


 ボンボルは怜の問いには答えず、逆に質問を投げかけてきた。


「まぁ別によかったさ、金も当面の心配はなさそうだしな。あの薬師の調合した薬が大量に手に入った方が大きい。——金の心配ならお前のほうだろ。これまでなににそんな金使ってきたんだよ」

「いや、まぁ確かに……色々入り用だったんだよ。——こう言っちゃなんだが、俺様を含め傭兵上がりってのは粗雑なやつが多い。自分の利益だけを考え、他人には興味がない。あいつの首には、しばらく遊んで暮らせるくらいの懸賞金がかけられてたんだぞ?」

「別に俺は身の安全が確保できて最低限の生活ができればそれでいい。豊かに暮らせるに越したことはないが、遊び呆けて暮らしたいとは思ってねぇ」

 ボンボルは黙って、怜の話を聞いていた。


「——それに、罪滅ぼしってのもあるさ。俺は、償いきれないほどの罪を犯した。許されたいとは思ってない。許されないからな。俺が死んで神の御許に帰った時、大人しく罰を受けるさ。その時に頼んでやるんだよ、ちょっとでも罰が軽くなるよう、俺が行った善行を盾にな。だから結局は自分のため……」

 怜は目を瞑り、自分の発言を否定するように首をふる。


「いや、正直つれえんだ。見てるのが。大罪人の俺でも、笑っちまうが人の心ってもんが残ってる。あんな小せぇ女の子が病に侵されてる。家族が助けるために私財さえも投げ売ってる。そんな光景に、なにも感じないほど心は死んでねぇ。その時もし自分に助けられる力があるのなら、手を差し出すさ。——だからやっぱり自分のためだな。俺の心が痛いうちは、余計なお世話だろうとそうする。罪を償うために行動しようとは思っていない。目の、手の届く範疇で、拾い上げられるものがあるなら拾い上げていく。愚直な魔術師の気まぐれってやつだ」


 正直な気持ち。自分で言葉に出して、そう思う。

 イスティフの罪は、どう償っても償いきれない。怜の寿命を、贖罪に当ててもだ。今世では償いきれない罪は、神の御許へ帰った時、厳しく罰せられるだろう。

 それまでを、贖罪の人生にしようとは考えていない。イスティフを“怜の中”へ閉じ込め、怜としての人生を送る。怜の、今世での方針だ。


「そうか。……そうかそうか!納得いったぜ!さっすが兄ちゃん!気持ちいいくらいに自分本位だ!」

「お前それ褒めてはねぇよな?てかまじでお前は良かったのかよ、金欠脱出のチャンスを」

「俺様も同じだ。あんなの見せられて金は自分の懐なんて寝覚めが悪いからな。いい家族愛だったじゃねぇかよ」


 ボンボルはわんわんと泣きながら鼻水を垂らす。

 昨晩招かれた農夫の家には、物という物がなかった。金の苦心のため、家財をほとんど売り払ったという。孫を助けるため、ひたすらに必死だったのだろう。


「いけねぇ。冒険者が涙をみせるもんじゃねぇ……って、俺様はもう冒険者じゃねぇのか」

「次の職に就くまでは冒険者でいいんじゃねぇのか?」

「それもそうだな。まぁ俺様はあんな家族愛なんてものを受けたことはねぇからよ、不覚にも感動しちまったぜ。あの家族にとっちゃ余計なお世話だったかもしれねぇ。けど後悔はしてない」

 満足気に語るボンボルの横を、前方から歩いて来ていたローブの男がすれ違う。


「——兄ちゃん、今、作戦Dを思いついた。あとで打ち合わせしておこうぜ」

「お前の作戦か?どうせまた脳筋戦法だろ?期待できそうにねぇな」

「ひっでぇな。でも今回のはおおまじだ!なんたって俺様の切り札を作戦にねじ込む。最強タッグ、ゲロ友の俺様たちの最強フォーメーションなんだ、これを使えば昨日兄ちゃんが倒したビアスだっていちころよ」

 親指を立てこちらに向き直るボンボルは、出会った頃の、快活な笑いを浮かべていた。

「ゲロ友はやめろ!くだらねぇ作戦になりそうな予感がするが……まぁでも、お前は……俺の……ッ!」


 言い終わるより前、ボンボルが怜の腰に差していた剣を引き抜き後ろに斬りかかる。怜は瞬時に一歩後ろに下がり、魔力を練り上げた。


 ガキィンッ。


 ボンボルの一太刀は、硬質な音とともに止められる。


 すれ違ったローブの男が、二人に斬りかかってきていた。

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