指名手配犯
「ひぃ……ひぃ……ひぃ……」
村の入り口が見えた頃、
「旅のお方!いえ、エックス様!」
農夫の声だ。先ほどまで一緒だったというのに、もはやその声を懐かしく感じる。
怜は歩くのをやめ、背中に担いでいたものを放り出す。村まであと少しだというのにその距離が果てしなく遠い。
「ご無事なようでなによりです」
近くまで駆けてきた農夫が、安心したようにホッと胸を撫で下ろす。どうやら怜の到着を、村の入り口で待ってくれていたようだ。
「はぁ……はぁ……ったりめえよ!……はぁ……俺は付近の魔物より強いって言ったじゃねぇか!こ、これくらい……余裕だぜ」
息を切らしつつなんとか答える。村まではさほど遠くはなかった。しかし錘もあってか、怜の呼吸は思った以上に乱れていた。
「ったく情けねぇぜ兄ちゃん。たいした距離じゃなかっただろ。こりゃ鍛え方が足りてねぇな」
禿げ上がった頭をポリポリとかきながら、ボンボルが呆れたような声をかけてくる。その逆の手には肉を刺した串が握られている。怜が死闘を繰り広げている間、どうやらもてなしを受けていたらしい。一発殴ってやろうと拳を振り上げようとするも、力が入らずへなへなとその場で怜はへたりこんだ。
「はぁ、はぁ……馬鹿言え木偶の坊。はぁ、の、脳筋のお前と違って……はぁ、はぁ、お、俺は……頭脳派なんだよ……はぁ……」
「……頭突きでやり合うのか?そんなもん俺様にだってできる」
言葉の意味が理解できないほどボンボルも知能が足りないわけではないはずだ。皮肉を飛ばすボンボルを、体力が戻ったらぶっ飛ばすと決意する。
「お、思ったより遠かったのと、はぁ、て、敵がそれなりにやり手でよ、はぁ、はぁ……ちっとだけ怪我しちまった」
敵という言葉に、農夫が驚いた表情になる。
「ん?あぁー、たしかに包帯してんじゃねぇか。薬は塗ったか?」
「あぁ。飲み薬もな。……はぁ、はぁ……一晩寝たら、よくなるさ」
「エックスさん、失礼します」
怜の前に、もう一人の男がしゃがみ込む。診察でもするかのように怜の目を覗き込み、首筋に手を当て体温と脈を測る。
「これは、毒ですね。エックスさんが飲まれたのは傷薬でしょう?それだけでは毒は解毒できません」
「え?……やべぇじゃん」
現代日本で生きていた怜は明確に体に害を及ぼす毒など摂取したことはない。イスティフだった頃においても、そもそも毒など通用する可愛らしい存在ではなかった。初めて感じる毒の恐怖に、怜は狼狽した。
「大丈夫です。この毒なら対処可能です」
男は自身のポーチを開け、フラスコのようなものを取り出すと、怜には理解できない液体や草を混ぜ始めた。
(そういえば、息子が薬師だと言っていたな)
「どうぞこれを」
男から手渡された液体は、およそ摂取していいとは思えないおどろおどろしい紫色をしていた。
「え?これを?飲むの?」
「はい。即効性の解毒薬です。すぐによくなるかと」
これこそ毒ではないのかとの考えがよぎるも、不安そうな表情をしながら頷く農夫と、真剣な表情の男に促され、怜は液体を口に流し込んだ。ボンボルは、あくびをしていた。
(うん。まっっっずっ)
液体を飲み干し、フラスコを男へ返す。
「どうでしょうか?」
「この世のものとは思えないくらいまずい」
「いえ……そうではなく……」
口に残る薬の不味さを、唾液を溜めて必死に流し込む。ある程度犯罪的な味が気にならなくなったころ、怜の体は入れ替わったように軽くなっていた。
「すっげ……ありがとな、びっくりするぐらいスッキリだ」
「いえ、とんでもないです。父から話は聞いております。よくぞご無事で」
やはりこの男が農夫の息子のようだ。思ったよりも若い。怜の実年齢と同じくらいであろうか。
「ほぇー、すげぇんだな旦那の息子は。あっちゅう間に治っちまったじゃねぇか」
呑気なボンボルに、怜はその場で立ち上がると同時に突きをお見舞いする。パシンっと音を立て、難もなく受け止められた。
「お前……俺が戦ってる間にずいぶんもてなされたみてぇじゃねぇか。途中で助けに来るって思ってたのによ」
「兄ちゃんなら一人で十分だろ。実際戻ってきたんだからよ。しかも俺様まで一緒に行ったら、やべぇやつが付近でうろちょろしてる村を誰が守るってんだよ」
「……まぁ、確かに」
怜は拳をおさめてひとまず納得する。ボンボルは、串の肉を頬張っていた。
「ま、まぁとにかく!エックスさんが無事で安心しました。詳しい話は後でお聞かせ願いたいと思いますが……ところでその包帯で巻かれたものはなんです?」
もう一発突きをお見舞いしようとしていた怜に、気を利かせた農夫が間に割ってはいる。
「ん?これか?これはだな……まぁ襲いかかってきた敵だ。どうやら魔物もこいつのせいだったらしい。あまり村人の目には入れたくねぇけどな」
真っ青に染まる農夫の顔は、自身が狙われていた事に対してか、それとも目の前に遺体が転がっている事実に対してのものなのか。
農夫の息子も、驚いたような様子で信じられないというような表情をしていた。
「なんでんなもん持ってきたんだよ……って、俺様に確認してもらうためか」
「あぁ。心当たりがないか確認頼む。気になることも言っていた」
ボンボルの目が、スッと細くなる。戦闘に赴く時の目だ。
「だからまぁ村の外に今日は泊めてくれねぇか?明日の朝、村人たちが働き出す前には出発するからよ」
「それはだめです!」
答えたのは農夫の息子だ。思ったよりも強い拒絶に、怜は縮こまる。
「ひいぃ、すみませんすみません今すぐ出発します出ていきます。ナマな口聞いてほんとすんません」
「あ、いえ……そういうことではなくてですね、恩人を村の外に野宿など……ぜひ村の中で休んでいってください。遺体は私が管理しておきます。薬師として、ある程度の保管方法は心得ていますので」
どうやらやはり親子のようだ。人のいい農夫の息子は、おんなじように人ができているのだろう。
「言葉に甘えさせてもらおうぜ兄ちゃん。今日は村に一泊だ。敵の話も、後で聞かせてくれ」
「……そうだな。なら今晩は一晩だけ、世話にならせてもらう」
「はいっ!是非とも」
いい笑顔で笑う農夫とその息子の好意をありがたく受け取ることに決め、先に村に帰ってもらうように促す。
二人が村の入り口へと姿を消したころ、
「こいつ、知ってるか」
乱暴に包帯を破き顔を確認したボンボルは、少し考えこむような仕草を見せた後、何かに思い至ったのか、声をあげる。
「おい兄ちゃん!こいつ、ビアスじゃねぇのか!?」
「……そういえばそんな名前だったかも」
「こいつは元城砦国の軍人だった男だ。兵役中に魔物を使役して同僚を殺したあと金品を奪い逃走。その後は民間人も構わず手にかけては金品を奪って遊び回ってるっちゅう外道だ。神聖国を通して大陸中に指名手配されてる。こいつの首には懸賞金もかけられてるはずだ」
「……へぇ」
「おいおいなんでそんなテンションなんだよ。ここが城砦国ならこいつを討ち取ったってだけで英雄扱いだろうによ」
「安い英雄だな」
短く言い放つ。賊殺しの英雄として祀りあげられるのは、怜としては勘弁願いたかった。
「そう言うなよ。こいつの仕業だと思われる被害もあちこちで上がってたんだ、ギルドに報告したら表彰もんだぞ」
「それほど危険なやつだったのか?どうやら誰かの指示で動いてたみたいだぞ」
「ビアスがか?……手配ブックではどこかの組織に属してるなんてことは書かれてなかったような気もするが」
「まず間違いない。それに蜘蛛火を使ってきた」
「……炎を喰らう、ほぼ絶滅状態とも言われる魔物か。兄ちゃんよく勝てたな」
「たまたま対抗手段があっただけさ、お前の訓練もちっとは役にたったぞ」
「ほう……そうかそうか」
にやついた顔のボンボルが癪に触るが、感情を抑えて今後についての意見を問う。
「で、こいつどうする?いつまでも村に置いてもらうわけにはいかねぇぞ。俺らで埋葬するか?」
「いや、ギルドに確認してもらう。冒険者を廃業するって報告もしてなかったしな、もののついでだ」
「そうか。出発はどうする?ずいぶんもてなされてたみたいだが、しばらく滞在していくか?」
少しだけ棘を含んだ怜の案を、首を振って否定する。
「いや、出発は明日の朝だ。皇国領もすぐそこだしな。優秀な薬師がいるんだから遺体もしばらくは保管できるだろう。ギルドには今夜にでも遣いを飛ばす」
「分かった。じゃあ一晩だけ世話になるか。働いちまったから腹減ってんだよ」
「おう、ちょうど歓迎の料理が出されてたとこだ。兄ちゃんももらうといいぜ。ここの住民はいいやつらばっかだ」
ボンボルは珍しく、感傷に浸っているような表情で村の方角を見ていた。
「……木偶の坊、俺らは皇国の皇都に行くんだろ?最北端近くにあるっていう」
「あぁ。……それがどうかしたか?」
「途中、お前が生まれたっていう村もあるんじゃねぇのか?そこにも寄ってくか?」
気を利かせたつもりの怜の提案に、ボンボルは難しい顔をした。
「いや、別に行かなくてもいい。村で過ごしたのは師匠に連れて行かれる七歳の時までだったしな。正直ほとんど覚えちゃいねぇ。それによ、俺様は村でははぶられてたからな、覚えてるやつもいねぇだろうしな」
「……お前、七歳の時にはもう既になにかやらかしてたのか?」
「ちげぇよ!まぁ親も早々に死んで、俺様の扱いには村の連中も困ってたんだろうよ。家族のいなかった村長に引き取られたが、無口なじいさんでよ、なにを考えてたのか今でも分かんねぇな」
あまり聞いてこなかったボンボルの過去だが、波乱の中を生きてきたようだ。
(皇都に着いたらゆっくり話でもするか)
おそらくこれからもまだ長い付き合いになる。現在のこの世界の知識に乏しい怜にとって、ボンボルの存在はいい知恵袋のような役割を果たしていた。自分にとって利益が大きい存在、だから、お互いを知っていて損はない。
怜は誰に悟られるでもない胸中で、言い訳のように、ボンボルの過去を知る理由を並べていた。
「んじゃあ村に入るぞ。明日はナグの大森林を迂回せにゃならねぇ。ゆっくり休んで体力を回復させとけよ」
「ナグの大森林?なんだそりゃ」
「……皇国と連合国の国境沿いにでっけぇ森があるだろ。あれだ」
「ん?ミタマヤ大森林じゃねぇのか?」
おそらく怜が最初に目覚めた森のことだろう。イスティフの時代には東の森と呼ばれていたが、この時代においてはミタマヤ大森林だとリアから聞いたのを覚えている。
「ミタマヤ大森林?……地域によってはそんな呼び方もしてるのかもしれねぇな。だが世間的にはたぶんナグの大森林ってのが正解だと思うぜ」
「ほーん、森を突っ切っていくのはだめなのか?」
「普通ならそうしてもいいが、こっから森に行くなら『迷いの区画』に入っちまう。年中霧がかかったとこでよ、方向感覚が狂っちまう。迂回するのが安全だな」
(そんな区画があったのか……?)
「ここ数ヶ月は霧が晴れてたらしいんだが、また復活したって話だ。タイミングが悪いもんだぜ」
怜が最初森を訪れた時にそのような区画には気づかなかったが、どうやら最近まで霧は姿を消していたようだ。もし霧がかかったままなら今頃どうなっていたかは分からない。タイミングが良かったと安堵する。
「……森に詳しい人間とかいたりしねぇのか?」
「まぁいるっちゃいるだろうけど、『迷いの区画』は無理だな。ほとんど未踏に近い場所だ」
「……そうか」
イスティフの時代で、そのような区画が存在したという知識はない。
森を抜ける手段は諦め、村の中へと向かう。
魔物避けのためか、村の周囲はしっかりとした柵で囲まれている。普段は閉めているのであろう、開けっぱなしの木製の門から、香ばしい香りが流れてくる。怜は、緊張が緩んだのを感じた。
(慣れねぇことはするもんじゃねぇな)
高橋怜としては平和な日本で生活し、イスティフとしては圧倒的な力で蹂躙するだけであった怜に、命の奪い合いは心労をもたらしていた。
(今日はぐっすり寝れるな。まぁとりあえずは飯だ飯)
漂ってくる食欲をそそる香りに誘われるように、怜は村の中へと吸い込まれていった。
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