蜘蛛火



 役目を終えた火柱がかき消えたころ、ビアスの先には立ち尽くす魔術師の姿が見えた。


(気づいていない)


 魔力を通じて指示を出す。

 魔術師の背後から、ゴブリンとコボルトの群れが、襲いかかった。


 魔術師は不意を突かれたように振り返る。目の前に気を取られて油断していたのだろう。八体の黒狼こくろうを召喚したタイミングで、ビアスは同時に数体のゴブリンとコボルトを呼び出し潜伏させていた。


(念には念だ!)


 魔術師へと向かい、ビアスは走る。腰に携えた剣を抜き、全速力で駆ける。突撃を始めたビアスには気づいていない。突如として現れた魔物へ気を取られている。


 剣の届く間合いに入ったころ、今度こそ、勝利を確信した。


 横薙ぎに剣を力の限りに振るう。両断するための太刀だ。仮にビアスに気づき受け止めようとも、背後の魔物までは対処できないだろう。忌まわしい魔術師の最後の悲鳴を聞き逃すまいと意識を集中させ——


「死ねえぇぇェェェ」


 カンッ。


 ビアスの絶叫とともに繰り出された太刀は、鋭い金属音をあげた。直後に、目の前で、炎が沸き起こる。


 正確に言うならば、ビアスの太刀を受け止めた魔術師の向こう側、魔物たちが炎にのまれ、断末魔の悲鳴と共に燃えていた。


「目の前は陽動、本命はその後ろ。そのパターンはもう飽きてる」


 ビアスの太刀を受け止めた魔術師が、冷たく言い放つ。


「まぁでも、お前が直接仕掛けてくるとは思わなかったけどな」


 魔術師の後ろで、炎が消える。灰となった魔物が、風に流されていくのがビアスの目に映った。


「吹っ飛ばされるのは覚悟したけど、これは訓練じゃねぇからな。木偶の坊の太刀に比べたら全然軽い。あいつに斬りかかられたら吹っ飛んでたぜ」


 自身の太刀の重さを言っているのか。肉弾戦においてはビアスも腕に覚えがあるわけではない。斬撃の軽さを指摘されてもそれがどうしたということか。しかし目の前のこの魔術師に言われているという事実が、ビアスのプライドに触る。


 キィィンと、金属同士が擦れあう甲高い音がビアスの鼓膜を刺激した。

 剣が弾かれ、それを持っていたビアスの右腕が無防備に晒される。

 目の前で魔術師は、両手で握りしめた剣を振りあげていた。


「〈炎斬えんざん〉」


 魔術師の剣が炎を纏い発火する。夜の暗闇の中で燃える炎は、まるで夜空で光る星のように綺麗に発光していた。


 やがて、星が流れる。流星のような動きを炎が見せた後、ビアスの右腕に、激痛が走った。


「うぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ」


 悲鳴をあげながら後ろに飛び退く。苦悶の表情で右腕を見ると、肘から先が斬り落とされていた。焼けるような痛みだと思っていたが、事実切断面は焼き焦がれ、耐え難い痛みにも関わらず血は流れてこなかった。


「お前、魔力を流した攻撃は斬れるのかよ……まぁあんま使わないと思うけど」


 ビアスの耳に、どこか呆れたような声が聞こえる。歯をギリギリと食いしばりながら魔術師を確認すると、場違いに腑抜けた表情で、自身の剣を眺めていた。


「くそッ!!くそっ!!くそがあぁぁぁあぁぁぁ!!」


 緊張感のない魔術師の様子に、ビアスは感情のままに声を荒げた。


「お前は殺す!絶対に殺す!!ぶっっっころしてやる!!」


 左手を天に掲げ、自身に残ったありったけの魔力を練り上げる。


「喜べ。こいつを見るのはお前が初めてだ」


 ビアスの上空に、巨大な召喚魔法の魔法陣が展開される。

 青色に発光する魔法陣の中心から、ズズズッと、大きな火球が姿を現すと同時に、キィキィと音が聞こえる。


「聞こえるか?この音が。どこから聞こえていると思う?」


 問いかけるも、返事はない。


「正解はこの火球からだ!見えるか?お前に、こいつらが!!」


 魔術師が音の正体に気づいていないと判断したビアスは、得意げに語る。


 一見すると巨大な火球である。だが目を凝らしてよく見ると、無数の大型の蜘蛛が炎を纏い密集しており、一塊の炎と化していた。

 蠢く蜘蛛たちの様子は、傍目から見ると炎が揺らいでいるようであり、一匹一匹が発する鳴き声は共鳴し合い、キィキィと甲高い音を辺りに響かせていた。


「知っているか?こいつを。こいつには炎が効かない。炎さえも喰らう魔物だ。お前にとっての天敵だ!——まぁ知らないのも無理はない、こいつはずいぶん前からほぼ絶滅したと言われている魔物だからな、お前を殺すこの魔物の名は——」


「——蜘蛛火くもび


 気持ちよく語っていたところに水を刺され、ビアスの機嫌は急降下する。


「……なんだ、知っていたのか」


 魔術師の言う通り、この魔物の名は『蜘蛛火くもび』。

 無数の火属性の呪いを受けた蜘蛛が集まって群れを成していると言われる魔物だ。

 取り立てて戦闘力が高いわけではない。だが蜘蛛火には火属性魔法が効かない。蜘蛛の一匹一匹が炎を喰らい、炎に焼かれ続ける呪いを受けている。一度炎に晒されればより強く燃え上がり、成長する。

 そしてこの蜘蛛火に刺されたものは、体の内側から焼かれるような痛みに晒され、灰になるまで焼かれ続ける。

 〈憐火れんか〉の炎が燃やさない人間を、内側から燃やし尽くす凶悪な化け物だ。


「だが知っていたところでどうしようも出来まい。こいつにはお前のお得意の炎は効かない!そう、終わりだ!」

「……確かに、そいつは俺にとっての天敵だ。いくら火力をあげても焼けやしねぇ。——千年以上前ならな」


「……なにを言っている?」


 千年以上前、最強にして最凶の魔神イスティフが暴虐を振るうより更に前の時代だ。絶望に気でも触れたのか?ビアスは思う。

 しかし、それよりも感じるのは違和感。魔術師は、落ち着き払っている。


 目の前の魔術師にはどうしようもできない状況だ。そのはずだ。

 なのにこの落ち着きようはなんだと、ビアスの胸中がざわつく。


(……まさか、蜘蛛火を倒す手段が?——いや、ありえない。あるはずがない!あってたまるか!)


 脳裏をよぎった考えを、頭を振って否定する。

 それでもなお残る不安をかき消すように、ビアスは声を張り上げる。


「蜘蛛火!そいつを殺せ!お前の力を見せつけろ!!」


 指示を出すと同時に、蜘蛛火の炎の勢いが増していく。燃え上がる炎の勢いは、これから喰らう炎使いの上質な魔力への期待に震えているようだ。

 やがて、一回りほど大きくなった蜘蛛火が、唐突に元の大きさにまで萎む。燃え盛っていた炎が瞬時に勢いを失い、一呼吸ほどの間が過ぎたころ、魔術師が立ちすくむ場所に、蒼い炎が勢いよく舞い上がった。


 蜘蛛火の放った〈蒼炎そうえん〉は、先ほど魔術師が唱えた鮮やかな蒼い炎とは違い、その周囲に黒い靄を螺旋状に渦巻きながら燃えていた。魔物特有の力、瘴気が混じっているせいだ。

 禍々しい炎は魔術師の身を焼き、叫喚を響かせながら灰へと変える。そのはずだ。


 しかし——炎は、喰われ始めた。


 ビアスの目の前、天高く燃え上がっていた禍々しい炎は、時を巻き戻したかのように高さを失い始め、地面へ向けてズルズルと勢いを失っていく。

 炎が弱まり、地表に立つ魔術師の姿があらわになると、魔法はその左手に光る魔法陣へ吸収されていたのだと理解した。


 底なし沼に引き摺り込まれるように全ての炎が飲み込まれたころ、ビアスは、言葉を失った。


「〈炎咆えんほう〉」


 魔術師が唱える。直後、その背後に龍の頭を模したような炎が現れる。

(炎に対する耐性がある蜘蛛火に火属性魔法?)

 そう考えるよりも早く、魔法が発動する。龍の頭は大きく口を開け、大地を震わせるような咆哮とともに、干上がるような熱波を放ってきた。


(死ぬ……)


 ビアスはそう直感した。蜘蛛火の後ろに控えていたことが幸いしたのか、炎が可視化できるほどの熱波を直に受けることはなかった。

 しかし、体が動かない。必死に足を動かすように命じるも、ピクリともせずただその場に立ち尽くしていた。


(——恐怖だ)


 舌さえもろくに動かせないなか、冷静な思考のビアスが判断する。戦場に立ち、数多の使い手とことを構えてきたビアスはこの現象を知っていた。

 死の恐怖——それにより、体が硬直している。炎の龍の咆哮に、ビアスは死を覚悟したのだと理解する。


「なにも炎を喰らうのは蜘蛛火の専売特許じゃねぇ」


 魔術師が一歩、ビアスへと近づく。


「千年以上前ならこいつは手に負えなかったんだがな」


 魔術師が二歩近づく。しかしそれは、ビアスにではなく、蜘蛛火へであった。


「炎は無効化できても〈炎咆えんほう〉の恐怖には耐えられなかったみてぇだな」


 魔術師が蜘蛛火へと更に近づく。蜘蛛火は動かない。いや、動けないのだろう。自分と同じように、ピクリとも体が反応しないことを、使役主として理解していた。


「〈憐火れんか〉」

 魔術師の左手に、〈憐火れんか〉が灯る。蜘蛛火へと更に歩を進めていくにつれ、〈憐火れんか〉の炎は徐々に、青く燃え始めた。

 一歩二歩と歩みを進めるとともに青みがかっていく炎は、蜘蛛火の正面に到達した頃には、完全に蒼く燃えていた。


 魔術師が、左手に燃える炎を蜘蛛火へと投げた。緩やかな動きで宙を滑る蒼い炎が蜘蛛火へ触れるとともに——


「〈憐火れんか蒼炎そうえん〉」


 今日三度目の、蒼い火柱が上がった。

 蜘蛛火には炎に対する絶対的な耐性がある。大丈夫だ。ビアスは自分自身に必死にそう言い聞かせるも、虚しくも叶わなかった。

 ビアスの中に感じていた蜘蛛火との主従の繋がりが、プツリと切れた。


 火柱が消えると、そこにいたはずの蜘蛛火は消滅していた。ありえない光景をただただ呆然と見つめていたビアスの耳に、ポトリと何かが落ちる音が聞こえた。


「ん?」


 気付けば動くようになっていた頭を、音のした左側へ向ける。地面に転がっていたのは、腕だ。


「……は?」


 腕は、シュウゥゥと音をたて、水分が蒸発したかのように、干からびたミイラへと姿を変えた。そして、ビアスの左腕を、激痛が襲う。


「いぎゃあぁぁぁあぁぁぁ」


 右腕と同じように肘から先を失った左腕が目に入り、ビアスは膝をついて激痛に悶えた。


「これで抵抗はできないな」


 ビアスの頭上から、冷酷な声が降ってくる。

「貴様ぁ!貴様あぁぁぁぁ!」

「〈憐火れんか〉は人を焼かない。それは、人を焼くのを捨てたからだ。魔物を燃やし尽くすために」


 でたらめだ。そう思いたかった。しかし事実として蜘蛛火は燃やされた。それがなにより、ビアスの願望を打ち砕く。


「お前、俺に何を考えてるって言ったよな?あれは言葉のままだ」


 何を言われているのか分からない。それに、考えるにも痛みで思考が回らない。


「俺の魔力が尽きるのが先か、お前の物量が尽きるのが先か……そのままの意味だ。あと一週間ほどは付き合えたんだがな」

「なにを馬鹿なことを言ってる!そんな阿呆みたいな魔力をもったやつがっ……いや……この化け物めえぇぇ!!」

「……苦しませるのは趣味じゃない。手短に済ませるぞ」


 魔術師は冷たい目でビアスを見下ろし、問いかけてきた。


「お前、あの数の魔物をどうやって使役していた?一体一体捕まえて亜空間に封印してたのか?」

「ははははははっ!死ね!死ねぇ!!」

「……捕まえるにしても一人でかき集めたのか?襲われた商隊や農家には冒険者の護衛を雇っているものもいた。魔物がやられるたびに付近で補充してたのか?」

「お前は死ぬ!死ぬんだぁ!死んじまうんだあぁぁ!!」


「……そうか。ちんけな物取りだと思っていたが、お前は強い。あんなことしなくても冒険者ごと殺して物資を奪うこともできたはずだ。何故そうしなかった?」

「醜く死ぬ!ぐちゃぐちゃになって死ぬ!髪の毛一本残さずお前はっ——」

「——命令か?」

「ッッ!……死ねえぇぇぇ!!ゴミが!!ゴミがあぁぁ!!」

「……そうか、よく分かった」


 なにが分かったというのだろう。動揺は悟らせていない。そう信じて、ビアスは叫び続ける。

 ビアスはここで死ぬ。分かりきっていることだ。仮に助かったとしても、ろくな未来は待っていない。両腕を失い、預かった魔物さえも失った。前者は治療もできるだろうが、後者は取り返しがつかない。

 呪詛を吐き続け、己の最期を待つ。


 終始冷たく見下ろしていた魔術師は一つため息をつき、悲しそうな目で、ビアスを見た。


(きさまあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ)


 自身への憐れみだと受け取ったビアスの中で、何かが切れた。


「死ねぇぇ!死ねぇ!!死ねぇぇぇえぇぇぇ!!死ぬ!!死ぬ!お前はっ!!お前はあぁぁぁぁ!!」


 魔力の枯渇でろくに動かない体を必死に動かす。じたばたと動くたび、斬り落とされた腕の患部から滝のように血が流れる。意識が朦朧としてくる。しかし、なんとか魔術師へ噛みつこうと、なおもじたばたと暴れ続けた。

 祖国では逆賊として、国々では凶悪犯として名を轟かせた自身のプライドが、体を動かす。


 魔術師の目が、再び冷たいものへと変わった。

「殺すっ!殺されろっ!!死んで殺されろっ!!死ねぇえぇ!!」


 魔力の気配を感じる。魔術師の魔力だろう。自身の命の灯火は、もう既に消え掛かっている。


「お前は殺されるっ!!醜くだっ!!!俺を殺したお前はっ!“あの方”にっ——」


 ビアスが最後に感じたのは、自身の心臓を貫く、熱だった。


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