遭遇



 さとしを置いて走り出した馬車の姿が完全に見えなくなった頃、辺りは陽が落ちすっかりと暗くなっていた。


「……さて、と」


 短く呟き振り返ると同時に、街道脇の一点に〈炎弾えんだん〉を撃ち込む。魔法が狙いの場所に着弾する直前、街道脇からなにかが飛び出した。

 着弾した〈炎弾えんだん〉は、普段のように小規模な爆発を起こす事なく、地面をわずかに抉り霧散した。


 飛び出したきたのは一人の男。その男に向かい、怜は声をかける。


「ようやく姿を見せたか。こそこそ付け回してたのは分かってた」

「……気付かれてたんだ。てっきり今回もなにも気付かず立ち去るって思ってたけど」


 若い男だ。尾行がばれ、引き摺り出されたにも関わらず、その表情には余裕を感じる。


「今回もって事は前回クロトヴァに向かう途中で魔物をけしかけたのもお前か?」

「よく分かったね。あの時は全然そんな素振りなかったように思ったけど」

「特に気にもしてなかったな。だがギルドにあんだけ同様の手口の被害が報告されてりゃ、嫌でも人為的なものだと分かる」

「へぇ。物資や金を投げ捨てて逃げ出すやつらはそのまま逃してたけど、やっぱり生かさず殺しておくべきだったかな」

「……なるほど、物取りか」


 ギルドに上がっていた報告では、逃げのびた被害者も多くいた。想定はしていたが、完全な物取りの犯行のようだ。


「ん?おたく……」

 突然男は、怜を見て何かを考えるような仕草を見せた。しかししばらく見つめたあと、首を振りつつ、興味を失ったような目になる。


「なにか探し物でもしてたのか?」

「そんなわけないだろう?飲む、打つ、買う、金はいくらあっても困らない」


 純粋なクズ、怜は男をそう判断した。


「ところでおたく、魔術師だろ?戦士の彼を先に行かせていいのか?」

「木偶の坊がいたらお前は出てこなかっただろ?村まで着いてこられて人質でもとられちゃ敵わねぇ、ここで俺が片付ける」

「……強いよね、彼。さすが怪人と呼ばれるだけの事はある。でも……残念だけど魔術師に僕は殺せない」


 先ほども怜の奇襲の魔法を難なくかわしみせた。口先だけではないはずだと、警戒を怠らず魔力を練り上げると同時に——怜の四方から、ゴブリンが襲いかかってきた。


「チッ。〈熱風波ねっぷうは〉」

 怜を中心に吹き荒れる熱風が、魔物を吹き飛ばす。吹き飛ばされたゴブリンは、絶命までは至らずも、ひどい火傷をおってのたうち回る。放っておいても命は尽きるだろう。


(農夫のおっちゃんもまだそう遠くに行ってねぇ。派手に暴れて不安にさせるのもよくねぇな)


 静かに短期でケリをつけることを方針に、右手に魔力を集めて〈炎弾えんだん〉を作り出す。


 まっすぐ男へと向かって飛んでいく魔法の射線上に、一匹のゴブリンが飛び出す。着弾した〈炎弾えんだん〉は、ゴブリンもろとも男へ向かい進み続けるも、難もなく避けられる。


「思ってたけど強力な魔法を使うよね、おたく。ゴブリン一体で問題なく相殺って思ったけど」

「そんなもんで止められるほど俺の魔法はヤワじゃねぇ。分かったなら今から降参してもいいぞ?」

「まさか。魔法は得意、なら接近戦は?」

 男が宙で腕を一振りすると、黒い狼の魔物、黒狼こくろうが一直線に突進を仕掛けてきた。


 怜は後方に飛び退き〈火炎壁かえんへき〉を展開する。

 壁の向こうから、火だるまになり、転がるように飛び出してきた魔物を〈魔衝弾ましょうだん〉で弾き飛ばし体勢を整える。


 役目を終えた炎の壁が鎮火すると、三匹の黒狼が怜に向かい猛進して来るところであった。


(召喚か!?亜空間から呼び出してる?考えてる暇はないか)


 突如として姿を現した黒狼に驚きつつも、再び壁を展開する。


「〈三重火炎壁さんじゅうかえんへき〉」


 三枚の壁が怜と黒狼を隔てる。炎の壁に呑まれた黒狼は、先ほどの個体と同じように火だるまなる。しかし勢いは殺せず、三匹の燃える狼が怜へと襲いかかる。


 〈魔衝弾ましょうだん〉で三匹同時に弾き飛ばすのは不可能と判断した怜は、再び後方へ飛び退き距離をとる。

 魔法戦においては自信のある怜に、敵と距離がとれるのは好都合だ。避けるので精一杯というような表情を装い、内心で嗤う。


(距離を広げて最速の魔法で片付けるか、離れ過ぎなきゃあいつも速度に反応できねぇはずだ。このまま防戦一方を装いつつ……ッッ!!)


 考えを巡らせるさとしの背後から、鋭い殺気を感知した。

 慌てて振り返ると、短刀を振り上げ飛びかかってくる一匹のゴブリンの姿と、その後ろに続くゴブリンと黒狼の群れが目に入る。


(しまッ……!!)


 避けられない、そう悟った怜は、咄嗟に左腕を盾にする。鋭利な短刀が腕に突き刺さる痛みに表情を歪める。


(誘われた!?さっきのは背後の魔物を悟らせないためか!)


 上手く誘いこまれた自分に苛立つも、飛びかかってきたゴブリンの首を掴み、〈憐火れんか〉を発動させる。たちまちゴブリンは炎に包まれ、耳障りな悲鳴を上げながらもがき始めた。


 勢いよく燃えるゴブリンを後続の群れへと投げつけ、〈憐火ノ連ナリれんかのつらなり〉を唱える。

 放電するように弾けた炎は、群れの魔物に一匹残らず燃え移り、断末魔の悲鳴がまるで合唱のように怜の耳へと届いた。


「つッ!」

 左腕に刺さったままの短刀を引き抜くと、傷口から赤い血が流れた。


(こういう時は抜かないほうがいいんだっけ?まぁでも邪魔だ)


 流れる血は、止血を行わないと止まりそうにない。しかし今、そんな時間はなさそうだと、目の前の男を見る。


「驚いた。〈憐火れんか〉にそんな使い方があったなんて。初めて見る魔法だよ。周りにどんどん燃え移っていくなんて」

 拍手を送る素振りの男に、少しだけ苛立ちを覚える。

「でも防戦一方って感じじゃないかな?このままじゃ押し負けちゃうよ?」

 その演技のはずだった。だが事実として誘い込まれ、手傷を負わされた怜の状況は、男の想定通りに事が進んでるということだろう。


「そう見えるかよっ!」

 引き抜いた短刀を苛立ちに任せて投擲する。魔力のこもらない攻撃は、容易に弾かれ男に傷をつけることはなかった。


「僕は魔術師とは相性がよくてね。時間はかかるけど物量で押し潰せば魔術師なんて勝手に死んでくれる。降参するなら今のうちだよ?」


 男は挑発するように、先ほど怜が口にした言葉をなぞる。


(しっかりしろ。これは木偶の坊との訓練じゃねぇんだ。戦闘の勘が鈍ってるぞ)


 分かりやすい挑発は、返って怜の頭を冷やした。冷静に周囲に意識を向け、感知を始める。

「ははっ。いつの間に……笑えねぇ」

 怜の感知の網には、周囲を取り囲む魔物の群れが引っ掛かった。


(ただの物取り。そう思って油断してたな。こいつは強えぇ。凶悪な魔術師だ)

 目の前で男は、薄い笑みを貼り付け、いたぶるような目で怜を見ていた。

 一つ、大きく深呼吸をして、気持ちを整える。


「なぁお前、魔術師とは相性がいいんだろ?」

「ん?あぁそうだよ。このビアス、魔術師との一騎打ちに敗れたことはない」

「そうか……なら試してみるか?そのお前の物量と、俺の魔力が尽きるのがどっちが先か」


 男、ビアスは怪訝そうな表情を浮かべ、怜を観察する。


「自信があるんだろ?その物量ってのに。いいぜ、来てみろよ」


 誘うような、安い挑発だ。我ながら思う。


「……なにを考えている?」


 案の定、ビアスは警戒しているのか動きを見せない。


 だがやがて焦れたのか、指示を出すように右手を動かした。それと同時に、周囲に潜んでいた魔物が、一斉にさとしへと襲いかかった——


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ふんっ。口ほどにもないやつだ」

 ビアスは目の前の魔物の山を見ながら嘲笑する。

 魔術師の男は、一斉に襲いかかってきた魔物たちになす術なく押し潰された。魔力と物量の勝負とはよく言ったものだ。

「やっぱり警戒するのはあの怪人か。……村人でも人質にとればなんとか……ッッ!!」


 考えを巡らせるビアスを、熱風が襲う。


「なんだ!?」


 吹き荒れる熱を帯びた風、その発生源を腕で顔を庇いながら確認する。魔術師を埋めるように山をつくっていた魔物たちが、竜巻に巻き込まれたように宙を舞い、旋回していた。


「これは……〈火炎旋風かえんせんぷう〉?」


 〈火炎旋風かえんせんぷう〉は炎を螺旋状に具現化させる魔法だ。渦巻く炎は対象に向けて放てば奇怪な動きで翻弄し、自身を取り巻くように纏えば盾となる。使い勝手の良さから、火属性に開眼した魔術師が初期段階で習得にはいる魔法であり、使い手も多い。炎を纏った旋風だ。


「——いや、この規模は……」

 宙を舞い、大きく旋回する魔物とここまで伝わってくる熱気。それは、ビアスが幾度となく目にしてきた〈火炎旋風かえんせんぷう〉とは似て非なるもの。

 これまでにない規模の旋風を注意深く警戒していると、突如として発火し、爆ぜた。


 けたたましい爆音の後おそいかかった、身を飛ばすほどの爆風を、無属性魔法で盾を作り出して耐え忍ぶ。

 砕け散った魔物の破片が降りかかるも、気にしているような余裕はない。


 やがて晴れた爆心地の中心から、短刀で刺された患部に包帯を巻きつけた魔術師が現れた。口と右手で器用に包帯を引き締め、感情の読めない表情でビアスを見つめている。


「へぇ、驚いたよ。第五階梯の上級魔法、〈火災旋風かさいせんぷう〉を扱いこなすなんて」


 〈火災旋風かさいせんぷう〉——第五階梯の上級魔法だ。

 〈火炎旋風かえんせんぷう〉が炎の旋風であるならば、〈火災旋風〉は炎の嵐である。

 荒々しく猛る熱風と炎、そして爆破を広範囲に及ぼす破壊的な魔法であり、巻き込まれればひとたまりもない。

 圧倒的な威力を誇るものの、周囲に仲間がいないことを前提条件とし、下手をすれば術者自身にも被害が及ぶ。中心に立っていたはずの怜に魔法での外傷は見受けられないことから、炎に対して高い耐性を有していることが見てとれた。しかし——


「……その第五階梯ってのは知らねぇが、魔法は正解だ。煩わしかったからな、全部纏めて吹っ飛ばした」

「そうかい。けどあんな大技を放つなんて、だいぶ魔力を使ったんじゃないかな?」


 〈火災旋風かさいせんぷう〉の消費魔力は凄まじい。魔術師の男は首を傾げるような仕草をするも、強がっているのは明白だ。


(追撃をかけるなら今かな)

 魔物のストックは大きく減らされた。しかし相手が大きく消耗している今、残りの手駒のみで押し切れると判断する。

(いざとなれば切り札もあるしね)

 先ほどから相手は火属性魔法しか使ってこない。それはビアスにとっては好都合なことだった。万が一の切り札として残している魔物は、炎使いでは絶対に倒せない。ビアスは勝利を確信する。


「さぁいけ!」

 召喚魔法を行使し、黒狼を呼び出す。機動力にとんだ魔物をやつは苦手としているはずだ。先ほどから距離を詰められるのを嫌がり、警戒している素振りが見受けられる。


 召喚された黒狼は全部で八体。今呼び出せるビアスの限界だ。

(念は入れておいた、ここで一気にけりをつける)

 男に向かって突進する黒狼には四方にばらけ、的を絞らせないように指示を出す。

 正面に二体、左右に三体ずつ展開した黒狼は、それぞれ不規則な動きで怜へ向かう。


「〈炎川奔流えんせんほんりゅう〉」

 魔術師が唱えたのは第四階梯の中級魔法。

 炎が激しい川の流れのように押し寄せる魔法だ。素早い炎の川の奔流は、本来対象を瞬く間に飲み込み焼き焦がす。

 しかし、出涸らし程度の魔力しか残っていないであろう男の魔法など、規模、スピードともにたかがしれたものだろう。黒狼の機動力の前には役に立たないはず。そのはずだった——


「なにっ!?」

 現れたのはまるで洪水をおこしたような炎の濁流。

 河川から溢れ出たような大量の炎は、逃げる隙さえ与えないような速度で、瞬く間に黒狼たちを飲み込んだ。

「無茶苦茶やりやがる!こうなりゃ一気に……ッ!」

 追撃の魔物を召喚しようとしたビアスに、凄まじい勢いの炎が差し迫る。召喚のために練り上げた魔力を、咄嗟に脚へと集めて高々と跳躍する。


 上空から見下ろす男の表情は読めない。しかし、しっかりとこちらを見つめていることだけは、ビアスの戦闘の勘が告げていた。

(しまった!)

 咄嗟の判断で上空へと飛び上がったが、これではいい的だ。男が右手を動かす姿が見て取れる。

(来るっ!!)

 男から飛んでくるであろう追撃の魔法に備えて身構える。

 だが、熱気はビアスの真下から襲いかかってきた。


「なっ……!」

 真下を流れていた炎の川は、滝を登るようにビアスへ向かい一直線に上昇を始めていた。

「くそがっ!」

 無属性魔法の盾、〈魔防壁まぼうへき〉を幾重にも展開し、勢いを奪う。しかしこのままでは炎はビアスを穿つだろう。今、呼び出せる限りのゴブリンとコボルトを召喚する。ビアスを守る肉の盾は、炎の勢いを大きく減らす。近づくにつれ勢いを失う炎に、最後の一体まで魔物を呼び出し対抗するが——


「がっっ!!」

 炎はビアスの左肩付近に直撃した。空中で体勢を崩し落下を始めるが、肉の盾と直前に張り巡らした防御壁でダメージ自体はさほどない。

 落下しつつもオーガを呼び出し、地面に落ちる前に空中でオーガに受け止められる。


 地表に降り立ち、男の顔を確認すると、表情を感じない顔つきで、興味も無さそうにこちらを見ていた。

「くっっっそがっっ!!いけえェェ!!」

 つまらないものを見るような目つきがビアスのプライドを刺激した。怒りに任せてありったけのオーガを呼び出す。

 ビアスが召喚し、使役できる魔物は全部で五種類。ゴブリン、コボルト、黒狼、オーガ、そしてもう一体の切り札だ。このうちゴブリンとコボルト、そして黒狼は使い果たした。今召喚したものでオーガも最後だ。魔力も残り少ない。これで最後だとばかりに、オーガに突撃を命じる。


 のしのしと魔術師へ向かい走るオーガの群れ。魔術師との一騎打ちで、全個体を呼び出し押し潰した事はこれまでにない。今までは呼び出す間もなく相手の魔力が底をつき、非力な魔術師を肉弾戦に待ち込んでは屠ってきた。

 ビアスにとってこれほど苦戦を強いたのは初めてのことだ。だがこれで方がつく。そう思いながら、オーガたちの背中を見送る——


「〈蒼炎そうえん〉」

 魔術師が詠唱するとともに、蒼い火柱が、天へと舞い上がる。

 第五階梯の上級魔法、〈蒼炎そうえん〉だ。

 地獄の門が開かれたように、地表から噴き出す蒼い炎は、ビアスの呼び出したオーガの群れを容易に飲み込んだ。

 一匹残らず死ぬだろう。目の前の蒼い火柱を眺めながら、そう直感する。

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