農夫
「ひゃっはっはははははは。死ね!死ねぇ!!」
「やべぇ……」
逃げ惑う魔物たちは振り下ろされる大剣に切り刻まれ、大量の血を吹き出しながら肉片へと姿を変えていた。
「ひ、ひいぃ」
怜の背後で腰を抜かしている男は、襲いかかる魔物から逃げていた農夫だ。確認したわけではないが、農業に適した動き易そうな服装、およそ人を乗せるとは思えない剥き出しの荷台を備えた簡素な馬車が、男の職業を教えていた。
「ば、化け物……」
言っているのは魔物のことかそれともボンボルか。農夫は終始怯えた声をあげていた。
「大丈夫ですよおっちゃん。あいつすげぇ強いんで、確実に助かる」
化け物は魔物のことであるという事にして声をかけると、農夫は怯えた目で怜を見上げ、激しく上下に頷いた。
(まるで俺らが命を握ってるみてぇじゃねぇか……)
助けにはいったつもりだが、農夫は魔物よりも怜たちに怯えているようだ。
一つため息を吐き、後方をチラリと確認して手のひらに炎を具現化させる。〈
徐々に勢いを強めていく炎を見て、呆気に取られている農夫を尻目に、背後へ向けて〈
「グガァァアァァァ」
人のものとも思えない、実際人ではない奇声をあげ、ゴブリンが焼き払われる。挟撃だ。
「お前らも芸がねぇな。二回目だ」
灰になったゴブリンが風に流されていくのを合図にしたように、魔物数体の群れが飛び出してくる。
怜は魔力を練り上げ、新しく作り出した〈
発火したのを確認すると、追撃の魔法を発動させた。
「〈
燃え盛る魔物を起点に、周囲の魔物に〈
背後から奇襲を狙った全ての魔物が灰と成り果てた頃、ボンボルの戦闘も終わったようだ。大剣を担ぎしっかりとした足取りでこちらに歩いてくる。
「おう、兄ちゃんも終わったようだな。どうだ?怪我はねぇか?」
魔物の返り血でべっとりと濡れたボンボルが、凶悪な笑みで問いかけてくる。後ろから、再び「ひいぃ」と、悲鳴が聞こえた。
「……なかったけど……お前こそ怪我してねぇの?」
「んあ?俺様があんな雑魚ども相手に怪我なんかするわけねぇだろ」
心底不思議そうな顔をするボンボルは本当に怪我はないようだ。
担いだ大剣を一振りすると、鋭い風圧とともに返り血がべっちょりと地面に飛び散った。
「うわぁ……」
ドン引きしたような声が聞こえる。声の主の様子を見ると、未だ腰を抜かして立ち上がれずにいた。
「おう旦那。もう大丈夫だぜ。魔物は俺たちが狩り尽くした。手を貸してやるから立ってみろ」
農夫に向かって血みどろの左手を差し出し広げる。すると、その手からなにかが数個、ぼとぼととこぼれ落ちた。
「あっ……いやぁついついくせでよ。自分でも気づかない内にゴブリンどもの耳を引きちぎってたみてぇだぜ」
地面には魔物の耳が、無惨な切断面を晒して転がっていた。
「わりぃわりぃ。こんな血まみれの手なんざ触りたくねぇよな。ちょっと待っててくれ」
ボンボルは左手を大きく振り付着していた血液を飛ばす。べったりと血が付いていた手のひらは、水を使わずとも綺麗になるが、飛び散った血液が一滴、農夫の頬に落下した。
「あっ……あっ……」
引きちぎられ耳を言葉を失ったように見つめていた農夫は、頬に落ちた血液に意識が覚醒したのか、呼吸を忘れたような声を出す。
(……うわ、おっちゃんやばそう)
左手をブンブン振っていたボンボルは、満足したのか動きを止めると、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。血に濡れた顔が、農夫の目の前に突きつけられる。
「ひっ!……ひっ……ひっ……」
「災難だったな旦那。もう俺様たちだけだ」
(……魔物はいなくなったから安心しろって言いてぇのか?)
歯を剥き出しに笑うボンボルの凶悪な笑顔は、目撃者がいない現状、逃げられないことを突きつけているようだ。農夫の緊張のボルテージが一段上がったのを表情から感じる。
「安心しろ。俺様たちが、帰るべき場所に帰してやるよ」
(神のみもとにですかね……)
どう見ても殺人鬼にしか見えないボンボルの顔が間近に寄せられ、農夫の呼吸が更に乱れる。
ひっ……ひっ……と、荒く不規則な呼吸が続き、体はひどく震えている。限界が近いことが見て取れた。
「家族もいるんだろ?——すぐに、送ってやるからな」
(家族の元に送るんだよな?どう考えても家族まとめて殺してやるって言ってるだろ)
びくんっと、農夫の肩が大きく揺れた。体の震えは大きくなり、荒かった呼吸も更に早く、乱れていく。
しばらくボンボルと見つめ合うような形になっていた農夫は限界まで顔を青褪めさせると、大きく口を開き——
「ひぃやあぁぁぁぁあぁぁぁ」
悲鳴をあげ、気を失った。
「……感極まったのか?」
「……おう。きっとそうだろ。無理に起こすことはねぇ。気長に待とうぜ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「い、いやぁ……すみません旅のお方……」
「なぁに気にするな。命の危機が迫ってたんだからよ。安心して気が抜けちまうのもしょうがねぇ」
簡素な馬車の荷台に揺られ、怜とボンボルは街道を進んでいた。
気を失った農夫が目を覚ましたのは夕暮れ時に差し掛かった頃。目を覚ますと同時に、家族だけはと、頭を下げてきた農夫の誤解を解くには労力を費やした。
連合国の端の村で暮らしているという農夫は、クロトヴァで作物や物資を売り払った帰りだという。
街道を馬車をひいて進んでいたところ、魔物の群れの襲撃に遭い、命からがら逃げていたところを怜たちに発見されたようだ。
「しかし不用心だぜ旦那。最近は魔物の動きも掴みきれてねぇんだ、護衛も雇わず村に帰ろうとするなんて命を落としてもおかしくねぇ」
「はい……護衛を雇いたかったのは山々なんですが……」
「……なにか理由があるのか?」
訳がありそうな農夫の様子に、怜は反射的に聞いていた。
「えぇ……実は、孫が病気にかかってしまいまして……大層ひどい病気で、治療するにもお金が入り用なんです。……あまり高い出費は抑えたくて、今回も治療のための資金繰りのために街まで出てきたものですから……」
「そう、か……それは、つれぇな」
予想外の告白だったのか、勢いを失ったボンボルの声が尻すぼみに小さくなる。
「でも今回、予想以上に高く売れたので、完治と行かなくてもしばらくの治療費にはなりそうです。少しでも孫が元気になってくれれば、これ以上の喜びはありません」
「完治させるにはまだ足りないのか?」
不躾だとは思うも、怜は農夫に問いかけた。
「……どうやら足りないようです。クロトヴァの教会でも聞いてみましたが、孫の病気を治せる使い手は街にはいないようです。他の街や他国の
『
この世界の医療は、薬師と治癒士の二つの職業によりまかなわれている。
薬師は薬草や動物などの素材から傷や病に効く薬を調合する者たちである。確立された製法を遵守していれば、魔法の資質がなくとも薬を製造することは可能だ。
一方、治癒士になると話は別だ。治癒士は無属性魔法と並ぶ始源三法とよばれる光属性魔法を行使し、傷や病を直接的に癒す。癒せる傷や病は術者の技量に大きく依存し、擦り傷の止血さえままならないものから欠損した四肢を即座に治療するものまで様々だ。
イスティフの時代において、光属性魔法は完全に生まれ持った才に起因するものと考えられていた。しかし今の時代においては、非常に高度であるものの、修行を積めば行使することは誰であっても不可能ではないとのことであった。
この世界でも外科手術の概念自体はあるようだが、歴史が浅く確立した医療とは呼べず、一般的には忌避されているとのことだ。
怜が前の世界において医者であったならその技術を持ち込むこともできただろう。しかし実際は医療とは縁のない一会社員であった。怜たちが農夫にしてあげられることはないも同然だろう。
「……そうか」
首を振って否定する農夫の顔に浮かぶ表情は悲しみか悔しさか。自分の中の
「今は容態はどうなんだよ?安定してるのか?」
ボンボルの問いに、農夫は困ったような表情になる。
「はい、一応安定はしております。息子が薬師でして、症状を抑えているという表現が適切らしいのですが」
症状を抑えている……病気の進行自体は進んでいるようだ。「大丈夫だ」、「きっとよくなる」、そんな慰めの言葉などこの農夫は何度も言われてきただろう。その保証などどこにもないのに。
安い慰めの言葉を投げかけたところで疲れた表情の農夫にはなにも意味をなさないこと。目があったボンボルも同じ事を考えているようだ。
話題を変えようと頭を働かせる。
「息子が薬師ってすげぇじゃねぇか。優秀な息子なんだな」
「はい、息子はよく頑張ってくれました。うちは貧乏でお金がなかったにも関わらず、それはもう勤勉で……自慢の息子です」
明るさを取り戻した表情で胸を張る農夫は、心の底から息子を誇りに思っているようだ。父親と息子の絆——それは、怜の琴線に触れるものがあった。
「そうか。……父親のおっちゃんが立派だったからだな。息子は親父の背中をみて育つもんだ」
「ははっ。そうだといいのですが……しかし、私一人が父親として立派だったわけではありません」
「……どういうことだ?」
農夫は胸を張り、自信に満ちた表情になる。
「村人は全員が家族です。みなが父親であり母親なんです。そしてみなが兄弟であり大切な子どもであり、孫でもあります。皆がかけがえのない家族です。私が父親として息子を育てたわけではありません。村の皆が息子の家族として育ててくれたからこそ、今あの子は薬師として立派に働いています」
村人全員が家族、そう宣言した農夫の表情は誇らしげだ。
孫が重い病気、きっとそれはこの農夫の村においては村人全員の一大事だ。安い言葉はかけられないと気を回した怜たちの気遣いは無用なものだったらしい。その辛さを理解し寄り添ってくれる人たちを、この農夫はたくさんもっている。
「そうかそうか……それはいいことだな。そんな村人たちに囲まれてんなら、きっと孫も大丈夫さ」
ボンボルはいつもの凶悪な笑みではなく、穏やかな笑みを浮かべていた。躊躇した言葉を口に出したのは、きっと今度は心からそう思ったから。
「村人全員が家族、か……」
言葉を反芻したボンボルは、どこか遠くに視線を移した。空は夕陽も沈み始め、夜の訪れが近づいている。
「なぁおっちゃん、そのおっちゃんの村に、リアっていう娘はいねぇか?十代後半くらいの少女なんだが」
「……はて?リアですか?……すみません、そのような娘はうちの村では聞きませんね」
「そうか……」
つい気になり聞いてみたが、違うようだ。場所的には近いと思ったが、どうやらこの村ではない。リアの村は戦火に巻き込まれて人手が不足していると言っていた。それならやはり連合国の村ではなく皇国に属している村か。
再会した時には、もらいすぎたお金を返そうと思っていた怜は、皇国に着いたらやることが増えたと心のメモ帳に書き残し、遠くを見つめているボンボルに視線を戻す。
「……そういえばお前、今日は馬車酔いしねぇんだな」
馬車に乗るといつも早々に根を上げていたボンボルだが、今日はまだ余裕があるようだ。
「うん?……まぁこのルートは連合国の冒険者じゃなくて皇国が友好の証に整備してる道だからな、揺れもすくねぇだろ?」
農夫の村を経由するとのことで、怜たちは前回クロトヴァの街に向かっていた時とは別のルートで皇国へと向かっていた。
確かに前回使ったルートよりも街道の道は綺麗に整備されており、快適な旅が続いている。
「イケマの宿もあそこより北に行くと皇国が整備を請け負ってる。ここら辺が皇国と連合国の差かもしれねぇな」
「……なんだそのイケマの宿って」
「……俺様と兄ちゃんが出会った宿じゃねぇか」
そんな名前だったか?と思うも、そもそも文字の分からない怜に宿の名前を知る機会はなかった。
宿の名前も心のメモ帳に書き残すと、農夫に声をかける。
「おっちゃん、ちょっと馬車を止めてくれ」
言うと同時にすぐさま止まった馬車から怜は飛び降りて、体を伸ばすようにストレッチをする。
「どうしたんだ兄ちゃん?まさか酔ったとか言わねぇよな」
「そのまさかだよ。ちょっと酔っちまった」
「おいおいまじかよ。少し休憩していくか?」
「いや、おっちゃんと木偶の坊は先に行っといてくれ。すぐ回復するだろうし後で追いかける」
「えっ、辺りも暗くなってきてますし一緒に行きましょう。村までもうそんなに時間はかかりませんし」
怜の提案に、ボンボルではなく農夫が答えた。
「ほんとすぐ回復するから大丈夫だ。それにここらの魔物にやられるほど俺は弱くねぇさ。——村はこの道をまっすぐだろ?なら気にせず先に行ってくれ」
「しかし……」
渋る農夫は純粋に怜を心配してくれているようだ。元がお人好しの性格なのだろう。怜は人のいい農夫ではなく、ボンボルを見る。
「……分かった。なら俺様たちは先に行く。くれぐれも気をつけて来いよ、兄ちゃん」
ボンボルには伝わったのだろう。怜の提案をすんなりと承諾した。
「旦那。馬車を出してくれ」
最後まで農夫は心配そうな表情で怜を見ていたが、馬車は怜を置いて走り出した。
過ぎゆく馬車から振り返ったボンボルと目が合う。いつもなら手を振るなり大袈裟な仕草を送ってくるだろう。しかし、今回はなにもなく、ただただ怜を見つめているだけであった。
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