疑惑
一番通りの城門前は人でごった返していた。
クロトヴァの街一番の大通りの入り口では、商人や旅人で常に溢れている。門の外では検問待ちの一団が列を作っており、内では検問を終えた人々がこれからの予定を打ち合わせたりでたむろしている。
大きな城門はいい
早々と着いた
「あいつもう着いてたのかよ。自分から言い出したわりにはえぇな」
目立つボンボルに向かい歩き出そうとするが、やめる。
ボンボルは人混みの中、自身の腰ほどまでしかない老婆と話し込んでいるようであった。
この街にきて、ボンボルと顔見知り程度の相手とは何人か会ったが、ああして話し込むような相手がいたのは初めて知った。
終始にこやかな表情で話していることから、友好的な関係の相手だということが分かる。
しばらく眺めていると、ボンボルと目が合った。どうやらこちらに気付いたようだ。右手を大きく振り、合図を送ってくる。
(そんな事しなくてもお前は十分目立ってるっての)
再び老婆に向き直り、なにかを告げたようだ。
今度は二人でこちらを見てくるが、老婆の顔に心当たりはない。
軽く会釈を返すと、同じように会釈が返ってきて、今度は老婆からボンボルに何かを告げたのが確認できた。
(なにを話してんだ?)
にこやかな表情で話し込んでいたボンボルの顔つきが真剣なものになる。
いくら知能が足りていないあいつでも、年老いた女性にくってかかるような事はしないだろうと思うも、やや不安に成り行きを見守る。
しばらくすると、ボンボルが大きく口を開けて笑い始めた。豪快に笑っている顔だ。この距離で声は聞こえるはずもないが、もはや聞き慣れたボンボルの豪快な笑い声が、怜の耳にも聞こえてくるようだ。
老婆に片手をあげると、こちらに向かって小走りで駆けてきた。
「おう兄ちゃん。早かったじゃねぇか」
「薬だけだったからな。最後にヴァレミーのおっちゃんと会えたぞ。道中気をつけろ言ってたぞ。また機会があればいい付き合いをしたいだとよ」
「そうかそうか。あの人には俺がずっと探してた本も売ってもらったからな、皇国で名をあげたら贔屓にしたいものだぜ」
「てかあのばあちゃん誰だよ?お前この街にあんな知り合いいたの?」
「あぁ……いや、この街の知り合いじゃねぇな。フィラーテの街を拠点にしてる時に酒場で出会った。用事があってこの街に来たようだが、意外な再会に話し込んぢまった」
「へぇ……」
そういえば前はフィラーテを拠点にしていたんだったなと、忘れかけていた情報を思い出す。話を聞くにクロトヴァより向こうを拠点にしていた時期の方が長いようだ。その分こっちより向こうのほうが知り合いも多かったのだろうと、怜はそれ以上の興味を失う。
「じゃあ、出発するか兄ちゃん。今度こそ俺の雄叫びで……」
「やめろやめろ!さっきより人が多いんだぞ。いいわけねぇだろ」
「ちぇっ。テンション上げていこう言ったのは兄ちゃんだぞ?つれねぇな……」
「あれは悪かった。俺が間違ってた。だから普通に出発するぞ、レッツゴー」
怜は門の外へ向け歩き出す。相変わらずの人混みだが、ボンボルといる分、道が開けて容易に外まで脱出できた。
検問待ちの一団を横目に歩き、最後尾を過ぎたところでボンボルが話しかけてきた。
「なぁ兄ちゃん、俺らの陣形ってまだ作戦Aと作戦Bしかねぇだろ?」
「ん?そうだな。まぁそれで今のとこはうまくやれてるな。ごり押しの脳筋戦法だけどよ」
「あぁ、だがな、もう一つ作戦を思いついたんだ、今のうちに伝えといていいか?」
「良いも悪いもねぇよ。早めに共有しておこうぜ。で、その作戦ってのはなんだ?」
聞きつつも、怜は期待はしていなかった。どうせ、作戦という名の新しいごり押し戦法が語られる。そう思っていた。
「作戦名は作戦Cだ。その概要は——」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
赤く揺らめく焚き火を、感情の篭らない瞳でリリアは見つめる。
季節が変わっても未だ寒さの厳しい皇国内では、野営をするにも暖が必要となる。
皇聖隊に所属する者のみが着用を許されるローブには、保温の魔法がかかっている。ローブに包まれた体は、その体温を逃すことなく維持していた。しかし、ローブからはみ出した手には直に寒さが伝わってくる。
悴んだ指先を炎で暖めると、感覚が戻ってくる。年中気温の低い皇国において火は偉大だ。厳しい冬場でも、積もった雪を簡単に解かしてくれる。しかし、今のリリアの凍りついた感情は、簡単には氷解しそうにもなかった。
「リリちゃん、交代だよ」
不意にかけられた声に振り向く。パメラだ。
「……そう。なにも異常はなかったわ」
簡単な引き継ぎを終える。四人小隊で任務に就いているリリアたちは、見張りの番を交代で回していた。皇国領内とはいえ、野党や魔物など危険は多い。特に警戒態勢の敷かれている現時点ではより気を張る必要がある。
「二人はぐっすり眠ってたよ」
パメラの言葉に、首を傾げる。
「男性陣はもうぐっすり。ぐぅぐぅいびきがこっちのテントまで聞こえてたよ」
うんざりした表情で、疲れたようなリアクションを見せる。どうやら今回小隊を組んでいる男性陣二人は、深い眠りの中のようだ。
「それは……災難ね」
「リリちゃんもしっかり休まないとダメだよ」
「……」
リリアは今回の任務に就いてから、ろくに休めていなかった。
危険が常に伴う任務の最中で、ゆっくり休めるようなことは基本的にほとんどない。ただ今回、リリアがゆっくり休めていないのは、休める時に休めていないのが原因であった。
「分かってる……けどなんだか眠れなくて」
困ったような顔でパメラに微笑みかけるも、表情に変化はない。
未だ座り込むリリアの隣にパメラも腰を下ろすと、焚き火に新しい薪をくべ、語りかけるように話し始める。
「今回の事は皇国軍全体の失態。気にし過ぎちゃダメ」
「……」
「まさかまさかだよ。わたしも驚いた。皇国領内で村人が消失するなんて」
戦火に紛れて起きていた遺体消失事件。それが今回、皇国領内で発生した。
領内の村々で、村人が消失している事態を、国境警備から帰還中の剣聖隊が確認した。
村人の生死は不明だが、衣服だけを残して忽然と姿を消している現状から、同一のものと思われた。
ただ今までと決定的に違うこともある。これまでは戦いに従軍していた戦士が姿を消していた。しかし今回は戦闘力を持たない一般人。そしてなにより回収された衣服からは、僅かな血痕と刺し傷のような痕が見つかっている。
犠牲になった村に駆けつけ、その惨状を目にした時には、皇国を護る軍人として、リリアの心に暗いものが陰った。
「でもこれで……十中八九そうだと思っていたけれど、今回で確実なものになったね。この遺体消失は人為的なもの。しかも物取り」
被害に遭った村の状態として、村人は抵抗を試みた痕跡があった。そして、民家の中は戸棚や引出しがひどく荒らされており、なにかを探していたような様子が見てとれた。
「遺体は消えても装備や持ち物が奪われるなんてことはなかったのに……今までとは別人って可能性はないの?」
リリアの質問にパメラは首を横に振る。
「ないわけでないね。でもおそらく村が襲われたのはここ一ヶ月。中央地域の衝突も、直近一ヶ月ほどの戦闘で亡くなった戦士の遺体は無事回収されてるみたい。皇国が加熱する衝突に気を取られている間に、領内に潜りこんで事に及んでいたみたいだね」
中央地域での衝突は、国境付近で激化していた。
皇国の国境には、軍随一の戦闘力を誇る剣聖隊が常に警戒にあたっている。だが長期化した列国戦争において隊員は数を減らし、常設の部隊だけでは国境を超えて被害が及んだ際の防波堤として懸念があった。
皇国軍は付近の別部隊も動員し国境の警戒にあたるなか、敵は手薄になった警備の合間をぬい皇国に潜入したようだ。
「なによりあんな人道的でない魔法の使い手が何人もいるなんて考えたくもない」
パメラの言葉に、先ほど首を横に振ったのは否定ではなく拒絶であったと理解する。
「そうね。人のみを消し去る魔法——まるで、“〈
「分からないよねえ。皇国に保管されてる蔵書にはそんな魔法の記述なんてないし、杖聖様でさえ分からないって言ってる魔法だもん」
得たいの知れぬ謎の魔法とその使い手。その影は皇国の領土に入り込み、確実に被害を広げていた。
今回リリアたちに伝えられた任務は被害地域周辺の警備。四人小隊三十の部隊が被害に遭った三つの村の周辺で警戒の目を光らせていた。
「わたしたちの小隊は遊撃部隊」
パメラが確認するように呟く。
「今回の任務、不審な人物を発見したら拘束のうえ尋問。ただ相手が激しく抵抗するようなら……敵の抹殺が史上命令」
任務を伝えられた際、杖聖様から与えられた命令だ。
「ただこんな魔法を使う素性の知れない敵の相手なんて、いくら皇聖隊でもリスクが高すぎる。最悪小隊一つ皆殺しの可能性もある」
小隊に選抜されたメンバーは総じて手練だ。ただこれほどまでに得体の知れない相手、最悪の事態も想定される。
「そこでわたしたちの部隊だよね。戦闘力なら頭抜けた部隊が三つ。どこも遊撃部隊としてそれぞれ襲われた三つの村周辺をくまなくカバーするように命令されてる。そのうち一つがこの部隊」
今回被害に遭った村の数は三つ。それぞれの村を周辺あわせて十の部隊が警備している。
その中には戦闘になった際、現場にすぐに駆けつけられるよう、戦闘力の高い部隊が遊撃部隊として控えている。
リリアは後ろのテントに視線を動かす。今回この遊撃部隊において主だった戦力はぐっすり就寝中だ。
「戦闘はいつどこで起こるか分からない。こうやっているうちにも今すぐどこかで戦闘にはいってもおかしくない。……だから今のうちに休まないと」
「……そうね。あなたの言うとおり。いつでもどこでも駆けつけられるよう、今のうちにしっかり休んでおくわ」
リリアは立ち上がりテントへと向かう。遊撃部隊として、休憩はそれほど多くはない。貴重な休息に体を休められないのは、いざという時のパフォーマンスに関わる。
二、三歩歩いたところで足を止め、後ろのパメラに問いかける。
「ねぇパメラ……気づいてるでしょ?今回のこと」
「……なんのことかな?」
「タイミング。……良すぎると思うの。衝突に気を取られ、警備が手薄になったとこで領土に侵入」
そして警備の甘い村を襲撃。それはまるで相手が——
「……こちらの警備状態を把握していた。誰かが外部に漏らしたように」
そらんじるようようなパメラの口調は、やはり今回の襲撃には皇国内部の人間が情報を漏らした可能性に気付いていたようだった。
「やっぱり気づいてた。……みんな、避けてるよね、話題に出すことを」
皇聖隊に配属される者ともなると、その力だけでなく頭脳でもほとんどの軍人があらゆる面において秀でたものを持っている。
今回選ばれたメンバー全員、内部に裏切り者がいる可能性に気づいているはずだ。しかし、各小隊それぞれ、誰もがそのことを口に出すのを躊躇っていた。
「そうだね……。皇国内部の人間に裏切り者がいるなんて事、出来ればみんな考えたくないんじゃないかな。とくに今回は三つの村が壊滅、悪意を持って敵を皇国内に引き込んでる」
新しい薪を投げ入れるパメラの目に、暗い光が差し込む。
「民間人にこれほどの被害が出てる。許されることじゃない。今は敵がまだ近くに潜伏している可能性がある以上、私たちは警備に駆り出されているけど、皇都では犯人探しに躍起になってるかもね」
「……パメラは、心当たりがあるの?犯人に」
背後で薪をくべる友人は、頭脳面においてリリアと同等以上の才をみせる優秀な軍人だ。任務の間にも、自分なりの答えに行き着いているはずだと考え問いかける。
「……皇国の警備状況を正確に把握していた、もしくは把握できた人間なんてそう多くはない。皇国、もしくは皇国軍の上層部に皇聖隊の隊員くらいのもの」
前提条件として、犯人は皇国の中枢にまで入り込んでいる。その事実がパメラの口から語られる。
「このうち皇聖隊の隊員は、任務にでていたものや地方に着任中のものは警備状態について正確な伝達が伝わっていたとは考えにくい。剣聖隊や槍聖隊の隊員だね。——ならその情報を正確に把握できる隊員となると、皇都や警戒地域周辺に非番で滞在していたもの、私たち杖聖隊もその中にはいるね」
皇聖隊を構成する六つの部隊。その六部隊には部隊それぞれの役割がある。
剣聖隊は国境の警戒、槍聖隊は地方の警備、そして杖聖隊は皇都の守護を主な務めとする。
今回の警備状況の正確な情報が伝わっていたのは、皇都と警戒を強めていた国境付近の二拠点だ。これだけでも、皇聖隊の隊員で把握できた数は大きく減る。
同じ皇国の人間の中に裏切り者が紛れているのはほぼ確実。それがさらに同じ杖聖隊の中に潜んでいる可能性がある。その事実にリリアの内心には、言い表しにくい憎悪が宿る。
「それかもしくは……」
薄気味悪い憎悪に抱かれていたリリアの耳に、友人の暗い声が聞こえる。
基本的にいつも明るく、いたずら好きなパメラの暗い声は珍しい。そして、躊躇い言い淀む姿も同じく貴重なものだ。
リリアは後ろを振り返る。沈んだ表情のパメラが、じっと焚き火を見つめていた。
「それかもしくは、どうしたの?」
続きを促すと、パメラは顔を上げてリリアを見つめ返してきた。皇聖隊の隊員として多くの任務を遂行してきたその表情は、今は年相応の、不安を抱えた少女のようだった。
少女のパメラは、何度か躊躇うような仕草を見せた後、意を決したように口を開く。
「皇聖様……」
言われた意味を、最初は理解することが出来なかった。しかし、リリアの中で整理がついた時、ストンと腑に落ちるものがあった。
皇国最高戦力の六人、皇聖様なら警備状況だけでなく、あらゆる情報を正確かつ迅速に入手することが可能だ。
信頼に厚い分、独自の行動においても基本的に皇国軍では把握仕切れていない。任務の合間を縫い、敵と接触することも容易だろう。
だが皇聖ともなると、その強さだけでなく長年皇国に尽くしてきた実績を含め、皆に認められて任命されるものである。そこに至った“英雄”が、このような蛮行を起こすなど——
「ごめん、これは考えすぎかも。忘れてリリちゃん」
無言のリリアになにを感じたのか、パメラの慌てたような否定の言葉がかけられる。
年相応の少女のものであったパメラの表情は、見慣れた気丈な隊員のものへと戻っていた。
「今日はもうゆっくり休んでね。夜が明けたらまた働き詰めなんだから」
貼り付けたような笑みを浮かべるパメラに、そうする、と返して背を向ける。
おやすみ、と背後から声が聞こえたと同時に、パメラの意識が自分から逸れたことを感じた。
「パメラ」
再びパメラの視線が突き刺さるのを感じつつも、言葉を続ける。
「あなたの考え、その通りかもしれない」
え?、と驚いたような声が聞こえた。
リリアの脳裏には一人の男——皇聖の姿が、一瞬だけ、思い浮かんでいた。
「おやすみ」
会話を続けることなく、リリアは歩きだす。
テントに入るまでの間、その背中には、パメラの視線を感じていた。
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