すんごいお薬



「いやー快晴快晴!!しゅっっぱーーつ!!」

 クロトヴァの街中、宿屋の前で、さとしは右腕を空に突き上げ大声をあげる。

「えらいご機嫌じゃねぇか兄ちゃん。どうした?」


 隣に立つボンボルが、不思議そうにいつにも増してテンションの高い怜を見下ろしてきた。


「今日は皇国に向けて出発する日なんだからよ、景気よくいこうぜ。こういうのはスタートが肝心なんだよ。せっかくの快晴だ、俺らもテンション上げてくぞ」

「あー、理屈は分かんねぇがとりあえず元気出していけばいいんだな。じゃあ俺も一発雄叫びを……」

「それはやめとけ。街中にオーガが現れたのかと思われる。初日から討伐対象になるのはごめんだ」


 大きく息を吸い込み、今にも爆音を飛ばしかけていたボンボルを制する。

 一ヶ月ボンボルと行動を共にし、扱い方もだいぶ板についてきた。


「なんだよ、兄ちゃんが景気よくいこう言ったんだろ?まぁいいけどよ……あと気合い入れたとこで悪いが買い忘れた装備とかを仕入れてから出発するぞ、兄ちゃんももう一回確認しておけ」

「は?お前昨日買い出しに行ったのにまだなんか買い忘れてるのかよ。俺はもう特にねぇぞ」

「あるだろ。昨日は言い忘れたが傷薬とかは多めに持っておいた方がいいぞ?旅の道中でも俺様がビシバシ指導してやるからよ」

 ニヤリと笑うボンボルが顔を近づけ、脅すように語りかける。


 さとしは顔が引き攣るのを止めることができなかった。

 この一ヶ月、宣言通りビシバシと体術の指導を叩き込まれた。最初は訓練ついでにきついのを一撃お見舞いしてやろうと考えていた怜であったが、組み手を始めると同時にひたすら逃げ惑うことに徹した。

 体術のスキルはほぼないに等しい怜と、純粋な戦士であるボンボルとは実力に大きな隔たりがあった。


 逃げては捕まり殴られ、また逃げては捕まりボコられる。繰り返していくうちに、まずは実践的な組み手ではなく形から教えて欲しいと怜からお願いしたが、要求が通ることはなかった。

 実践的な組み手の中から対処法を指導してくるスパルタなやり方に、怜は体中に傷を作っては傷薬の世話になっていた。


「おいおい旅の道中くらいやめてくれよ。これから野宿もあんだろ?俺がヘロヘロな時に魔物に襲われたらどうすんだよ」

「その時は俺様が対処する。問題あるか?」

「……いや、ねぇな」

「じゃあ決まりだ。傷薬補充してこいや」

 どうやら怜の受難は旅の道中でも続くらしい。淡い期待が裏切られて、上げていたテンションが一気に落ち込んでいくのを感じる。


「はぁ……分かった。なら各自必要なものを買い揃えたら一番通りの門に集合だ。時間はどうする?」

「一時間もあれば揃うさ。兄ちゃんもそんくらいでいいだろ?」

「あぁ。なら一時間後だ。遅れるんじゃねぇぞ」

「おうよ!兄ちゃんこそな!」

 威勢のいい返事をよこし、ボンボルは街中に駆けていく。目立つ大柄な背中が人混みに消えていくのをしばらく眺め、怜は想像の中で魔法を撃ち込む。

 爆散するボンボルを幻視し、しばらく満足感に浸ってから、怜も街へと歩き出した。


 行く店は決まっている。ヴァレミーの店だ。

 使い物にならない剣を掴まされてから、怜は何度と通っているが、あれからヴァレミーとは会えていない。

 なんでもえらく忙しいとのことで、店を留守がちとのことだ。

(あのおっさん逃げやがった)

 文句の一つでも言ってやろうと考えていたが、叶わずに出発の日までやってきた。旅立つ日には顔を見せて欲しいと言ってきたのは向こうだ。今日こそ一言言ってやると意気込み、店へと向かう。


「いらっしゃいませ」

 店の扉を潜ると同時に、店内から元気な声が聞こえてきた。さとしは、声だけで相手が誰だか理解する。

「こんにちはラーヴェンさん。今日は店番か?」

「エックスさん……こんにちは。はい、今日はお客さんも少なくてゆったりですが」

 人懐っこそうな笑みで、店番をしていたラーヴェンが近づいてくる。

「へー、珍しいこともあるもんだな」

 ほぼ毎日通い詰めていたが、だいたいいつも混み合っているのがヴァレミーの店だった。今日は確かに怜以外に客は二組程度しか入っていない。


「こんな日もありますよ。私が店番に立つ時は是非ともこうであってほしいものです」

 いたずらな笑みを浮かべるラーヴェンに、こんな冗談も言うのかと少し意外に思う。

「ははっ。ヴァレミーのおっちゃんに聞かれちゃ怒られそうだな」

「このことは内緒ですよ?……今日もまたいつもの傷薬ですか?」

「あぁ。一つ頼む」


 もはや常連と化している怜は、この店で毎日同じ薬を購入していた。

「はい、ではこちらになります」

 カウンターの上に、ラーヴェンは包帯と塗り薬、二種類の丸薬を並べた。


 塗り薬は傷に直接塗り込むもので、包帯はその上から覆うもの。二種類の丸薬のうちの一つは傷を内側から治す飲み薬で、もう一つは流れ出た血液を補う増血剤だ。

 街の薬局で買えるような組み合わせに見えるが、その効果は凄まじい。これらの薬を併用するだけで、浅い傷程度なら二日と経たずに綺麗に傷痕さえも残らず完治する。

 ボンボルの常備している組み合わせらしく、ここ数日、訓練で傷だらけになった怜も大変お世話になっていた。


 いつものようにお代を渡し、おそろしい効き目の薬を手に持ち眺める。

(すげぇよな。科学は前の世界の方が遥かに発展していたはずなのに)


 街の規模としては大きい部類に入るというクロトヴァの街も、高層ビルを見慣れた怜には風情のある田舎の都市の一つに見えていた。

 しかし、この世界の文明レベルが一概に低いと言うわけではない。この薬にしてもそうだ。これほどまでに即効性を感じる傷薬など、前の世界では存在しなかった。比較的容易に採取できるという薬草を元に作り出しているらしいが、その効力は現代レベルを超えている。


 イスティフの時代にも存在しなかったこれらの薬は、時代の進歩と発展とともに作り出されたものだ。

 前の世界が科学とともに発展してきたのなら、この世界は魔法とともに発展を遂げている。

 怜がイスティフであったころには想像もつかなかったようなことや、怜が生きた前の世界では不可能であると思われていたようなことも、この世界では実現しているかもしれない。

 まだ見ぬ世界の展望に、多少だが胸が躍るのを感じる。


「いかがなさいましたか?」

 ラーヴェンが不安そうに声をかけてきた。どうやらしばらく黙り込んでしまっていたらしい。

「いや、なんでもない。それよりヴァレミーのおっちゃんはいるか?俺ら今日出発だからよ、最後に顔見せろって言ってたからな」

 受け取った薬を、腰に巻きつけたポーチに詰め込み尋ねる。

「はい、今日はちゃんといますよ。と言っても……」


 ラーヴェンが言い終わるより前、階上からタッタッタッと小気味のいいリズムをたて、誰かが降りてきた。釣られるように視線を移した怜は一月ぶりの再会を果たした。


「これはエックスさん、お久しぶりでございます」

「久しぶりだなヴァレミーさん。って言っても俺はほぼ毎日来てたがな」

 少しだけ、棘を感じる言葉を怜は返す。

「お聞きしておりました。いつもありがとうございます。なかなか顔を出せずに心苦しい限りではありましたが」


 本心はどうだかなと思いつつも、ヴァレミーの抱えている大量の書類の山が目に止まる。

「これからなにか用事か?」

「はい。なんでも中央地域で起きていた衝突が収まったようでして、そのための仕事でここ一月ほどは大忙しです」

「へー、大変そうだな」

 困ったような表情を見せるヴァレミーは、嘘を言っているような気はしなかった。本当に忙しかったのかと、自分が避けられていた訳ではない事を知り、一言言ってやろうと考えていた怜の勢いを少しだけ失う。


「今日俺らも皇国に向けて出発すんだよ。最後に顔くらい出しておこうと思ってな」

「それはそれは……わざわざありがとうございます。お強いお二方のことです、皇国でもきっとご活躍されるでしょう。その時にまた、いいお付き合いができればと。どうか道中、お気をつけて」

「あぁ、その時はまたなにかと仕入れさせてもらうぜ」

 人のいい笑みを見せるヴァレミーと握手を交わし、別れを惜しむ。


「では、私は仕事がありますのでここらで失礼させていただきます。是非ごゆっくりご覧になっていってください」

「あぁ、そうさせてもらうぜ。……ところでおっちゃん、前にもらった剣のことだけどよ……」

「あー忙しい忙しい!申し訳ございません、ちょっと大変バタついておりまして。もっとゆっくりお話ししたいのは山々なのですが、私も急がねばならないので失礼させていただきます!——ラーヴェン、あれをお渡ししておけ」

 では、と言い残し、逃げるように店の外へと駆けていくヴァレミーの背中を見送る。


「おっちゃん……逃げたよな?やっぱこの不良品掴ませた事うしろめたく思ってるよな?」

「……ははっ、どうでしょう……」

 剣を見せつつ、ラーヴェンに問い詰めるも、困ったような苦笑いを浮かべるだけであった。

「ったくよ、人が良さそうに見えて腹の中は真っ黒だぜ」

「そんなところもあの人が優秀な商人であるという証かもしれません。それとエックスさん、お渡ししたいものが……」


 ラーヴェンがカウンターの上に小さな箱を置き、中から何かを取り出す。


「これを。お二方が出発する日に、店に来たら渡すようにとヴァレミーさんから言われておりました」

 手渡されたのは小さなカプセルだ。半透明のカプセルは中身が透けており、小さな注射針と容器内を満たす液体が確認できた。


「なんだこれ?」

「痛み止めです。戦闘で負傷した際などに、その注射をうちこんでいただければ、しばらくはケガの痛みも感じなくなるでしょう。効果は一時間ほどです」

「へー、いやまともだな。ヴァレミーのおっちゃんもいいものくれるじゃねぇか」


 予想外のまともなプレゼントを意外に思う。鈍の剣を掴ませた事を罪悪感に感じているのか、ありがたく受け取ることにした。


「戦闘でもし負傷してもしばらくは痛みを気にせず戦えるな。効き目はどの程度だ?刺し傷くらいには効くのか?」

「四肢を削がれた痛みもたちどころに消え去るとのことです」

「効きすぎじゃね!?なにそれ神経が死んでるとしか思えねぇ……うん?これ絶対副作用とかあるよな」

「……おそらく大した副作用はでないかと」

「でるんだな。どんな副作用だ?」

 言いづらそうにしているラーヴェンに、少しだけ怜の良心が痛むも、絶大な効果を発揮する痛み止めの代償を知らずに使用することは危険が大きすぎる。


「臨床数が少ないのもあって、正確な副作用は把握できておりません。ただ、一例を申し上げますと、痛み止めの効果が消えた後、三日ほど幻覚を見るようになったり、突如として叫び出すなどの奇行が目立つようになり、男性が服用して胸が大きくなり始めたなんてこともあります」

「やべぇじゃん」


 リスクがでかい。一時間痛みを感じなくなる代償に三日は使い物にならなくなる。場合によっては胸が膨らみ一生胸部にぶら下げて生きていかなくてはならい。

 ボンボルにこの薬を使った場合を考え、ゾッとした。


「ただまぁ無料ですので、ヴァレミーさんからの餞別の気持ちとしてお受け取りいただければ幸いです」

 慇懃な態度のラーヴェンに絆され、受け取ることを決意する。


(しかしなんでこの店こんな繁盛してるの?まともな道具置いてねぇのかよ。嫌がらせ同然の贈り物じゃねぇか……もしかしてヴァレミーのおっちゃん、俺らが馬車で吐きまくってたこと根に持ってる?)

 愛想のいいヴァレミーが腹の底では自分たちに不快感を示していた可能性に気づき、怜はカプセルをポーチの奥にそっと封印した。


「エックスさん。お気をつけて」

「ん?……あぁ、分かってる。気をつけて行ってくるさ」

 改まった態度のラーヴェンに、怜は軽い口調で返す。皇国までそれなりの日数を要するだろうが、ボンボルと二人なら大して危険はないように思えた。


「お二方の強さは分かっているつもりです。ただ、最近どうも皇国が慌ただしいようなのです」

「慌ただしい?」

「はい。目立った動きがあるというわけではありません。ただ中央地域の衝突が収まったにも関わらず、国境沿いでは警戒体制が続いているようです。国境警備を主な任務とする剣聖隊だけでなく、その他の皇聖隊も組み込んだ小隊が常に巡回しているのだとか」

「へぇ……皇国でなにかあったのか?」

「分かりません。しかし、皇国内で何かがあったのは確実でしょう。お二方が巻き込まれないとも限りません。どうか、お気をつけて」


 ヴァレミーからの贈り物とラーヴェンからの忠告を受けとり、店を後にする。

 どうやら皇国でなにかあったようだが、わざわざ首を突っ込みに行くつもりはない。もし突っ込んでしまっても、ボンボルと二人なら最低限逃げ切れることは可能だろうと、最悪の事態に落ち入る可能性は低いと怜は判断した。


 戦火に巻き込まれなかったクロトヴァで生活していたから実感はなかったが、この世界では最近まで大きな戦争が勃発しており、今も小さな衝突が絶えない。

 これから行く皇国では、その影響を感じる事も、多少なりとも関わる事もあるかもしれない。

(一応警戒しておかないとな)

 警戒心を一段あげ、まだ早いであろうが、ボンボルとの待ち合わせ場所にさとしは向かった。


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